魔物狩り
現実での1924年と比べて、この世界は少し文明が発達しています。
「あ"ああ"あああああ"アア"アア!!!!」
月明かりに照らされた和室、女性の絶叫と共に障子に血飛沫が飛ぶ。
ぼとりと畳に左腕が落ちた。
千切れた片腕を押さえ、泣きながら後退る彼女のぼやけた視界に楽しそうに笑う男が映る。
「嫌・・・嫌・・・助けてください・・・!
見逃してください・・・どうか・・・どうか・・・!!」
涙と血液を流しながら命乞いをする。
男は尚も笑いながら、そんな彼女の首を刎ねた。
「一郎、あなたは何処へ行くつもりですか。」
ある朝、玄関の戸を開ける12歳の少年、一郎に彼の母が声をかける。
「散歩です。」
一郎はそう言って戸をぴしゃりと閉めた。
砂利を踏みしめる足音が徐々に遠ざかって行く。
「あっコラ!待ちなさ・・・全く。」
戸を開けて追いかけようと思った母は戸に掛けた手を降ろす。
言っても無駄だと判断したのだ。
「あの子はいつまで経っても・・・優秀な上の子達を見習ってほしいものだわ・・・。
これでは『魔狩り』を任されなかったのも当然ね。」
母は心底鬱陶しそうにため息をつき居間に戻って行った。
「・・・ケッ。何が優秀な上の子だ。
あんたの操り人形の間違いだろうが。
大体、『魔狩り』は任されたのを俺自身が蹴ったんだよ。」
散歩中の一郎は道端の石を蹴り飛ばす。
イライラしていたのか、彼は荒々しい歩き方でどんどん家から遠ざかって行った。
今日の散歩は祖父の所有する山にでも行って、静かに本でも読んでいよう。
一郎はそう考え、ひたすら歩く。
一人で静かに過ごす事を考えると彼はなんだか楽しくなってきた。
「あら、誰かと思えば因果人様ではありませんか。」
曲がり角を曲がると声をかけられ、一郎は舌打ちする。
折角良い気分になってきていたのに台無しだ。
彼はそのまま無視して歩く事にする。
「ふふふ・・・遂には聾になられたのかしら。
私の声も聞こえておられないようね。」
無視されるのも面白いのか、くすくす笑う少女。
忌々しげに一郎は身体ごと振り向き言った。
「・・・何の用だ。この売女が。」
「あら、酷い。口の利き方には気をつけなさいな。」
相変わらず少女はくすくすと笑っている。
一体何が面白いのだろうか。
もう行こうと前を向いた一郎だったが、どうやら少女は話したいらしく彼の前に回り込み、先を通してくれなかった。
「ねえ、因果人様。
貴方、折角受かった『魔狩り』を蹴ったというのは本当かしら?」
「・・・それがどうした。」
その発言をした途端、少女の顔が険しくなる。
先程まで笑っていたのが嘘のようだ。
「・・・貴方如きが受かって、どうして私と兄上様が受からなかったのかしら。」
「売女の頭じゃ試験が分からなかっただけだろ。
わざわざ枠を空けてやったんだ。感謝しろよ。
・・・あっ、それでも受からなかったのか。
悪い悪い。忘れてくれ。」
今度は一郎が笑う。
少女は忌々しげに唇を噛んだ。
「・・・背中に気をつける事ね。」
そう言い残し、彼女は彼の脇を通り抜け去って行く。
一郎はそんな彼女を見る事無く逆方向に歩いて行った。
彼女の名は『鳴鐘 鈴』所謂金持ちのところの生まれで、顔は美人だが嫌味な少女だ。
一郎の同級生で彼と同じ帝都第一中学校に通っている。
お互いにお互いの事が大嫌いだ。
一郎は再び歩く。すると今度は別の人物に遭遇した。
道の先からこちらに手を振っている。随分と目の良い奴だ。
「よおよおよおよおよおよおよおよおよおぉ!!
一郎ちゃんよお!」
「・・・・・・。」
一郎はうんざりした表情を浮かべる。
ゲラゲラと楽しそうにこちらに走って来た彼は、『四季 光次郎』という名の少年であった。
一郎と同じ学校で同じ組。幼馴染の腐れ縁である。
バンバンと彼の肩を叩き、そのまま組んだ。
「お前さあ、お前さあ、『魔狩り』に受かったんだろ?俺と同じでさ。」
「・・・ああ。」
光次郎は嬉しそうに一郎に話しかけた。
しかし一郎は正反対の表情である。
「(・・・お前は苦手なんだよ。異常者め。)」
「ま、何故か蹴ったんだってな。
担任のゴミが悲しがってたぜぇ?
