不思議な客(2)
「いらっしゃいま……なんだ。開か」
扉に付けたカウベルがカラコロと鳴れば反射的に声を出してしまう。今日まで何度も繰り返してきた習慣だから仕方がない。
そして、その音を奏でた人物がお待ちかねのお客さんではなく、ただの身内だった場合にがっかりしてしまうのも仕方がない。
「なんだとはなんだよ……って言うか、お客さんが来るかも知れないのにそういう反応をするな」
僕の反応を見て、開は実印のように太く丸い人差し指をこちらに向けて注意を始める。
「だって、普通に開が帰ってきただけじゃん」
「いや、もしかしたら俺がお客さんと一緒に入ってくるだとか考えないか?」
戦意喪失した様を見せつける僕にやる気を出させようと、開が大げさに全身を動かして主張をする。
そんなことをされても、今僕の胸を占めるものはカフェ業ではないのだから仕方がない。
「ひなこって誰さ……」
思わず言葉にして漏らす。なんだか、浮気された人がパートナーに詰問するような口ぶりになってしまったことに気付いたけれど、気にしないことにする。
「ん、誰だ? 女の人か?」
しかし件の名前を僕が口にしたところで開は何の理解も示さなかった。つまり、開の知り合いでもない?
じゃあ、なんだろう。……ひょっとしたら僕が、いつの間にか女性客を魅了しちゃったのかな。
「いや、ちょっと不思議なお客さんが来ただけ」と言っても良かったのだけど、変に心配させるのもなんだしやめておいた。僕が1人で解決して開に良い顔をしたかったのが半分、このまま放っておけばまたあの人が店に来るかもしれないと思ってしまったのが半分。
営業職をする身としてはすごく不純なのだろうけれど、今日のあの女性にもう1度会いたいと思ってしまったのだ。
それと、実は開に隠し事をされているのではないかという疑念もあるのかもしれない。さっきの反応だって、もしかしたら演技の可能性だってあるのだから。……開が演技をできるかどうか、わからないけれど。
〇 〇 〇
僕と開は兄弟ではない。開は母さんの弟だから、叔父と甥の関係なのだ。
父さんとの結婚を反対されて半ば駆け落ちのように結婚をして遠くの地へと逃げた母さんに、実弟である開だけは心配をして連絡を取り続けていた。
そんな行く末、僕の両親は交通事故で他界。親戚中が嫌がった僕の世話を、まだ大学を出たばかりで喫茶店を開いて暮らしていた開だけが引き受けてくれた。そんな漫画みたいな、ありきたりな関係。
僕自身も幼い頃から開の顔には見覚えがあったし、慣れ親しんでいた記憶もあるから軽率に喜んで見せたことはある。でも、それなりに自分の存在が負担になっているという自覚はあるのだ。
例えば、開の交友関係。開は自分の友人を僕に会わせない。むしろ”遭わせない”ようにしていると言っても良いくらい、周囲の人間を感じさせない。
1度、気を遣って「遊びに行って来たら」と言ってみたことはあるのだけれど、「そんなこと気にすんな。店もあるんだから」なんて却下されてしまった。
僕のせいで開に1人も友人がいないというのはやはり嫌だ。それに、いやむしろこのままでは結婚さえできないんじゃあないか、と心配をしてしまうのだ。
でも、今日はイレギュラーなことが重なった。なんとも言えない怪しい外出と、怪しくも綺麗なお姉さんによる忠告。これは、ひょっとしたらひょっとする……と考え込んでしまうのだ。
決して上品と言うことはできないけれど、僕は開の事実を暴きたい。そうして、解放してあげたいと考えている。
だからもう1度、あのお姉さんに会えればいいなと考える。これは決して、下品な理由じゃあない。そう言い訳だけはしたい。