第三十一話 1913.8-1913.8 BAC設立
航空機会社の設立です
1913年8月、来る欧州大戦に備えて作った大規模な新工場の一角にて新たに航空機製造の為の会社を設立した。
設立式にはうちの会社の人間の他、英陸軍の関係者、戦争省の偉いさんまでが出席した。
戦争省の偉いさんが直接うちの会社に来るのは初めてで、英国にそれだけ認知されたという表れかもしれない。
会社名は〝BritishAircraftCompany(BAC)〟、つまりは英国航空機会社。
俺の会社である〝グランサムメタルワークス〟改め〝グランサムヘビーインダストリー(GHI)〟のグループ企業という位置づけだ。
民生品も製造販売しているが、今や銃器から軍用車両、軍用装備、更には今回新たに航空機製造と、船舶関連以外の殆どの軍需品を扱っている総合軍需企業と呼んでも差し支えない。
ちなみに、上陸用舟艇や飛行艇等船舶系軍需品を作る為に、ボートを作っている会社は既に買収済みだ。
軍需品の主たる納入先は英陸軍で、実のところ我が皇国への販売はそれほど多い訳では無い。
理由としては基本的に軍需品は、現在英国から皇国へはサンプル的に先行生産品を輸出するだけで、様々な兵器類は皇国内の軍工廠などでライセンス生産されているからだ。
一方トラクターなど皇国内で販売している民生品は、皇国内に作ったうちの工場で生産している。
そしてうちの会社のトラクターと一緒に英国製の耕運機等も仕入れて販売しているのだが、お陰でうちの会社は英国の農機具メーカーとして皇国で広く知られる事になった。
恐らくGHIが乃木大将の息子の会社だと知って居る人は、皇国には殆どいないだろうな。
さて、新しく成立したBACであるが、会社設立の際社名を決める時、何故〝英国航空機会社〟にするのか、とうちの会社のホーンズビー出身の経営幹部に聞かれた。
この時代、会社の名前にはホーンズビーもそうだが設立者の名前を付ける事が多く、〝グランサムヘビーインダストリー〟と言う社名もそうだが、何故〝乃木航空機会社〟としないのか、と。
答えは簡単で、俺は日本人だからだ。
ほぼ全ての株を俺が所有しているが、英国の国内法に則って会社を設立し、経営陣や従業員の殆どが英国人で構成されている英国企業だ。しかも軍需品という非常にデリケートな商品を扱っている以上、外国系企業という印象が付いてしまって有事の際に痛くも無い腹を探られるのは嫌だからだな。
その辺りをオブラートに包んで説明すると、杞憂じゃないかとその幹部は笑っていたが、前世の日本企業は第二次世界大戦で在外資産のほとんどを没収されているんだ。
そんな訳で用心するに越したことはないので、俺は外向きには日本色を極力出さないようにしている、という訳だ。
実際のところは、研修生として働いている日本人が何人も居たりとこの時期の英国の会社の中では日本人が多い会社ではあるのだが。
俺はBAC設立と同時に新聞に大々的に広告を掲載し、英国内で従業員を募集した。
お堅い業務内容と条件だけを書いたような広告ではなく、思いっきりアジった〝来たれ若人!〟的な奴だ。
それのおかげもあってか、結構な人数の英国の若者たちが応募してきた。
多くは俺が知っている程には歴史に名前が残って居ないか、本来別の道に進んだのかもしれない若者達だが、何人かは俺が見た事があった名前の人物が居た。
一人はチャールズ・フェアリー。こいつはこの時代の新聞でも見た事があり、英国の航空関係に興味がある奴の中では知られた男で、既に別の会社で飛行機の開発に関わっていた筈だ。
しかし勤めていた会社が解散し、次の航空機会社を探していたところで俺の会社の広告を見て応募して来たらしい。
うちの会社自体は軍用車両やエンジン、銃器などを製造販売している会社として英国国内で既にある程度の知名度があるから、そこが設立する航空機会社で新たに始めるのも良いな、と思ったそうだ。
確か彼は本来は航空機会社のショート社に入社して、後に自分の会社を立ち上げた筈だ。
彼ほどの実力者ならばチーフエンジニア位で雇わなけば満足しないかもしれないな。
もう一人はジェフリー・デ・ハビラント。彼は軍人で国営の王立航空機工場で飛行機の開発をやっていたらしいが、去年の末頃に別の部署に異動になる為に予備役になり、今年の年末に新たに航空検査局の検査官の内示が出たらしい。
彼としては今後も航空機の開発の仕事をしたかったらしく、民間の航空機会社で仕事をしようと考えていたところ、うちの会社の広告を読んで応募してきたそうだ。
ちなみに彼もその筋では有名な人物で、本来ならばAirco社にチーフエンジニアとして採用され、こちらも後に自分の会社を立ち上げた人物だ。
そして、彼の名前は史実でも有名すぎる位有名だろう。
