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鳥籠に咲いた愛の花  作者: 朝凪
4章

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45/45

重ねていく幸せ

次の日の朝。エレオノールは目を覚ました瞬間に、少しだけ首を傾げた

昨夜は、確かに眠るのが少し怖かった

またあの夢を見るのではないかと思って、胸の奥がひやりとしていた

けれど気づけば朝になっていて、夢の記憶はほとんど残っていない

完全に悪夢を見なかったのか、それとも見ても残らなかったのかはわからない

ただ、少なくとも目覚めた時に心臓が早鐘を打ってはいなかった


「……あら」


小さく呟いて起き上がると、寝室の扉の向こうから何やらひそひそした声が聞こえる


「紫苑さん、まだ?」

「静かにしてね」

「でも今日は、はやくしたいんだもん」

「わかったよ」


エレオノールは思わずくすりと笑った

どうやら、また何か企んでいるらしい

身支度を整えて居間へ行くと、浅葱が真っ先に駆け寄ってくる


「おはよう!」

「おはようございます、浅葱。今日は随分と元気ですのね」

「うん!」

「元気すぎるくらいにね」


と紫苑が言う


「わくわくしてるだけ!」

「そうだね」

「そうだよ!」


エレオノールは二人のやり取りを見比べ、それから少し首を傾げた


「……何か隠していらっしゃるでしょう?」

「隠してないよ」

「隠してるよ!」

「浅葱!」

「あっ」


先に口を滑らせた浅葱が、慌てて両手で口を押さえる

紫苑は額を押さえた


「もう、そういうところだよ」

「ごめん……」

「ふふ」


もう笑うしかない

エレオノールが肩を揺らして笑っていると、紫苑は諦めたように息を吐いた


「……今日は出かけよう」

「まあ、おでかけですの?」

「うん」

「どちらへ?」

「それは行ってからのお楽しみ」

「紫苑がそういうことを仰るの、珍しいですわね」

「たまにはいいでしょ?」

「わたくし、今日は驚かされる役なのですね」

「そういうこと」

「やったあ!びっくり係だ!」

「それ係って言うのか?」

「言う!」


朝食はいつもより少し賑やかだった

浅葱はパンを頬張りながら、「最初はあそこだよね?」と何度も言いかけて、そのたびに紫苑に口を塞がれそうになる

エレオノールはそれを見るたびに笑ってしまい、紫苑は「笑ってないで助けて」と不満げだ


「でも、嬉しいですわ」

「え?」

「こうして、2人が何かを計画してくださっていることが」

「……ありがとう」

「わたくし、少し楽しみにしていてもよろしいかしら」

「少しじゃなくて、いっぱい楽しみにしてていいよ!」

「浅葱」

「だって、いっぱい楽しいから!」


その言葉があまりに真っ直ぐで、紫苑もそれ以上何も言えなかった


ーーーーーーー


最初に向かったのは、水族館だった

大きなガラス張りの建物を見上げた瞬間、エレオノールの目がきらりと光る


「まあ……!」

「気に入った?」


と浅葱が得意げに聞く


「ええ、とても」

「よかった!」

「さぁ、行こうか」


館内へ入ると、ひんやりとした空気が身体を包んだ

光の落ちた通路の向こうで、巨大な水槽が青く揺れている

魚たちが群れをなして泳ぎ、光を反射する鱗が宝石みたいに瞬く


「……綺麗」


エレオノールが、ほとんど息を呑むように呟く

その横顔を見て、紫苑は少しだけ安心した

昨夜までの影が、今は薄くなっている

浅葱はすでに走り出しそうな勢いだったが、ちゃんと紫苑に腕を取られた


「走らないの」

「でも見たい!」

「見たいのはわかるけど、走らないで」

「うう……」

「浅葱、ほら。あちらのお魚は逃げませんわよ」

「ほんと?」

「ええ。ちゃんと待ってくださいます」

「じゃあ歩く!」


単純で可愛い

エレオノールは思わず笑い、紫苑も口元を緩めた

クラゲの展示室では、エレオノールが特に足を止めた

暗い部屋の中、幾つものクラゲが淡く光りながら漂っている

丸く透けた身体が、まるで夜空に浮かぶ月の欠片みたいだった


「……不思議ですわ」

「好きそうだと思ったんだ」

「どうして?」

「何となく。こういう静かで綺麗なの好きでしょ?」

「ええ、大好きですわ」

「当たり」

「紫苑さん、クラゲもエレオノールさんも、きれい」

「さらっと口説かないの」

「くどいてないよ?」

「自覚が無いのが怖いって言ってるの」


浅葱は意味がわからないという顔をしたが、エレオノールは肩を震わせて笑った


「紫苑」

「うん?」

「ありがとうございます」

「まだ早いよ。今日終わってないから」

「それでも、ありがとうと言いたくなりましたの」

「……そっか」


次に見たのはペンギンだった

浅葱はぴたりとガラスに貼りつき、「歩き方へん!」「かわいい!」と大騒ぎ

エレオノールも「まあ、本当に」と楽しそうに覗き込み、紫苑はそんな二人を少し離れたところから眺めていた


「紫苑さん!」

「どうしたの?」

「見て、あの子、ころんだ!」

「ころんではないよ。よろけただけ」

「でもかわいい!」

「それはそうだね」


浅葱はお土産コーナーで、案の定ペンギンのぬいぐるみから離れられなくなった

小さめのものを手に取っては、ちらちらと紫苑を見る


「……欲しいの?」

「……だめ?」

「その顔ずるいなぁ」

「どの顔?」

「欲しいですって顔」

「欲しいです」

「言った」

「だって欲しいもん」


エレオノールが微笑む


「いいではありませんか、記念ですもの」

「甘いよ」

「あなたもお優しいでしょう?」

「……否定はしない」


結局、浅葱はペンギンのぬいぐるみを買ってもらい、エレオノールには小さなクラゲのガラス細工、紫苑には浅葱が勝手に「おそろい!」と選んだペンギンのキーホルダーが手渡された


