Episode Zero ― 灰色の理系単細胞と、ピンク色の特異点
大学の第一講堂。
重苦しい空調の低音と、
何百もの「中身のない空虚な若者たち」が吐き出す生ぬるい息が混ざり合い、澱んだ湿気が肌にまとわりつく。
ひな壇状の座席は、まるでスクールカーストの縮図だ。
僕はいつものように、
最前列の中央を陣取り、教授の無機質な講義を脳の海馬へと定着させることに腐心していた。
周りからは恐らく、
ただの『ガリ勉根暗野郎』とでも思われていたに違いない。
合ってる。
いや。
間違いではない、とでも言っておくべきか。
大学1回生の春のこと。
桜吹雪舞う頃、
最初のオリエンテーリングの時期に、
僕は不運にもコロナという名のウイルスに世間から完全に隔絶された。
一週間という、
人生のスケールから見ればあまりに短い期間。
しかし、群れを成す獣たちにとっては、そこかしこにありとあらゆる人間関係という名の派閥を構築するには十分すぎる時間だったらしい。
はい。詰んだ。
いや。
ある意味、一切の娯楽を排して勉学にのみ勤しむというのは、大学生にとっては最も、あるべき姿とでも言うべきだろう。
ガクチカ?
勉強以外に何がある。
結局、学業による知性の絶対値向上。
これに勝る資本投資が他にあるか?
そんな不格好な論理的言い訳を心の中で振りまいて、僕は図書館の隅で自己防衛の檻を築いていた。
あの頃の僕は、勉強以外に自分の存在価値を見出せずにいたんだ。
だから、それは僕にとっては思わぬ奇跡。
いや、これは。
僕という名の「合理的生命体」を地獄へと誘う、悪魔の誘惑だったのだ。
彼女は唐突に、机に向かってペンを走らせるだけの僕へと話しかけてきた。
明るめの柔らかい、太陽の光を受けてキラキラと日に透ける、完璧なミルクティーブラウンの髪色。
服はいつも、僕の網膜の色彩感覚を狂わせる、
柔らかい薄いパステルピンク。
彼女はいつだって、数多の愚者たちに囲まれている。
本来、僕のような陰キャの極みと交わることのない、そんな人種だと、自分でも認識していたはずだったんだ。
『箱山くん、……だよね? 私、雪野カノンって言うの。もしよければ、ちょっとあっちのカフェテリアで話さない?
……箱山くんて、頭いいよね♡
家庭教師のアルバイトとか、興味ない?
私の従姉妹で救いようのない可愛らしい頭してる子がいてね……』
世界は唐突に色づき始める。
そんな、僕の論理回路がコロナなんかよりもずっと甘美で厄介な
"ピンク色の未知のウイルス"
に侵食され始める予兆だけを残して。
◆
カタン、と箱山がルーズリーフを閉じる。
リビングには静寂が漂い、
葵は、今の壮大なポエムを終えて遠い目をする箱山を直視できない。
「……ねえ、先生。
一応確認だけど、
あんた今もその大学の……確か2回生よね?」
「何を当然のことを。まだモラトリアムの最中だよ」
「その割にはさ、なんでそんな『人生の酸いも甘いも噛み分けて、最終的にカルトにハマった中年』みたいな枯れた語り口調なわけ? 自分で言ってて恥ずかしくないの!? 『世界は唐突に色づき始める』って、どの面下げて言ってんのよ!」
「黙れ、葵ちゃん。これは僕の脳内メモリーに刻まれた、不可逆的なパラダイムシフトの記録だ。当時18歳だった僕のピュアな心細胞が、カノンさんという特異点によって爆破された瞬間なんだよ」
「18歳でそれなら、
今の20歳そこそこのあんたはもう手遅れじゃない。
……カノンちゃん、罪深いわ。
こんな、ちょっと小賢しいだけの理系チェリーボーイを、一発で『貢ぐためだけの歯車』に調教しちゃうんだから……」
「調教ではない、自発的な帰依だッ!!さあ、Episode Zeroの解説は終わりだ。
因数分解の海へ溺れるがいい、葵ちゃん!」
ここまでお読みくださった皆様!!!
本当に尊い!!
皆様方には足を向けて眠れません!!ってくらい尊いです!!!!
ありがたや。ありがたや……。
心の中で拝み倒しておきますね★
感謝でいっぱいです。
ひとまずこの家庭教師コメディの持ち玉は全て在庫切れとなりましたので、一旦閉幕でございます。
気が向いたら書くかもしれません。
また、その時もお付き合いいただければ最高に光栄ではございますが、あまり欲深いとタンスの角に小指ぶつけそうですのでこのくらいに留めておきます★
後書き、長いですね。
はい、失礼いたしました汗
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なお、夜は20時10分に毎日更新している別作品で『告解者』という完全シリアスなサイコサスペンスも書いておりますので、もしよろしければお読みいただけると嬉しいです★




