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『○月×日 異世界二十二週目
私があまりに退屈と言っていたせいかしら。ルオスが旅行に連れて行ってくれるみたい!
初めての旅行よ、凄く、すごーく、楽しみね。女将さんのご厚意なんだけれど、パン屋のアルバイトで貯めていたお小遣いでお洋服を買って、小さな旅行鞄まで用意したわ。久しぶりにおめかしして、ご機嫌。例え、ルオスが驚いたような、呆れたように苦笑しても、今だけは気分良く許せると思うの。ほら、見て。結構可愛いと思わない…て、「あぁ」なんて、生返事を返すのが、一番礼儀知らずなのよ!
私も浮かれていたのか、お昼間にお店番をしていたら、レノアちゃんに「何か、良いことがあった?」と聞かれちゃったわ。うふふ。そんなに機嫌良い顔をしていたかしら。心からにっこり笑ってお店番するなんて、久しぶり。私が居ない間、女将さんやトキちゃんに頼っちゃう事になっちゃうけど、ありがたく行かせて貰うわ。
夜、旅行の準備を女将さんに手伝って貰ったの。女将さん、自分の息子のことなのに「変な事しようとしたら、殴っておやり」だって。堅物のルオスが、変なことするなんて思わないけれど、女将さんも同じなのか、続けて、「まぁ、そんな度胸はないと思うけれどね」だって。うん、やっぱりルオスはルオスなんだわ。よく考えたら、男の人と二人っきりで旅行って、ちょっと体裁が悪いわね。まぁ、ルオスだから別に心配はしないけれど。』
『○月×日 異世界二十三週目
結構広い、駅のホームね。でも、“旧市街”だと思ったら、“新市街”って言うじゃない。私の世界じゃ、もう別の惑星に行くためにシャトルを使用しているのに、列車だなんて、本当に本当なの?
博物館にでも飾ってあるかのような、レトロな列車に乗ってみる。あら、素敵。動くのね。「当たり前だ」なんて言われたけれど、私にとっては驚愕ものよ。それに、一日中乗っておくからって、ベッド付きなのよね。私知っているわ、寝台車って言うんでしょう。胸を張って言ったのに、ルオスは苦笑する。何よ、知らない人だって多いのよ。
翌日には着いていて、私、とても感激したわ。揺られながらで寝心地の悪い寝台もそうだったけれど、こんな体験出来るものじゃないもの。ルオスの後に続いて下りる。それまで胸がドキドキしていたけれど、一歩踏み出して、≪境界線≫を踏んだ違和感に、私、倒れそうになっちゃった。ルオスが慌てて支えてくれたけれど、違うの。貧血じゃないわ。思わず彼の腕を取って、私は周囲を見回す。私の目には“見えて”いないけれど、何故か、気持ちが悪い。
それでも折角連れてきて貰ったもの。楽しみたいじゃない。ルオスが心配するのを押し退けて、私達はそのまま街へ。嫌だわ、≪境界線≫が絡みついてくるのか、だんだん気持ち悪くなってくる。ルオスが、強引に何度か休憩を入れるようにしていたから、顔が真っ青になっていたんじゃないかしら。あ、でも、待って。手は離さないで。貴方が居てくれないと不安なの。
手を繋ぐついでに、ルオスの≪境界線≫に自分のを重ねてみた。うん、平気。貴方の視点で見ているんだもの、もう、平気よ。元気になると、現金なものね。通りのお店が珍しいから、ルオスを引っ張り回しちゃったわ。でも、夜は別の部屋なわけでしょう。手を離した瞬間に、強烈に目眩が襲ってきたわ。立っていられないくらい。ルオスが何か言ったような気がしたけれど、ごめんなさい。もう、聞こえないわ。
次に気がついたら部屋で、ルオスが心配そうに見ていてくれた。まぁ、ダーリン、私、感激よ。珍しく貴方のこと見直しているわ。好感度、急上昇よ。思わず抱きついて、キスしちゃうくらい。え、やめてくれ?あら、酷いわ。
その後、頭痛もなく、体調も悪くないから、きちんと別の部屋で寝たの。少し夜更かししたぐらいの時間だったから、ルオスもきちんと眠れたと思うわ。でも、どうしてだか、次の朝、気がついたら知らない場所だったのよね。ここは何処、ルオスは何処?
