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アイドルジョッキー馬になる  作者: ゆらゆらゆらり
8/98

信一 ♠ 普段の行いが悪いのは誰だよ!

【7月末日・大井競馬場・天候晴れ】


 ったく、誰だよ行いが悪いのは! よりにもよって1枠1番ってどういうことだよ。


 俺はパッドクから地下道を通って馬場に入ると、あとはヤマさんとヒメに全てを託して、引き綱をはずした。

 そして、無事に駆け出していく姿を見送ると、レース後の馬が戻ってくる検量場へと移動した。






 視線の先には、大型ビジョンが見える。

 画面にはレース前の馬たちが映しだされている。すでに待機場からスタートゲートの後ろへと集まり、輪乗り(円を描くように馬たちが歩いている状態)をしている。

 時折ヒメが映るが落ち着いている。


 ヤマさんは――ヒメの枠番を見た時には、「(抽選を)やり直しさせろ!」と騒いでいたが、今は悟りを開いたかのように、静かに馬上の人となっている。


 ヒメだけでなくヤマさんも長期休養明けで久しぶりのレースだし、緊張は半端ないだろう。それに不安だって。


 昨日、調整ルーム(騎手はレース日前日に外部から隔離される)に入るため小林を後にする時、腰のことを尋ねると、やることはやったし、と言っていた。毎日の針灸通いが習慣になっている。


 さらに小さな巾着袋を掲げ、「明日これを飲めば、ばっちり問題なしだ」


 あれには痛み止めが入っている。最大限の効力のために飲まずにいたものだ。

 その時、ヤマさんはほほ笑んで見せてくれた。だけど、その顔がどこかひきつっていた。俺なんかじゃ計り知れない不安と恐怖があったはずだ。


 それでも、今レースに――。


 背筋を伸ばし、凛々しい姿で前方を見つめるヤマさんが、ヒメとともに1番ゲートへと引かれていった。


 ヤマさんもヒメも無事で戻ってきてくれればいい。そんな気になってくる。


 スタンドに集まったあの人山の中に、ずっとヤマさんとともに戦ってきた先生もいるはずだ。奥さんもちかちゃんも。


 これが小野山やすし、最後の騎乗。


 ヤマさんのラストランだ。







【大井競馬第7競走 C1 内回り1600Ⅿ 天候:晴れ 馬場:良】


 ゲートが開き、馬たちが一斉に飛び出した。


「あっ!」


 レースが映る大型ビジョンに目を向けていて、思わず声がでていた。


 ヒメが出遅れている。それは覚悟の上だったが、ただの出遅れじゃない大出遅れだ。

 一瞬、1番ゲートだけ開かなかったんじゃないかと思った。1秒? もっと? ヒメが出てこなかったのだ。


 終わった……。


 当然、スタート直後なのに馬群から取り残されている。

 それに最悪なことにおそらくスロー(ペース)になる。スローになれば、前を行く馬が有利になり、後ろから行く馬では届かない。


 ああ、目を覆いたくなる。


 枠順が決まった後の3者会議で、作戦を立てることになったのだが、対戦馬を調べていくうちにある事に気付いた。

 逃げそうな馬がいないのだ。それはスタートが早い馬がいないということでもあり、となれば1番ゲートで出が悪かったとしても、他馬の行き脚がつく前に被されることなく先頭に立てる可能性がある。

 ヤマさんも、出鞭(スタート後に鞭を入れる)をくれてでも先頭に立ってやるよ、と気合いが入っていた。


 だけど、気合もへったくれもない。あんな大出遅れじゃ、どうにもならない。


 ビジョンに最後方のヤマさんが映ったが、あきらめたのか、手綱を動かすことなく持ったままだ。

 映像が引きの画になっていき、全体を映すようになったが、やはり、これはスローになる。それも超スローだ。


 馬群が固まったまま1コーナへと入っていく。誰も逃げる気はないといった感じで騎手の手が動いていない。


 本当に……終わった。


 ごめんな。


 田所雪香(馬)の姿が浮かんできていた。







 馬群が向こう正面に入り、カメラ映像が先頭から後方へとパンしていく。


 ヒメは……やはり、最後に映った。スローペースだからだろう。馬群の最後尾には取りついたようだが、かといって厳しいことには変わりがない。


 砂をかぶるわけにはいかないヒメは、コーナーに差しかかっても外をまわるしかない。スローペースだから馬群が固まっているし、内側の馬に比べると大きな距離ロスが生じてしまう。大井競馬のコーナーは他場に比べてきついのだ。


 ああ、逃げていれば、逆の立場になれたのに……。


 映像が切り替わる。いつものように向こう正面は前方カメラから映した画になる。

 スローペースということで、前から見るといつもより固まった馬群が外まで広がっている。これで3コーナーに入れば、大きく外に振られてしまう。


 ヤマさんの白い帽子ヘルメットは馬群の大外に――えっ?


 思わず、身を乗りだした。


 えっ? えっ? えっ! うそだろ。近づいてる?


 馬群から1、2頭分間をあけた外側に白い帽子が見える。それが1頭だけカメラに向かってくるように大きくなって見える。


 つまりは――まくっているのか!


 映像が切り替わり、横から映す画になった。


 ヒメが3コーナーを先頭で走っている。外を回ることなくコーナーの手前でまくりきったのだ。


 もっ、もしかして、あの大出遅れも砂を被らないための作戦? すげえ、すげえよヤマさん。


 まさに奇襲。馬群と距離ができていく。騎手たちが慌てて手綱を動かしてしているが、突然エンジンをふかしたところで、すぐに加速できるものじゃない。


 一気に馬群を突き放……1頭だけついてくる馬が。青い帽子ってことは、ロンリージャッカルか。


 一番警戒していた馬だ。デビューが遅れてレース数が少ないからこんなクラスにいるが、能力はB級でも通じる。

 さらに鞍上は地方を代表するトップジョッキーの木林さんだ。


 木林さんには奇襲がつうじなかったか。ヤマさんのまくりに反応して、ついてこられちまった。


 馬体が重なってしまった。

 ヒメはロングスパートでいつ脚があがってもおかしくない。


 ギアを1段上げようと、ヤマさんの手綱を押す動きが激しくなっている。木林さんもすぐに対応して手綱を動かしている。


 なんとか突き放してくれ。


 相手は差し馬。直線で叩き合いになったら、向こうに分がある。


 だが、突き放せず鼻づらを合わせたまま直線に――。


「ヤマさん!」


 映像に、そして、近づいてくる脚音に向けて声援を飛ばす。


 後続は離れ、ビジョンが2頭だけを映しだす。


「ヤマさ……」


 言葉がつまった。


 ヤマさんの体が上下に揺れている。きっと腰に激痛が襲ってきているんだ。体に力が入らなくなり、尻が鞍へと落ちてしまうんだ。それでも必死に尻を浮かせようとしている。


 そのせめぎ合いで、鞍の上で尻がトントン跳ねるようになっている。


 馬上のバランスが悪くなれば、馬は走りにくい。そうなれば、スピードも――いや、ヒメはしっかり食らいついている。

 ヤマさんのアクションにしっかり応えている。


 ふと思いだす。大井の名手のことを。今のヤマさんにように馬上で体が上下しバランスが悪いように見える騎乗で、何千勝もした神のような人だ。


 それが今まさに――。


 必死に戦ってくれているヤマさんとヒメに、今俺にできることはこんなことしかない。だから精いっぱいの声で、


「行け! ヤマさん! 行け! ヒメ!」


 2頭が並んだままゴールを駆け抜けた。


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