第83話 許されぬ恋心
小気味よい馬蹄の音が大地を揺らす。
白馬パトリシアの背に身を預け、ガーネットとコールは木々の間を疾風のごとく駆け抜ける。
ガルシア領を越え、名もなき大森林の川沿いの小径を進んでいた。
すると、頭上の葉がパラパラと弾けるような音を響かせる。
コールはそっと視線を上げた。
「ん……雨が降り出したな」
前に座るガーネットも顔を上げ、穏やかな声を重ねた。
「そうみたい。葉が覆って、傘みたいに遮ってくれるなんて、いいタイミングね」
「……ああ」
上の空な返事を返しながら、コールは何か言いたげにガーネットに視線を送った。
かと思うと視線を逸らし、ちらちらと視線を何度も彷徨わせる。
そしてようやく、はにかんだ声を漏らす。
「なあ、姫様。今日はその、ありがと……」
そっと首だけ振り返り、ガーネットは可憐に小首を傾げた。
「え? 私、コールに感謝されるようなことをしたかしら」
「したかしらって、はは……姫様らしいな。まずさ、父さんの気持ちが母さんにあったって気づけて、それだけで嬉しかった。母さんが父さんのことを本気で愛してたのは、子供の頃から知ってたから……」
唇に弧を描きながら、コールは言葉を重ねていく。
「それに俺も、当主争いをするために生まれてきたんじゃないと知れて、すごく……すごくさ、心が楽になった」
「ふふ。ガルシア卿の呼び方が偶然耳に残っただけなのだけど。コールの心が少しでも安らげたのなら、私もとっても嬉しい」
ガーネットのあたたかな声が、コールの耳元に触れる。
降り出した雨で肌寒さを覚える中、ガーネットの背中から伝わる温度がやけに近く感じられる。
その温度を逃がさぬよう、コールは手綱を握る腕に力を込めた。
姫様の存在は、暖かな焚火のように俺の冷えた心を溶かしていく。
姫様がいるだけで、俺の心はこんなにも温かくなる。
姫様の傍にいたい、もっと触れたい、もっと……
そう願ってしまうのは、護衛としてあるまじき、だよな。
胸に芽吹いた感情を引き出しにしまうように、コールは瞳を閉じた。
そして、別の引き出しにしまい込んだもうひとつの本音をそっと漏らす。
「本当のことを言うと、ガルシアに帰りたくなかったんだ。姫様も知っての通り、俺はあそこじゃ当主の座に一番近い厄介者。寝ても覚めても命を狙われる」
「……だから、姫様が傍にいてくれて、すごく安心した」
ガーネットの瞳が、花がほころぶように見開かれた。
「それならよかったわ! 厩舎に寝泊まりして、コールを見張った甲斐があったというものよ」
「あー、そういやそうだったな……」
コールの脳裏には、厩舎に泊まるガーネットを密かに護衛し、疲れ切ったゲオルグの姿が浮かんだ。
「それは……ゲオルグ先輩が死にかけるから、もうやめてくれ」
しかし何も知らないガーネットは眉を寄せ、コールをじっと見つめる。
「え、どうしてゲオルグが出てくるの?」
「えーっと、それはだな…………ん、何だ⁉」
雨音に紛れ、蹄が地面を叩く音が後方から届いた。
馬蹄の音はひとつではない。
コールはすぐさま振り返った。
遥か後方――
黒馬に跨った集団が雷撃のような轟音とともに迫っていた。
何者だ?
1、2、3……5人いるな。
黒馬に乗った全身黒づくめの怪しい集団。
身なりからして、通りすがりの旅人じゃないようだが。
さっきから剥き出しの敵意を飛ばして、殺意を隠す様子もない。
兄上の、手の者か……?
下唇を噛む。
痛みに思考を落ち着かせながら、ガーネットに声をかけた。
「姫様」
ガーネットの耳元に顔を寄せ、男たちに気取られぬよう告げた。
「振り返らないで聞いてくれ。後ろの奴ら、明らかに俺たちに狙いを定めてる。パトリシアの速度を上げるから、姫様はしっかりパトリシアに掴まっていてくれ」
危険の渦中にいると即座に感じ取り、ガーネットは小さく頷きを落とした。
「ええ、わかったわ」
握っていた手綱を持ち直し、コールはパトリシアの脇腹を軽く締める。
「パトリシア、急ぐぞ!」
ヒヒィィィンッ!
パトリシアが軽やかに加速した。
その途端、後方の男たちも黒馬の腹を乱暴に蹴りつけた。
ヒヒイ゛イィィンッッッ‼
痛みに理性を失ったような馬の嘶きが森中にこだまする。
その痛みが呼び水となるように、黒馬たちは速度を上げた。
「パトリシア、もう少しだけ頑張ってくれ」
パトリシアには、ガーネットとコールの2人分の重さが預けられている。
それに対し、男1人をそれぞれ乗せた5頭の黒馬は荒々しい蹄音を轟かせながら、距離を削ってきた。
気づけば、獰猛な黒馬はすぐそこまで迫り来る――!
黒馬の集団の先頭を陣取る男が、怒気を叩きつけるように声を張り上げた。
「おい、止まれぇ! 止まれば命だけは助けてやるッ!」




