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世界地図の余白 ~前世ではどこにも行けなかった俺は、異世界のすべてを見て回る~  作者: みき


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13/13

第13話 二度目に測る

 次の日も、俺は朝から村の北へ向かった。


 昨日と同じように父も一緒だ。ただし今日は午前だけではなく、昼すぎまで付き合ってくれるらしい。


「仕事、大丈夫なの?」


「村長に事情を話した。古道の調査なら役場の仕事でもあるからな」


「じゃあ俺も仕事?」


「お前は見学だ」


「昨日は助手って言われた」


「誰に?」


「オルドさん」


「言ってない」


 後ろから声がした。


 振り返ると、オルドが杖をつきながら歩いてくる。


「昨日は一度も助手などと言っていない」


「でも縄持った」


「縄を持っただけだ」


「それを助手って言うんじゃないの?」


「言わん」


 相変わらずだった。


 オルドは俺の前まで来ると、昨日使った紙を指さした。


「持ってきたか」


「うん」


「なら見せろ」


 俺は地図を広げた。


 昨日測った古道。


 一番、二番、三番とつけた場所。


 距離。


 向き。


 ネルカと書かれた古い石。


 オルドはしばらく見たあと、俺へ返した。


「今日はこれを使う」


「続き?」


「違う」


「じゃあ何するの?」


「昨日と同じところを測る」


 俺は少し拍子抜けした。


「同じところ?」


「ああ」


「もう測ったよ」


「だから測る」


「でも数字あるじゃん」


「それが正しいと誰が決めた?」


 昨日も似たようなことを言われた。


 俺は紙の数字を見る。


 一番から二番まで四十三短縄。


 北から東へ三十二度。


「昨日測ったんだから、だいたい合ってると思う」


「だいたい、か」


「うん」


「なら今日は、その『だいたい』がどれくらいずれているか見る」


 オルドは先に歩き始めた。


 俺と父もあとを追う。


 昨日と同じ古道。


 同じ岩。


 同じ曲がった木。


 景色はほとんど変わっていない。


 だから、同じ数字が出る。


 俺はそう思っていた。



     ◇



「ここが一番」


 昨日打った杭は、そのまま残っていた。


 オルドが地面を確認する。


「ユアン。縄」


「うん」


 俺は昨日と同じように縄を持った。


 父が二番の杭まで歩く。


 縄を伸ばし、印を数える。


「四十二と……半分?」


 俺はもう一度数えた。


「四十二と半分」


「昨日は?」


「四十三」


「違うな」


「半分だけだよ」


「半分でも違いは違いだ」


 俺は紙を見る。


「どっちが正しい?」


「まだ分からん」


「今日の方じゃないの?」


「なぜ?」


「今日の方が後だから」


「時間が新しければ正しいのか?」


「……分からない」


「なら決めるな」


 オルドは縄を持ち上げた。


「父親。今度はそっちが測れ」


「私が?」


「同じ場所をな」


 父が縄を持ち、俺が二番の杭へ移動する。


 今度は俺が端を押さえた。


 父が数える。


「四十二と、四分の三くらいですね」


「また違う」


 俺は驚いた。


「なんで?」


 同じ場所を測っている。


 杭だって動いていない。


 なのに数字が少しずつ違う。


「縄をどれくらい強く張った?」


 オルドが聞く。


「普通」


「その普通が、人によって違う」


 オルドは縄を俺に持たせた。


「強く引け」


 俺が引く。


「もっと」


「これ以上?」


「やってみろ」


 強く引くと、縄がほんの少し伸びた。


「あ」


「縄は完全に同じ長さではない。ぬれれば変わる。古くなっても変わる。張り方でも変わる」


 オルドは父の手から縄を受け取る。


「だから、一本の数字をそのまま答えにするな」


「じゃあ、何回も測る?」


「そうだ」


 三回目。


 四回目。


 五回目。


 少しずつ数字が違う。


 四十二と半分。


 四十二と四分の三。


 四十三。


 四十二と四分の三。


 四十二と半分。


「全部少し違う」


「それでいい」


「よくないでしょ」


「なぜだ?」


「正しい数字が分からないから」


「正しい数字が一つだけ出ると思うな」


 オルドは地面へしゃがんだ。


「測るというのは、世界を数字に変えることだ。でも世界は、最初からきれいな数字でできているわけじゃない」


 俺には少し難しかった。


「じゃあ、どうするの?」


「何度も測って、大きく外れた数字がないか見る。道具の状態も見る。測った人間も変える。それで、今の自分たちが一番信用できる数字を決める」


「一番正しい数字じゃなくて?」


「一番信用できる数字だ」


 俺はその言い方を覚えておくことにした。



     ◇



 次は角度だった。


 昨日、オルドが測角器で三十二度と出した場所。


「今日はお前がやれ」


「俺が?」


「触ったことはあるだろ」


「昨日見ただけ」


「なら今日触れ」


