兄弟
「では、第二王子ニルス・アールクヴィストについては、そちらで管理をお任せします」
レナートがそう告げると、ディック・アールクヴィストは静かに頷き、淡い琥珀色の瞳を細め微笑んだ。
「ありがとうございます」
握手が解かれると、それまで張り詰めていた緊張がほどけ、部屋の空気が僅かに和らぐ。
そのまま二人は補佐官が差し出した書類に目を通しながら、港の使用条件や賠償金の受け渡し方法など、細かな確認事項を淡々と交わし始めた。
これが初の外交交渉となるレナートは、既にいくつもの功績を上げ外交まで担うディック・アールクヴィストを相手に、臆することなく堂々と話している。
その光景に頬を緩ませていると、隣にいるシルが小さく身じろぎした。
『兄上は私をどう思っているかな』
『そろそろ見限られるかもしれないよね?もしかしたら叱られず目も合わせてもらえないかもしれない』
そう言ってずっと怯えていたシル。
私はそっと溜息を吐き、レナートと話す兄を見つめながら今か今かとそわそわしているシルの背中を、パン!と軽く叩いた。
「……っ」
「落ち着け」
「……うん」
ひと通りの確認を終えると、ディック・アールクヴィストが書類を補佐官へ渡し、小さく息を吐いて肩の力を抜いた。
すると、御爺様は背後に控えている私達へ、前へ来るようにと指先を動かす。それを合図に促されるまま進み出れば、ディック・アールクヴィストがこちらへ視線を向けた。
「……っ」
その目がシルを捉えた瞬間、彼の端正な顔がくしゃりと緩み、涙を堪えるような笑みを浮かべた。
「シルヴィオ」
驚くほど優しい声音に、シルは肩をびくりと震わせ、掠れた声で「兄上」と呟く。
ディック・アールクヴィストは、立ち竦むシルへ腕を回してしっかり抱き締めると、コツンと互いの額を合わせた。
「……無事でよかった」
「心配、かけて……ごめん」
「お前が生きているなら、それでいい」
それは、先ほどまで交渉の場で見せていたスレイラン国第三王子ではなく、ただ弟を案じる兄そのものだった。
「セヴェリーノ、お前も無事でよかった」
「すみませんでした。第四王子殿下を護りきれず、失うところでした」
「謝罪は必要ない。シルヴィオの我儘に付き合わせ、危険な目に遭わせてしまったのだからな」
「……ですが」
「お前も、俺にとっては大切な弟だ。だから、無事でいてくれたことを実感させてくれ」
そう言って、ディック・アールクヴィストはセヴェリの肩を引き寄せ、腕の中にいたシルと共に強く抱き締めた。
叱られるとあれほど心配していたシルは、きつく目を閉じ、縋りつくように兄の胸元をぎゅっと握り締めている。
――良かった。
そう安堵し、フィンと顔を見合わせ微かに笑う。
無謀だったという自覚はある。それでもあのとき動いたからこそ、シルとセヴェリを失わずに済んだ。
そう思えば、手や髪のひとつやふたつくらい、いくらでもくれてやると肩を竦める。
すると、二人の無事を確かめるように暫くそのまま目を閉じていたディック・アールクヴィストが、深く息を吐きゆっくりと腕を解き――私へと、真っ直ぐ目を向けた。
「少しだけお時間をいただけますか?」
「……私、でしょうか?」
「……はい」
どこか後ろめたげに話すディック・アールクヴィストに小首を傾げ、私は御爺様の方へ顔を向ける。(応じてもよいのか)と無言で問い掛ければ、面白そうに目を細めた御爺様は僅かに顎を上げ、片手をひらりと振った。
それを確認してから、私は改めてディック・アールクヴィストへ向き直る。
「改めて、初めまして。スレイラン国第三王子ディック・アールクヴィストです」
「お初にお目にかかります。セレスティーア・ロティシュと申します」
「やはり、元帥の……」
「孫です」
だから先ほどから私の髪を見ていたのかと、短くなった髪を触ると、ディック・アールクヴィストの眉がへにょっと……下がった。
「あの……第三王子殿下?」
「ディックで構わない」
「……いえ、殿下をそのようにお呼びするわけには」
「シルヴィオ。お前は普段どう呼ばれている?」
「私は、シルと、そう呼ばれています。セヴェリーノはセヴェリと」
「彼女のことは?」
「セレスです、けど」
「分かった」
余計なことを……とシルを目で咎めるも、当の本人は気付きもしない。長く会えなかった兄を前に、子供のように目を輝かせている。
「では……俺のことはディックと」
さあ、どうぞと促すように微笑まれ、強張った笑みを返す。
ディック・アールクヴィストの笑みは、普段飄々としながら人を転がし楽しんでいるシルのそれに似ていて、やはり兄弟なのだと実感する。
「……ディック様と」
「嫌なら、ディーでも構わない。俺としてはそちらの方が」
「ディックと呼ばせていただきます」
「それでは、俺はセレスと」
完全に主導権を握られている。
歳も立場も、背負っているものも違う相手に勝てる筈もなく、私は早々に諦め、より傷の浅い方を選ぶ。
「それで、私に何か……」
と、改めて向き合い、息を呑む。
正装の上からでもはっきりと分かる厚い胸板、鍛え抜かれた腕の筋肉。元から恵まれた体格なのだろうが、そこに積み重ねられた鍛錬が筋肉の厚みに乗っているのだろう。
騎士、軍人として見ても完璧で、個人的な好みとして見ても完璧だ。
理想の体型とは、まさにこれのこと。
「凄い……」
まじまじと見つめながら思わずそう零すと、ディックの横にいるレナートが「えっ」と小さく声を上げ、シルは「いや、待って」と叫んだ。
「何、どうしてそんなに目を輝かせて……!え、待って、セレスってこういうのが好きなの!?」
「……こういうのとは何だ、シルヴィオ」
「だって……うぐっ」
ディックがシルの首に腕を回し引き寄せれば、シルは「違っ、ごめん」と笑い、二人の仲の良さが滲み出ていて、思わず頬が緩む。
「すみません、とても理想に近い……というより、理想そのものの身体だったので」
露骨に見過ぎて失礼だったかと謝罪すると、苦笑したディックがシルから離れ――。
「先ずは、弟達を救ってくれたことに礼を言わせてくれ」
と深く頭を下げた。




