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卜部くんとつれづれならぬ日々  作者: 土倉ミクロ
1 糴州螺連続殺人事件
8/30

Chapter2:仁義なき戦い〜アイドル頂上決戦〜⑤

 薄く化粧をした、幼さの残る顔立ち。しかしそれでいてすらりと伸びた足や、ひょうたんのようなくびれ、セーターに押さえつけられた胸が女らしさを放つ。見るもの誰もが振り返り、魅了され、体を重ねた者全てに風穴を開けてきた美しい殺し屋。


「さて、と」


 銃床尾を強く肩にあてがい、宵鷹は引き金に指をかけた。消音器を取り付けて長くなった銃口が少女を狙う。


「どういうことですか宵鷹さん」


「どうもこうも見ての通りだ」


「……あなたは、誰を撃つんですか?」


「依頼主を撃つバカがどこにいるんだ?」


 完全に射撃体勢をつくったまま、平然と宵鷹は聞き返した。当たり前の言葉に反論の言葉が潰される。


「距離はーまあいいや。ヒット確認よろしく頼む」


「……宵鷹さんが目標を外すんですか?」


「万が一、だ」


 この小柄な男の狙撃精度がどれほどのものかはよく知っている。強靱な肉体に支えられる銃は決してぶれず、照準を誤らさない。そして二キロ離れた相手の脳天を子ども向けのストラックアウトのように軽々と撃ち抜く。いつか冗談交じりに彼は言っていた。「ハエを追っ払うときは、ハエ叩きよりグロックの方が楽だ」と。それが本当かどうかは知らないが、宵鷹なら出来る、そう思わせるほどの能力があった。


 覗き込んだ双眼鏡の向こうで、二人の少女はにこやかに笑っている。そこに争いなど存在しないように、とても平和に。何も事情を知らなければ彼女たちはとても仲のいい友人に思えた。


 引き金は唐突に引かれた。静かな銃声だった。ただ微かに硝煙の臭いが鼻をつき、そして銃弾は日村アリアに命中しなかった。


「え?」


 予想外の出来事に僕は間抜けな声を挙げた。


 銃弾は真っ直ぐに空を裂き、誰を撃ち抜くこともなく、まるで見当外れなコンクリート壁に突き刺さった。細かな塵が舞い、時乃は耳を塞いでしゃがみ込んだ。


 日村アリアは、そんな時乃を蹴り飛ばし銃弾の刺さった壁へ彼女を押しつけた。


「宵鷹さん」


 双眼鏡を、接眼レンズが眼球に触れるほど強く目元へ推し当て僕は呼びかける。


「何がどうなってるんすか?」


「これで俺の仕事は終わりだ」


 宵鷹は一息吐いて射撃姿勢を解いた。スコープサイトを外し、消音器を外し、コヨーテ色のライフルバッグへ詰めていく。


 なぜ天姫が時乃と並んでいて、なぜ宵鷹が狙撃をして、なぜ外したのか。疑問は次々と浮かび新たな疑問を呼ぶ。


「何がどうなってるんすか?」


 宵鷹の方を振り返れば、彼はコヨーテ色のライフルバッグを担ぎ、屋上から去ろうとしているところだった。


「俺は頼まれた仕事をしただけだ。それよりいいのか? 俺と話しているよりももっと面白いことがこれから起こるぞ」


「面白いこと?」


 再び双眼鏡を覗き込む。丸い視界の中にいるのは二人の少女。壁に押しつけられて苦しい表情を浮かべる時乃と、スカートの中から拳銃を抜き取った日村アリア、否天姫だ。


「な? 面白いだろ」


 含みのある笑いを残し、宵鷹は屋上のドアへと歩いて行った。慌てて呼び止めるが返ってきたのはひらひらとした右手の扇ぎだけ。この状況を説明する文句は一言も残していかなかった。


「あーもう」


 ポケットから連絡用の携帯電話を取りだして、ボタン一押しで天姫へ電話をかける。呼び出し音が始まると、レンズの先の天姫がおもむろにスカートのポケットから携帯電話を引っ張り出した。


