七十五冊目『「抗日」中国の起源』
「府雨の読書日記」七十五冊目『「抗日」中国の起源』
『「抗日」中国の起源』
著 武藤秀太郎
友達と行く北京まであと二日。
五四運動の日に、中国人民抗日戦争記念館に行く予定。
流石に勉強していくか、と思い、神保町の内山書店で買いました。
平易な文章で読みやすく、難解な峠もあまりありませんでした。
ずっと友達に並走してもらう散歩道のように、気づいたら読了。
ハードルが低いので、電車でも、ベッドでも、図書館でも気軽に開ける良書です。
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政府と人民の関係を問い直す上で、五四運動は避けては通れない。
政府が間違ったことをしている、外国(日本)に売国しているという感覚は、愛国的な知識人には許せないことでしょう。
僕も高等教育を受けたものとして、政府の非理想的な振る舞いには声を上げたくなる。こともあります。
ただ、政府というのは、その中で政治を動かす人も「人」ですし、国家間の関係というのは、一つの空想でもあるわけです。
今、中国が日本に相対しているのと、五四運動の潮流は、本書によれば少し異なるみたいです。
五四運動は売国的な政治家を弾劾する運動ですが、日本に対してのデモではなかった。
日貨排斥と呼ばれる運動に発展していく前に、人民と国家の関係を問い直す、エポックメイキングなムーブメントでした。
政治家は、国家のために何ができるのか。
親日的であるというのが売国的になり、平和主義というのが宥和的とされる。
僕はそれが許せない。
政治の強硬な姿勢は国民を安心させる。鼓舞する。奮い立たせる。それでいいのか。
平和を嫌い、強権的に臨み、そして国益を守るという言葉を以て、外国人を排斥する。
五四運動を考える上で、政治と人民(国民)は、愛国というキーワードで結ばれています。
もちろん、政府の人間が私利私欲を貪っていたら、愛国者は怒ります。憤って然るべきです。
でも、国難にあって政府を糾弾するだけで、一体何が変わるのか。
そこで五四運動なんです。
五四運動を受けて、ドイツの山東省の権益を日本に譲り渡すヴェルサイユ条約の調印を、中国の代表団は調印拒否した。
人民のもとにおりていなかった政治への参加権を、北京の学生は作り出した。
それまで皇帝なり大総統なりが率いていた中に、ボトムアップの兆しが見られた。
兆しというか、それこそが、政治の双方向性であると思います。
外圧をどう捉えるか。
示威行為に対してどのように対応するか。
それを少数の特権階級が決めるのではなく、人民(国民)が、責任の一部を担って政治に参加して決めていく。
それは「変えていく」とは少し違う気もするのですが、人民の間でも意見を持ち、想像力を使って、自分で納得することは、必要だと思います。
納得できないことをデモで変えるというのは、僕はやりませんが、その政治的な潮流は、確かに歴史に刻まれました。
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北京。三回目です。
中国には中学生の時、大学生の時に行きました。
今回故宮には予約するのを忘れて、いけないみたいですけど、とりあえず僕の目的は本屋なので、本をたくさん買えれば、それでいいかな。
北京大学とかも行きます。
たぶん北京ダックも食べます。
中国人の友達に中国の食べログを指南され、昨日は文学部同士、難しい職業生活について「日本語で」チャットしていました。
大江健三郎を研究していた。
顔はもう全然思い出せないのですが、我々はもう三十歳で、最初に会った時から十年経っている、らしいです。
僕は彼女から「中国人は決して日本人にはならない」というアイデンティティの話をされました。
そうかな。アイデンティティというのは、そんなに強固なものかな。
そう思いつつ、ワークショップをやったことを、おぼろげに覚えています。
なんかすごく可愛かったような気がするけど、あの時はぼんやりしていたから、写真の一つも撮ればよかったと今更ながらに後悔します。
まあ、奇遇があるかもしれません。それに期待しましょう。