『優秀な生徒なのにぃ勿体無いわぁ!!!』ってなぁ!!!
ゲッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッ!!!」
どうやら彼は一郎が蹴ったという事を知っているらしい。
それでも実に楽しそうではあるが。
下手くそな、似ていない担任のモノマネを彼の真横で披露する。大声なので非常にやかましい。
「・・・興味無いから蹴ったんだよ。
要件はそれだけか?」
一郎は嫌そうな表情を見せる。
光次郎は首を振った。
「いやいやいやいや!!んな訳ねえだろ!?一郎ちゃああん!!!
お前どうせ暇だろ!?遊ぶ友達いねーし!!
家でも孤立してんだろお!?
だからちょっと来い。『魔狩り』だ。」
はしゃいでいる時と静かな時の差が激しい光次郎。
彼は一郎を魔狩りに誘った。
「・・・嫌だと言ったら?」
「俺は来いって言ったんだぜ?一郎。
今夜11時、俺の家の前にいろ。」
光次郎は静かに告げ、ぐいっと彼の肩を突き放し去って行く。
一郎は諦めた。
そして冒頭に戻る。
光次郎の家の前に集合した二人は少し歩いた所にある廃屋に入ったのだ。
返り血を浴びた光次郎の顔は真っ赤に染まっている。
遅れて襖を開け部屋に入って来る一郎。
彼は目の前の惨状に顔をしかめた。
「・・・彼女は、蜘蛛の魔物か。
(だから魔狩りは嫌なんだ。)」
足元で事切れている女性の背には細い蜘蛛の脚が生えている。
光次郎はその脚を嬉しそうに引き千切り、バリバリと食べていた。
血液が彼の口から溢れ出て畳に広がる。どうやら脚にも血は通っていたらしい。
『魔物狩り』通称『魔狩り』
小学校を卒業した生徒が強制的に受ける試験であり、これに合格した者は魔狩りの資格を得る。
始まりは1923年の東関大震災。
これ以後、帝都京東とその周辺の県には以前は姿を隠していた魔物と呼ばれる生物が湧いてきていたのだ。
見た目は大体人と同じ、しかし少し異なる。そういう生物だ。
戸江時代にほぼ全ての魔物を滅ぼした筈であったが、彼らはどうにか生きていたらしい。
政府曰く、魔物は人に迷惑しかかけない害獣であり、帝国は戸江時代と同様に全ての魔物を滅ぼす事を決定したのだ。
そこで政府はこれまた戸江時代と同様に、『魔狩り』の資格を作る事にした。
魔狩りの資格を持つ者は皆少年少女であり、これもまた戸江時代と同じである。
理由は『替えがたくさんいる』かららしい。
しかし給料は結構高く、貧乏な家庭は自身の子供達を危険な目に合わせてでも魔狩りの資格を取らせようとしているようだ。
金以外にも魔狩りの資格を得た者とその家族は様々な良い待遇を得られる。
電車に無料で乗車できることから始まり、納税の一部を免除、奨学金の利子低下など、なかなか嬉しい待遇が家族全員に与えられるのだ。
魔狩りの任務は非常に簡単。
夜10時以降に魔物を見つけ殺し、首を役所に届ける。これだけだ。
魔物は廃墟にひっそりと暮らしているか、森や山に逃げ隠れているか、人の生活に紛れ込んでいるかのどれかが多い。
魔狩りの者は武器の所持が認められていて、激しい音が出る武器以外の使用が許されている。
だが、間違えても人を殺害してはいけない。
「あああああ・・・たまんねえなあ!!!
一郎、お前もそうだろう!?」
光次郎は死体の腹を切り裂き頭上に掲げ、頭から血液と内臓を浴びている。
辺りに錆びた鉄の臭いが広がった。
「異常者が。」
一郎はそれだけを言うとそのまま後ろを向き、戸を開ける。
彼には充分付き合った。もういいだろう。
背後から聞こえる彼の不愉快な笑い声を聞きながら、一郎はその場を去る。
彼はこの魔狩りを非常に嫌っていた。
見た目が人と似た生物を殺したくなかったのだ。
魔狩りを行う理由の一つに殺人がある。
魔物は人と見た目が似ている為、快楽による殺人に丁度いい存在なのだ。
・・・もっとも、これは光次郎だけであろうが。
月曜日、一郎は登校し教室に入った。
数名の生徒が彼を見てひそひそと何やら話している。
「(チッ。前に喧嘩売ってきた不良共か。
利き腕と前歯を砕いてやったのをまだ根に持ってやがる。
今度は髪の毛を頭皮ごと全部剥がしてやろうか。)」
一郎が彼らを睨むとすぐに目を逸らした。
それを見てゲラゲラと楽しそうに嗤う光次郎。
彼は意外と早く登校していたようだ。
外套と学帽を自身の机に置き、教卓にどっかりと腰を下ろしている。
「よおよおよおよおよおよおよお一郎ちゃんよお!!
