ガンダレッドの小説三 二月二十二日昼~夜
咄嗟に横になった体を起こし、僕はモーニンガードに顔を向けた。ちょうど太陽を隠してくれていて、眩しくない。
「てっきり、俺はお前に嫌われて疎遠にされてるもんだとばかり思ってたぜ」
「まさか。それより、こんなところで何してるの?」
少しだけ気を落として、風に励まされに来たなんて言えばきっと馬鹿にされてしまうだろう。だから、何もさとられずに話しかける必要があった。
「なあ、モーニンガード。ミドルラードさん達を見てどう思う?」
この質問を彼は予想していなかったみたいで、悩んでしまった。ストレートが過ぎたか。
「さあね。僕には優しいおじさんとおばさんにしか見えないよ」
「やっぱし、みんなそう言うよなあ」
そういって、何気なしに彼の顔を見てみると、醜悪な笑みでこちらを見返してきた。しまった、この言葉は意地悪な彼にとって絶好の材料ではないか。
「あの人たちに怒られたの?」
モーニンガードの頭を弱く叩く。しかし、悪戯な笑みは消えなかった。憎いヤツだ。
「お前は落ち込んでる人が目の前にいて、慰めることもできねえのかよ」
「んー? ……ああ、できないね。したくても、僕にはね」
それにしても大胆に否定してきた。素直なのはいいことだが、言い訳する術くらいは身につけてほしいものだ。本当にできないのかと疑ってしまう。
一瞬彼の顔から笑みが消え去ったのは、一体どうしてだろう。
「それで、ミドルラードさん達がどうしたって?」
ただ、こうして話し始めた時はもうさっきの顔に戻っていた。しかし今度は好奇心の混ざったような、そんな声音で尋ねてくるため、誰が話してやるものかと口をつぐむ。
「教えてよ、何があったの?」
「ねえ、ちょっと、ガンダレッド」
「いいじゃないそんなに怒らなくても、ちょっとした冗談だったから、さ?」
「おいおい、酷いよ。まるで僕が独り言を話してるみたいじゃないか、傷つくなあ」
いつも無視してたのはお前のくせに、と心の声でぼやくが、必死に自分の名前を呼び続ける彼の姿を見ていると、ぬいぐるみに話しかける寂しい少年のように切なく思えてきたため、そろそろ声をかけてやろうかと口を開いた。
「僕、あの人たちの秘密知ってるよ」
しかし、あまりにも突発的な言葉でせっかく開きかけた口が再び沈んだ。ただそれは一瞬のこと、次の瞬間に僕はモーニンガードの肩を捕らえていた。
「今、何て?」
「だから、ミドルラードさん達の秘密を知ってるって言ったの」
なぜ、なぜ、なぜ。全てにおいて、なぜ。頭の中のパズルのピースが、カチっと音を立てて動き始めた。完成図はまだ定まっていない、その盤面のピース。どこに置けばいいのかも分からないピース。
「なぜ、お前が彼らの事、いや、秘密を知っているんだ……?」
高潮した気分を抑えながら尋ねた。モーニンガードはその質問には答えなかった。
「彼らは、罪人だよ」
モーニンガードから紡がれる言葉は、今ある日常を壊していくような、そんな力を持っている。壊れるのはあっという間で、何がどのようにして壊れたのか、この時はまだ気づいていなかった。
「根拠は……?」
「さあね。一応、信じてくれなくてもいいよ」
まるで、僕の頭の中を覗かれているようだと思った。彼の真っ直ぐな目は、果たして僕を、そのままで捉えていてくれているだろうか。謎に満ちた畏怖の心に気づかれていないだろうか。
「それじゃあね。また夜ご飯の時にでも」
そういって、ただ唖然としている僕を背に彼は去っていってしまった。それからはもう、碑文のことなど考えてすらいなかった。なぜ数年も閉じこもっていたモーニンガードが彼らのことを知っている? 彼らのことを知っているのはラドンさんだけだ。ということは、ラドンさんが彼に教えたのか? いや、モーニンガードだって僕と同じ参加者だ。僕に教えてくれなかった訳だから、まさかモーニンガードに教えたということはないだろう。
熱のこもった頭を冷やすために、一旦自室に戻ることにした。両手に水を溜め、思い切り顔に打ち付ける。
ふと窓の外を見てみると、ミドルラードさん達とモーニンガードが仲良さそうに話している。これにも驚いた。モーニンガードは、彼らが罪人だと知って尚、楽しげに話している。何を話しているのかは分からないが、きっと他愛もない話しに違いない。
夜の七時になり、僕は食堂に集まった。毎年恒例、ラドンさんの挨拶によって晩餐は開かれる。
「さあ! 今年はミアンナ君の妹君がいなくて残念だが、彼女の分まで我々で美味しく頂こうじゃないか。そして、どんな味だったかを伝えてあげて、来年には治ってここに来れるようにすると尚いいな!」
