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卜部くんとつれづれならぬ日々  作者: 土倉ミクロ
1 糴州螺連続殺人事件
7/30

Chapter2:仁義なき戦い〜アイドル頂上決戦〜④

 自宅からのんびりと自転車を漕ぐこと十数分。通りの喧噪を離れた路地に入り、寂れたビルの入り口で僕は愛車を乗り付けた。前籠からリュックを取りだし、今はもう使われていない駐輪場に、置き忘れられ錆び付いた他の自転車と一緒に自分のママチャリを止めた。念のため鍵はかけておく。廃ビルの駐輪場とはいえ、地面に散らばるゴミはまだ人の出入りがある証拠。ホームセンターで買った四千円の安物自転車だが、僕の大切な足だ。盗まれたくはない。


 立ち入り禁止の立て札やロープは無視し、堂々と敷地内に踏み込む。手入れのされていない伸び放題の雑草や、誰かの散らかしたゴミやらを踏みつけながらビルの入り口へ向かった。


 敷地を入って右奥にあったガラス張りの扉は、南京錠が掛けられていたが、あろうことかガラス部分が粉砕されているせいで何のセキュリティもなしていなかった。地面に散らばったガラス片は喧嘩や乱闘騒ぎの跡なのだろうか。扉付近のコンクリートには血痕のような黒っぽい模様も染み込んでいた。


 難なく侵入した建物の中は、日が差し込まないくせに隙間風は吹き込んでくるので外よりも寒く、そこら辺の廃墟と同じように埃とカビの混じった匂いが充満して床にはガラスとゴミの絨毯が敷かれている。スニーカーの裏でそれらを潰しつつ、僕はビルの屋上を目指す。硬い感触も柔らかい感触も厚いゴム底が代わりに受けてくれるが、正直気持ちの良いものではない。しかし案の定建物の中に人の気配は無い。ここの屋上を狙撃ポイントにを選んだのは正解だったと言うことだ。夜な夜な霊が出るだとか、血まみれの何かを見ただとか、そういった類のがたたないただの廃ビルを訪れるのは、よほど住む場所に困っているか、あるいはよほどの廃墟マニアのどちらかくらいで、誰か、僕と天姫以外の人間がふらりと立ち寄るような場所ではないだろう。


 歪んだアルミのドアを蹴破るようにして開け、屋上に出る。エレベーターが無いのがこのビルの欠点と言えば欠点だった。一〇階分を足で登ってくるのは、相当に体力を使い、おまけに階段はつづら折りなので目が回る。


 肩で息をしながら見上げた空は清々しいほどに青く、雲の白さが映える。視界良好、風も弱く、冬の爽やかな寒さが頬を少し刺すのが目眩に心地よい。


 リュックから取りだした航空写真を片手に、あらかじめ決めておいた狙撃ポイントに向かう。それほど広くはない屋上だ。その場所はすぐに見つかった。


 錆び付いてボロボロになった鉄柵を引き抜く。安全のために設置されたのだろうが、長年の放置でちょっと突いただけで外れる脆さだ。ない方が安全に思え、何よりこの無駄に隙間の狭い鉄柵は邪魔でしかなかった。


 剥き出しになった縁へ足をかけ、眼下を見る。地上一〇階ともなれば、地面はかなり遠い。誰かの乗り捨てたボロの乗用車が玩具に見えた。地面に吸い込まれそうな気がし、身震い一つしてすぐに体を引っ込めた。


 視線を少し上げれば、人で賑わう糴州螺ワンダー商店街が目に入る。僕の立つビルの屋上から、商店街へと出る路地の出口までは目測で三〇〇メートルほど。狙撃を専門としない天姫には丁度良い距離だった。彼女はハニートラップという専門がら、拳銃による近距離射撃をメインとする。だが、どういうわけか今回の仕事ではわざわざ不得意な狙撃を選んだ。曰く、「ライフル弾の方が威力が高いから」だそうだ。日村アリアの美貌が崩れる非日常をとことん楽しみたいらしい。