 俺は三本脚の台を立てる。


 少しぐらついた。


「地面を見ろ」


「地面?」


「そこ、石がある」


 足元を見ると、小さな石が一つ出ていた。


「それで傾く」


 場所を少しずらし、もう一度立てる。


「次」


「何?」


「高さをそろえろ」


「どうやって?」


「目で見ろ」


 言われた通りに見る。


 左右の脚の高さが少し違う。


 地面が傾いているせいだ。


「これくらい?」


「まだ」


「ええ……」


 何度も直す。


 やっとオルドがうなずいた。


「測れ」


 細い棒のような部分を、二番の杭へ向ける。


 目盛りを見る。


「三十三……くらい?」


「くらいは禁止」


「でも線の間にある」


「なら、どちらに近い」


「三十三」


「記録しろ」


 書く。


 昨日は三十二。


 今日は三十三。


「また違う」


「昨日は私が測った。今日はお前だ」


「俺が下手だから?」


「それもある」


 はっきり言われた。


「でも、私だって間違える」


「オルドさんも?」


「当たり前だ」


 少し意外だった。


 昨日まで、オルドは何でも分かる人に見えていた。


「じゃあ、オルドさんの数字も疑う?」


「当然だ」


「自分で?」


「ああ」


「めんどくさくない?」


「面倒だ」


「じゃあなんでやるの?」


「面倒だからやらない、で地図が作れると思うか?」


 思わない。


 俺は黙ってもう一度測角器をのぞいた。


 三十三。


 次は三十二と少し。


 その次は、また三十三。


 少しずつ違う。


 それでも、だいたい同じ場所を指している。


 俺はそのことが少し面白くなってきた。



     ◇



 昨日見つけたネルカの石まで来ると、オルドは今日は先へ進まなかった。


「ここまで?」


「ああ」


「続きは?」


「まだ測る」


「また?」


「嫌なら帰れ」


「嫌とは言ってない」


 俺はすぐに地図を広げた。


 オルドは石の周りを歩き、何かを探している。


「何見てるの?」


「石の位置」


「ここにあるじゃん」


「今の位置はな」


「昔は違った?」


「その可能性もある」


 石は半分ほど地面に埋まっていた。


 昨日、周りの土を少し掘ったので、文字はまだ見えている。


 ネルカ。


 昔、この先に村があったことを示す目印。


「この石、動かせる?」


 俺が押してみる。


 びくともしない。


「無理」


「一人ではな」


 父も一緒に押した。


 それでも動かない。


「かなり深いんですね」


「おそらく」


 オルドは杖の先で石の周りを示す。


「道がなくなったのに、目印だけ残っている」


「変?」


「変だ」


「昨日も言ってた」


「昨日から変なものは今日も変だ」


 俺は少し笑った。


 オルドは古い地図を広げる。


「五十二年前、この石は道の左側にあった」


「今は?」


 俺は周りを見る。


 そもそも道がない。


「分からない」


「そうだ」


「だから道を探す?」


「そうだ」


 オルドは昨日測った線の続きを指さした。


「古い地図では、ここから東へ道が続いている」


「ネルカ村まで」


「ああ」


「今日、少し行ってみない?」


「駄目だ」


「なんで?」


「まだ入口を正しく決められていない」


「石があるからここじゃないの?」


「石は一つの手がかりだ」


 オルドは俺を見る。


「手がかりと答えを間違えるな」


 俺は口を閉じた。


「たとえば、この石が昔動かされていたら?」


「道の場所もずれる」


「そうだ」


「じゃあ、どうやって確かめる?」


「他の手がかりを探す」


 オルドは森の方を指した。


「昔の地図には、道の南側に小さな水の流れがある」


「川?」


「川と呼ぶほどではない。雨のあとだけ水が流れる場所だ」


「それ探す?」


「ああ」


 三人で周りを見る。


 草。


 木。


 少し低くなった地面。


 俺は古い地図と現地を何度も見比べた。


「ここかな」


 石から少し南。


 地面が細くへこんでいる。


 オルドはしゃがんだ。


 土を触る。


「水の跡がある」


「じゃあ当たり?」


「まだ」


「また?」


「一つ見つけただけだ」


 今度は地図を見る。


「石から水の流れまでの距離」


「測る?」


「当然だ」


 俺たちは縄を伸ばした。


 何度か測る。


 古い地図の記録と比べる。


「近い」


 俺が言う。


「どれくらい?」


「昔の記録と、短縄一つも違わない」


「なら、石の位置は大きく動いていない可能性が高い」


「可能性?」


「まだ決めるな」


 もうその言葉にも慣れてきた。



     ◇



 昼近くになると、俺たちは少し休んだ。


 母が持たせてくれたパンを食べる。


 オルドは小さな水筒を飲みながら、古い地図を見ていた。


「オルドさん」


「なんだ」


「地図師って、ずっとこんなことするの?」


「こんなこととは?」


「同じ場所何回も測ったり、石探したり」


「ああ」


「もっと冒険すると思ってた」


 父が笑った。


