第三十話 1913.7-1913.7 英国へ
英国へと戻ってきました
1913年7月下旬、俺は再び英国へと戻って来た。
結構な距離を移動したが、流石欧州というか鉄道網が発達している為7月中に戻ってこれたのは助かる。
まずは大使館へ顔を出して帰任の挨拶を済ませ、今回の帰国に伴う諸々の報告を行った。日本本国からも諸々の連絡が届いていたので、それらの詳細を説明した。
そして、一足早く英国に来ていた同行者たちとも顔を合わせた。
安辺は英国の飛行機学校に通いながら、英国の士官学校にも通って貰っている。
というのも、日英同盟の深化もあり英軍との共同軍事行動を行うに当り、英軍のやりかたを良く知る将校が必要との事で、当初安辺には飛行機学校に通いながら専門知識習得という事で工科学校にも通って貰う予定だったが、それが士官学校に変更になったのだ。
尤も英国の士官学校は、流石世界の一等国の英国だけに、英国人だけではなく友好国や植民地等からの外国人が何人も学んでいる為、外国人が稀有という訳でもない。
藤本は既にバローのビッカース造船所に出向して見習いの仕事をしている。
そして日野少佐はローレッジの所でエンジンの開発を手伝っているが、諸々自分に足りない部分というのがはっきりと見えた様で、今は専ら工科大学で勉学に勤しんでいるとか。
さて、手紙や電報でやり取りはしていたが、去年の9月に帰国して以来久しぶりにイギリスの俺の会社に出社した。
会社では第一次世界大戦に向けて建設した新しい工場が既に完成しており、英軍から大量発注を受けた汎用車両や装甲車の生産が始まっていた。
俺は帰国前にデグチャレフに頼んでいた仕事の成果を見せて貰うため、先ずは銃器部門へと顔を出した。
俺が頼んでいたのは航空機用機銃。
まあ簡単に言えば、機銃で自機のプロペラを打ち抜かないようにする為の同調装置を搭載した機関銃だ。
ベースは、俺が帰国する頃にデグチャレフが開発していた車載用の8mm機関銃。
彼が開発した12.7mm重機関銃は良い出来だが、取廻しが良い訳では無い。
あれはあくまで敵の車両や陣地を潰す為の重機関銃だからな。
デグチャレフが開発していたのは後の英軍で云うところのベサ機銃に相当する機銃で、可能ではあるが基本的には外して歩兵が使用する事は考えていない。
この銃の弾丸は、既に複数の国で採用実績がある8mmモーゼル弾を使っている。
その理由としては、軽機関銃で採用した6.5mmx50Rは勿論の事、303ブリティッシュ弾でも威力不足だからだ。
エンフィールド重機関銃Mk1こと12.7mm重機関銃が性能的に優れていた為、この機銃で8mmモーゼル弾を発射できる様に縮小版を作成、更には軽量化を図ったところ、ブローニングM1919機関銃と比較しても劣る所の無い8mm機銃が完成した。
8mmモーゼル弾を俺の知る有名な7.92mm実包に改良したものを使う近代的な車載機銃。
重量は13kgで、給弾方法はメタルリンクベルト給弾、そして発射速度が毎分800発で初速800m/sの、車載機銃としては申し分のない性能となっている。
当初英軍は、303ブリティッシュ弾でなく新採用の歩兵用の弾薬とも違う新しい弾丸の使用に難色を示していたが、その意義を説明したところ納得してくれ試験採用する事になった。
それに伴い、装甲車の砲塔機銃をこの車載機銃へと変更した。
日本軍はというと、英軍が採用するなら我が軍も採用する、という事になった。
そして、この機銃に取り付ける航空機用の同調装置を開発していた、という訳だ。
この装置は今の時点では機密扱いで特許申請もしていない。
会社の中の専用の区画で航空機の機首を模した実験装置に機銃を搭載し、プロペラを打ち抜かない同調装置の実験開発を繰り返した結果、漸く意図したものが完成していた。
流石デグチャレフ、素晴らしいね。
とはいえデグチャレフ本人は、この装置の意義というのは理解はしても、どれ程革新的な物なのかはまだ理解できていないようだ。
何しろ現時点では航空機ですら一般的ではないのに、航空機同士が大空で銃撃戦、なんて言われてもピンと来ないのだろう。
今回の同調装置の仕事を手伝ったガーランドは矢張り優秀な様で、デグチャレフの評価も上々だ。
そのガーランドには新たにデグチャレフの下でバトルライフルの開発の仕事を頼んだ。
そしてデグチャレフには、まだ時期尚早の感が有るが、20mm機関砲の開発を頼んだ。
その後、ブレアリーの研究室へ。
ブレアリーとハットフィールドのコンビはうちの会社に必要な金属素材の殆どすべてを手掛けてくれていて、時代を大きく進める原動力の一端を担ってくれている。
ブレアリーには最近はもっぱらエンジン用の金属の開発を進めて貰っているが、今回新たな分野の金属の開発を頼む。
俺が頼むのは、俺の前世ではA7075と呼ばれていたアルミニウム合金、つまり超々ジュラルミンと言うやつだ。
ブレアリーには新しいアルミニウム合金の開発を次に頼むと既に話しており、時間を見てイギリス国立物理学研究所のローゼンハイム部長の冶金学の論文などを良く読んでおくように頼んでいた。
ちなみに、ローゼンハイムはこの時代のアルミニウム合金など冶金分野の草分けの一人だ。
このA7075が実用化すれば、アルミニウム合金製エンジンが製造可能になり、エンジンが一気に軽く作れるのだ。
勿論、俺が化学成分を教えたところで実用化出来るとは限らないのだが…。
A7075の化学成分を書いた表をブレアリーに渡すと苦笑いして受け取った。
実際の所それを作ったのは確かに日本人だが、日本人でも未来の日本人なんだけどな…。
だが俺が渡した成分表を基に新しい合金が幾つも実現しているから、ブレアリーの中では日本は冶金先進国という事になっている様だ。
とはいえ、新しい分野の仕事は楽しみにしていた様で、意欲的に取り組んでくれるだろう。
お次はピリキンの軍用装備を作る新会社の方に顔を出した。
渡英後、俺が紹介しておいたのでデグチャレフ一家とも付き合いが出来て、同じロシア人の知り合いも近くに居てそれなりに楽しく暮らしているらしい。
新会社はロンドン郊外の雑居ビルの一角にあり、工場は俺の工場の余剰スペースに間借りさせている。
以前使っていた設備は運びやすい物以外はすべてロシアで売却してきたから、ほぼ全てを新たに英国で導入しなおした。その辺りは俺の会社で資金を出しているから問題は無い。
俺がピリキンに頼んでおいたサスペンダーことHハーネスだが、試作生産した物を英軍で試験してもらった所好評で、英陸軍でも導入を検討する事になった。
それで現在、英軍仕様の物を作成中との事だった。
実際、アサルトライフル等を運用する場合、Hハーネスが有るのと無いのとではかなり違うからな。
日本でも既に採用が決まって居て、どこかで生産が始まっている筈だ。
今回訪ねた時は会えなかったが、ジューコフはというと今は普通に英国の学校に通っているとの事だ。
それにしても、他に飛行機製造会社の立ち上げがあるし、本命の戦車の開発もあるし、仕事は山積みだ…。
開戦まであと一年を切りました。