『はーい。どうしました? トベさん』


 返ってきた甘ったるい声はいつもの天姫そのものだ。


「どうしたもこうもどういうことだ、これ」


『いやだなー、もう。見たまんまですよぉ』


 指先をトリガーに引っ掛け、クルクルと回しながら天姫は笑った。


「まず一つ質問。一番気になってることだ。お前が日村アリアなのか?」


『そうでーす! 私が日村アリアです! 車市ローカルアイドルユニットアインシュタインメンバー、人気ナンバーワンのアリアたんとは私のことなのです!』


「……黒川さんも宵鷹さんも知ってたのか、お前のこと」


『そうですよー! だから私にこの仕事を頼んだんじゃないですか』


「俺はそうは思わなかったけどな。完全に黒川さんの悪意かと」


『あ、もしかしてトベさん嫉妬してます? かわいいなあ』


「うるせえ」


「またまたー。おっと」


 会話の隙に乗じて逃げ出そうとしていた時乃を、天姫は慌てて引き戻す。襟首を掴むと再び強引に壁へ押しつけた。「ひっ」というか細い悲鳴が受話器の向こうに聞こえた。


『時乃ちゃん、逃げないで』


 それまでとはうってかわった低い声。あの甘い声も笑顔もなく、双眼鏡の向こう、サプレッサー付の拳銃を時乃の額に押しつけた天姫の顔には影が落ちていた。


 殺しのモードに入った彼女の声はいつ聞いても血が凍る。普段の底抜けな明るさを知っている分、底知れない恐ろしさを想像してしまう。


『あ、あのアリアちゃん。これはどういうこと?』


 天姫の携帯は、動揺する時乃の声も拾った。


『私も説明してもらいたい。どういうことか。なんで私めがけて銃弾が飛んできたのか、を』


『き、きっと何かの間違いよ! それにあなたには当たってないでしょう!?』


『確かに。当たってなかったね。中東帰りの手練れ狙撃手が、何を見誤ったか知らないけど私を殺し損ねた。野球のボールをサッカーゴールに投げ込むよりも簡単なはずの狙撃に、たまたま失敗してしまった。時乃ちゃんの美貌にでも見とれてちゃったのかな?』


『それってど』


 時乃の言葉はそこで途切れた。


 最後まで言わせずに天姫がその小さな口へ拳大の手榴弾を突っ込んだからだ。口に無理矢理手榴弾を咥えさせられた彼女は、まるで黒いマンゴーを頬ばっているように見えた。


 恐怖と絶望とで見開かれた目の縁には涙が溜まり、手榴弾でこじ開けられた口の端からは涎が垂れる。その咥え姿は余りに不格好でアイドルの見る影もない。


 叫びぼうと藻掻くも、声は間抜けな空気になって間抜けな音を漏らすだけ。


 時乃の額に銃口を押し当て、天姫は手榴弾のピンを勢いよく抜いた。


『───!』


 ピンが抜かれることの意味を彼女は知っていたようだ。目が一層開かれ、なんとか手榴弾を吐き出そうと頭を振る。恐らくは宵鷹の狙撃で怯んだ際にやったのだろう、彼女の両手は手錠によって背中で固定されていて、使い物にならなかった。


 頭を振る度にツインテールがメチャクチャに暴れ、荒い呼吸のような悲鳴が僅かに残った口の隙間から虚しく抜ける。


『一つ注意しておくね』


 拳銃の安全装置が外される音がした。


『この手榴弾はちょっと特殊でさ。音響反応型手榴弾って言うんだ。一定以上の音量

に反応して爆発する仕組みなの。例えば叫び声、とかね』


 引きつった音が漏れた。無我夢中に頭を振って彼女は手榴弾を吐き出そうとする。しかし、しっかりと口にはまったそれを動かすことさえ叶わない。


『もちろんだけど』


 紐でも引っ張るようにして時乃のツインテールを掴み、サプレッサーの先を、今度は口から飛び出た黒いマンゴーに触れさせる。


『直接衝撃を与えても爆発するよ』


 電話の向こうから、鉄と鉄とがかちあう小さな音が聞こえてくる。


 叫んでも、藻掻いても、ダメ。他人の掌で自分の命を転がされる時乃は、ただ瞳孔の開きかけた両眼から大粒の涙を流すしかなかった。喉の奥からせり上がってくる嗚咽は死にかけのカエルを見ているようだった。いくら泣いたところで助けは来ないし、天姫の同情を誘うこともない。そもそも同情という言葉を知っているのだろうか。


