8. 異世界へ
〈神々の領域、美しい田舎の村にある、とある家庭にて〉
「あなた、さっきの息子を見た? 本当に立派になったわね!」女性はそう言いながら、夫の腕を揺さぶった。
「ああ、今頃どこにいるのだろうな。試合の直後、神々があの子を連れて行ってしまった。無事だといいのだが」
「神々は、あの子を別の世界に送ると仰っていたわ。せめて向こうで、苦労のない人生を送れたらいいのだけれど」
「なあ、苦労のない人生なんてものは存在しないよ。私たちにできるのは、あの子が向こうで何を経験しようと、それを乗り越えられることを願うことだけだ」
「そうね……」
コンコン*
その時、不意に扉を叩く音が聞こえた。夫が扉を開けると、そこには司祭が普段まとうような法衣を身につけた人物が立っていた。その人物は、まず自己紹介から始めた。
「ごきげんよう、オルロフ夫妻。私はホリス、天空の神であり、叡智の神ガブリエルの友人だ。ホリス殿とでも呼んでくれればいい。ある人物から預かった物をお届けに参った」
「て、天空の神様!? ど、どうぞお入りください、何かお飲み物でも。大したものはございませんが、お口に合えば幸いです」訪問者の正体を知った夫婦は、慌てふためきながらも急いで彼を家に招き入れた。
「お邪魔する……うむ、このコーヒーはなかなか良い味だ。さて、あまり長居をして貴殿らの時間を取るわけにもいかないので、これを届けさせてもらおう」ホリスはポケットから一通の封筒を取り出した。
夫婦は封筒を受け取ると、ホリスの顔を見て尋ねた。
「あの、天空の神様。これを送ってくださったのはどなたでしょうか?」
「中身を見れば分かるだろう。さて、まだいくつか用事が残っているので、これで失礼させてもらう。どうかお元気で」ホリスはそう答えながらコーヒーを飲み干し、立ち上がって扉の方へと歩いていった。
夫婦はホリスの後ろ姿を見送りながら、封筒を開けた。
中には一通の手紙が入っていた。それを取り出し、内容に目を通す。
〔今まで本当にありがとう〕
「こ、この子は、本当に……」女性は喜びの涙をこらえきれなかった。
夫は封筒の中に何か他のものが入っていることに気付いた。女性が取り出したのは、銀で作られたロケットのようなものだった。
「これは……」夫が尋ねた。
「ええ、私たちがあの子に贈ったお守りよ。まったく、学校を卒業したらこれを返してくれるって約束だったじゃないの」女性は、家族写真の入ったそのネックレスを見つめながら、優しい笑みを浮かべてそう言った。
……
「ガブリエル」私は前を歩く人物に声をかけた。
「何だ?」
「先ほど、私の中の封印が壊れていたと仰っていましたよね」
「ああ、その封印こそが、君の世界で君にクアシルを使わせないようにしていたものだ。それがどうかしたのか?」彼は尋ねた。
「その封印を誰がかけたのか、心当たりはありますか?」
「私自身にも確証はないが、姉の失踪と何か関わりがある可能性はある。何しろ姉は、君の世界を創造した神だ。おそらく、第三の力である気を生み出したのも彼女だろう」
「それは初耳です」私は驚きながらそう答えた。地球で崇められていた神々のうち、本物の神は一柱もいなかったということになる。
「なぜだ? 私の姉のことが気になるのか?」ガブリエルが私に尋ねた。
「少しは。ですが、いずれにせよ、遅かれ早かれこの件については自分で知ることになるでしょう。未来のことは未来の自分に任せることにします。何事も、今この瞬間を生きるに越したことはありませんから」
「ほう? その考え方、私は好きだぞ」私の隣を歩いていたユミがそう言った。
「本当にルーカスの考え方だけが好きなのか?」アルヴィオンがからかうような表情でユミに尋ねた。
大きな衝突音が響き、アルヴィオンは一発の拳で吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。
ユミの拳から煙が立ち上っているのが見えた。その一撃がどれほどの威力だったかを物語っていた。彼女の顔も、恥ずかしさのあまり真っ赤に染まっている。こうして見ると、なかなか興味深い光景だ。先ほど、私を処刑台に送り込もうとした冷酷無比な女性に、こんな一面があったとは。
「こ、この野郎、まだ命が惜しければ、これ以上私を苛立たせるのはやめなさい」
「止めなくていいのですか?」私は二人の様子を見守っているガブリエルに尋ねた。
「放っておけばいい。あの二人は従兄妹同士だからな、しょっちゅうああして喧嘩しているんだ」
「え? あの二人、血縁関係にあるんですか?」
「ああ、先ほど話していなかったか?」彼は私に尋ねた。
「いいえ、従兄妹だなんて一言も聞いていません」
正直、あの二人が親戚だとは思ってもみなかった。せいぜい友人同士だろうと思っていた。
そんなことを考えている間に、アルヴィオンはすぐさま立ち直り、何事もなかったかのように私たちの後についてきた。彼が叩きつけられて壊れた壁の一部も、ものの数秒で不思議なことに元通りになっていた。実に驚くべき光景だった。
「よし、着いたわよ!」ユミがそう言い、私たちの会話を遮った。
