5.猫の気分と昏睡
咲の家に行くと見知らぬ新しいバッグが目についた。
俺の買ってやったやつとは違う。
バッグは一つあればいいと思うのだが気分で変えたいとは、気まぐれ加減が猫である。
「じゃあ、美味い酒を出してやるから飲みに来いよ。」
最近、全然俺の誘いに乗らないので半ば強制的にご飯に誘った。
でもそれが間違いだった。俺は咲が最近ご飯を断る理由を正しく理解していなかった。
俺のうちに行こうと外に出るとカレンが咲を背中から刺した。
まさかカレンがそんなことをするなんて思わなかった。
そして動揺して背中のナイフを抜いたのがさらに事態を悪化させた。
咲は俺の腕の中で意識を失った。
病院に運ぶと、対処の悪さを叱られ付き添うことも許されなかった。
それでも気になって何度も昼間に病院に行った。
背中の傷ならすぐに治るだろうと思っていたのに一向に目覚めなかった。
療法士のリノ曰く、この昏睡は傷のせいだけではないとのことだった。
他に何があるんだ。カレンは刺す以外に咲に何かしたのか。
仕事は全く手につかないのに、締め切りだけはやってくる。
工房長のルサーイだけではなく、他の奴らも俺を気遣っているのが分かる。
気まずくて原料管理を手伝おうとすると、その需要と数の多さが複雑で何もできなかった。
材料がいつでも使えるのは、常に誰かが管理してくれていたんだと改めて知った。
「ここは私がやるのでアンセさんは、製作に専念してください。作品楽しみにしてます!」
名前も知らない奴がやってきて、俺を激励する。
「原料の管理ありがとうな。結構大変なんだな。」
相手はびっくりして目を見開いて俺を見る。なんか変なことを言ったか?
俺は再び自分の作品と向かい合う気力がなくて早めに昼ご飯に出かける。
ついでに咲のところに寄ろうとすると、病院から博士とグネルが出てくるのが見える。
アイツら何もしてないよな…
急いで咲の部屋に入ると、まずは咲の無事を確認する。大丈夫そうなので今度は入念に部屋を点検する。
「何しているんですか。」
ベッドの奥を確認しているところにリノがやってきた。
「何もないか、確認を…」
不審者を見るような痛い視線を感じる。夢中で気が付かなかったが、咲に覆い被さるような体勢になっていた。
「いや、本当に…」
誤解されていると気がついたがどうにもならない。
こういう時は言い訳しないに限る。
「…確かに先ほどの二人は咲さんを心配すると言うよりは、偵察に来たような感じでしたけど。」
まだ疑いの視線を感じるがじっと耐える。
「奴ら何かしてませんでしたか?」
「気になって様子を見ていましたが、咲さんに何かした様子はありませんでしたよ。」
そうですか、良かった…
咲は穏やかに眠っているように見える。
力の入らない咲の手をそっと握る。
「早く目覚めてくれよ…」
長めのお昼休みを終えると仕事に戻る。いつの間にか風電話に博士から連絡が来ていた。
会いたくないが、今日のことも含めて話しておく必要があるだろう。
翌日の昼に再び病院に行くと博士はすでに来ていた。
「今回はいつもと違い、仕事を放棄しているように見えるが。事と次第によっては代理を立てようと思う。」
鋭い視線で俺を睨んでくる。ここで担当交代は困る。
「次の手も打ちますので。」
「では良い知らせを期待しているよ。咲くんは有望だと思うのだよ、かつての君のように。」
嫌な笑いを浮かべて博士は部屋を去っていく。
博士は勘がいい。何とかして誤魔化さないと咲が俺の二の舞になる。
咲の頬を撫でるとそっと部屋を出た。
家に帰ると忘れずに咲の家の時計草とブリースに水をやる。俺が咲にしてあげられるのはそれくらいだ。そして一人静かな夕飯を食べる。
そんな毎日を繰り返した。
数日後、樹に呼び出された。
「あら、早かったわね。カレンのことでお話があります。何か咲から聞いていませんか?」
「いや…カレンがその…勘違いをして…咲と俺がその…関係あるんじゃないかってそれで…」