 土曜ともあって、三〇〇メートル先の商店街はそれなりの賑わいを見せている。カラオケに映画館にゲームセンターに服屋に本屋に、と遊び場をふんだんに詰め込んだ商店街は、糴州螺に住む中高生に人気の繁華街の一つだ。だが、一本道を外れれば人気は無く、廃墟と化したビルが建っている始末。路地の入り口は暗に僕らの住む世界と日村アリアの住む世界とを隔てる境界のように思えた。


 ビルの縁から一歩下がって立ち、天姫を待つ。腕時計に目を落とせば彼女との待ち合わせまであとわずか、時乃と日村アリアが姿を見せるまで三十分を切っていた。





 段々と焦り始めた。


 集合時間を過ぎても、屋上に天姫が現れないのだ。持ち込んだ双眼鏡で必死に路地の入り口を眺めるが、彼女らしい姿は見当たらない。天姫が集合時間を守らなかったことはかつて一度もない。だからこそ焦りがあり、僅かに不安もあった。


 殺し屋は殺すが、殺される。常に誰かの命を狙っている代わりに、常に誰かに命を狙われている職業だ。そして狙い手は日常に突然踏み込んでくる。何百発と銃弾を撒き散らしてきた天姫も例外ではなく、常にどこかに誰かの矛先があった。


「……まさか」


 不安というのは考えれば考えるほど強まっていくもので、その加速をなかなか止め

ることは出来ない。

天姫が何者かの襲撃にあったのではないかという懸念は、僕にリュックから拳銃を抜かせた。護身用として黒川から渡されているものだ。


 最も恐れているのは天姫が死ぬことではない。この仕事に失敗することだ。殺し屋の死を悲しんでいる暇など、この世界のどこにもないからだ。殺し屋は殺し、殺されるのだから。彼らに求められるのは不死身の体などではなく、どうあっても必ず仕事を達成するという信頼と腕だ。


 手にしたCZ一〇〇は三〇〇メートル先の相手を殺す武器には余りに頼りなさ過ぎた。そもそも弾が届くのかという話である。仮に届いたとしても、スコープ無しで三〇〇メートル先の人を撃つ射撃の腕は持ち合わせていなかった。狙撃に求められるのは百発百中の命中精度。外したらターゲットに逃げられ、追撃の術はない。


 時刻は十三時二十分を過ぎた。時乃は十二時三十分に日村アリアを連れて路地の入り口に現れる予定だが、天姫が現れる気配はない。日村アリアの殺害は、僕がやるより他は無いようだった。一年近くこの仕事の補佐をしてきて、自ら誰かを殺すというのは初めての経験だった。いつかは役が回ってくるだろうと思っていたが、実際に回ってくるとどうしようもなく恐ろしい。


 僕は衣食住不足なく、夏は涼しいところで冬は暖かいところで手塩に揉まれた一般人だ。殴り合いの喧嘩すらしたことがない。まさかあらゆる段階を踏み越えて、いきなり暴力の最上級である殺しに手を染めることになるとは。触り慣れたCZ一〇〇も、ただのアクセサリーのように扱ってきたからこそ何も感じてこなかった。しかしこれはどう転んでも人を殺すための道具。それ以上でもそれ以下でもない。その実感が、手の内の拳銃を重く感じさせた。


 焦りの中に生まれた冷静な判断が、僕に狙撃ではなく、直接対峙しての射殺を促す。ボディーガードも誰もいないただのか弱いアイドルだ。僕でも、殺せる。


「……くそ」


 吐き捨てながら腰をあげようとしたその時、


「待たせたな」


 低い声とともに、隣に重い物が置かれる音がする。使い込まれたコヨーテ色のライフルバッグだ。


 見上げれば、そこに立っていたのは天姫ではない。


「……宵鷹よだかさん?」


「よう、卜部。久しぶりだな」


 渋みのある声でそう言うと、彼は僕の隣に腰を下ろす。ライフルバッグのジッパーを開け、取りだした銃を、カメラでも扱うように手際よく組みたて始めた。


 隣に座られると、宵鷹の存在はまるで不動の岩のようだ。ゴツゴツとした服の上からでも分かる筋肉質の体型がそう錯覚させる。しかし体格に反して身長は低く、高く見積もっても一六五センチ程度しかないという不思議な男だ。


