第2話 アルフレッド12歳出会う⑥
「俺は言うぜ。言っちまうぜ」
「だから……」
アルの催促を遮って、オルビーが吠えた。
アルはギョッとして後ずさった。
「カーラッドなんだよう。お前の父親はカーラッド本人なんだよう」
とても大きな声で叫んだ。
「カーラッドなんだよう」
アルはショックで目を白黒させた。
内容よりも突然のオルビーの叫びに驚いたのである。
オルビーは思いっきり叫んでスッキリしていた。晴れ晴れとした顔で伸びをしている。
「いやあ、なんか、気分いいな」
「カーラッド? 父さんが?」
ようやくアルの頭に先ほどの叫びの内容が入ってきた。
さっぱり意味がわからなかった。
「どういう意味?」
「どういうもこういうもあるか。そのまんまの意味だ。カーラッドは本名じゃない。カルロスが本名。時計に入っている『カーラッド・マーク』。お前さんが書きだした逸話の数々。死んだ場所もときも同じ。こりゃあ、同一人物だろう。どう考えても。すげえぞ、カーラッドの息子がうちの店に入っちまったぞ。どうすんだ、俺は」
興奮しているオルビーとは対照的に、アルは冷めた顔をしている。
「そんなわけないだろ」
「じゃあよ、じゃあよ。年齢を言ってやるぜ。カルロスは35歳で亡くなった。違うか?」
「そんなことくらい……」
アルに最後まで言わせずにオルビーが言った。
「まだまだ行くぜ。俺はカーラッドが大好きだからなあ。いろいろ知ってるんだ。リンゴが苦手だってこともな。あと、ネズミも苦手なはずだ。好きな食べ物はトマトジュースとハチミツをかけたチーズ。好きな色は黒。ズボンのポケットに手をいれる癖があって、それでいろいろ失敗している。髪は茶色っぽい金髪。瞳は薄い青。武器は剣、弓、短剣。どれも超一流の腕前だ。生まれはサンストン王国。おまけに姉は……」
「わかったよ。わかった」
アルは降参した。
自分の記憶している父とあまりにも一致している。
頭の中が混乱して、わけがわからないことになっている。
「本当に父さんがカーラッド……。あの有名な?」
「『不死身のカーラッド』だ。間違いなく1番有名な冒険者」
オルビーが芝居がかかったポーズでアルに向けて手を広げた。
「アルフレッド、君はその息子なのだ」
「なんで、カーラッドが嫌いだなんて言ったんだろ。父さんも、母さんも」
「そりゃあ、秘密にするためだろ」
「だから、なんで秘密にするのさ」
アルは怒鳴った。
「息子なのに」
「息子だからだろうが」
オルビーが真面目な顔をして言った。
「俺は結婚もしてねえし、子供もいねえから、よくわかんねえけどよ。つまり、いいことねえと思ったんじゃねえの。有名人の息子だって知ることが。ちょっと考えてみろよ。カーラッドの息子だったら、ちやほやされたり、期待されたり、親と比べられたり、そういうことがあると思わねえか」
アルは目を閉じて、想像してみた。
もし、自分が物心ついてからカーラッドの息子だと言われ続けたとしたら。
きっと、なにか良いことをしたら、さすがカーラッドの息子と言われるだろう。
逆に悪いことをしたら、カーラッドの息子の癖にと言われることだろう。
アダ名なんかはカーラッド・ジュニアに決定。
考えていたら、どんどん気が重くなってきた。
「本当だ。つらいかも」
「そうだろ。もちろん、ずっと秘密にするつもりはなかったと思うぜ。どっか、機をみて話すつもりだったんだろう。まあ、俺が今、話しちまったんだどな」
言ってオルビーは笑った。
アルはまだ実感がわかなかった。自分の父親と有名冒険者カーラッドがまるで結びつかない。
「まあ、なんだ、いきなり受け入れろったって無理な話だ。時間をかけて受け入れていけばいいんじゃねえの」
「そうだね」
アルの胸中はなんだかいろいろと複雑だった。
ただ、1つだけはっきりした想いがある。
父が人々に認められていたことがたまらなく、うれしい。
入り口のドアがカランカランと鳴った。上にベルが取り付けてあり、開くと音を出すようになっているのだ。
赤毛の少女だった。
艶があって癖のない鮮やかな赤毛を揺らしてやってくる。
