第11話 8.助けて
「……」
――その頃。
東京駅を出発した電車は、滑るように線路の上を走っていた。
有楽町を通過し、続いて新橋へ。
窓の外では、隙間なく立ち並ぶ高層ビル群が絶え間なく流れていく。
陽光を反射するガラス張りの巨大なオフィスビル、その足元には所狭しと並ぶ雑居ビル群。屋上に無数に設置された室外機や配管が、都会特有の無機質な景色を作り上げていた。
幾重にも交差する高架道路の上では、絶え間なく車が行き交っている。並走する別路線の電車が、轟音を響かせながら一瞬で視界を横切った。
視界の奥まで埋め尽くす灰色の都市。
地方では決して見ることのできない、巨大都市東京の光景だった。
「……すごい」
ぽつり、と。
フィリアは窓越しに広がる景色へ目を奪われたまま、小さく呟く。
次から次へ流れていく街並み、忙しなく行き交う人々。無数に張り巡らされた線路の上を、何本もの電車がせわしなく駆け抜けていく。
視界のほとんどが、街を形作る人工物の色と輪郭で埋め尽くされていた。
この国で暮らす者にとっては見慣れた日常なのだろう。
けれど――幼い頃から王族として生きてきた彼女にとって、それはどこか遠い世界のようにも見えていた。
細い指先が、そっと窓ガラスへ触れる。
浜松町へ近づくにつれ、ビル群の隙間から赤と白に塗られた巨大な鉄塔が姿を覗かせる。
――東京タワー。
その姿を見つけた瞬間、
フィリアの瞳が、わずかに見開かれた。
その眼差しには。
幼い子供のような、小さな憧れが滲んでいる。
「……観光はいかがですか、王女?」
――その時だった。
背後から、不意に温度を感じさせない声が落ちる。
びくり、とフィリアの肩が小さく跳ねた。
恐る恐る振り返る。
そこに立っていたのは、一人のSPだった。
「え、えぇ……とても感動しています……」
胸元へ手を添えながら答える。
だが、直後。
フィリアの眉がわずかに寄った。
(……見たことがない方……?)
警備担当の顔は事前に確認している。
だが、目の前の男に見覚えがなかった。違和感を覚え、周囲へ視線を巡らせる。
他のSP達は変わらない。
依然として後ろへ手を組み、定められた位置で警備を続けている。
――しかし。
次の瞬間だった。
「……え?」
SP達全員の身体が。
突然、くの字に折れ曲がった。
まるで内側から何かに押し広げられるように、背中が不自然に盛り上がる。
ぼこり、ぼこり。
肉の下で、何かが蠢き不規則に膨れ上がる背中。
――ぶちっ。
鈍い音と共に背中の皮膚が裂けた。
「っ……!」
フィリアが息を呑む。
裂けた背中から溢れ出したのは。
どろり、と粘度を持った漆黒の液体だった。
まるで生きているように蠢く黒い泥が、SP達の身体を背中から覆っていく。
肩から腕を。
首から顔を、全身を。
飲み込む。
みちっ。
みちみちっ。
肉を引き裂くような生々しい水音だけが車内に響く。やがて、黒い液体が、ゆっくりと地面へ滴り落ちた。
その中から現れたのは――
人の形をしていた。
だが、それは人間ではない。
全身は光を吸い込むような漆黒。
輪郭は微かに揺らぎ続け、顔には目も鼻も口も存在しない。
ただ、そこに“人間を真似た何か”だけが立っていた。
一人、また一人。
次々と。
車内にいたSP全員が、黒い異形へ姿を変えていく。
「………っ」
目の前で起きた光景に、フィリア王女は息を呑んだ。
喉がひゅっと震える。
だが――声が出ない。
悲鳴を上げるという当たり前の反応すら、恐怖によって頭の中から消えていた。
足は動かない、呼吸が浅い。
ただ目の前で起きている異常だけを、呆然と見つめることしかできない。
その時、最初に話しかけてきた男の身体が、
不意に大きく膨れ上がる。
「……っ?」
ぼこり、ぼこり。
肉の下で何かが蠢く。
――ぶちっ。鈍い破裂音が響いた。
男の身体が内側から弾け飛び、車内へ大量の鮮血が飛び散った。
赤い飛沫が壁を染め、床へ滴る。
その血煙の向こう側から、ゆっくりと一人の男が姿を現した。
異様なほど大柄な体格、鍛え抜かれた分厚い肉体。
そして――首元に埋め込まれた黒紫の水晶。
「……マ、マクガイガ……!」
フィリアが、
ようやく絞り出すように声を上げる。
名を呼ばれた男は、ぐるり、と首を左右へ倒した。
めきっ、骨の鳴る嫌な音が車内に響く。
口元がゆっくり歪んだ。
「歓迎のデモンストレーションは……気に入ってくれたかな?」
「……くっ!」
フィリアは反射的に後退。
だが、背中には冷たい開閉ドア。