「なんで俺も?」

「家族だから、お揃い!……やだ?」

「……そんな事ないよ」

「じゃあいいじゃん」

「ほんと強いなぁ」

「えへへ」


ーーーーーーー


昼は少し早めに、港の見えるレストランへ入った

窓際の席からは、青い海と白い船が見える

太陽の光が水面で跳ねて、きらきらと眩しい


「素敵ですわね」

「そうだね」

「紫苑さん、えらい」

「浅葱も褒めてくれるの?」

「今日はぼくもがんばってるから」

「何を」

「たのしいをいっぱいにするの!」


その宣言が、妙に頼もしくて可愛かった

エレオノールは食事を前にして、少しだけお腹へ手を当てる


「赤ちゃんも一緒に来ているのですわね」

「そりゃそうだろ」

「では、今日は皆でお出かけですのね」

「……そうだな」

「みんな!」


浅葱が嬉しそうに繰り返す


「ぼくたちみんなで!」

「うん」

「なんか、いいね」

「ええ。とても」


食事中も、たわいのない会話が絶えなかった

浅葱がスープをこぼしそうになって紫苑に止められたり、エレオノールがデザートのメニューを見て少し目を輝かせたり、紫苑がそれを見て笑ったり……

その何気ない時間のひとつひとつが、確かに“幸せを重ねる”ということなのだと、エレオノールは感じていた

食後、少し休憩してから、三人は大きな公園へ向かった

芝生の広場が広がり、子どもたちの笑い声が風に乗って飛んでくる

浅葱はボール遊びに目を輝かせた


「やりたい!」

「やる?」

「紫苑さんも!」

「俺も?」

「当然」

「当然なんだ」

「家族で遊ぶんでしょ?」

「……まあ、そうだけど」

「じゃあ決まり!」


紫苑は大げさにため息をついたが、結局本気で相手をしていた

浅葱が投げたボールを取って返し、わざと少し取りにくいところへ投げ返しては、「走って」と笑う

浅葱は「ずるい!」と叫びながら全力で追いかける

エレオノールは木陰のベンチでそれを見ていた

本当なら自分も混ざりたい気持ちはある

でも今は無理をする時ではないとわかっている

だから、2人を見守りながら、頬をゆるめていた

やがて浅葱がボールを抱えて戻ってくる


「エレオノールさんも、なげる?」

「まあ。わたくしでもよろしいの?」

「いいよ!」

「では、1度だけ」


そっとボールを受け取る

思ったより少し重い

だが慎重に構えて、ぽん、と投げると、ボールはゆるやかな弧を描いて紫苑の方へ飛んでいった

紫苑はそれを受け取り、少しだけ目を細める


「上手」

「ふふ。昔、兄と遊んだことがありますもの」

「へえ」

「でも、お兄様は加減をしてくださらないので、すぐ本気の球が飛んでまいりましたわ」

「あの人らしいな……」

「ええ、今もですわ」


2人で笑う

そんな会話が自然にできるだけで、胸の中の暗い影が少しずつ薄くなっていく気がした


ーーーーーーー


気づけば空は夕方の色に変わり始めていた

最後に向かったのは、街を一望できる展望台だった

坂をゆっくり上がった先、小高い場所に建つその展望台からは、街の灯りと遠い海が一緒に見える

夕陽が沈みかけた空は色が混ざり合って、夢みたいな景色だった


「わあ……」


浅葱が素直に声を上げる


「きれい」

「ええ……本当に」


エレオノールも、息を呑むように立ち尽くした

風がやさしく吹く

昼間の賑やかさが少しずつ遠のいて、世界が静かになる時間だった

3人は並んで手すりにもたれた

しばらくは誰も何も言わず、ただ景色を見ていた

