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闘いはどちらともなく始まりました。
二人が動いた瞬間、魔王ノアが立っていた場所には火柱、シェリアがいた場所には氷柱が上がった。
ノアもシェリアもそれらには掠りもせずに避け、相手に向かって走り始めた。
シェリアは掌を切り、出た血で剣を作り出した。ノアは氷で剣を生み出した。
二人が間合いを詰めるのは一瞬だった。
超速で剣を打ち合う。そしてその度に周りに風圧が押し寄せる。
「え?姫さんもうちの主もガチじゃないっすか。殺気ビンビンですよ」
クリフが驚く、というより困惑している。人間の常識からしたら惚れた女を全力で叩きのめそうとしている魔王はあり得ないのだろう。
「どんな相手だろうと手を抜くのは失礼にあたるからね。魔族は戦闘の時は基本殺す気で攻撃するよ」
クリフの疑問にアルフォンスはシェリアから視線を逸らさずに答えてやる。そう言ってはいるがアルフォンスの瞳はどこか不安げだ。
「にしても無意識に好きな相手は傷付けたくないと力をセーブしちまうもんじゃないっすか?」
「……それもそうだね。魔王がリアと本気で闘えるとは俺も思ってなかったしね。………もしかして君、何か余計なこと言ったりしなかったよね」
それまでひたすら妹の心配をしていた優しい兄が冷気を放ち始めた。クリフは怯えつつも会話を続ける。
「余計なことは言ってないと思うっすけどね。主のものの捉え方はたまによくわからないですから……。例えばどんなのが駄目なんですか?」
「そうだな、『女の子は強い人が好き』とかかな……」
「え、」
クリフがピキッと固まる。
「は?まさか心当りがあるわけ?」
アルフォンスがクリフに凄む。クリフは背中に冷や汗が滲むのを感じながらしどろもどろと言い訳を始める。
「いや、だって……うちの主の良いところなんて地位と強さと顔くらいじゃないっすか。自信を持って貰おうと思って……………あれっ結構良いところあるな」
「強いことを証明したいのなら示したい相手に体感させるのが一番確実だ。そう考えたから魔王の奴は本気なんだよ」
「マジか主……その解釈は予想外ですよ…………」
「もしリアに傷痕が残るようなことがあればお前を魔族で二番目の独身美人と強制的に結婚させるからな。勿論一番の美人さんはリア」
「拷問じゃないっすか。俺B専なのに。冷えきった別居しか想像つかないっすよ」
「上手くいくように努力をしなよ」
「美人とは仲良くできないっす」
「じゃあ俺とも仲良くはできないね」
「イケメンの自覚あるんすか………」
「鏡を見たことくらいはあるよ」
「目の前には優しげな銀髪王子様がいましたってか?」
「…………」
丁度クリフがアルフォンスに皮肉を返した時、ノアの蹴りがシェリアの顔面に入った。シェリアの華奢な体躯が吹っ飛ぶ。
「マジか主!!女の子の顔は絶対に狙っちゃいけない所でしょうが!!」
「あいつリアに………ぶっ殺してやろうか……」
クリフが思わず叫ぶとその隣からは先程とは比べ物にならないくらいの冷気が漂う。
アルフォンスの両手は堅く握り締められ過ぎて微かに震えている。今直ぐにでもシェリアの加勢をしに行きたいのを必死に我慢しているのだろう。
もはや気を紛らわせるための会話をする余裕もないようだ。
アルフォンスがシェリアを見詰める横顔はただの過保護な兄の表情だをしている。
「リア………」
アルフォンスの呟きは破壊音に溶けていった。
それから何時間が経ったのだろう。
シェリアとノアは一瞬も気を抜くことなく戦闘を繰り広げ続けた。
相手の魔法は無効化するか避け、次々に剣技を繰り出す。
シェリアの呼吸音が荒くなってきているのに対してノアはまだ涼しげな表情を崩さない。
「フッ!」
シェリアの放った一撃をノアが易々と受け止める。
シェリアの攻撃は確かにノアとアルフォンス以外には対処出来ないようなものだった。だが魔王であるノアにとって、シェリアの動きを見切るのはそう難しいことではない。シェリアが自分を倒すことなど出来ないと高を括っていた。
---故に、ノアは気付けなかった。
シェリアは突然、地面を強く蹴り、ノアから距離を取った。
「?」
ノアはシェリアの行動を若干疑問に思いつつも追撃の体勢に入った。
物凄いスピードで自分に向かって来るノアにシェリアは右手の掌を向けた。
「なっ!?」
瞬間、闘技場全体が青色の業火に包まれた。
炎はシェリアが立つ場所以外の地面という地面をすべて覆い尽くした。魔族用にかなりの広さがあるにも関わらず。
炎の背丈はかなり高く、上から見ている観客にも届きそうだ。
観客達は熱風に容赦なく煽られている。
「すごい………」
誰かが呟いた。
それはその場に居た誰もが思っていた。ほとんど全員が敵わないと実感させられた。
それくらいシェリアが放った魔法は凄かったのだ。
何処までも焼き付くすかのように広がる青。逃れられないと人々に思わせた。
「リア…………」
アルフォンスは妹の成長を目の当たりにして素直に驚いていた。
---お前はこんなにも強くなっていたんだね。
アルフォンスのその気持ちが届いたのか、炎の中のシェリアが兄の方を向いた。
シェリアの顔は、もう、守らなければいけないか弱い妹のものではなかった。
声を発してはいないが金の瞳が雄弁に語る。
---兄様、私はこんなに強くなりました。
---もう、守られなければならない存在ではありません。
---だから……安心してくださいね。
---私も、大切な人を守れるようになったのです。
シェリアの気持ちがアルフォンスには手に取るようにわかった。
---ああ、シェリア。わかったよ。
この時初めて、兄は妹を手放す覚悟ができた。
勝負は決まったかのように思われたが次の瞬間、闘技場全体が今度は凍り付いた。
地面から所々巨大な氷柱が何本も突き出した形になっている。
こんなことを出来るのは一人しかいない。
その人物はゆらりと姿を現した。
その衣服は多少焦げ付いてはいるが、本人には火傷一つできていない。特にダメージを負った様子もなくピンピンしている。
魔王の実力は桁外れだった。
シェリアはその場から離れようとするも、足が動かなかった。地面に接している部分から徐々に凍り付いてきているのだ。
これではいけないと思い、シェリアは翼を出して宙を飛ぶ。
そしてそれを追いかけるようにノアも浮かび上がった。
シェリアは上へ上へと飛んで行き、ノアはその後に付いていく。
人が豆粒大の大きさに見えるようになった頃、シェリアは自分の魔力が限界だということを覚った。
暫く魔法なしで応戦するも、ノアに翼を凍らされた。
シェリアに翼を溶かす力は残っていない。
シェリアは背中を地上に向け、落下し始めた。
落ちていくシェリアの両肩をノアは掴む。そして一緒に落ちていく。
二人の視線が交差すると、ノアが口を開いた。
「姫、僕じゃ駄目?」
ノアの声音はどこまでも真剣だった。
シェリアは薄く微笑む。
「魔王様、駄目とか以前に私は大事なことを何も聞いていませんよ?」
そう返すとノアは何かに気付いたような顔をした。
一度唾を飲むとシェリアをしっかりと見据える。
「姫、いや……シェリア」
「愛してる」
「僕と結婚してくれ」
シェリアは幸せそうに笑った。
「はい、ノア」
それだけ答えるとシェリアは意識を手放した。
翌日、魔王の結婚が大々的に発表された。