逃げ場は――ない。
マクガイガはそんな彼女を見下ろしながら、手に持っていた黒い輪っかを投げた。それは空中で変形し、フィリア王女の首元に張り付く形で自動装着され、
真ん中にあるランプが赤く光る。
「な、なんですかこれは…?!」
「気にすんなよ」
不気味に笑みを浮かべるマクガイガは、続ける。
「線路や駅にも仕掛けをしておきかったんでな。見ての通り、事前に関係者は全員、こいつらとすり替えておいた」
周囲で蠢く黒い人型達へ視線を向ける。
表情には余裕しかない。
「警備責任者、鉄道関係者、SP。正式なルートで警備計画そのものを書き換えた。そうすりゃ余計な人間は、“正規の手続き”で排除できるだろ?」
「狂人が……!」
フィリアが睨みつける。
だがマクガイガは鼻で笑った。
「なんとでも言え」
一歩、ゆっくりと距離を詰める。
「ここは走行中の電車。時速六十キロを超えてる。逃げようにもお前の力じゃドアは破壊できない。飛び降りれば即死だ」
その口元が。
狂気を孕んだ笑みに歪んだ。
「そして俺は――お前と入れ替わる」
「……な……」
フィリアの顔から血の気が引いていく。
「……なんですって……?」
マクガイガは楽しむように両腕を広げた。
「国交五十周年記念式典。今日はエルトライム王国と日本政府が、新たな経済協定を結ぶ記念すべき日らしいな」
その目が細くなる。
「資源供給、軍事技術共有、インフラ共同開発……実に素晴らしい」
次の瞬間、声色が変わった。
低く、鋭く。
まるで憎悪そのものを吐き出すように。
「だが結局それは、“豊かな国同士”がさらに肥え太るだけだ」
車内の空気が重く沈む。
「一方で世界には、食うものすらない国が山ほどある。医療もない。水もない。教育すら受けられない子供が何億人もいる」
黒紫の水晶が脈打つように鈍く光った。
「なのに貴様ら国家は手を取り合い、更に力を持とうとする」
フィリアは唇を噛み、マクガイガは続けた。
「だから壊す」
「……っ」
「この式典の場で、お前の姿を借りた俺が日本との全面対立を宣言する」
男の目が狂気に染まる。
「同盟は破綻、市場は混乱、外交関係は崩壊する! …世界は再び疑心暗鬼に包まれる」
一歩、さらに近づく。
「そうすれば争いが始まる。新たな火種が生まれ、均衡は崩れる。そして世界はようやく――平等になる」
「そこまでして……壊したいのですか!」
フィリアが震える声で叫ぶ。
一切迷うことなくマクガイガは答えた。
「あぁ」
その瞳に宿るのは、もはや思想ではない。
狂信だった。
「この腐った世界をな」
そう言うと、マクガイガはゆっくりと右腕を持ち上げた。
まるで勝利を確信したように。
「今回の作戦で一番デカかったのは……厄介な連中を事前に排除できたことだ」
フィリアの眉が動く。
「……どういうことですか?」
「アイアンガール」
口元が吊り上がる。
「あんたらの護衛側から電車内警護の提案も来てたんだがな……蹴っといた」
「……っ」
「危なかったぜ。あと少し遅けりゃ、この作戦は失敗してた」
フィリアは奥歯を強く噛み締める。
マクガイガは楽しそうに続けた。
「世間じゃヒーローなんて言われてるらしいな」
その目が鋭く細まる。
先ほどまでの余裕が消えた。
代わりに浮かぶのは、剥き出しの殺意。
「だがな……結局この世界を動かすのは力だ」
一歩、前へ出る。
「ヒーローなんて……存在しねぇんだよ」
その瞬間。
突き出した右腕が、不気味に膨れ上がった。
ぶちっ、皮膚が内側から裂ける。
肉片が飛び散る。
露出した黒い組織が蠢きながら形を変え始める。骨格が組み替わるように音を立て。
一秒も経たないうちに、右腕は巨大な銃口へと変形していた。
「あばよ、王女」
銃口の奥で、眩い粒子が収束を始める。高熱によって空気が歪んだ。
フィリアは反射的に背中をドアへ押し付けた。
だが逃げ場はない。
目が見開かれる。呼吸は乱れ、膝から力が抜けていく。
視界が揺れる。
ぽろり、と頬を涙が伝った。
(……だ、誰か……)
心臓が壊れそうなほど脈打つ。
怖い。
怖い。
怖い。
(お願い……誰でもいい……)
全身から力が抜けていく。それでも、必死に願う。
(誰か……)
――助けて……!!
次の瞬間。
「……っ!?」
マクガイガの表情が凍りついた。
目を大きく見開く。
見ている先はフィリアではない。
窓の外、高速で流れていた景色へ視線は釘付けになっていた。
異変に気づいたフィリアも振り向く。
そこに――
一人の少女がいた。