彼はまだ軍に籍がある予備役軍人で、立場的には俺に近い。
多分俺の知らないところで何かが決まって彼が招集される事は無いと思われるが、前世で彼は確か開戦後に暫く軍務に就いていた筈。
ついでに言えば、彼が開発した機体は英国軍航空隊(RFC)が試験し使う事になるだろう。
逆に言えば、RFCへの強力な伝手ともいえるか…。
最後の一人はレジナルド・ミッチェル。
彼は夜学に通いながら機関車を作っている会社で見習い製図士をやっているらしいのだが、うちの会社の奨学制度に魅力を感じたのと航空機作りに興味があったとかで、うちの会社を受けに来たそうだ。
うちの会社には、人材育成の為に学費会社持ちで工科大学などの学校に通わせる制度があるから、それ目当てで入ってくる技師志望の少年たちが結構いるのだ。
ミッチェルは今年18歳になったばかりで、暫くは念願の工科大学に通いながらうちの会社で製図の見習いをする事になるだろう。
ちなみに、彼は後にスーパーマリン社に入って名機を幾つも生み出した人物だな。
彼が長生きできるように製図室の椅子は痔になりにくい椅子を設置するとしよう。
BAC設立でフランスに居たブロッホもやって来たし、ツポレフも卒業までは大学に通いながらBACの方の仕事もやる事になる。
ツポレフには、既にフォノと相談して風洞実験用の大型の風洞の設計の仕事を任せている。レイノルズの論文などを読ませているし、俺が知って居る範囲の風洞の構造等も教えたから、恐らくそう遠くない時期に実現できるだろう。
ヘッドハントや募集で色々な才能が集まったため、俺は個性を潰さないためにチーム分けすることにした。
つまり、BAC社内にソ連がやっていた様な設計局を作るのだ。
ブロッホがチーフのブロッホ設計局、フェアリーがチーフのフェアリー設計局、そしてデハビラントがチーフのデハビラント設計局の三つの設計局で最初はスタートする。
機体製造については、製造部門が合理的で可能と判断すれば、部品共用もしてラインを分けて一元的に生産を行う方式だ。
基本的に、なにを作るかは経営者である俺が提案、指示、判断を出すが、設計局の方からの提案も勿論検討する。
俺が提示した飛行機をそれぞれの設計局が手を上げて受注し、複数受注の場合は競作して良い方を採用する。
手が上がらない場合は俺が適性を見て割り振る感じだ。
先ず作るのは偵察機、戦闘機、爆撃機の三種類。
後に、輸送機、水上機、飛行艇も作成するが、これは後からでいい。
結局、割り振りはブロッホが戦闘機、フェアリーが爆撃機、デハビラントが偵察機を受け持つことになった。
必要な仕様というのは、俺が図面にしてそれぞれに渡した。
俺としては早い時期に、各設計局の水準をフェアリーの会社が後に開発するソードフィッシュ相当のレベルまで持っていきたい。
その為に必要なアルミ合金も作るし、木製の飛行機を作るために木工の得意なボートメーカーも買収してある。
更には接着剤でこの時期技術力があるメンダインの買収も進めているしな。
木製といえばデハビラントだが先んじて圧縮木製翼桁構造のネタも渡しておいたから万全だろう。
飛行機会社とは別に、俺はエンジン制作部門にも新たに技術者を投入した。
液冷部門は引き続きローレッジが担当だが、彼一人で全てを見るのは限界があるので、もう一人ハリー・リカードという技師を雇った。
以前いとこと自動車製造会社をやって居たのだが二年前に倒産。今はフリーで細々と小型の照明用発電機の設計を請け負っていたらしい。
彼に手紙を送って誘ったところ、面白い仕事が出来るなら是非、との事だったので来てもらった。
彼は本来であれば、前世の欧州大戦で英国軍が使った戦車用のエンジンを開発する。
彼にうちの会社でローレッジが開発している航空機用12気筒エンジンの資料を見せて、これの開発の協力を頼んだ。
何とか来年中位に、250馬力以上のエンジンが出来ると良いのだが。
新たに設置する空冷エンジン部門にはローランスをヘッドに据える。
彼は2気筒のラジアルエンジンの構想を持っていたが、俺は、最初は2気筒で構わないから段階的に拡張し、最終的に9気筒のラジアルエンジンを開発して欲しい、と頼んだ。
すると彼は、フランスに居た時にノーム社とルローヌ社が9気筒エンジンの開発をやっていると聞いたことがあると話してくれ、早期に9気筒エンジンを開発すると請け負ってくれた。
エンジン部門の彼らの元に、イギリスの技師の卵たちを惜しげもなく投入する。
更には、日本から研修生としてやって来ている帝大出身の若手技師も投入する。
彼らの交流によって出来上がる物が、必ず将来の皇国の技術の底上げになる筈だ。
航空機は、何とか年内には試作機を飛ばしてみたいものだな。
次は戦車です。




