Chapter2:仁義なき戦い〜アイドル頂上決戦〜⑥
「常識的に考えてですね」
カビ臭いビルの中、中庭との境界が曖昧な部屋の一角。埃にまみれ、足が一本足りない机の上にタオルを敷き、拳銃を置くと天姫はそう前置いた。
「素人に命を狙われた時点で殺し屋はプライドを傷つけられているんです。自分の得意分野で相手に挑まれてるんですもん。プライドを傷つけられて笑顔で許す殺し屋なんていないですよ。金と信頼が物言う世界ですから」
鼻歌交じりに、手際よく分解していく。彼女の手元には、あの可愛らしい水玉模様の化粧ポーチがあった。
「それに私、殺すと決めた相手は絶対殺すって言いましたもん」
「言ってたな」
「だから私は悪くないですよ。トベさん、さっきから蔑むような目で私を見るのやめてくださいよぉ」
僕としては蔑んだつもりはないが、かといって敬ったつもりもない。ただ、安堵した矢先に殺される羽目になった時乃を、少し可哀想だとは思った。
半べその天姫から目線を外し、部屋の端へと向ける。雑草が庭だけでは飽き足らず、亀裂の入ったリノリウム床にまで侵略してきている場所。名前も知らない小さな白い花が、部屋の中に頭を突き出していた。
内と外の境界線辺りに、死体が一つ横たわっている。頭に空いた一つ穴から沼川時乃という存在を全て流してしまったような、少女の体。言わず、動かず、応えず。それはモノと呼んでも何ら違和感がなかった。彼女の周りをぽつぽつと囲む白い花たちは棺桶に添えられるそれを思わせた。
吹き出した血やら地面に散らばったその他を可能な限りキッチンペーパーで拭き取り、二人がかりでビルの中まで死体を運んできた。入り口から丁度反対側に位置するような部屋へである。路地裏に放置したままにしておくのは、いくら人通りの無い場所だからとはいえ危険だった。
それに仮にもこの死体はつい数分前まで沼川時乃というアイドルだったのだ。人目に付けば一般人が死んでいるよりも大事になるだろうし、夢と希望の象徴たるアイドルを冷たいコンクリートに野ざらしにしておくのを僕の良心はよしとしなかった。
「音響反応手榴弾って、はったりだろ」
「もちろん。昨日から考えてたはったり隠し兵器ですよ。その方が時乃ちゃん怖がってくれるかなって」
「すぐ殺してやったらよかったのに」
横を向いた時乃の顔と目が合う。唇も瞳も肌も全てが色を失った顔は、微かに笑みをたたえているように感じた。殺されかけ、許され、そうして得た死ぬ間際の安堵だろう。
「やです。私、趣味じゃないんですああいうの」
「ああいうの?」
似たような言葉を、さっきもいっていた気がする。
「放心しきって何の反応も見せなくなった相手を殺すのって、好きじゃないんですよ。銃を突きつけても無反応な相手なんて、死体を撃つのと同じですよ。死体なんか撃って何が楽しいんですか?」
楽しいわけがない。だが、僕の考える楽しくないという感覚と、天姫の考える楽しくないという感覚にはきっと大きな隔たりがあるに違いない。
「私が好きなの恐怖のどん底に陥れて殺すか、あるいはその逆です。すなわち、喜びの最中に突然殺すか」
天姫はうっとりと語った。
「前に黒川さんから、殺しが好きで殺し屋やってる人間ばっかじゃないよ、って言われたことがあるけど、お前とか串田さんとか見てると全部嘘に思えてくるよ」
天姫の手元を見ながら僕は独り言のように言う。まだ高校も卒業してない少女は、ボールペンでもいじるようにてきぱきと拳銃を分解し、整備してのける。
「黒川さんの言ってることは間違ってないですよ」
整備し終えた拳銃を組み立て、銃口を僕に向ける。勿論弾倉にはマガジンが装填されていない。と、信じたい。
「でも好きだろ、殺すの」
「私は好きです。まあ、結果より過程なんですけどね。やっぱりどうやって殺すかが重要ですよ、さっきみたいに」
「だろうな」
「けど、本当に殺しの好きな殺し屋が少ないのは事実です。だいたいはどこにも行くあてがなくて拾われた、とか借金が返せなくてとかそういう人ばっかです。あるいはもっとカルトじみた理由とか」
「へえ」
「トベさんの知り合いに私みたいな殺し屋が多いのは、きっと黒川さんの下で働いてるからですよ。あの人は殺しの好きな殺し屋の代名詞みたいな人ですから。そういう人に集まってくるのはそういう人なんですよねぇ。類は友を呼ぶ、ってやつです」
「やっぱりそういう人なんだな、黒川さん」
大学に入ってから始まった黒川との付き合いも、一年近くになる。あの男の所業については嫌になるくらい見てきた。何故この仕事を辞めなかったのか、不思議なくらいである。初めのうちこそ毎日のように吐きまくっていたが、それも最近は屁とも思わなくなってきた。慣れとは恐ろしいもので、今では虫の死骸を見ても人の死体をみても同じようにしか感じなくなっていた。
「大丈夫ですよ。トベさんだってそのうち黒川イズムに染まりますから」
「もう染まってるかもな」
まだ腰まで表社会のぬるま湯に浸かっているように思っていたが、思い返してみればもう引き返すのが難しいところまで来ているのかもしれない。人を殺していない、ただそれだけが表社会に僕を引き止める唯一の要素だった。
この間だってそうだ。生きた女子高生の腹にナイフでマルバツゲームをやり、負けたことを本当に悔しそうに黒川は語っていた。僕には彼女の受けた苦しみを想像し哀れむ感情はなく、ただただ何を馬鹿なことをやっているんだ、と思っただけであった。
「さ、整備も終わりましたし、黒川さんに報告しに行きましょ」
「後ろから撃つなよ」
「撃ちませんよ」
向けていた銀色の銃口を下げ、天姫は微笑む。幼さと艶やかさとが混在し、そしてどこまでも無垢な笑みだ。
やれやれ、と僕は肩をすくめる。
沼川時乃の死体はそのままに、二人は廃ビルを後にした。