奇跡の始まりです
立見商店街は、試合の翌日もいつもと変わらない。つまり、閑散としている。
池田洋品店はいつもと少し違っている。
武史は2日酔いでダウン。淳史はいつもと変わらずクリーニングの配達。ということで、祭日でもあるし、ユイが引き受けている。
お客もめったに来ないし、ユイは漫画を手にレジ前の椅子に腰かけていた。
とその時、当然鳴り出した音に、体がピクリと反応した。
暇とはいえ、漫画はまずいよね。
そんなことを思いながら、鳴り続けている電話を手にした。
「はい! 池田洋品店です」
ちょっとした後ろめたさもあったので、声はより元気に。
元気すぎて、相手は引いてしまったのか、間があき、何やら口ごもった声が、
『すいませんが、ハッピはそちらに売っていますか?』
ユイより少し上。中学生か、それとも高校生といった感じだ。
「ハッピならありますが、どういったものですか?」
この辺りはいろんな祭りも多くあるので、祭りハッピも扱っている。とはいっても、注文がほとんどなので、細かい話になると、ユイとしては困ってしまう。
一応、内容を聞いてみて、掛け直すことになるかもしれない。
レジ台にあるメモを手元に引き寄せた。
『えーっと、テレビでやっていたボクシングで着ていたやつなんですが……』
「昨日のテレビでやっていたボクシングですか?」
『そう。あれで試合の後、チャンピオンになった人たちが着ていた〝青いハッピ〟なんですが……』
その言葉にユイは思わず後ろを振り返り、壁に飾られているものに目を止めた。2枚の表と裏のハッピがそこにある。
『あのう……』
受話器から探るような遠慮がちの声が聞えくる。
思わず黙りこんでしまっていた自分に気付く。
「えーっと、テレビのですよね。となると……」
『青くて長めで後ろに〝立見魂〟っていうのです』
ユイは受話器を耳にあてたまま、壁を見つめてしまう。立見魂が見つめ返してくる。
『立見ってあったので、もしかしたら、そちらの商店街の洋服屋なら、あるのかな、って思ったんですが……』
「えっ、あっ、あります! けど、何であんなのがいいんですか?」
自分で言うのもなんだが、古臭いし、カッコ悪い。小学生の私だって、応援の時以外は絶対に着ない。
ユイは強くそう思う。
なんてたって、あれは――ユイが思っていることが受話器から聞こえてきた。
『何でって……ダサすぎることかな』
「ですよね。ほんとダサすぎますよね」
納得の声を上げてしまう。
『笑っちゃうぐらいダサいけど、でも、何だかカッコよかった。あの人たちが何かカッコよかった』
どこか楽しそうな声と言葉に、ユイは大きくうなずいた。見つめる立見魂がくもってきている。
『それに胸のところにあった、ガリガリの体に大きい頭でサングラス掛けている〝くまさん〟のデザインがかわいくて』
なっちゃんのくろ、くろ、くまさんだ。違うか。なっちゃんが新たに名付けた【タッツミー】だ。
奈津子がデザインしたタッツミーのワッペンがどこか誇らし気に見える。
「ありがとうございます」
声が自然と弾む。
ダサいなんていって、ごめんね。
そこに聞き慣れた音が届いてきた。すぐに店前に止まる原付バイクが目に映った。
「すいません。ほんの少しだけお待ちください」
受話器を置いて、店の外へ。
太い腕を引っ張りながら、手短に説明していく。
ユイ自身興奮しているので、上手く説明できていないが、くみ取ってはくれたようで、大きな顔がふんわり崩れて、受話器を手している。
顔の表情と大きくなっていく声で――おにちゃんの気持ちは分かる。分かるよ。
壁へと向けられた目も細くなったままだ。
送り先などメモし、最後に大きな声が、「ありがとうございました」
ユイはそこと近づいていく、両手をだした。
小気味いい音が鳴り響く。
「そうそう。【ながい】に行列ができてるぞ」
「うっそ」
ユイは店の外に飛び出していった。
―――これが始まりだった。
池田洋品店、そして立見商店街のタッツミーによる奇跡の物語はここから始まる。もちろん木下ジムでは亮たちの世界を目指した戦いと、奈津子との恋の物語も始まっている。
そして、もうひとつ。
ある週末、木下ジムに拓也と手をつなぎ、元気な少女が楽しそうにやってきた。あどけなさは残るが、この春大学生になったという少女、いや、女性は、たまたまジムに顔を出していた淳史と出会った。
そして、新たな2人の物語が始まった。




