20 世界樹
夜の帳が下り、世界は静寂に包まれていた。
頭上には、手を伸ばせば届きそうなほどの満天の星空。
それに応えるように、巨鯨街の甲板には、無数の「蒼」が揺らめいていた。
薄紙を貼り合わせて作った、小さな灯籠。
その中には、蒼油を浸した布が、蛍火のように灯っている。
それは、死者を送るための灯火だった。
子を亡くした母親が、震える手でそれを抱いている。
親を亡くした兄弟が、寄り添いながら火を見つめている。
おのおのが、二度と会えない誰かへの想いを、その灯火に込めていた。
「……行っておいで」
誰かが、祈るように呟いて手を離した。
ふわり、と。
蒼い炎を宿した灯籠が、重力から解き放たれ、星空へと吸い込まれていく。
一つ、また一つ。
あるものは燃え尽きた肉体の灰を乗せ、
あるものは白く石化した、愛する人の欠片を乗せて。
厳かな静寂の中、巨鯨街の甲板から、無数の灯籠が放たれる。
錆びついた鉄の巨鯨から放たれた蒼い光は、まるで逆さまに降る雨のように、星空へと還っていった。
「……きれい」
隣に立つシエルが、空を見上げて呟いた。
その瞳の中にも、小さな蒼い星々が映り込んでいる。
「『星渡り』……死んでしまった人たちの魂を、星へ還すんだ」
地上の白に縛られた魂たちが、今夜だけは、蒼い翼を得て星へと渡る。
その無数の蒼い光の群れの中に、ひと際大きく、そして不格好な灯籠が混じっていた。
仲間を失った自警団長、オーダインが飛ばしたものだ。
その強面からは想像もつかないほどの大粒の涙が、頬を伝い落ちている。
ジンも、マリアも、リーナも……。
あの雑貨屋の幼い兄弟も……。
生き残った誰もが空を見上げ、祈りを捧げている。
大切な人の魂が、すべての束縛から解放され、自由でありますように。
あちこちで、すすり泣く声が、星空に溶けてゆく。
それは、明日を生きるために必要な涙だった。
悲しみは消えない。
けれど、この美しい光景が、残された俺たちの心を少しだけ慰めてくれる。そんな気がした。
「……届くといいですね」
「届くさ。……きっと」
俺たちは祈るように、星空へ昇りゆく蒼い光の列を見送った――。
――その時だった。
ズズズズズズズズ――――。
足元の甲板が、いや、大気そのものが低く唸るような振動を始めた。
「おい、あれを見ろッ!!」
オーダインが叫び、北の方角を指差す。
蒼い光の、さらに向こう。
天の星々が、狂ったように回転を始めていた。
北の空を中心に、星の軌跡が一面の「渦」を描き出していく。
街の人々がざわめき、悲鳴を上げる。
「まさか、また黒蝕か!?」
星の渦の中央。
遥か遠くの地平線が、カッ! と白く裂けた。
噴き上がったのは、天を衝くほどの巨大な「光の柱」。
いや、ただの光ではない。
幾億もの光の帯が、互いに絡み合い、編み込まれ、天へと伸びていく。
それは、あまりに巨大な『大樹』のシルエットだった。
光の根が大地を割り、幹が雲を突き抜け、枝葉が成層圏まで覆い尽くすように展開する。
夜空に焼き付いたその姿は、まるで星の海に脈打つ「地球の血管」のようであり――恐ろしいほどに、神々しかった。
この巨鯨街からでも視認できるサイズだ。
近くで見れば、どれほどの大きさなのか想像もつかない。
距離感すら狂わせる、白金色の超巨大樹。
「……世界樹。」
誰かが呆然と呟いた、その瞬間。
キィィィィィィィィン――――。
大気を震わせる音ではない。
脳髄の奥底、魂の在り処を直接鷲掴みにするような、強制的な共鳴が世界を貫いた。
シエルが苦悶の声と共に胸を押さえ、糸が切れたようにその場に崩れ落ちる。
俺もまた、心臓の刻印が焼け付くような熱を発し、暴れ出したのを必死で堪える。
共鳴している。
世界樹の出現に呼応して、俺たちの心臓が歓喜し、そして怯えている。
そして――その「声」は脳内に直接響いた。
『――告げる』
『最後の神遺器官――「心臓」の観測を確認』
『全条件達成。――今、天蓋の扉は開かれた』
感情を削ぎ落とした、絶対零度のシステム音声。その波長はシエルの声によく似ていたが、決定的に何かが違った。
『これより、神の再定義を開始する』
『現世に顕現せし12の神格義体』
『その依り代たる、12の聖胚、12の観測者たちよ』
『殺し合い、簒奪せよ』
『全ての神遺器官をその身に宿し、約束の地「エデン」へと至れ』
『「エデンズアップル」を手にした者だけが、新たな世界の理となる』
その宣言は、逃れられぬ呪いのように、星空へと木霊した。