「どうしてここに?」


 予想もしていなかった人物の登場に、呆気にとられていた僕は思い出したように問う。中東帰りの元傭兵は、戦争疲れを癒すために自宅でのんびりしているのではなかったか。


「あん? なんだ、天姫から何も聞いてないのか」


「ええ。聞いてないッス」


 あっという間にスナイパーライフルを一丁組み上げた宵鷹は、スコープサイトを覗き込みながら言葉を返す。


「お前、日村アリアの人相が分かる写真持ってるか?」


「持ってないっす。持たせてくれなかったんで」


「だろうな」


 苦笑する宵鷹に、僕は首を捻る。


 ターゲットの顔が分からないままに殺しを依頼される、ということも無くはないが、大抵は依頼者からターゲットの写真を渡される。正確にターゲットを殺すためには当然ことだ。今回時乃は用意していなかったが、黒川はどこかで手に入れているはずだ。にも関わらず黒川は日村アリアの写真を僕に渡しはしなかったし、天姫が顔を

知っているから、と僕は別に顔を知らなくてもいいと言ってきた。


「黒川さんが写真くれなかったなら、自分で調べればよかったんじゃないか?」


「まあそれも考えたんですけど、大学のレポートが忙しくて」


「インターネットで調べればすぐ出てくるぞ?」


「俺、レポートとか試験期間とかはネット切ってるんです」


「真面目だな」


 知らなくていい、と言われれば知りたくなるものだが、どうせ当日になればわかることである。本業殺し屋ではなく、僕はただの学生バイト。欲するものは金と単位のみ。しなくてもいい仕事をわざわざするような性格ではなかった。


「宵鷹さん、しばらく休業中なんじゃ?」


「ああ。まあそのつもりだった。慣れない場所で慣れない相手と戦っていたからな。ちょっと疲れてよ」


「じゃあどうしてここに?」


「昨日の夜いきなり天姫から電話がかかってきたから、だ。奴からの直接の頼みじゃ、男として断るわけにはいかない」


「でもこれは天姫の仕事で」


「いいからよ。細かいことは気にすんな。それともなんだ、隣にいるのが俺みたいなおっさんなのは不満だってか?」


「いや、そういうことじゃないッスけど」


「今回の相手アイドルなんだってな。ニュートンとかいうグループの一番可愛い子」


「アインシュタインっす」


「紛らわしいな。まあ安心しろ。自慢じゃないが向こうではまともに鉛筆の握り方すら知らないガキどもも相手にしてきたんだ。アイドルぐらい躊躇ったりはしないからよ」


 宵鷹は人差し指を数回曲げて見せた。気楽な口調でありつつも、僕と同じ方向を見据える目は鷹のように鋭い。


 釈然としなかった。自分の知らないところで知らないことが進行していることにもどかしさを感じつつも、


「ほら、そろそろ時間だ。用意しろ」


 言われ、宵鷹に背中を叩かれて双眼鏡を覗き込む。そして狙い澄ましたかのように路地の入り口へ現れた二人組へとピントを合わせた。モザイクのようにぼやけていた人影がすっと明瞭になる。

 にこやかに笑い合う少女の顔を見て、思わず双眼鏡を落としそうになった。

 一人は黒髪を二つ結びにした時乃。そしてもう一人は、セミロングの茶髪が毛先でカールする、

「……天姫?」

 言葉が口から漏れた。自分でも無意識のうちだった。


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