18 Kiss of Death
一階へと続く階段は薄暗く、より一層アキを恐慌状態へと導いた。
必死に繰り出す脚は自分の気持ちに追いつかず、また身を引き寄せるように手摺に差し出す手の感覚は鈍い。
まるで悪夢の中で溺れているような錯覚さえする。
それでもアキは階段を登る。
やがてぼんやりとした光の筋がアキを誘い、薄明かりの中へ飛び込む。
──いない。ジーンも、サンドラも。
痛むこめかみから意識を離し、耳を澄ませる。
左手のコーナーから順にゆっくりと探る。歩みを進めながら。
部屋の中央に差し掛かった時、右手一番奥の戸棚の向こうに人の気配を感じた。
「⋯⋯たんでしょう? そうあたしに言ったじゃない」
──サンドラ。
「今日のあんたは一体何? あんなのおかしいわ!」
アキは戸棚に向かって歩みを進めた。
『プレジデントルーム』、扉があった。
迷いなくドアを開く。
「死に憧れてるんでしょう? ⋯⋯ディーと同じになりたいのよね?」
幽鬼のように蒼白なサンドラがそこにいた。
いつもの彼女からは不似合いな、ふわりとした白いワンピースドレス。
何故か両手を不自然な程に長い袖の中に隠している。
透き通るような銀の髪は顔に貼りつき、焦燥の度合いをより濃くしていた。
ジーンの目はまっすぐにサンドラを捉え、アキがそこに踏み入った事に気づいていない。
サンドラがゆらり、と動く。
ジーンが身体をこわばらせ、息をのむ。
にたり、とサンドラの唇が弧を描く。
「自分で死ねないんだった、あたしが殺してあげる」
「やめろ!! サンドラ!」
アキは叫ぶ。
その声でジーンは初めてアキがいる事に気づく。反射的に顔をアキに向けた。
刹那、サンドラはジーンに向けて身を躍らせた。
「ジーン!」
アキは手を伸ばすがすでに遅く、サンドラは全体重を乗せてジーンへ迫った。
ジーンは書棚に身体を打ち付けられ、痛みに顔を歪める。
覆いかぶさるサンドラを突き放そうとするが、サンドラをほんの少し遠ざけただけだった。
サンドラはふらつきながら後ろに下がり、ジーンを見る。
長い銀の髪が顔を覆い、アキからは表情が窺い知れない。
「ふ、ふふ。どう? これで同じね⋯⋯?」
アキはジーンへと視線を移す。ジーンの痛みの所以を知った。
ジーンのシャツにジワジワと血が広がっている。
ジーンはそろそろと右手を動かしそれに触れ、アキに目をやり唇を震わせたが、苦痛に耐えきれず体勢を崩した。
アキはその場で立ち尽くしたまま少しも動けず、ジーンが崩れ落ちる様を見ていた。
それは酷くゆっくりと映った。時間が引き延ばされたかのように。
ジーンの体が床に沈みきった時、カラン、とサンドラの足元で音がした。
血のついたナイフが鈍く光る。
サンドラはヒールの音を響かせジーンに歩み寄り、細い指先でジーンの髪を掬い取る。
ぐったりと瞼を閉じたジーンの頬に血で濡れた手を這わせ──、接吻した。
唇を離し、恍惚とした微笑みを浮かべ囁く。
「ああ、愛しいジーン」
アキは引き歪む顔に震える手を添え、慟哭した。
一切の音が消え、目の前が黒く染まった。
真の暗闇の中の階段をアキは登る。
音も匂いもないが、床を踏みしめる脚と手すりに添えた手の感触はある。
ただひたすらに手足を動かし、左右にグネグネと曲がる階段を上へ上へと向かっている。
何故そうしているか分からない。
しかしアキはよどみない足取りで階段を登り続ける。
どれほど歩みを進めても、一条の光さえ見えない。
いつまでこうして登り続けなければならないのだろう?
「自分を見つけるまで」
聞き覚えのある声が言う。
歩みを止め左右を見回す。だが、アキに見えるのは幾重にも重なりあう闇だけだった。
「僕はここだよ」
後方から響く。アキはゆっくりと、ぎこちなく振り返る。
声の主はアキの何段か下方で青白い光の中に佇んでいた。光のせいか顔に血の気がない。
アキはその人物をよく知っているはずなのに、まるで思い出せない。
いや、そうではない。
自分がいつも思い出す彼とまったくの正反対で信じる事が出来ないのだ。
彼はいつも華やかに微笑んでいる筈だ。なのに今は違う。
陰鬱な面持ちでそこにいる。
「京也?」
彼は微笑んだ。暗然なままで。
アキは彼に近付こうと階段を下りようとした。
だが、彼は手を挙げてそれを拒んだ。
彼は挙げた指を折り、アキの後方を示す。
それに呼応し振り返ると、柔らかな光に包まれすべてが消え去った。
タイトル回収。
貧血ってやつは我慢するより、いっそぶっ倒れてしまった方が目覚めた後爽快。
どこにどう転倒するかわからないので、お勧めしませんが。