朝からばっちり決めてくれるねえ!!!!
睨んだだけでちょっと気取ったゴミとウジ共が目を逸らしたぜ!!!!」
そう言って大音量で拍手した。
周囲の生徒は皆顔を逸らしている。
見て見ぬフリをするのだ。
こんな異常者と関わりたく無いからだろう。
「(ああクソッ!
よく考えなくてもコイツのせいで俺は孤立したんだ!)」
一郎は心の中で嘆く。
しかし喧嘩を売られたからとはいえ、相手の利き腕と前歯を砕く一郎にも問題はある。
彼も大概異常なのだ。
朝から上機嫌な光次郎の笑い声は教師が入って来るまで続いた。
そして5日後の土曜日、家が嫌いな一郎は再び散歩に出かける。
今度は嫌味な成金も、気の狂った幼馴染も会わずに済んだ。
一郎はだいぶ歩き、進んだ先の山の入り口に立つ。
此処は彼の祖父が所有している山で、彼は祖父から山に自由に入る事を許可されているのだ。
カバンを背負い山を登り始める一郎。
彼は山の中にある別荘を目指している。
「・・・む?」
暫く歩いた彼は登山道にて、獣道を発見する。
背の高い草を誰かが踏んで歩いて行った跡だ。
人か獣かそれとも魔物か。一郎は獣道を進んで行く。
5分程歩き、彼は獣道の果てに到着した。
そこは鬱蒼と茂った木々に囲まれた広場になっていて、葉の間に光が差し込みなかなかに美しい。
しかし何より彼の目を引いたのは広場の中央に建つオンボロの小屋だ。
屋根と壁に穴が開いていて、木片がその辺に散らばっている。
木材はまだ新しいあたり、この小屋を建てた人物はよっぽどの下手くそなのだろう。
そんな小屋を見つめる一郎の背後から、音も無く矢が高速で飛んで来た。
「・・・。」
後ろを見もせず、無言で首だけを傾け矢を躱す一郎。
矢は真っ直ぐ飛びボロ小屋に刺さった。
彼は振り向く。
「ど、どうして・・・。」
獣道の上、一郎の10m程先に同じ歳ぐらいの少女が弓を構え立っていた。
絶望しきった表情だ。彼が矢を躱した事が信じられないのだろう。
だが一郎はそんなことより彼女の見た目が気になっていた。
あまり見る事の無い金色の長い髪の毛に、真っ赤な虹彩。瞳は人と違い縦に伸びている。
気になったのが耳だ。
まるで犬や狐のような耳が、頭の上に付いているのだ。
オマケに人には無い尾まで生えている。これも狐の様なふさふさの尾だ。
そんな奇妙な見た目の少女だが、彼女はボロ布を適当に巻いただけの、衣服とは呼べない物を纏い片足からは血を流していた。
どこかで怪我でもしたのだろう。
「(・・・赤い目・・・魔物か。)」
一郎はそう判断する。赤い目は魔物の証なのだ。
少女に近づいていく一郎。彼女は顔を青ざめガタガタと震えている。今にも泣きそうだ。
「・・・おい、アンタ。名前は?」
「・・・・・・えっ?」
少女のすぐ近くに来た彼は、まず名を尋ねた。彼女は困惑する。
まだ震えているあたり、警戒と怯えは残っているらしい。
「・・・先に名乗るのが正しいか。
俺は『佐藤一郎』。帝都第一中学校の生徒だ。」
一郎は名乗る。少女は困惑しながらも答えた。
「・・・わ、私は『桜花』です。
苗字は、ありません。ごめんなさい。」
「・・・何で謝るんだ?」
一郎も困惑する。
桜花と名乗る少女は兎に角怯えているのだ。
今も一郎の顔色を必死に伺っている。
「ご、ごめんなさい。『人間様』・・・!
謝ってばかりで、ごめんなさい!
勝手に山に入って、ごめんなさい!」
「(に、人間様ぁ・・・?)