『死ぬのが怖い?』


 簡単な質問だった。


『銃で頭を撃ち抜かれて、手榴弾で頭を弾けさせて死ぬがそんなに怖い?』


 静かな天姫の問いに、涙を散らしながら時乃は激しく頷いた。


『だよねぇ。私も怖いもん。あんなの痛いに決まってる』


 言葉を句切り、天姫はこちらを振り向く。


『でも時乃ちゃん。あなたは私を撃たせた。私を殺そうとして』


 彼女の指が三〇〇メートル先の僕を指した。肉眼で捉えられるはずはない。彼女は自分を狙撃した弾の射線を示しただけだ。にもかかわらず、蚊帳の外のはずの僕まで背筋に冷たい者が流れる。


『違うかな?』


 再び時乃を振り返り、小首を傾げてみせる。押しつけられた銃口に額の皺が寄った。


 何度も何度も頷き返した時乃を見て、天姫は『そうだよね』と頷いた。

『殺されかけた人間が「うわー危なかったぁ」って言ってそれでお終いになると思う?』


 ここでようやく合点がいった。なぜ宵鷹の銃が天姫を狙っていたのか。


 彼女は時乃を殺すための理由が欲しかったのだ。


 天姫は日村アリアとして時乃の依頼で殺されるはずだった。しかし、彼女は同時に殺し屋として日村アリアを殺す役目も担っていた。雇い主と雇われ人という関係だからこそ、天姫には理由もなく時乃を殺す事はできなかった。仲のよい素振りで路地に入ってきたとき、天姫は日村アリアであり、何も知らない無垢なアイドルだったのだから。そんな彼女がいきなり拳銃を抜いて時乃を殺すのはただの狂った殺人者と同じだ。無垢なアイドルであり優秀な殺し屋である天姫はそれになる事だけは避けなければならなかった。アイドルは人々に夢と希望を与える皆の憧れであるし、殺し屋は理性と秩序を持った殺人者だ。


 だから天姫は自らを宵鷹に狙わせ、彼女が時乃を殺すべき正当な理由をでっち上げた。殺されそうになったから殺す。堂々と正当防衛を掲げ、堂々と時乃の脳天をぶち抜くために。


「お前、せこい奴だな」


『ん? 何か言いました?』


「何も。策士だな、って」


『ふふ。ありがとうございます』


 嬉しそうな声が返ってきた。


『さて、と。私は残念だよ時乃ちゃん。何が残念かわかる?』


 返事は無い。口が動かせないのだから当然だ。


『殺される覚悟がないのに殺そうとしてきたことが残念。殺し損ねたらそれでお終いなのが残念。自分で殺すくらいの気でいなきゃ。私なら殺そうと決めた相手は絶対殺すよ。それに情けなく涙流して小便も涎も垂らして、命乞いしようとか考えてるのも残念。残念だらけだね』


 時乃の涙はとうに枯れて、真っ赤に充血した目が恐怖に見開かれて天姫を見上げている。腰は抜け、ただ力なく壁により掛かりながらへたり込むばかり。口元だけが何かを訴えかけるように震えていた。

『もっと残念なのは自分が売れないのを他人のせいにして、あろうことかその本人を殺そうとしたこと。みんな同じように努力してるのに、日村アリアだけが売れているのが腹立たしい。自分たちが引き立て役としてしか扱われないのがむかつく。言うねえ、時乃ちゃん。口が上手いよほんと。バラエティで起用してもらいたいくらい』


 冷え切った声が、静かに受話器を抜けてくる。起伏のない平坦な声だ。冷静と言えば冷静だが、余りにも淡々としていた。


 天姫が拳銃を突きつけていなければ。時乃が手榴弾を咥えていなければ。ただのお説教に見えるかも知れない。だが、天姫の言葉に相手を説き改めさせようという意図はなかった。

『私とみんなとは圧倒的な差があるの。それこそ宇宙と地中くらい。それをさ、私と同じ努力をしただけで縮められるわけないでしょ。優れている人間がしている努力の一〇倍は努力するんだよ、劣っている人間は。努力ってのは追いつくためじゃない。追いつき追い抜き引き離すまでが努力なんだよ。時乃ちゃん、考えが甘いよ。わかった?』