最初に口を開いたのは、紫苑だった


「……ねぇ」

「うん?」

「何ですの?」


紫苑は少しだけ視線を遠くへ向けたまま、ゆっくり言う


「悪夢を消すことは、たぶんできないと思う」


エレオノールの睫毛が、ふるりと揺れた


「……ええ」

「過去そのものをなかったことにもできない」

「うん」

「でも」


そこで紫苑は、エレオノールの方を向いた


「エレオノールを幸せにすることは、できる」

「紫苑……」

「全部は無理でも、少なくとも今日みたいに、笑ってもらうことはできる」

「怖い夜が来ても、その前に“今日は楽しかった”って思えるような日を作ることはできる」

「だから」


彼は真剣に続けた


「なんでも相談してほしい。怖いことも、苦しいことも、変な夢見たことも。1人で抱えないで」

「全部消すことはできないかもしれないけど……一緒に背負う事はできるから」


エレオノールはしばらく何も言えなかった

胸の奥に、あたたかいものが静かに満ちていく

全部消せなくても、一緒に背負う

それは、完璧な救いではない

でも、だからこそ本当に優しい言葉だった


「……ありがとうございます」

「家族でしょ?」

「……ええ」

「なら当然」


その時、浅葱が勢いよく手を挙げた


「ぼくも!」

「ん?」

「ぼくも、エレオノールさんに言いたいことある!」

「まあ、何かしら」

「ぼく、エレオノールさんと紫苑さんのこと、だいすきだよ!」

「……」

「だから、かなしいときは言って」

「こわいときも言って」

「ぼく、ちっちゃいことしかできないかもしれないけど、いっしょにいる!」

「それに」


浅葱は少しだけ胸を張った


「ぼく、おにいちゃんになるし!」

「最後だけ急に得意げだね」

「だって大事だもん!」

「ふふ、そうですわね」


エレオノールは笑いながら、浅葱の頭をそっと撫でた


「ありがとう、浅葱」

「うん!」

「あなたがいてくださるだけで、わたくしはもう十分幸せですわ」

「ほんと?」

「本当」

「じゃあ、もっといる!」

「それは頼もしいなぁ」


と紫苑が言う

夕暮れの風の中で、3人は顔を見合わせた

そして、自然に笑い合った

その笑顔は、誰かが無理に作ったものではない

今日1日を一緒に過ごし、たくさん笑って、たくさん同じ景色を見て、ようやく胸の奥から浮かんできた、本物の笑顔だった


ーーーーーーー


その時。少し離れた場所から、3人を見守る夫婦の影があった

誰にも見えない

誰にも聞こえない

ただ、確かにそこにいる2つの気配

ひとりは、穏やかで気高い眼差しを持つ男

もうひとりは、優しく、どこまでも愛おしげな眼差しを向ける女


エレオノールの父と母だった

父は、娘の隣に立つ黒髪の青年を見て頷く

誠実に娘を守ろうとするその姿を、認めるように

母は、娘の傍らで胸を張る少年を見て微笑む

血は繋がらなくても、こんなにも大切に思い合えるのだと、嬉しそうに

そして何より2人は、娘自身の笑顔を見つめていた

あの日、自分たちが命懸けで守った小さな命

血の匂いと恐怖の中で泣いていた幼い娘

その娘が今、愛する者たちに囲まれて、こんなにもやわらかく笑っている

それだけで十分だった


母が、そっと父の腕へ手を添える

父が小さく頷く

2人はまるで「もう大丈夫だ」とでも言うように、満足そうに寄り添った


そして、夕陽が最後の光を街へ注ぐ頃。その影は静かに溶けていった

ひと筋の祝福を残して


ーーーーーーー


