閑話六 1915.3.10 ヌーヴェ・シャペル前哨戦
ヌーヴェシャペルの戦いの前哨戦、敵戦線後方へと潜入していた忍者部隊が活躍します。
1915年3月10日5AM フランス アルトワ州某所
「大尉、そろそろです」
当番の伍長の声に目を覚ました俺は、もぞもぞと偽装テントから這い出した。
早朝とはいえ日の出前のこの時間、夜の帳はまだ下りたままで辺りは闇だ。
眼下に見える独軍陣地から漏れる明かりを遠目に眺めながら、夜光塗料が塗られたクロノグラフを覗いた。
時計の時刻は五時少し前。私が起こすように頼んでおいた時間通りだ。
時計を見ながら双眼鏡を取り出して独軍陣地を覗いていると、時計が五時の針を指すと同時に、独軍陣地を警備する歩哨が陣地の入り口の所で敬礼する。
これを毎日人が変わっても同じ時間に繰り返しているのだから、ドイツ人という人種の習性というやつが分るという物だ。
私が装備を整え終えると、伍長が紅茶を注いだ水筒を手渡してくれる。
「ありがとう」
「敵陣地は静かな物です」
敵陣地を監視していた伍長が話しかけてくる。
「それは幸先が良い」
「少尉の隊も間もなく戻る筈です」
この少尉というのは私が指揮する小隊に所属する四つの班の内の一班を指揮していて、現在眼下の独軍陣地への偵察潜入任務に就いていた。
私は彼の班が出ている間、軽く仮眠を取っていたという訳だ。
残りの班も、現在別の場所で別の任務に就いている。
私達が居るこの場所は、独軍の塹壕線よりも独軍側にあり、かつては田園風景が一望出来ただろう小高い丘の上に位置する、今は戦火で荒れ果て立ち枯れた木々が数本生えるだけの何もない場所だ。
流石の独軍も、まさか戦線後方の自分達の陣地を眼下に一望出来るこの場所に、連合軍側の斥候所が秘かに作られているなどとは想像もしていないだろう。
この場所に、我々偵察大隊特殊作戦班の斥候所が作られたのは、戦線が安定した去年の暮頃だ。
我が部隊は敵戦線後方での偵察任務を拝命し、敵の配置など敵情の詳細を司令部に送りつつ、我々の物資や無線機などを秘かに配置するのに相応しい場所を探した。
そして候補地の中から数ヶ所が選ばれ、現在我々は敵陣地の監視に向いたこの場所である任務に就いている、という訳だ。
ここの斥候所は掘り下げたスペースにテントを設営し、装備など物資も併せて収納してある。そして全体を偽装ネットで覆っている為、遠目にはまるでその存在はわからなくなっている。
独軍の偵察機が頭の上を飛ぶこともあるが、ここは独軍占領地の真っ只中だから注意もされていないし、もし見たとしても空からこの陣地を視認する事は困難だろう。
この季節のフランス北部は日中でも気温が十度を超える事が無く、しかもまだ早朝でかなり肌寒いので、渡された紅茶をカップに注いでチビチビやっていると、少尉の部隊が戻って来た。
「大尉、ただ今帰還しました」
「ご苦労、首尾はどうだった」
「敵陣地は強固なれど、守備する兵士は皆若く新兵が多い様です」
「独軍が東部戦線に精兵を移動させた、という情報は本当だったという事だな」
「はっ。
だからなのか、潜入任務は特に困難も無く、無事に敵の弾薬庫に爆弾を仕掛けてきました」
「これで敵の砲兵陣地を黙らせることが出来るだろう。
我々の働きが多くの味方将兵の命を救うことになる」
「今回の任務は、我ら忍者部隊月光の初任務です。この任務に成功すれば、我々甲賀古士の名を再び世に知らしめることが出来るでしょう」
「ははは。
我々の正式名称は特殊作戦任務班だ。〝忍者部隊月光〟は確かに良い名前だが、これは乃木大佐が付けた私称だからな。
だが、我々の父祖たちの悲願は、我々が活躍すれば必ずやかなうだろう」
「はっ」
「では時間まで休憩をとってくれ」
「了解しました」
少尉達の班が休憩を取る為に斥候所へと入っていく。朝食もこれからだろう。