腕のところが膨らんだ薄桃色の長袖のワンピース。
腰には可愛らしいポーチをしている。
「オルビー、お腹すいた。なんかない?」
「おっ、来た来た」
オルビーが、うれしそうに言った。
少女はアルに親しげな笑みを向けた。
「荷物、返してもらった?」
アルはオルビーを見た。
オルビーは頼もしそうな顔で笑った。
「返してくれるのかい?」
「返すとも。当たり前じゃないか。いたいけな少年から親の形見やらなんやらをぶんどっちまうほど、俺はひどい男じゃないぜ」
「良かったね」
少女が言ってアルに期待のまなざしを向けた。
「なんか奢ってくれるよね」
少女の図々しい頼みもアルは気にならなかった。
荷物が返ってくるなら、もうちょと奢ってもいいかという心境に、なぜだかなってしまっている。
「だが、無条件で返すつもりはねえ」
「1500ジットなんて払えないからね」
「そうじゃねえ。うちに登録して専属冒険者として働くこと。それが条件だ」
「あっ、それならお昼も奢ってもらっても、いいよね」
少女がすかさず言った。
どんな条件がくるかと構えていたアルは、そんなことでいいのか、と拍子抜けした。
どうせどこかの冒険斡旋屋に登録するつもりだったので、『太陽の剣』に登録しても問題はない。
元来、アルフレッドという少年はまじめで地道な性格なので、こういったことには慎重になる。
このような流れでなければ、クラングランにある3店を比較して、熟考の末に決めていただろう。
ただ、アルは流されやすいところがあった。おまけに、このときは父のことで興奮状態にあった。
「わかったよ。俺、ここの冒険者になる」
「よし」
オルビーがグッと右手を握った。
「よし」
アルの二の腕をつかんだ。
「よし」
アルを引っ張ってカウンターへ行く。
契約書をカウンターに置くと、アルにペンを握らせた。
「さあ、サラッと書いちまえ。そうしたら、隣の店で遅めの朝食といこうじゃねえか。これでうちも3人だ」
用紙に名前を書きかけたアルは、手を止めた。
「3人? 今、2人しかいないの?」
アルはオルビーを見て、それから少女を振り返った。
少女はなにか食べるものはないかと、棚を物色している。
「おい、おい、おい、おい」
オルビーがアルの両肩をバンバンと叩いた。
「それって重要なことか? そうじゃないよな。今、重要なことはここにきちんとサインすること、そうだよな。人数? そんことはまるっきりどうでもいことだ。うん、どうでもいいことだよな」
しかし、アルはペンを離した。
「あんたとあの子だけしかいないの?」
「馬鹿、違うよ、馬鹿」
オルビーがこんなにおもしろいことはないと言わんばかりに満面の笑顔を浮かべて手を振った。
「俺は店主。ほかにもう1人ちゃんといるんだよ。魔法使いがな。ほら、まずはペンを持とうぜ。お前の前に置いてあるのはなんだ? 紙だ。ペンを持たないでどうしようってんだ」
疑いのまなざしを向けるアル。
オルビーが視線を外し、寂しげな顔になった。声の調子を落として言った。
「あいつだったら、どうするかな。カーラッドだったら。紙があって、ペンがあって、あとはサインを書くだけ。書くんじゃないかな、カーラッドなら」
そうかもしれない、とアルは思った。
父さんなら、紙があってペンがあれば名前を書くかもしれない。
カーラッドという名前でアルの思考は再び止まってしまった。
書いた。
オルビーが両手の拳を握って、よし、と言った。
それから、用紙をかっさらうと、カウンターの下に隠してしまった。
「これでお前さんもうちの冒険者だ。通名はカーラッド・ジュニアに決定だぜ」
「嫌だよ、そんなの」
そこへ再び、ドアが開いた。
アルより2、3歳、年下と思われる少女と老人が入ってきた。
2人とも服の上からマントを着て、頭につばの広いとんがり帽子をかぶっている。
少女の帽子とマントは黒。
ついでにその下に着ている、裾と袖があまりまくったワンピースも黒。
一方、老人の方は薄汚れているが帽子もマントもその下のスモッグも白である。
2人とも互いに握り合った手とは反対の手で長い杖を持っていた。
