第2話 秘技!異世界転生! 〜転生時にはスーパーラックの御準備を〜 後
ふと空を見上げると、もう陽は沈んでいた。歩いていて偶然拾った硬貨を握りしめて自販機を探す。この硬貨、ゲーセンのメダルとかじゃなければいいのだが。
脳をフル回転させていたのだ、喉はあまり乾かなくとも甘いものが欲しくなる。あとカロリー。歩き回ったから。
「は〜ぁあ、ねぇーなぁー…」
見当たらない。なっかなか見当たらない。自販機など何処にでもあろうに、見当たらない。どうなっているのだこの世界は!
ちなみにどうなっているのか、と声を上げた原因は自販機の事だけではない。
とりあえず現在地を説明しよう。
俺は言葉のお勉強を続けつつあの秋葉原のよう地帯を抜けた。
現在俺を取り囲んでいる景色はこうだ。
立ち並ぶ普通の大きさの一軒家とコンクリート造りの三階建アパート。そしてたまに小さな工場。中には個人で営んでいるであろう商店も見かける。道路は車がギリギリすれ違えるか、という幅で、足元のアスファルトを街灯が頼りなく照らしている。
二つ通りを行けば片側二車線か三車線の道路があるような下町だ。
この現在地まで辿り着いたまでに生じた違和感がある。先程のような人によって生じた違和感ではない、物によって生じた違和感だ。
まず一つ。
車がなんと言うか、普通のと違う。
のっけから言葉足らずで申し訳ない、言葉がうまく出て来なかったのだ。
こっちの車はなかなか特徴的だ。基本的な形状は変わらないものの、窓という窓はスモークガラスのようになっていて中の様子は見て取れず、走行時のエンジン音は聞こえない。
そして大通りで俺が目にしたのは一糸乱さずに動く車列。車間距離は均一で速度も一定。交差点での車列は最適を導き出し、スムーズに運転手たちを目的地に運んで行く。
いや、そもそも運転手というものすら存在しないのかもしれない。世の中の車は全て自動運転で走行しているという可能性もある。
成る程、それなら合点が行く。だがとんだSFだ。
二つ目。これは車ほど違和感を抱いたわけではないのだが。
管がない。この世界には管がない。
いや、全く管がないというわけではないのだ、小指ほどの太さの細ーい管なら存在する。が、それ以上の太さの管がない。何故だろうね俺も不思議だ。
ま、そんなこんなで自販機がない。
小さな交差点を曲がって街灯の少ない道に入って行く。少し道幅も狭くなった。
両側のコンクリートブロックの塀に俺の足音が反響していく。静かな道だ。一陣の風が塀の向こうの木の葉を揺らしている。
さて今夜はどう過ごそうか、公園のベンチあたりが妥当か。コンビニかなんかで飲み物を買った後に公園を探そう。
異国の地で一人で素寒貧。これは辛いな。ハードコアだ。
背後からの風が俺の後ろ髪を撫でた。
「…hfdkvfd dgjddjo殲滅する」
「はい?」
真後ろから声が投げかけられる。振り向くとそこには街灯に照らされる事のない黒い影。黒い靄を纏ったようなシルエット。不意に話しかけられたが、「殲滅」という言葉だけは拾えた。
黒い影は素早く腰から何かを抜く。
名刺か?財布か?この状況なら拳銃しかねぇだろ!
反射的に右にステップを踏んでから左に飛んだ。
発射された弾丸は地面を抉ったようで、飛び散ったアスファルトの破片が地面に落ちていく音が聞こえる。
両手を地面について身体を跳ね上げ、全速力で走り出す。逃げの一択だ、離れなければ。
スニーカーの靴底を勢いよく地面に叩きつけていく度、音は塀に反響して鼓膜を打った。
「細可動部魔力消失、動作不良」
急な運動に遅ばせながら太腿の筋肉が小さな悲鳴を上げる。どうするか、警察を呼びたいが方法がない。拳銃相手に迎え撃つのも無謀。
…走行中の車にしがみついて離脱、これしかあるまい。
何でこんな目に?何で俺が?は悪手だ。この状況をどう切り抜けるか、それだけを考えるんだ。
交差点を曲がって、大通りへの道を走り抜けた。コートの中の包丁が脇腹を抉らないことを願う。視界の先はオレンジ色の街頭で照らされた片側二車線の大通り。まだ日も沈んだばかりで、そこそこ車も走っているようだ。
息が上がってきた。
大通りに出て、そのまま大通りの歩道を走り続ける。まだだ、油断するな。絶対に奴は追ってくる。何なら賭けてもいいぜ。
さて、出来れば乗用車ではなくバスやらトラックやらがよろしい。屋根に乗れれば最高だ。そのまま伏せて十数キロ程度エスケープさせていただこう。
大きくなった呼吸をそのままに振り返って見たが先程の黒い影は未だ見えない。ただ自身の足元に影が踊るだけだ。
100メートル程先に歩道橋と赤信号が見える。取り敢えず一旦上に登って信号待ちのトラックなどに飛び移ろう。経験など無いがやるしかない。
「はッ、はッ、ははっは!」
順調すぎて少し笑えてくる。殺されかけると思ったが問題なく逃走できそうだ。歩道橋まであと少し、逃走用に最適とも言えるホロ付きの中型トラックも運良く発見できた。
歩道橋の階段を1段飛ばしで登り始めたところで信号が青に変わる。
おっと、これは不味いか。いや、大丈夫だ、この天才の俺が本気でやって失敗した事など一度だって無いのだ。
手摺を腕で引き、その勢いを利用し更に駆け上がるスピードを速める。すでに、青信号に引っ張り出されたトラックは加速を始めていた。
橋上に立ち、高さ故に逡巡を許してしまう。しかしその一瞬の無駄さえも文字通りの命取り。
助走のスピードに物を言わせて跳躍し、欄干に右足を掛ける。
そして眼下のトラックに向け欄干を蹴った。
下方から上方へと流れる空気、重力から解放される感覚。
トラックとの前後方向での相対速度は0。このまま問題なく着地できる!