その瞬間、エレオノールはふと胸の奥があたたかくなるのを感じた


「……あら」

「どうしたの?」

「いいえ……」


エレオノールは空を見上げた


「何だか、少しだけ……懐かしいような気がしたのです」

「懐かしい?」

「ええ。とてもやさしいものに、見守られたような」


浅葱がきょろきょろする


「だれかいた?」

「ふふ。見えはしませんでしたわ。でも……悪いものではありません」

「そっか」

「ええ」


エレオノールはもう一度、お腹へ手を当てた

その内側にいる小さな命も、今日の笑い声を聞いていただろうか

風の匂いも、夕陽のぬくもりも、きっと少しは感じてくれただろうか


「帰ろうか」

「うん!」

「ええ」


3人は並んで展望台をあとにした

下り坂では浅葱が途中で少しつまずき、紫苑に「前を見て」と言われ、エレオノールに笑われる

そんな何でもないやり取りさえ、今夜は愛おしい

その夜。エレオノールは久しぶりに、眠ることをあまり怖いと思わなかった

ベッドの中で、紫苑がそっと聞く


「今日、楽しかった?」

「ええ。とても」

「浅葱は途中から、テンションが上がりすぎてたけど」

「だってたのしかったもん」


と、隣の小さな寝台から浅葱の声が飛んでくる


「まだ起きてたの?」

「ちょっとだけ」

「寝なさい」

「はーい」


その返事のあと、しばらくして静かな寝息が聞こえ始める

エレオノールはそれを聞きながら、ふわりと微笑んだ


「紫苑」

「うん?」

「今日のこと、忘れたくありませんわ」

「忘れないよ」

「ええ。きっと」

「悪夢、来ないといいね」

「もし来ても」


エレオノールはゆっくり目を閉じた


「今日のことを思い出せそうです」

「……そっか」

「ええ」


紫苑はそっと彼女の手を握る

エレオノールも握り返す

窓の外では、夜が静かに更けていく

でも今夜の闇は、前のように冷たくはなかった

昼間に重ねた笑い声と、夕暮れの展望台で交わした言葉と、見えない祝福のぬくもりが、まだ胸の中に残っているからだ


そしてその夜から、エレオノールは悪夢を見なくなった

過去が消えたわけではない

傷がなくなったわけでもない

それでも、今ここにある幸福が、確かに彼女の夜を守ってくれるようになったのだった


ーーーーーーー


それから10ヶ月後。美しく晴れた夏の日

エレオノールは、男女の双子の赤ちゃんを産んだ


女の子はソル

太陽のように明るい名

男の子はマニ

月のようにやさしい名


産声が響いた瞬間、紫苑は目を真っ赤にして泣き、エレオノールも涙ぐみ、浅葱は胸を張って言った


「……ぼくの妹と弟だ」


その声は、少しだけ震えていた

けれどそれは、不安の震えではない

誇らしさと、愛しさと、どうしようもない喜びの震えだった

家族はまた、ひとつ増えた

けれど誰かの居場所が失われたわけではない

むしろ、愛の置き場所が増えたのだった


ーーーーーーー


小夜鳴鳥は言いました

「太陽の女の子が生まれたよ」と

紫苑の花は言いました

「月の男の子が生まれたよ」と

浅葱色の目をした少年は言いました

「ぼくの妹と弟が生まれたよ」と……

これで「鳥籠に咲いた愛の花」の本編は終了となります!

今までお付き合い頂き、ありがとうございました!

裏話は番外編の方にUPしますので、そちらもお楽しみ下さい

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