第21話 往路
大丈夫だ。
3階の窓の隙間から鏡を引き抜いた僕は、
道の裏側の目立たない窓から、カーテンを繋げたロープをゆっくり垂らした。
今、家の周囲や近くに奴らは余り居ない。
時折り、少し離れた大通りの近くで鳴らされる車のクラクションが
奴らをしばらくの間、引き付けてくれている。
あの親子を救った彼は、決して自分があの親子を襲わない様に
今もシートベルトを付けたまま、あの車の中にいて、
奴らの仲間になった今でも、あの親子を守り続けているのだ。
僕はそっと車に乗り込み、フロントガラスを含む全ての窓にレースカーテンを取り付けた。
一見目立つ白いレースカーテンは車内にいる僕の姿を完全に消してくれる。
車内にまで置いてある家族写真に少し異常性すら感じながらも、
父の笑顔に勇気づけられ、僕は車を動かした。
ハイブリッド車はエンジンとモーターを使って走る。
低速時はモーター、加速と高速時はエンジンを使うのだが、モーター駆動時は驚くほど音が小さい。
僕はそれを利用し、低速のまま時間をかけてコンビニへ近づいて行く。
車には家中からかき集めた目覚まし時計と、母が趣味で集めたグラスも大量に積んであり、
いざと言う時には、それらを使って奴らの気をそらせるのだ。
と、家から大して進まないうちに、奴らの1人と遭遇した。
気付かれていない事を願ったが、明らかに興味を持って近づいて来ていることがわかり、僕は仕方なく反対側の窓を開けてグラスを1つ放り投げた。
パリンッと軽い音を立ててグラスが割れ、興味を上書きされたその1人はグラスの方へと歩き出す。
ああ、きっと後で怒られるだろうなぁ
そんな事を思いながら、奴らに気付かれる度にグラスを投げる。
小振りで薄い、母のお気に入りのそのグラスは、
近くの奴らにしか聞こえない素敵な音を出し、離れた奴らに気付かれる事無く奴らを陽動してくれた。
しばらく進み、家から少し離れた所で奴らの集団を見つける。
僕はタイマーをセットした目覚まし時計を道の片隅に転がし、少し進んで静かに待つ。
ジリリリリと目覚まし時計はベルを鳴らし、奴らの集団は僕の横を通り過ぎる。
父のお気に入りだったのになぁ
そんな事を思いながら車を再び前へと進める。
その音は車に興味を持たせる事無く、奴らを引き付け続けてくれた。
車を叩かれたら、そこで終わり。
1人が車をを叩く音は、
他の奴らを呼び寄せ、
呼び寄せられた奴らの音は、
更に多くを呼び寄せる。
1人に気付かれる事は、
全員に気付かれる事だ。
気が狂ってもおかしく無い程、神経を尖らせながら進み続けていた僕は、コンビニまであと少しと言うところでふと気が付いた。
昼間より数が多い。
彼がクラクションで引き付けてくれてから、まだそんなに時間も経っていないはずなのに。
明らかに絶対数が増えている。
それはつまり今日の昼間、かなりの数の人間が奴らの仲間になってしまったと言う事。
僕らの嘘が間に合わなかった為に、多くの人が外に出てしまったと言う事。
また僕のせいで多くの人が死んだ。
僕が妹に寝ろと言ったせいで、情報の拡散が遅れてしまったからだ。
昨夜決心したはずの心が揺らぐ。
そして、揺らぐ心に追い討ちをかける様に、
僕の視界に入って来たのはコンビニ前にたむろする100を超える奴らの姿。
怖い。
死にたくない。
早く家に帰りたい。
家から積んできた物は、
もう半分も残っていない。
早く動けなくなった奴らまでたどり着いて、ロープをかけて、
どうやって?
どうやって近づく?
あんな数を、どうやって何とかする?
どうやって?
完全に思考が止まった。
時間だけが、ただ過ぎて行く。
しかし、思考の止まった僕の目の前で
それは突然起こった。
地響きかと思う程の大音量。
コンビニの奥から流れ出すその音は、コンビニの周りにいる奴らを1人残らず店内へと吸い寄せていく。
一体何が起こったのだろう。
何の理解もしないまま、僕はただ呆然とその光景を見つめていた。
コンビニの前には動ける者はもう1人もいない。
僕は動けなくなった奴らの横まで車を進め、
その1人にロープをかけると、
ゆっくり車を反転させて、
家に向かって進み始めた。