きょろきょろと見回すけれど、朝霧の中、あまり人影は見あたらない。試しに「ルオス」って呼んでみたけれど、反響するだけ。困ったわ。私、夢遊病の気はなかったと思っていたのだけれど。仕方がないから、てくてく歩いてみた。知らない街に、知らない人。知らない雰囲気。そこで気がついたのだけれど、私って寝間着のままじゃない。超セクシー。なんて、軽口言っていられないわ。寒いし、上着が欲しいわね。あーん、ルオスー! 助けてー!!
腕で前を隠して歩いたわ。寝間着だし、寒いし、足は裸足だし、最悪。あ、痛い。嫌だわ、石を踏んじゃった。見ると、少しだけ血が滲む。うぅ、じくじくして、気持ちが悪い。それを見て、はっとしたのね。そうよ。この街に来てから、ずっとまとわりついているモノ。血の臭いだわ。
でも、気がつくんじゃなかった。隠された過去を連想させるモノから、私に≪境界線≫が触れた今、目の前に広がるのは、首都の綺麗な街道じゃなくて、死体の山。ちょっと冗談じゃないわよ、止めて頂戴。冷たい道路だったものも、今はぶよぶよとして歩き難くなっている。死体を踏んでいるんですもの、当然よね。時々、石の代わりに、人の骨が折れる音がする。あぁ、私が踏んでいるんだわ。下を見ると、その中の一人と目があった。何処までも深い闇の色をしているのに、その先に見えるのは、全部赤い目。飛び散って、でもまだ乾かない、血の色。
それから先はあまり記憶がないの。確か、悲鳴を上げて、走っていった所までは覚えているのだけれど。≪境界線≫は死体の積み上がった過去だけじゃなくて、他にも知らない何かと絡まるし、景色はごちゃごちゃしてい、わからない。だから、誰かとぶつかった時も、私、そのまま逃げるつもりでいたの。でも、引き寄せられて、捕まっちゃうじゃない。完全にパニックよ。腕を振り回すなんて頭になかったから、すっごい悲鳴をあげちゃった。そう、絹を裂くって言うの?
私も煩いと思ったぐらいだから、相手も煩かったんでしょうね。顔を顰めたのを見たわ。でも誰かわからなかったから、私はとても怖かったの。でも抱きしめられちゃって、声が出せないじゃない。
それから落ち着くまで、ずっとそのまま。背中を撫でてもらったから、安心しちゃったのかしら。そろそろと相手の顔を見上げたのよね。すると、ルオスじゃない。まぁ、びっくり。目を真ん丸にして、彼を凝視しちゃったわ。あら、泣きそうな顔をしないでよ。貴方だって、知らなかったのよ。あら、違うの? また、誘拐だと思ったって?
まさか。そんなに何度もあるわけない……って、そうね、心配かけたわ。ごめんなさい。でも、「勝手に出歩かないでくれ」の前に、私の言い分も聞いて頂戴。私だって、好きでこんな所にいるわけじゃないのよ。あら、何、その疑いの眼差しは。本当よ。第一、裸足で出歩く馬鹿なんて居ないわ。
私が歩いていたのは、どうやら中心部から少し外れたあたりだったみたい。私の悲鳴が聞こえて、ルオスは宿から全力疾走よ。ご苦労様。でも、どうやって宿から抜け出したのかしら。隣はルオスだったっていうのに。それに、アレは一体何だったのかしら。言葉にすると怖いから、今はルオスにも黙っておくわ。
宿に戻った私たちは、気を取り直して一転。丸一日、ルオスに街を案内してもらって、お土産もいっぱい。途中でルオスにお昼も奢らせて、私は上機嫌よ。そうそう、帰りも列車だったわ。やっぱり丸一日。この揺られ具合、癖になりそうよ。
眠りが浅かったせいかしら。いいえ、きっと私のためね。夜中、ルオスが起きているのがわかっちゃったわ。ごめんなさい、ルオス。そしてありがとう。女将さんや皆へのお土産以外に、彼への贈り物もあるのは、まだ内緒なの。』