「シャキッとしなさい。咲がカレンに逆恨みされて刺されたと言うことですね。大体、あなたの態度が萎えきらないから…」
「俺ですか?別にどちらにも何も…」
樹は何を言い出すんだ。
俺にとってカレンも咲もどちらも特別ではない。
今はただ咲に罪悪感を抱いているから少し違うだけだ。
「対処は咲が目覚めて話を聞いてからになりますが、おそらくカレンは拘束することになるでしょうね。天界始まって以来の大問題ですよ…少なくとも私がいた数百年では初めてです。全く…」
そんなことを言われてもカレンを管理するなんてできなかった。もうだいぶ長い間会話をしていない。
「それから、拘束するのはカレンの自宅になります。他の場所だと色々と面倒なので。」
「ちょっと待ってください。それじゃあ、咲はこれから毎日カレンがいるカレンの家を目の当たりにするんですか。それは酷い仕打ちではないですか。咲は何も悪くないのに。」
「そうですね。でも他にどうしろと言うんです。今は空き家もないのでそのために場所を作り家を建てるのは効率的ではありません。それに他の人を巻き込むことになります。」
それはそうだが…
「あなたが責任を持って咲を守れば良いでしょう。」
はあ…
守るってどうしたらいいんだ。今までだって守ってきたつもりだった。でも事件が起きた。
「咲が来た時に、咲を守ると言いましたよね。その言葉に偽りはないですね。」
その言葉に、気持ちに偽りはないが…できなかった。
「自分で選んだ道でしょう。最後までやり通しなさい。そうそう、毎日お見舞いに行っているようですが、仕事もちゃんとやりなさいね。昼休憩がとても長くて、帰りも早いとか。苦情が出ない程度で抑えなさいね。」
樹は怒った口調なのに、顔はニヤニヤしている。
ルサーイのやつめ、密告したな。
上手く利用されているのは分かるが、樹が言っていることは真っ当で太刀打ちできない。
咲が目覚めたのは倒れてから十日以上経ってからだった。
目覚めた咲は、泣いていた。弱々しい咲を初めて見て、なんて言ったらいいのか分からなくて、適当な言葉で取り繕う。
咲は、言葉も出ない、体も動かない状態でも明日からの生活を考えている。ここは地上ではないからそんなに心配しなくてもどうにかなるのに。
少しでも生きる力になるように、後で咲のジュースを大々的に宣伝してやろうと思う。
退院の日、樹に呼び出されていたので二人で樹の館に寄っていく。
俺が想像してたよりもずっと怖い思いを咲にさせていたことを初めて知った。
微かな物音に咲が反応して俺の腕をぎゅっと握る。
涙の意味がようやく分かった。
ストーカーがカレンだったとは。
目が曇ってグネルばかり気にしていた。
カレンが男なら何発か殴っているところだ。
それにしても咲も咲だ。
話してくれれば俺が何とかしたのに。
帰り際、何度も言い聞かせるが明らかに聞いていない。
今組んでいる腕をずっとそのままにしておきたい。そうすればいつでも咲を守れる。
…いやいや、それではカレンのストーカーと変わらない。思考がおかしくなってきたので、咲の手を離す。
今日は一日休みなので残りの時間は家で製作することにした。久しぶりに作業に熱中していると気持ちが整理されてくる。
体が痛くなってきたので、少し動かそうと外に出てギョッとした。
咲がカレンに襲い掛かろうとしていた。
樹が止めようとしているが、事態は悪化している。駆けつけると咲の暴走を止めるために抱きしめる。
小さくて華奢な体なのにカレンに向かう力は強い。
咲が加害者にならないように、力を込めて抱きしめる。後で冷静になったときに、カレンや他の誰かを傷つけていたら、咲はきっと後悔する。
咲はシャドーと葛藤している最中にも、俺の心配をしている。
まずは自分を大切にしろと言いたい。
ようやくシャドーが落ち着くと、咲は力が抜けたのか足元から崩れ落ちそうになったので、そのまま担ぎ上げて俺の家まで運ぶ。
良かった、咲が誰も傷つけないで済んだ。
「とりあえず、ご飯を食べていけよ。」




