東条豆子の手紙
ギイン、バッタン、エラ、ホイ、サー
ギイン、バッタン、エラ、ホイ、サー
聴こえて、くるのです。
聴こえて、くるのです。
こちらの音頭が聴こえた頃には、また、視界が狭まりまして、見えないほどではないんですがその、暗い中で気付いたら雨なのです。
申し遅れまして申し訳ございません。
東条豆子と、申します。
はい、お読みの方、きっと違和をお感じになったことでしょう。「まめこ」と読むのです。
この豆子という名前は、それはそれはわたくしにとって呪いの名前でございました。
物心つくころには、それはそれは自分の名前が嫌で嫌で。
これでも平成中期を生きていましたから、クラスで最も話題になったのは平和と書いてぴいすふると読む女の子でありましたので、級友に囃し立てられることも少なかったのですが、それでも「豆子」は嫌でございます。
わたくしが大学院まで出られたのは紛れもなくお父さまのお仕事のおかげですし、父も母も尊敬しておりますが、どうしてもこの豆子という名前は受け入れがたく、抗議したこともありました。
「豆子や、豆というのは素晴らしいんだ。蛋白質が豊富でな、それから大豆イソフラボンが云々カンヌン」
とお父さまがおっしゃるので、何よ、それならレバ美やホウレン子でもよかったじゃないの、と口ごたえをしようものならお母さまがいらして、「慎みなさい!」とお怒りになるのです。
お母さまはいつもこんな調子で、お父さまが絶対なのです。いえ、むしろお母さまが絶対というのかしら。
あれはわたくしが六つか七つの時でございます。いえ、八つだったかしら。ちょうど、日本でサッカーの大きな大会がありました。ソフトモヒカンの外人選手が、あら失礼、異国の方、とお呼びしなければ、そんな方を、よくテレビジョンでお見かけした時でございます。
お母さまが、豆子!豆子!とわたくしを大きな声で呼んだのです。振り返って、アッと思ったのですが、わたくし、お弁当を忘れたのですね。
お母さま、走って届けてくださいました。それはもう、汗だくで、メイクも崩れて、かわいそうで。
すみません、わたくし、話がすぐ横道にそれますの。横道ソレ之介でございます、おほほ。
わたくしが申し伝えたかったのは、お母さま、ご自宅でもずっとお化粧を厚くなさってました。それが崩れていたのが、いやに記憶に残ってましたのね。
そんな完璧主義で、お父さまやわたくしの前でも常に美しく厳格なお母さまを演じてらした、と分かったのは、お母さまの首に手をかけた時でしたわ。




