Chapter3:ヤクザの正しい仕留め方①
最近、警察官の汚職に関する記事が多い。
夜通しSMバーでパーティーをしただとか、居酒屋で悪酔いして一般客を殴りつけるだとか、署内のパソコンで大量にアダルトビデオを購入しただとか。収穫時期の田んぼの如く、ありとあらゆる悪事や汚職が警察署から引っこ抜かれていく。
荒んだ世の中である。
僕はレジの下に半ば潜り込むようにして新聞記事を捲っていた。だがいつものように堂々と読めばいいものの、何故そうしないのかと問われれば、それは今店内にお客がいるからである。
何度か顔を見かけたことのあるその中年女性は、カゴを片手に狭い店の中でどこに何があるのか分からず迷っているようだった。無理もない。この店はろくに棚の整理もしないし、お客の目線に合わせた気の利いた棚配置もしていない。季節の品や新商品が店の一番奥にあることも珍しくはなく、寧ろそういうおざなりな場合の方が多いのである。一年近く店員をやっている僕ですら未だどこに何があるのかを把握していない。
だが、毎回欠かさず店の隅々までをモップ掛けして回っている緑川だけは店内の陳列を完璧に把握しているようで、女性が困って彼の元へ行くとぱっと商品のある場所を示してやっている。相変わらず言葉はない。指さしだけだ。最初から最後まで付き添って教えてやればいいのに、と思うが緑川にその気はさらさら無いようだった。一つ商品を教えれば、またすぐにモップ掛けに戻ってしまう。
女性はかれこれ三十分近く店内を彷徨っている。せめてお客さんいるときは店員らしく振る舞うよう努めている僕だが、流石に何もせずにレジに笑顔で突っ立っているのにも飽きてきたので、女性がレジの死角に行った隙を見てカウンターの下に広げた新聞紙をちらちらと読み進めているのである。講義中に先生の目を忍んで漫画を読むような、そんな気分だ。
不真面目な警官が多すぎる、と一通りの記事に目を通してそう結論づけた。その結論に引き寄せられるようにして、一人の警察官の姿が脳内に浮かび上がってくる。警察官でありながら店の太客という不届き者がいる時点で、糴州螺、ひいては車市の治安は砂の造形物のように脆い。警部町の平和と人々の安全を見守る彼らには、もっと職務に邁進してもらいたいものだ、と自分を、棚の上ならぬレジ下に押しやって思う。
この町の治安の脆弱さを見せつけるように、依然として東糴州螺を震え上がらせる殺人鬼は捕まっていない。最初の事件からそろそろ二ヶ月が経過する。一体何人の女性が殺されたのか。表沙汰になっていないだけで住民の一割近くが自分の知人女性を殺された頃かも知れない。そう考えると背中が冷え冷えとした。
少々ネジの外れた気のある殺人鬼は、人をバラバラにするのが好きなようで、町の方々で見つかる死体はどれも少女人形の様に分解されている。
黒川もこの間散歩をしている最中に女性の腕を拾ったと言っていた。土を払って少し水で流してやれば、それはもう青白く透き通るように綺麗な腕だったらしい。一時はその誰のものとも知れない細い腕と、自分の拳銃とを交互に見比べている光景が続いた。近頃方々の噂では、野良や野良猫によるゴミ荒らしの被害が減ったのは、節操のない殺人鬼が町中の至る所に人肉をばらまいているから野良たちが食べ物に困ることがなくなったからだろう、と囁かれていた。見つけてすぐ餌にしない分黒川はまだ人とみなして良いだろう。
こうまで堂々と犯行を重ねているのに、糴州螺署の人々が何の進展も見出せないのはやはり彼らの職務怠慢のせいだとしか言いようがない。SMバーで嬢の腕を縛り上げている余裕があるならば、すぐにでも殺人鬼を縛り上げるべきだ。
「すみません、お会計いいですか?」
細い声で呼ばれ、僕は手にしていた新聞を投げ捨ててレジの下から勢いよく顔を出した。
「はいどうぞ! お待たせして申し訳ありません」