 もう返事は無い。時乃は放心状態だった。


 死んだように呆然と目を見開き、突きつけられた銃口の深い闇を見つめている。


 しばし沈黙があった。何も言わず、銃口を揺らして天姫は時乃から生まれるかもしれない反応を待った。


『……やれやれ。こういうのは趣味じゃないしなあ』 


 髪を掻き、天姫はため息を吐く。無反応な時乃に痺れを切らし、彼女は銃口を下ろ

した。


『冗談だよ時乃ちゃん』


 そう言って天姫の取った行動には驚かされた。


 あろうことか、彼女は時乃の口にはまり込んでいた手榴弾を優しく抜いてやったのだ。


「……何がしたいんだ?」


 応じる声はなく、双眼鏡の向こうの天姫は時乃を後ろ手に縛っていた手錠も外してやり、彼女から二三歩離れてやる。


『……?』


 一番驚いているのはそれまで死の際に追いやられていた本人で、腰を抜かしたままどうすることも出来なかった。拳大に開かれてしまった口をぱくぱくさせて、何度もゆっくり目を瞬かせる。


『だから、ほら。立てる?』


 差しのべた手に拳銃は握られていない。いつもの明るい調子の声で、天姫は時乃の震える手を掴んだ。まだ恐怖が体にこびり付いているのか、彼女は立ち上がれない。膝も腰も役に立たず、だ。


『殺さ……ないの?』


『うん』


 ようやく掠れた声を絞り出した時乃を、天姫は支えてやる。肩を貸し、涙と涎と汗とでドロドロになった彼女の顔を指先で拭いてやった。


『流石に反省したでしょ?』


 かくん、と時乃は頷く。


『人を殺すってことがどういうことかわかったでしょ。今まで黙ってたけど、私は正真正銘の殺し屋。人が死ぬことについてはお医者さんとお坊さんの次に詳しいんだよ。だから人を殺す事がどれほどのことかよーく知ってる。殺されそうになる怖さも知ってる。だから軽々しく、グループ内の人気なんかで手を汚しちゃダメ。時乃ちゃんは、トキノンは未来あるアイドルなんだから。今日の事はお互い絶対の秘密。誰にも言っちゃダメ。他のメンバーにもプロデューサーにも。脅かしてゴメンね。でも、こうするのが一番わかりやすいかな、って』


 自分の知らない間に随分と長い時間が経過していたのではないかと疑うくらいの変わりようだった。殺し屋とターゲットという二人の関係図は、一転して同じグループのアイドル同士に戻り、それどころか喧嘩をした後の姉妹にすら思える。震える肩を抱き、小さな頭をぽんぽんと撫でてやる天姫は、端から見れば泣き虫の妹をあやす面倒見のいいお姉さんだ。だがしかし心なしか、違和感のようなものが残る。


『……ごめんね。アリアちゃん』


 消え入りそうな声で時乃が謝る。鼻をすすり、彼女は天姫へ抱きついて堰を切ったように泣き出した。無理もない。アイドルとは言え、中身はただの女子中学生で、何より一般人だ。殺されそうになる経験などしたことは無いだろうし、殺されるという恐怖を処理できるほど心は育っていない。意識を保ち続けただけでも十分とみなしてよかった。


 誰にも目のつかない路地裏をいいことに、随分と長い間時乃は泣き続け、ようやく涙も引っ込んだ頃合いになるとすっと天姫の胸を離れて背を向けた。


『もう大丈夫?』


『うん。そ、そんな胸じゃ何の慰めにもならなかった』


 首だけを斜め後ろを振り向き、時乃は口を尖らせて言う。


『もぉー。口が減らないなぁ、時乃ちゃんは』


 天姫は苦笑し、彼女の背中を軽く押してやった。


『一人で帰れる? 先にスタジオに戻っててくれる? 私はちょっと黒川さんの所に行って今回の報告してくるから』


『大丈夫。帰れるよ』


 少しふらつきながらも、時乃はワンダー商店街の方へ向かって歩き出した。


 その時になって僕はようやくは、姉妹のように思えた二人の中にあった違和感の正体に気がついた。


 時乃の口から手榴弾を抜いてやったときも、腰を抜かした彼女を立ち上がらせたときも、彼女の肩を支えたときも、彼女の頭を撫でたときも、天姫はその手とは逆の手にずっと拳銃を握ったままだった。


 聞こえたのは、静かな、ボールペンでもノックしているような音だった。あの間延びした銃声の響きは無かった。丸い視界の中、天姫の手には微かに硝煙をくゆらせるコルトガバメント。


 咄嗟に双眼鏡を時乃の方へ向ける。


 そこには力なくアスファルトにうつ伏せになった彼女の姿があった。既に指の先一つ動いていないのは即死ということだ。後頭部に空いた星形の穴。二つに結われた後ろ髪の、丁度真ん中だ。銃弾は小さな頭蓋を貫通したのか、既に彼女の頭の周りには小さな血溜まりが出来はじめていた。

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