そこは、あらゆる種類の光る花々に満ち、蔓や根が小道のところどころにアーチを形作っている、巨大な庭園だった。庭園の中央には、見たこともない巨大な紋章が刻まれた、小さな円形の祭壇があった。祭壇の縁には、私がこれまでの人生で一度も目にしたことのない文字が記されていた。
ガブリエル、ユミ、アルヴィオンの他にも、その場には20人ほどの人々が集まっていた。「私を見送りに来てくれたのだろうか」私はそう思った。
ガブリエルは、儀式を始めるため、私に祭壇の上へ立つよう促した。
「見て、あの人がアルヴィオンを一撃で倒した人よ」
「うわ、なかなかの美男子だな。あれが27番目の異界の者か?」
「ああ、あれほど桁外れの力を持っているなら、グレイスでは楽な人生を送れるだろうさ」
「もちろんだ。私の見立てでは、あの者の肉体は、グレイスの竜神と同等か、あるいはそれ以上だろうな」
「あの竜は真の化け物だ、肉体の能力だけなら戦争の神を遥かに上回る。しかしアルヴィオン殿は魔法と肉体戦の両方に精通していらっしゃる。総合的な戦闘能力で言えば、彼の方が遥かに強い。それに加えて、何十万年にも及ぶ戦場での経験もお持ちだ」
「それにしても、あの人間が魔法を一切使わずに戦争の神ご本人を打ち負かしたとはな。あの者がどれほどの化け物か、それだけでもよく分かるというものだ」
「人類の皇帝、か。あの称号は確かに見せかけだけのものではないようだな」
「ルーカス、これより私たち三人で拘束の封印を施す。祭壇の上に立ち、目を閉じて、今の呼吸のペースを保ってくれ」ガブリエルはそう言うと、三人は祭壇を囲む三角形の各頂点にそれぞれの位置についた。
数秒ほどの準備の後、ガブリエル、アルヴィオン、ユミは右手を差し出し、何かを唱え始めた。
〔我ら、拘束の主を呼び出す。ᚠᚱᛟᚷ ᛞᚨᛚᚲᚱ ᚹᛖᚾᚷᚨᚱ ᛁᚲᛏ ᚦᚱᛟᚾᚨ ᛗᚨᛚᚷᚱᛁᛗ〕
その詠唱は庭園全体に響き渡り、まるで彼らの声が周囲すべてから、そして同時に私の頭の中からも聞こえてくるかのようだった。その時、鎖のようなものが私の魂に巻き付いていくのを感じた。数秒のうちに、クアシルの感覚が徐々に薄れていき、やがて体内を巡るその力をまったく感じられなくなった。
彼らが詠唱を終えた後、私は再びその力を発現させようとしたが、何の反応もなかった。次に気で同じことを試してみると、こちらはいつも通り滑らかに流れた。
「これで封印は完了したはずよ。でも覚えておいて、もしあなたが本気でその力を再び発現させようとすれば、私たちの封印もそれを止めることはできない。二度目はもうやってあげられないから、封印を破らないよう気をつけてね。まあ、あなたの自制心の高さを考えれば、それが起きる可能性は、アルヴィオンが妻を娶る可能性より低いと思うけれど」ユミは揶揄うようにそう言った。
「おい!」アルヴィオンが苛立った声で言った。
周囲の神々は、その突然のやり取りに笑い声を上げた。
「とにかく、封印を破らないよう気をつけてくれ」
「分かりました」私はガブリエルにそう答えた。
「さて、私たち四人で過ごした時間はほんの短いものだったが、ルーカス、君との交流は楽しかったよ。またぜひ会いに来てくれ!」アルヴィオンはそう言いながら私と握手を交わした。
「さて、ユミ? お前も初恋の相——ぐああああ!!」
アルヴィオンが言い終える前に、ガブリエルと私は、彼が恐ろしい笑みを浮かべたユミによって弾き飛ばされ、柱に叩きつけられるのを目撃した。その笑みは、見ているだけで背筋が凍るようなものだった。
「お元気で」彼女は軽くも美しい笑みを浮かべながら私にそう言った。
「ええ、あなたも」私は、貴婦人への正式な礼儀として掌を差し出した。だが、彼女の反応を見る限り、それはあまり良い考えではなかったようだ。
「え、え? ご、ごめんなさい、わ、私もグレイスに一緒に行きたいけれど、こ、これでも女神だから、自分の務めがあって、その、えっと……」彼女は顔を真っ赤にして身をよじりながら、動揺した様子でそう言った。
「ぷっ——ユミ? 彼はただ、貴女の手の甲に口づけをしたいだけなんだ。男性の人間が女性に感謝と挨拶を示す作法の一つでね、彼は貴女を連れて行こうとしているわけじゃないよ」ガブリエルは必死に笑いをこらえながら、ユミに状況を説明した。
……
静寂の中、ユミの赤らんだ顔は、さらに濃い赤色へと染まり、彼女は言葉を詰まらせた。
「ご、ごご、ごめんなさい!!」彼女は恥ずかしさのあまり、そう叫びながら走り去っていった。
「さて、なかなかの見物だったな。それでは、そろそろ転送するとしようか?」
「はい」私はそう答えた。
〔ᛉᚺᛖᚱᚨᚾ ᚠᚢᛚᚷᚨᚱ ᛞᚱᛖᚲᛏᚨ ᛟᚾᛞ ᚲᚱᚨᛗᚨᚾ ᛏᚺᚱᛁᚲ〕
彼がいくつかの言葉を唱えると、祭壇から放たれた青い光が足元で眩しく輝き、ゆっくりと私の全身を包み込んでいった。そして私が消え去る直前、ガブリエルはこう告げた。
「ルーカス」
「はい?」
「新しい人生を楽しんでくれ」ガブリエルは笑顔でそう言った。
「肝に銘じておきます」
光はさらに強まり、そしてゆっくりと消えていき、神々の眼差しの中、祭壇だけが静かに残された。