快活にそう挨拶をし、先ほどの中年女性から商品の入ったカゴを受け取る。
客を目の前にしたのならば流石に態度を一変させる。咄嗟の事態にも関わらず、挨拶文句が立て板に水の如く出て来たのは意識の賜だ。
一つ一つ丁寧にレジを通しながらなんとなく違和感を覚える。カゴに入っていたのは若い娘向けのファッション雑誌や、お菓子類で、偏見であろうがどうにも目の前の中年女性が買っていくような品物には見えない。
ちらりと、あまり見過ぎないように女性に目を向ければ、彼女はこちらが痛々しく思うくらいにやつれていた。枝毛と白髪の目立つ髪に、化粧を全くしていないくすんだ顔色。じっとレジ袋に詰められていく商品を見る目は虚ろだ。服も本人の感情を表象するかのように色あせ、みすぼらしく見えた。
この女性はいつもこんな顔だ。ここまでじっくりと確認したのは初めてだったが、いつも生きる希望をなくしたような暗い顔で店を訪れる。彼女の身に何が起きたのかは知らない。しかし少し触っただけでも崩れていってしまいそうな女性の儚さは、蚊帳の外から見ていても心が痛ましくなってくる。
「お会計一五八二円です」
「二〇〇〇円で、お願いします」
今にも消え入りそうな声で女性はしわくちゃの一〇〇〇円札を二枚トレイに置いた。
無言でそれを受け取り、淡々とレジを動かして釣り銭を出す。
機会が吐き出した数枚の小銭と短いレシートをそっと彼女の掌に握らせた。手は冷たかった。
「あの」
声を掛けたことに何か目的があるわけではなかった。ただなんとなく、女性の顔を見ていたら口が勝手に開いた。
「元気出して下さい。これは、僕からのサービスです」
何か言わなくては、あるいは何かしなくては、と無意味に焦り、僕はレジ脇のドリンクケースから暖かいコーヒーを一本取ってレジ袋に詰めた。少し苦し紛れの行動だった。
「そんな……ありがとうございます」
自分が言ったところで女性の心に何か影響を与えるなど微塵も思っていなかったが、女性の顔が少しばかり和らいだ。案外、綺麗な人だった。
女性が店から出て行ってしまえば、邪魔する者はない。レジの下に投げ捨てた新聞を引っ張り出して堂々と読み直す。
汚職警官。悪徳警官。
思い当たる人物が身近にいるのが何より残念である。その警官は、何かとこの店にやってきては自分の気にくわない人間、自分を邪魔する人間の殺害を適当に依頼していく。
警官とは何か。
存在自体がその問いである彼は、黒川が大事にしている客の一人である。
常連は信頼の証。殺し屋稼業にはまたとない良客だよ。とは黒川の言葉。それに続くのは、お金いっぱい出してくれるしね、だ。
黒川が彼を大事にする理由は金と常連以外にもう一つある。
その警官が殺し屋の仕事を巧妙に隠蔽してくれているからである。情報操作に死体隠蔽など朝飯前だ。警察内だけでなくメディアなどにも通じている彼が繋ぎあげたパイプが、黒川たち殺し屋を世間の裏で野放しにすることを可能にしていた。黒川たちは都市の下水管を走り回るドブネズミのようなものだ。
殺し屋の存在を隠す代わりに、彼は自分の邪魔になる人間を殺してもらう。ギブアンドテイクの関係は互いに甘い汁を垂らし続ける。この町で殺し屋が自由に殺して回れるのは偏にその警官のおかげであり、その警官が決して高くはない階級にも関わらずまるで皇帝の如く署内に君臨できるのも殺し屋たちのおかげだった。
そういえば、と僕は顎に手を当てる。
最近彼を見ていない。多いときなど三日に一回は顔を出していたのだが、ここんところめっきりである。案外殺人鬼の件で町中を駆け回っているのかも知れない。
そろそろやってきそうな、そんな気がする。僕の予感めいた想像は、最近よく当たるのだ。
果たして、見計らったかのように店の自動ドアが客を迎え入れた。「ティロリロン」という間の抜けたメロディーは来客を告げる。




