想い出のある場所
「あー、もう、ちょっと、止めて。私を忙殺する気なの!?」
人気アバターゲーム≪world≫の、オーナーとしてのスタイルを脱ぎ捨てて、彼女はイライラと上司に暴言を吐いた。
アドビスを意識したような、首から上がドーベルマンの筋肉達磨は、ふっと笑って「ビジネスだよ」と告げる。それこそが真理だとでも言うような態度に、彼女は何も言えずに絶句した。何を言っても無駄だとわかってはいたがようやく理解すると、彼女は上司との通信を切って、ストライキを起こすことに決めた。労働基準法を軽くオーバーしているのだ。休暇を取ってやる。
何の未練もなく、簡単に身支度すると、彼女は夜の街に出掛けた。
今日は、懐かしいメンツとの飲み会があるのである。親戚で従兄だからと異常なノルマを加算してくる男より、友人との約束を優先するのが当たり前の彼女だった。地下にあるバーに下りて、見知った顔を見つけて、手を振る。
「もぅ、おっそーい」
二児の母となり、子供を預けて旦那と来ている高校時代の同級生、万里に、彼女は苦笑して訳を話した。彼女の過去、≪world≫でアバターとして荒らしまわった、同じムジナの仲間うちからは、「よくやるなぁ」だの「仕事辞めれば?大手から引き抜きかかっているんでしょ」と、どうして知っているんだと思う内容まで、話に上る。
「本当、私もどうかと思うわよ」
軽口を言った彼女に勧められた席は、万里の隣だった。早速、彼女の分も注文する万里。礼を言って机に頬杖をつくと、万里が「あ」と小さくつぶやいた。彼女はやや子供っぽい言動の万里を知っているので、何気なくそちらを見る。万里の視線は、彼女の胸元でいったり来たりしていた。気がついて、納得の声を上げると、彼女はそれを持ち上げてみせる。
「それ、いつもつけているけど、お気に入り?」
「そうよ」
至って簡潔に言い、彼女はそれを眺めた。アンティーク風の、小さなネックレス。恐らく、材質はこの世界にはないものじゃないかと、時折思う。数年前から、外すのが惜しくて、ずっと身につけていたものだ。
「大切な人から貰った、世界にたった一つの、贈り物なの」
意味深に笑顔を作ると、メンバーが身を乗り出した。
「何!? ≪ウィザード≫、とうとう結婚!?」
「男か!」
「…失恋だって、あるだろ」
各自、思ったことを素直に吐き出す。仕事は違うが、どれもストレスがたまっているのだろう。彼女はその勢いに苦笑しながら、≪ウィザード≫としてのスタンスで、「さぁ?」とはぐらかすように肩をすくめた。それが起爆剤となり、酒が運ばれてくると同時に、テンションがあがる。数年前にはアバターとして、別の人格で酒盛りをやっていた仲である。どんな流れになるか、彼女はよく分かっていた。
「はいはい。レイナの分」
「あら、ありがとう」
万里に手渡され、乾杯と一緒に一口、口に含む。飲んでいれば、話かけられることはない。時折、相槌をうちながら、彼女はもう一度ネックレスを持ち上げた。
「元気でやっているのかしら、ねー、ぇー」
まったく成長がなく、今も堅物で通しているのかも。あら、嫌だ。否定できない。あながち間違いでもないかもしれないと思いながら、彼女は小さく相手の名前を、声には出さずにつぶやいてみる。
「ねぇ、ねぇ、レイナ。さっき…」
万里が隣で盛り上がっている話題に引き込もうと、彼女の肩を叩いた。空想から戻り、何気なくそちらを見ると、万里はぎょっとしたように、彼女を見ている。その変化に不可解さを覚えながら、彼女は尋ねた。
「どうしたの?」
瞬間、万里は“何を言っているんだ”とでも言っている顔になった。かなり間抜けであることを指摘するべきだろうかと悩むが、次の言葉に彼女はぴたりと止まる。
「どうしたって、……泣いてるじゃん、レイナ」
「え?」
あら、嫌だ。気がつかなかったわ。目尻を指でぬぐうと、水滴が潰れて指を濡らす。それを、少しだけ顔を歪めて眺め、彼女はやっと気がついた。あの時、帰るべきか、迷ったのは。“ルーク”が指し示した真実は。
「もぅ、馬鹿ね」
今頃、気がつくだなんて。道理で、新しい恋人と長続きしないはずである。最近では、仕事を理由に遠ざかっていたのだけれど、その理由がはっきりとわかった。一番大切な、恋の形見は、まだ胸元で揺れている。彼女は、一瞬にして泣き笑いの表情になると、万里が見ている前で、ぐいっとコップを煽った。
ちょっと無理して流し込むと、「何だ何だ」と呆然と視線を向けてくるメンバーに「私の失恋記念よ、慰めて」と告げる。瞬間、にやりと顔を崩す仲間達は、空いたコップに酒を注いだ。酒が入ると、変なテンションに流されるのだ。
「「「乾杯!」」」
半分自棄気味であった事は、否めない。
夜が長いのを理由に、彼女は胸の痛みを、お酒で誤魔化すことにした。
―――そんな彼女が、再び彼の地を訪れるのは、この数日後である。
魔女の日記、これにて完結でございます。
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それでは、また次回。ごきげんよう。