私も外套のポケットから英国製のショートブレットという洋菓子を取り出すと齧りついた。これも乃木大佐の発案らしいが、元々あったお菓子としてのショートブレットの製法を活かし、更に生地に練り込む具材に工夫を凝らしているので、栄養価に優れたものらしい。
実際、私が英国滞在時に食べた本来のショートブレットの様に甘くは無いが、ナッツや乾燥果実などが生地に練り込まれて居るので美味しいうえに栄養があり、しかもどんな戦地でも手軽に摂れるところが素晴らしいな。
ショートブレットを一食分食べ終わると、紅茶を流し込み口をサッパリとさせる。
クロノグラフを見ると、作戦開始時間まであと一時間となっていた。
本日、三月十日の八時より連合軍の大攻勢が始まる。
英軍の目標は、去年の激戦地のイーペル南部にある、独第六軍が守備するアルトワ州の村、ヌーヴェ・シャベル。
この地には独第六軍の塹壕陣地を維持するための補給基地があり、戦略上の要地というやつだ。
独軍の塹壕を突破しヌーヴェ・シャベルの確保に成功したのちは、同地を保持しつつ更に前進、敵の前線後方に存在する要衝リールまで敵戦線を押し戻すという作戦だ。
今回の我が皇国独立混成旅団の任務は、英軍の助攻としてリールとイーペルの間を突破して独第六軍の背後に回り込み、主攻である英第一軍と協力して独第六軍を包囲殲滅する計画との事だ。
但し、英軍の南部から攻勢を掛ける仏第十軍の攻勢が失敗すると、英軍が突出しすぎて逆に独予備軍団に包囲される可能性が出てくる。その場合は無理をせずに撤退するのだろう。
私に知らされている作戦内容としてはこんな感じだが、何とか我が皇国派遣軍の欧州での初陣を勝ちで終えたいものだ。
独軍の状況などを無線で司令部へ連絡すると、作戦開始に備えて我々も準備を整えた。
そして、作戦開始時刻。英軍側から着弾観測機が独塹壕陣地の上空に飛来すると、激しくそして正確な準備砲撃が開始された。
「よし、我々も作戦開始だ。少尉、敵弾薬庫の爆弾を起爆せよ」
休憩を終えて既に配置に就いている少尉に起爆を命じる。
少尉は起爆を担当する兵士に無線連絡した。
「こちらカラス、トンビは油揚げを掻っ攫え」
「トンビ了解」
しかし、幾ら待っても敵陣地に大きな爆発が起きる事は無く、起爆は何らかの原因で失敗した様だ。
「こちらトンビ、油揚げの確保に失敗せり」
「カラス了解、トンビは直ちに撤収せよ。大尉、起爆に失敗しました」
「了解した。軍曹、プランBで行こう。用意してくれ」
私は、本部直卒分隊の指揮官である軍曹に命令を下す。
「了解しました」
軍曹は青森県出身で、マタギと呼ばれる狩人をしていた男だ。
我々の部隊は甲賀出身の者が多いが、軍曹の様に他の県出身の者も居る。
軍曹は大型の対物ライフルを取り出すと、予め予定していた場所で配置に就いた。
爆破は有線の爆破装置で行う事になっていたが、万が一の時はこの対物ライフルで起爆する事になっていたのだ。
「大尉、射撃命令を」
「ああ、既に刻限だ。軍曹、準備が出来次第射撃せよ」
「了解」
物静かな北国の男は、風向きや風力などを調べて照準器を調整すると、静かに引き金を引いた。
普通のライフル銃とは異なり、重機関銃の12.7mmの弾丸を使う対物ライフルは、かなり大きな音を発する。しかし、既に英軍の砲撃が始まっており、今更この程度の音で独軍に勘づかれる事は無い。
見事目標に着弾したのか、カっと光を発すると大音声と共に敵陣地が爆発した。それに続いて弾薬庫が誘爆し巨大な爆発が起きると、かなり離れた位置にあるこの斥候所にまでズシンと振動が伝わって来た。
「よし、作戦成功だ。
ここを放棄し、次の斥候所へ移動する。
直ちに撤収」
「「了解しました」」
私達はこの斥候所を可能な範囲で原状復帰すると、次の任務の為の斥候所へと移動を開始した。
敵の砲兵陣地を弾薬庫を爆破する事で見事破壊。
対物ライフルでの起爆が可能な仕掛けも用意していた為、今回はライフル射撃で起爆させています。