『らり』アートは外さない
海外赴任の辞令を受けた。行き先はドイツだ。話を耳にした同期たちが口々に祝いの言葉を口にしつつ、興奮気味に僕の肩を叩いてくる。ずっと憧れていたはずのドイツへの栄転。例え希望を出していても、それが叶う可能性は恐ろしいほどに低い。そう、これは稀に見る幸運なのだ。それなのに、僕の心はもやもやとしていた。
原因はとっくに判明している。一年前であれば、飛び上がって喜んだだろう。すぐさま支度をして、明日にでもドイツに出発したかもしれない。けれど去年の僕と、今年の僕は少しだけ違う。今の僕にはドイツで腕試しする以外にも、叶えたい夢がある。
そっと横目で向こうの部署の彼女の様子を伺ってみる。彼女は無言のまま、青ざめた顔をしていた。少しだけ手が震えているのがわかる。それはそうだろう。僕たちは何度も食事を一緒にしていたのに、僕は意図的にこの話を彼女の耳には入れなかったのだ。
動揺した彼女の姿にどこかほっとしている自分がいる。最低な僕は、彼女の涙が見たい。置いていかないでと縋ってほしい。どんなに近づいても、彼女は肝心な一言を僕に与えてはくれなかった。僕の丸出しの好意には気がついているはずなのに、どうしてその気持ちに応えてくれないのか。
今まではずっと優しく接してきた。浮かび上がる表情も、垣間見える気持ちも全部愛おしい。でももう限界だ。僕は言葉も確固たる事実も欲しい。唇を舐めて、眼を眇める。ここ最近、彼女の横で飼い犬のように腑抜けてはいたが、肉食獣の牙は健在だ。営業部のエースが、好きな相手も物にできないなんて、そんなこと許されるはずがない。
「一緒にドイツ語の勉強をしようね」
すたすたと彼女の側に移動すると、僕はそっと彼女の指に口付ける。そのまま皆に見せつけるように頬を寄せた。僕の爆弾発言に一瞬フロア内の音が消え、その後すぐに蜂の巣を突いたような騒ぎになった。涙目の彼女の耳元で、僕は愛していると囁く。
※ラリアートとは、牛馬を捕らえる投げ縄のこと