始まりの終わり(二)
焼け残ったコンクリート塀のうえに、男がひとり腰かけていた。ニヤニヤしながらブルームーンたちのほうを見下ろしている。
白いスラックスに、白い麻のジャケット。シャツや皮靴、ネクタイまで白い。
あきらかに場違いな格好だが、その白一色でコーディネートされた服装を台無しにするかのように、なぜか顔だけが不自然に青黒かった。
「おまい……だれだ?」
ブルームーンは佩刀のつかに手を伸ばしながら、男を睨みつけた。
「いつからそこにいた?」
「おやおや、殺る気マンマンってわけですな。しかし武人たるもの、やたらに殺気を放つものではありません」
ミキ・ミキが、吸いさしのタバコを指先でピンとはじいた。
「見たところラゴスの兵士ではなさそうだな。かといってピクニックに来た登山客ってわけでもあるまい。お前のその目、多くの人間を葬ってきた殺人者の目だ」
「ご賢察いたみ入ります」
「なんでこんな山んなかウロチョロしてる?」
「じつは、これが私の仕事でしてね」
男はわきに置いてあった軍刀をつかむと、軽快な身ごなしで地面へ降り立った。鷹揚なしぐさで尻についた埃をはらう。
「日々、君たちのような反乱分子を取り締まっているわけですよ。帝都パルチザンのミッキーくん」
「な、なぜ俺のことを……」
「職業がら、私はなんでも知っていますよ。そちらのお嬢さんがペーシュダード王国の近衛騎士であることも、それからボルガンの残兵どもが昨夜全滅させられたってこともね」
「なに、全滅しただと? それはどういうことだっ」
「夕べ、君たちが野営地を進発したあとレンジャー部隊の急襲を受けましてね。司令官以下、全員が戦死を遂げたそうです。いや諸君らはじつに運が良かった。ラゴスのレンジャー部隊は殺人マシーンと呼ばれていますからね。偶然あの場所を離れていなければ、君たちだって今ごろどうなっていたことやら」
男は、口もとにあからさまな嘲笑を浮かべた。ミキ・ミキは奥歯をギリっと噛みしめ、サングラスの奥にある瞳を険しくした。
「あんまりなめた口きくなよ、おっさん」
「やれやれ、チンピラみたいなことを言う」
「で、けっきょくあんたダレなわけ?」
気の短いブルームーンは、すでにムラマサの鯉口を切っている。その姿をジロリと横目で見て、男は急に破顔した。
「ほう、これはまた良いこしらえの刀をお持ちだ。じつは刀剣の目利きを趣味にしておりましてね。ちょっと刃文を拝見させてもらってもよろしいですかな」
「そうやって質問をはぐらかされるのが大っ嫌いなんだよね。つい殺したくなっちゃうわけ。てゆーか、もうそうするか」
ブルームーンが腰を入れてゾロリと刀を引き抜いた。白刃が朝日を浴びてギラッと輝く。
それを見て男は、今度こそ本当に驚きの声をあげた。
「そ、それはもしやムラマサ……いやそんなバカな。ムラマサは、たしかフェニキア条約で魔剣と認定され、当時の連合軍によって全てが破却されたはずだが」
「ところがどっこい、熱狂的な蒐集家たちによって隠匿され、極秘裏に受け継がれてきたのだよ。これは、そのうちの一振ってわけ。今は亡きわが師匠から譲り受けた、形見の剣だっ」
男は一瞬キョトンとしていたが、やがて今までのがぜんぶ作り笑いだったと確信させるような、ものすごく邪悪な笑みを浮かべた。
「こりゃあ良い。小娘ひとり斬ったところで面白くもなんともなかったが、思わぬところで良い拾いものをした。もしそれが本当にムラマサならば、まさに魔剣ちゅうの魔剣。この私が所有するにふさわしい逸品だ……」
「悪いけど、こいつを手に入れようとしてもムリだ。ムラマサは所持する人間をえらぶ。わたしのように心正しき乙女だけが、この剣を振るうことを許されているのだ」
そこへ異変に気づいたライマーたちが駆けつけ、男を遠巻きにして油断なく身がまえた。
「ブルームーン様、こやつはなに者です?」
「さあ? よく分かんないけど、なんかヤバいやつってことだけは確かみたい。面倒だから斬り捨ててしまおうか迷ってるところ」
「全身にルーン文字のタトゥーを入れた男がいるという噂を、以前どこかで耳にした覚えがありますぞ。その正体はPGUのエージェントで、彼には魔法攻撃が一切通用しないという話も」
「あっ、俺も思い出した」
ミキ・ミキが叫んだ。
「五年前、トラキア諸国で魔女狩りと称して、ドルイドの聖者たちが何人も暗殺された事件があった。高位魔術師であるはずの彼らが、ほとんど赤子の手をひねるように殺されていったんだ。その首謀者が、全身にアンチマジック・スペルを刻んだPGUのエージェントだったと言われている。たしか名まえは……」
「ユーリイ・ミハイロヴィチ・ドロノフ」
自分でそう名乗ってから、男はわざとらしく肩をすくめてみせた。
「いやあ驚きましたな。あなたがたの情報収集力もたいしたものだ。極秘裏に行動するのが我々の任務ですが、こうなにもかも知られていたんじゃ、もうシャッポを脱ぐしかない」
そう言ってあたまに乗せていた白いフェドラハットを脱ぐと、それでタトゥーだらけの顔をパタパタ扇ぎはじめた。
会話についてゆけないブルームーンが、ミキ・ミキのほうを振り返る。
「ねえ、ペーゲーウー、ってなに?」
「PGUとは、ラゴス連邦の秘密警察である、国家保安庁総局のことだ」