「ユアンが想像してた地図師って、どんなのだ?」


「知らない土地を歩いて、山に登って、海を渡って、それで地図を作る」


「間違ってはいない」


 オルドが言う。


「でも、知らない土地ほど、こういう地味なことが必要になる」


「どうして?」


「帰るためだ」


 その言葉で、森で迷った日のことを思い出した。


「道のない場所で自分の位置を間違えれば、戻れなくなる。水場を間違えれば死ぬ。山の高さを読み違えれば、越えられない道を選ぶかもしれん」


 オルドはパンを一口食べる。


「地図の線一本を間違えたせいで、何人も死ぬことがある」


 俺は持っていたパンを止めた。


「そんなに?」


「ああ」


「オルドさんも見たことある?」


 少し間があった。


「ある」


 それ以上は言わなかった。


 俺も聞かなかった。


「だから、同じところ何回も測る?」


「そうだ」


 俺は自分の地図を見る。


 これまでは、線がきれいに引けたときが一番うれしかった。


 でも今は、その線が本当にそこにあるのかを考えるようになっている。


「地図って、思ったより怖いね」


 俺が言うと、オルドは少しだけ俺を見た。


「ようやく少し分かったか」


「少しだけ」


「それでいい」


 オルドは水筒をしまった。


「怖さを知らない地図師よりはましだ」



     ◇



 休んだあと、俺たちはもう一度、古道の入口を測った。


 石。


 水の跡。


 曲がった木。


 少し遠くにある岩。


 四つの場所を結ぶ。


 昨日よりも点が増えた。


 紙の上に、少しずつ形ができてくる。


「これで道の入口分かる?」


「かなり絞れた」


「じゃあ明日は進む?」


 オルドは地図を見る。


「明日ではない」


「なんで?」


「明日は雨だ」


「分かるの?」


「雲を見ろ」


 空を見る。


 西の方に薄い雲が増えている。


「これで?」


「風も変わった」


「全然分からない」


「覚えろ」


「地図と関係ある?」


「大ありだ」


 オルドは杖を持ち直した。


「雨が降れば道の見え方が変わる。水の流れも分かる。地面の低いところも見つけやすくなる」


「じゃあ雨の日に来る?」


「お前は来るな」


「なんで?」


「七歳だからだ」


「またそれ」


「雨の森をなめるな」


 父も横でうなずく。


 これは逆らえそうになかった。


「じゃあオルドさんは?」


「私は来る」


「一人で?」


「ああ」


「ずるい」


「五十年以上地図師をやってから言え」


「長すぎるよ」


 父が笑った。



     ◇



 村へ戻る途中、俺は今日の数字を見直した。


 一回目。


 二回目。


 三回目。


 少しずつ違う。


 最初は、それが嫌だった。


 正しい答えが一つ出てほしかった。


 でも、今は少し違う。


 数字が違うなら、理由がある。


 縄の張り方かもしれない。


 道具の置き方かもしれない。


 自分が見間違えたのかもしれない。


 それを一つずつ確かめていく。


「オルドさん」


「なんだ」


「昨日より地図師っぽくなった?」


「なってない」


「少しくらいは?」


「縄を持つのが昨日よりましになった」


「それだけ?」


「大きな進歩だ」


「絶対ばかにしてる」


「してない」


 たぶんしている。


 でも、不思議と嫌ではなかった。


 昨日までは、オルドの言うことは難しいものばかりだった。


 今日は少しだけ、自分で分かることが増えた。


 一度見ただけで決めない。


 一度測っただけで決めない。


 一つの地図だけで決めない。


 同じ場所を何度も見る。


 それでも分からないなら、分からないと残す。


 地図を作るという仕事が、少しずつ見えてきた気がした。



     ◇



 その夜、本当に雨が降った。


 夕食を食べているころから屋根を細かくたたき始め、夜にはかなり強くなっていた。


「オルドさん、本当に分かってたんだ」


 俺が窓の外を見ると、父が笑う。


「旅をしてれば、天気も読むようになるんだろう」


「俺も覚えたい」


「まずは明日、家から出ないことを覚えろ」


「分かってる」


 雨の向こうには、古道がある。


 ネルカ村へ続いていたはずの道。


 明日、オルドは一人でそこへ行くと言っていた。


 何を見つけるのだろう。


 気になった。


 でも、行かない。


 今の自分には危ない。


 それを認めることも、たぶん大事なのだと思う。


 俺は今日の地図を机に広げた。


 何度も測った数字の中から、オルドと相談して決めた値を別の紙へ書き直す。


 その横には、小さく測った回数も残した。


 五回。


 同じ場所を五回測った。


 前の俺なら、一回で十分だと思っていた。


 紙の上の線は昨日とほとんど変わらない。


 でも、その一本が昨日よりずっと重く見えた。


 俺は少し考えてから、地図のすみに言葉を書き足した。


 ――一度だけで決めない。


 いつか忘れてしまわないように。


 その夜、雨の音を聞きながら、俺は何度もその言葉を見ていた。

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