靴裏がトラックのホロへと接触し、その衝撃を膝へと伝える前に右肩を地面に差し出すようにして転がった。慣性のかかった体を無理やり一回転で止めて、うつ伏せの状態で溜息を吐く。溜息だけで済ませるつもりだったのだが、全力疾走した想像以上に肉体は酸素を求めていた。その欲求に数秒と抗えず、荒い吐息をホロに吹き付けていく。
頰に当たるホロのザラザラした感触が半ば浮ついていた思考に重りを付けてくれた。視界が広がり、現在の状況に現実味がついていく。
さて、人生初の経験だったが、どうやら衝撃を上手く逃がすことには成功したようだ。
顔を上げると、前髪を押し退けるように吹き荒ぶ風。後方に流れていく道路の左右を照らす街灯。状況を鑑みるに、すでにトラックは時速60キロ程度に達しているようだ。このまま1時間休めば移動距離は大体40キロ程度。あの黒い影も簡単には追ってくれまい。
現在の状況にひとまず安堵する。自然と二度目の溜息が口から漏れた。漏れたのは息だけではなかったようで、緊張が抜けた身体は正に鉛のように重くなり眠気を引き連れてくる。
…今日は歩き詰めで疲れた。このホロの上で待機をするのが正解ならば折角だから寝ておこう。
腕を枕にして、うつ伏せの状態で瞼を閉じようとしたその時。
バシィッ!と。
豪快に厚いプラスチックを破砕するような音が左斜め後方から聞こえた。
まさか。
嫌な予感を胸中に沸かせながら体を跳ね起こして後方確認。
そこには。
無残に破砕された白い乗用車のボンネットの上に君臨するあの黒い影の姿が。
黒い影は徐々に速度を落としていくボンネットの上で力を溜めるように屈み、乗用車のフロントガラスをヒビで真っ白に染めて此方へと一直線に跳躍する。
思いきりバックステップしながら多少の距離を稼ぎ、震える手でコートのジッパーを開いて懐の刺身包丁の柄を掴んで引き抜く。が、間に合わない。
オイオイオイオイオイオイ!!
「嘘ッだろお前ッッ―――」
言葉を最後まで発する事は叶わなかった。
既に黒い影は俺の元へと到達し、その豪脚で土手っ腹を横薙ぎに蹴っ飛ばしたからだ。
回る視界。街灯の光と看板の光がミックスされて尾をひく。まるで自分自身がミキサーにかけられているような感覚。蹴られた箇所からヒビが入って全身が砕けてしまう。
ガラスを突き破る音。少し背中に衝撃があって、それから尾のついた光は消えた。
「ッゲ!!うぇぇ…」
脳内を真っ白に染める背中と後頭部へと衝撃と同時に、カエルを握り潰した時のような声が口腔に近い喉で生成される。
見開いた目で無理やり視覚情報を脳へ送りつけると、そこはまばらに机の並んだ学習塾の空き部屋ような場所だった。向かって正面の大きなガラス窓は粉砕され、藍色の空が直接見える。
その藍色の空も、やがて音もなく降り立った黒い影に塗り潰された。
暗い部屋の中でもハッキリと確認できる程の黒い靄。
影は飛散したガラスを踏み割りながら距離を詰めてくる。
もう、全身痛くて痛くて動けやしない。
ははは、やっぱりハードコアはクリア出来なくて当然だ。これは難しい。
「…細稼働部動作不良。火器にて執行する」
影は全身からキリキリと音を立て、先程とは違ってゆっくりと拳銃を手に取った。
腰から抜いた拳銃の射線が俺の体を舐めていく。足首から太腿、下腹部、胸部へと。
残念、俺の冒険はここで終わってしまった。観念して瞼で瞳を覆い隠そう。
圧縮した空気を噴き出す音。此処まで来て今更なんだと目を開ければ鈍い音を発して影が宙を飛んでいる。
いいや違う、自主的に飛んだのではない。海老反りに大きく姿勢を崩しているところを見るに、誰かから突き飛ばされたのだ。
程なくして影は仲良く俺のちょうど隣の壁へと叩きつけられた。
短連射。影の後ろから現れた人物による間髪を入れずに二度の短連射。
瞬く黄橙色の炎が白い壁紙の部屋と引き金を引いた人物の碧眼と金髪を照らし出す。
「…クリア」
まだ若い女性の抑揚の無い声と、黒い液体を床に広がせて動かなくなった黒い影。黒いものは若干元の形を崩しているように見える。反響する発砲音が収まる頃には彼女は周囲を確認し、既に通信機を手に取っていた。
「こちらサーファ6。要人確保。繰り返す、要人確保。しかし要人中傷のため治療を求む。敵は黒色の自動人形。機能停止とともに泥状に崩壊したため詳細不明」
彼女は口元を隠したバンダナを下ろし、黒い泥が付くのも構わないで膝を立てて手を差し伸べた。
金髪ショートに碧眼、顔立ちはまだ少女と呼べる程度で年は俺とそう大差ないだろう。
同年代の女子が戦闘服に身を包んでサブマシンガン片手にコールをしている。世界は広いもんだな。
「お迎えに上がりました、勇者様。…立てますか?」