・・・ごめんなさいと俺に言われても、此処は一応俺の祖父の山だからな。謝る相手なら祖父だ。」
彼はこの山の所有者ではない。今現在は祖父である。
とはいえ祖父はもう孫に山をあげる予定らしいので、権利もそのうち移るだろう。
・・・両親に兄や姉、妹の性格からして、恐らく一郎が所有者になる筈だ。
「・・・こ、この山は貴方様のお祖父様の所有地なのですか・・・?」
恐る恐る尋ねる桜花。
「ああ、そのうち俺に移るだろうがな。きっと。」
一郎は頷き言った。
桜花は何やら考えているらしく、目が左右に泳いでいる。
「そ、そうですか・・・あの・・・その・・・ 。」
一郎は何事かと見守る。
「・・・か、匿ってくれないでしょうか?一郎様。」
「・・・んん?」
桜花は申し訳なさそうに一郎に告げる。
一郎は戸惑った。
「・・・勝手に人の山に侵入して、厚かましい事を頼んでいるのは重々承知でございます。
けれど・・・。」
どうやら、祖父ではなく彼個人に頼みたいらしい。
これ以上話を広げたくないのだろう。
「・・・まあ、祖父も年で山には入らんから匿うぐらい別にいいが・・・一つ聞きたい。」
一郎はあっさりと魔物の彼女が山に住む事を許してしまう。
・・・代わりに一つ条件を付けたが。
「な、なんでしょうか・・・。」
桜花の顔色が悪くなった。
何やら不吉な事でも考えているのだろう。
「いやさ、魔物ってのは皆こんな感じなのか?」
一郎が聞きたい事はこの一つであった。
魔物という禍々しい名に比べて、以前死んだ蜘蛛女や目の前の桜花も卑屈すぎるのだ。
桜花は少し悲しそうに語りだした。
「・・・一応、私達は魔物ではなく『妖怪』という種族名があるのです。政府からは魔物扱いですが・・・。
それはさておき、そうですね・・・昔は好戦的な妖怪も沢山いたらしいです。
ですがそれらは戸江時代には全て、返り討ちで凄惨な拷問の末殺害されています。
人間様のお強さに気付けなかった末路です。
・・・今生きている私達は人間様に挑まなかった妖怪の子孫にあたります。
大したことのない牙を抜かれ、その牙も二度と生えない貧弱な妖怪なのです。
そんな寿命しか取り柄の無い私達は、自分達より遥かに強い人間様のご機嫌を損ねないよう控えめな性格になった・・・のかもしれません。」
長々と語ったが、つまり桜花達妖怪はどうしようもなく弱いのと、それでも人は妖怪を許さず狩るので卑屈になったということだ。
毎日人に見つからないように、ビクビク怯え過ごしているのである。
「・・・そんなに弱いなら、何故政府は魔狩りなんて行うんだ?」
一郎はそこが気になった。
弱いなら魔狩りを行う必要は無い筈だ。
桜花も首を振る。彼女の頬を涙が伝い、地面に落ちた。
「分かりません・・・!
私達は、もう人間様に戦いを挑むつもりなどほんの少しも無いのです・・・!
なのに、何故・・・!」
一郎はハッとする。
「・・・・・・!!
(ああ、あああ・・・あの、蜘蛛の女も・・・!)」
涙を流す桜花を見て、彼の脳裏に浮かぶ首が飛んだ蜘蛛の女性。
彼が部屋に入った時には既に終わった後だった。
しかし彼は見ていたのだ。涙を流した後の残る、蜘蛛の死体を。
彼は確信した。
「(やっぱり、魔狩りなんて間違いじゃねえか・・・!
俺はあの時、彼女を助けられたかもしれねえのに!!助けられる命だったのに!!)」
彼は心の中で嘆き、そして頭を抱える。
「・・・あの、一郎様・・・?」
恐る恐る桜花が言葉をかける。
いきなり一郎の様子が変わった事に、驚きを隠せないようだ。
彼女の呼びかけにどうにか冷静になる一郎。
「・・・桜花。」
「は、はいっ!」
ビクリとする桜花。一郎は続ける。
「俺の事は別に呼び捨てでいい。
此処より少し上に上がったところに別荘がある。
案内するからそっちを使うといい。」
急に待遇が上がった事に桜花は戸惑った。
「え?あ、あの・・・。」
「・・・俺は今日から『魔狩り』になる。
俺の手に届く妖怪は、ぶっ殺したと嘘言って全てこの山に匿い守ってやるよ。
もう助けられる、罪の無い命は見捨てない。」
・・・こうして、12歳の一郎少年は魔狩りになった。