「おはようございます」
少女は言うと頭を深く下げた。
帽子が滑り落ちた。
少女は機械的な動作で帽子を拾い、頭に乗せると、老人の手を引いて、テーブルのところにやってきた。
「さあ、大じいさま」
椅子を引くと、うつろな目をした老人が座った。
少女は邪悪としかいいようのない不敵な笑みを浮かべて、オルビー、赤毛の少女、アルの順に視線を動かして言った。
「よろしくお願いします」
抑揚のない声で言って、また頭を下げた。
帽子がずり落ちて、それをまた拾う。
少女は店を出ていった。
「ひょっとして」
アルはテーブル席でポカンと口を開いて天井をながめている老人を見た。
「さっき言ってた魔法使い?」
「マグ爺だ。ボケちゃいるが魔法の腕はすごいぞ。ボケてるけどな」
オルビーが言って楽しげに笑った。
「日がな一日、そこでぼんやりしているか、ブツブツ言ってる。ときどき、うなったり、泣いたり、叫んだりするが気にするな」
「ねえ、ご飯はどうなったの? あたしはお腹が空いてるんだってば」
少女が言った。
「この辺の物、なんか食べちゃうぞ」
瓶に入った緑色の軟膏のようなものを振っている。
「食べたきゃ食べてもいいぞ。どうなっても知らねえけどな」
オルビーが言った。
「なんなのこれ?」
「さあなあ、忘れちまった」
オルビーと少女が笑った。
2人の笑い声を聞きながら、アルは早まってしまったと痛切に感じた。
こんな適当そうな斡旋屋に所属してやっていけるのだろうか?
またドアベルが鳴った。
入ってきたのはヒョロっとした青年と影の薄い感じのする女性だった。
青年は丈の長いジャケットにベストにズボン。首には白い布をぐるぐる巻きにし、頭には山高帽をかぶっている。
青白い顔をしているが、そばかすのまわりだけが赤い。
女性はレースのフリルがふんだんに使われた白いワンピースを着ている。
頭にはつばの広い白い帽子を斜めにかぶっている。
金髪がやたらとクルクル巻いている。
「ねえ、魔物退治を頼みたいんだけど」
青年が言った。
振り返って女性を見る。
「そうだよね、ケリー」
「ええ、マイケル」
視線を合わせて、2人は微笑みあった。
「愛してるよ」
「私もよ」
2人は距離をつめ、そして抱き合った。
顔を近づける。
長い口づけをかわした。
アルは唖然としてそれを見ていた。
なぜ、、入ってきた早々そんなことをしているのか、わけがわからない。
都会ではこういうものなのだろうか。
「なあ、なんでこいつらキスしてんだ?」
オルビーがアルにささやいた。
「そういう流れだったか?」
「お腹すいてるのかな?」
赤毛の少女が自分の唇に触れて言った。
マイケルとケリーがようやく体を放して、カウンターの方にやってきた。
「だから、魔物を退治してもらいたいんだよ」
マイケルが言った。
「新婚旅行から戻ったら、家の中に魔物がいたんだ。早くどうにかしてくれ」
そしてマイケルはケリーを振り返った。
「そうだよね、ケリー」
「ええ、そのとおりだわ、マイケル」
2人はまた微笑み合い、体を近づけていった。
オルビーが大きな咳をした。
「どんな魔物かおぼえてますかね?」
しかしマイケルもケリーもそんな言葉など耳に入らなかったらしく、ひしっと抱き合い、また口づけをした。
「アル、本棚から『魔物図鑑1』を取ってくれ」
オルビーが言った。
アルは言われたとおり取ってきた。
カウンターに置く。
少女は不思議そうに口づけをかわす男女を眺めている。
「ねえ、なんでそんなことしてるの? ねえ」
そして図鑑をパラパラとめくっているオルビーに目を向けた。
「大人って、こういうこと好きだよね。なんで?」
「そりゃあ、お前、愛しあう男女にとって互いの唇の味はとろけるように甘く、美味しいからさ」
「へえ。そうなんだ」
少女が言ってオルビーの唇を見て、アルの唇を見て、最後に自分の口の中に指を突っ込んだ。
「へえ」
アルも、そういうものなんだ、と納得した。
甘くて美味しいなら口づけしないと損なくらいだ。