ラドンさんは、軽く俯いている僕の方を、笑顔で見返してくれた。気にしてない、だから楽しんでくれ、ということなのだろうか。なんにせよ、ラドンさんは器が大きかった。
よかった、と心の底から安堵した。
そして、一日目の楽しい晩餐が始まった。モーニンガードはラドンさんに近い席の方で、楽しげに物を食べている。美味しいという声が聞こえた。それはそうだと思う、ずっと冷めた料理を食べてきただろうから。
ミアンナは、綺麗に食べ物を口に運んでいた。綺麗な彼女にふさわしい、丁寧な食べ方であった。
「何よ、そんなに私のことを見つめられちゃ、食べにくいわ」
苦笑された。
「悪い悪い。俺、無意識だったよ」
本当のことだ。隣にミドルラードさんがいるものだから、緊張してしまう。話しかけてはくれるが、いつもの余裕そうな声で返事をするのは難しかった。
「ね、ガンダレッド。今日の夜、そっちの部屋行ってもいい?」
らしくない。まったくもって、一体どうしたのだろうか。昼からおかしいように思える。しかし、それを問うのはためらわれた。
「わかった、だが何の用だ?」
「暇つぶし。そしてその、閃きについてよく聞いておきたいの」
悪くない提案だ。退屈しないし、何よりこのトランプ説を他人と考えることによって、別の見方が見えてくるかもしれない。
そうすれば、ミドルラードさん達に対する憶測の心は消え去る。だが、さっきのモーニンガードの言葉は身にしみた。
罪人、罪人。彼らは、罪人……? こんなに楽しそうにしていて、暖かい微笑みを持つ優しさが満たされているのに。
「彼らもまた、人間なだけの話なのだよ」と、ラドンさんの言葉が頭を巡る。それは、モーニンガードの言葉と連なって二匹の蛇となって日常を壊していく。
いや、もしかしたら僕が見ていたのは幻想の世界だったのかもしれない。
「どうしたの?」
ミアンナはフォークの進んでいない僕の顔を覗きこむ。それに続いて、ノーラさんも僕の顔色を窺ってきた。
「お腹すいてないなら、私食べちゃおうかしら。美味しいんだものっ、ここのお夕食」
「だ、だめっすよ。これは俺ので、ノーラさんは自分のを食べてください」
実際お腹は空いていた。そのせいで本能的に元の自分が出てしまう。
「元気そうね。よかったわ、ガンダレッドに落ち込まれると私、どう対処すればいいかわからないもの」
「もし俺が落ち込んでる時はほっといてくれ。そいつが一番いい対処法だぜ」
隙間を縫って、目をモーニンガードに向ける。彼はまったく、チキンを頬張っていた。その姿は子供らしく、さっきのような言葉が彼の口から出てきたとは思えない。
夜
食事を終え、風呂に入った後、彼女に送るための執筆をしながらミアンナが来るのを待っていた。二十二時を過ぎたあたりになっても中々来ないため、仕方なしにミアンナの部屋を訪ねることにした。
「あいつに限って、忘れることはないだろうけどな」
しかし、ミアンナは不在だった。鍵がかかっているということは、きっと表に出ているのだろう。
あ、もしかすると、風呂に入っているのかもしれない。そう思い1階に行く時にオフィーリアとすれ違った。
「ガンダレッド様、こんな夜中にどうなされましたか?」
「ミアンナを捜してるんだが、オフィーリア、見なかったか?」
「さあ……。私は見ておりません」
特に考える様子もなく、オフィーリアはそういった。
「そうか、わかった。もし見かけたら、俺が捜していたと言ってくれよ」
そういって別れて1階を探してみたがバスルームにもどこにもいなかった。当たり前だ、この時間は普通外に出歩いたりなどしない。
もしかしたら、すれ違ったかもしれない。半ば駆け足で自分の部屋に戻ることにした。
「……ん?」
声を出したのは僕だった。来る前に、無かったものがそこにあったからだ。ドアの隙間に挟まった紙を拾い上げ、好奇心に任せてその場で読んでみることにした。もしかしたら、ミアンナからの手紙かもしれない。
一日目 ジョーカーは現世に舞い戻りて復讐を誓う
「なんだこりゃ」
紙には一行だけ、綺麗な文字でそう書かれていた。興味はあったが、頭を動かすのは部屋に入ってからにしようと思った。
ドアノブに手をかけ、鍵が空いている感触を確かめると紙に視線を寄せながらドアを開いていった。
「…ッ!」
視線が、紙から目の前の人物に移る。
「おい、おい!!」
目の前の人物はミアンナ。
「お、おいおいミアンナ、大丈夫か!」
手首を紐で結ばれて、床に放り出されていたミアンナ。