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第一章 清算

数日後の深夜。

 新たな「嘘《スキャンダル》」を書き上げ、満足げに編集部ビルを出てきた門倉を、僕は赤坂の静かな路地裏で待ち構えていた。


雨が、アスファルトを黒く濡らしている。

 足音が近づき、門倉が僕の横を通り過ぎようとした瞬間、僕は声をかけた。


「門倉慎也さん。その鞄の中身は、また誰かの人生を切り刻んだ成果ですか」


門倉は足を止め、面倒そうに振り返った。

「……なんだ、お前。夜中に。取材なら広報を通せと言ってるだろ」


彼は僕を一瞥し「格下の人間」と決めつけ、再び歩き出そうとする。

 僕は動かず、ただ一枚のプリントアウトした写真を差し出した。


「あなたがコインロッカーや喫煙所で行っている、清掃員との『取引』の記録です。……それと、あなたの名義で出品されているフリマアプリの取引履歴。横領品の転売は、あなたの会社でも懲戒対象ですよね」


門倉の動きが、目に見えて止まった。

 彼は写真を奪い取るように手に取り、凝視する。街灯に照らされた彼の顔から、急速に色が引いていくのがわかった。


「お前……これを、どこで……。何が望みだ。金か? いくら出せばいい」


その言葉を聞いた瞬間、僕の中に静かな、だが確かな「毒」が走った。

 こいつも、あの権力者たちと同じだ。すべてを金で解決できると信じ、踏みにじった相手の痛みなど一顧だにしない。


「金はいりません。……門倉さん。あなたが今回の女優の記事を書いたのは、単に数字を稼ぐためじゃない。彼女が、ある『大物』の不都合な場面を目撃したからだ。その口封じのために、あなたはペンを凶器に変えた。そうですね?」


門倉の喉仏が、大きく上下した。

 彼は言葉を失い、脂汗を浮かべながら僕を睨みつける。だが、その瞳にはもはや「記者の鋭さ」はなく、追い詰められた小動物のような卑屈な怯えが宿っていた。


「……あの方を敵に回して、無事でいられると思っているのか。君のような名もなき人間なんて、一瞬で消されるぞ」


「『あの方』、ですか」

僕は一歩、門倉に歩み寄った。

 クローゼットで培った暗闇の気配を纏ったまま、彼の耳元でささやく。


「あなたが守ろうとしている人は、真っ先にあなたを切り捨てますよ。私がそうであったように、、。それに不祥事を起こした記者の言葉に、誰が耳を貸しますか? ……今すぐ、その鞄の中にある資料をすべて自分の会社に送信し、告発してください。それが、あなたの人生を辛うじて『自滅』で済ませる、唯一の逃げ道だ」


門倉の膝が、がくんと折れた。その姿を見てほんのり高揚する。

 彼は泥水に濡れた路上に崩れ落ち、震える手でスマートフォンを取り出した。

 自分が誰かを追い詰めるために使ってきたその指で、今度は自分の首を絞めるための文面を打ち込んでいく。


送信ボタンを押す音が、雨音に消えた。

 門倉慎也という記者の命脈が、今、絶たれた瞬間だった。


深夜。僕は再び、半間のクローゼットへと戻ってきた。

 

 膝の上のPC画面には、門倉が吐き出した「黒幕」の断片的なデータが並んでいる。

 門倉という末端の毒を排除したことで、その奥に潜む、さらに巨大でどす黒い権力の心臓部が、脈打つ音を立てていた。


門倉が守ろうとした「あの方」……。

 かつて検事としての僕を、法廷から、そして正義から引きずり下ろしたあの男の影が、データの隙間から這い出そうとしている。


「……やりすぎたか」


画面を見つめたまま、僕は呟く。

 カタルシスなどない。あるのは、さらに深い闇へ足を踏み入れてしまったという、重苦しい自覚だけだ。


通知音が鳴る。

 発信元不明の、暗号化された短いメッセージだった。


『半間の男へ。扉を閉めて、そのまま眠れ』


それは明確な警告だった。

 僕がこのクローゼットという聖域に潜んでいることを、彼らはすでに察し始めている。


僕は静かに、PCの画面を閉じた。

 暗闇が、より深く、より冷たく僕を包み込む。

 

 平等という名の嘘を暴くための清算は、まだ始まったばかりだ。

 僕の手は、すでに救いようがないほど汚れている。なら、このまま奈落の底まで、彼らを引きずり下ろしてやるだけだ。


――あなたの身の回り、その半間の隙間を覗いてみてほしい。

 そこには、清算を待つ「毒」と、それを飲み干そうとする怪物が、今も息を潜めているのだから。

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