「だが、注意しろよ。好きでもない相手の唇はうまくもなんともないからな。むしろ、時間が経てば経つほど苦くまずく感じられるもんだ」
そしてオルビーは髭をこするように人差し指を当てて、「俺って詩人だな」とつぶやいた。
男女が体を離した。
オルビーが再びどんな魔物か聞くと、マイケルは首を右に左にかしげた。
「背が低くて、頭が大きくて。角が生えてたかな」
マイケルはオルビーが開いた図鑑の絵を見て、何度も頷いた。
「そう、そう、これ、こんな感じ」
そしてマイケルは例によって振り返った。
「そうだよね、ケリー」
ところが今回はケリーの反応が違った。
「知らないわよ。私見てないもの」
ちょっとツンとして言った。
「ごめんよ、ケリー。僕を許しておくれ」
マイケルがおろおろとして言った。
「くそっ、僕はなんてダメなやつなんだ」
大げさに頭を抱える。
ケリーが口元に手を当ててクスクスと笑った。
「お馬鹿さんね。冗談よ。あなたの困った顔が見たくてちょっといじわるを言ってみただけ」
「なんという小悪魔。そして僕はそんな君に首ったけだ」
アルはもう、なにがなんだかわけがわからなかった。
この人たちは演劇か何かの練習をしているのだろうか。
「フラゴブリン。1星。数はまあ、10体程度だろ」
オルビーが依頼人をすっかり無視して用紙に次々と記入して言った。
「アル、フラゴブリンと戦ったことは?」
「あるよ。あいつら、いろんなところにいるからね。でも、こんな街中にも出るなんて思わなかったよ」
「1星じゃ、破魔結界も太陽もあんまり関係ないからなあ。まあ、仕事としちゃあ、美味しいし、連中の繁殖力もありがたいくらいだけどな。2人でちょっと行ってきてくれ。帰ったら、うまいもん食わせてやるからよ」
さっそくの仕事にアルはこの斡旋屋が、うさんくさいことなど忘れてしまった。
村にいた頃は、フラゴブリンなど1ヵ月に1回は退治していたはずなのに、胸がドキドキとする。
「お腹すいたって言ってるじゃないの」
いきなり少女が金切り声を出した。
「仕事はなにか食べてからだあ」
「仕方ねえなあ」
オルビーは言うとカウンターの下にもぐった。
いったいカウンターの下はどうなっているんだろう、とアルは気になった。
オルビーが瓶を持って下から出てきた。
瓶には透明な液体が入っており、中には、なにか白くてヌメヌメとしたトカゲのような生き物が、浮いている。
「これでいいか?」
「なあに、これ?」
少女がオルビーが持っている瓶に額をつけて、中を覗いた。
「食べれるの?」
「名前は忘れたが、便秘だか、頭痛だか、湿疹だか、腰痛だかなんだかに効くらしいぞ。まあ、薬の一種だな。つまり食べれなくはないってわけだ」
「じゃあ、食べる」
少女はオルビーから瓶を奪い取ると、さっそく金属の蓋を開けた。
すっぱい臭いが広がった。
すっぱい臭いは抱擁していたマイケル&ケリーにも届いたらしく、2人は迷惑そうな顔で少女を見た。
そして、少女が白いトカゲを瓶から出して、かぶりついたのを見て、悲鳴をあげた。
「食べた、食べたぞ。ケリー、おおケリー。あんなものを食べるなんて、信じられない」「ああ、マイケル、ああ、マイケル。私、あんなものを食べるくらいなら、死んだ方がましよ」
「大丈夫、僕がついているよ。君に決してあんなものを食べさせるものか」
「ああ、なんて頼もしい人」
少女はそんなことは気にせずに、トカゲをハムハムと食べている。
少女の口からトカゲの半身がだらんと垂れ下がっているのはシュールな光景である。
「7、8年前に依頼料代わりにもらったもんだ。捨てるのももったいないからって、とっておいたんだが、思わぬ役にたったぜ」
それからオルビーは思い出したように手を叩いた。
「そうだ、美容薬だった。肌が綺麗になるだか、シミがとれるだか、シワがなくなるだか、そんなだったな」
ケリーの目が鋭く光った。
それまで涙ながらに見つめ合っていたマイケルから顔を勢い良くそらして、少女を見る。
ちょうど、尻尾の先が少女の口に滑り込んでいくところで、ケリーが、ああ、と悔しそうな声をもらした。
「すっぱかった」
少女が言った。