Chapter2:仁義なき戦い〜アイドル頂上決戦〜③
黒川の日課は髪の手入れだ。額の滑らかな丸みと、艶のあるオールバックの髪を、日に何度となく手鏡を取り出しては確認している。前に垂れてきていないか、しっかり後ろに持っていった後も形は崩れていないか、前髪だけでなくサイドは大丈夫か、と。神経質なくらいにチェックし、その度に惚れ惚れするように顔やポーズを決めるのだ。
時乃が店に来て以来、そんな彼の日課が一つ増えた。
オールバックの手入れと、そして拳銃の手入れだ。といっても天姫のように分解清掃するというわけではなく、布で汚れや指紋を拭き取ったりするばかりで、大半はその造形をしげしげと眺めて過ごす。時には拳銃を構えた自分の姿を鏡に映している。
「いつかまたあの沼川時乃のような客が来たら、ぶっ放そうと思ってね」
どうして突然拳銃なんて買ったのか、という僕の問いに対する答えがこれだった。
茶色いグリップをわざわざ白い手袋をした上で握り、黒光りする真っ直ぐな銃身を宝石でも相手にしているかのようにうっとりと眺める。今日も事務所に入るなり僕が目にしたのも、そんな黒川の姿だった。
「やっぱり拳銃を買うならリボルバーだよね」
「ですよね! 黒川さんさすがっ。わかってますね!」
「威力より魅力! 実用性より見た目が命! なぜなら僕は銃を滅多に使わないから」
「それはどうかと思いますけど。いきなりコルトパイソンを選ぶなんてステキですよ、黒川さん。それ、リボルバーのロールスロイスですからー!」
殺し屋屋の地下事務室には先客があった。ミニスカートの尻をこちらに向けて、黒川と物騒な拳銃談義を繰り広げている栗色髪の少女。天姫は、ドアの開く音に気がついて、僕の方を振り向いた。
「こんにちはー。お邪魔してまーす!」
弾けるような笑顔と快活な声が事務所に響く。
「またか」
ため息を吐くように言って、僕は適当な隅っこに荷物を置いた。今日はバイトではないが、家にいてもやらなきゃならないレポートは完成しない。どうしても違うものに気を取られるからだ。テレビだったり漫画だったり、布団だったり、誘惑は至る所にある。
一番手近で集中できるところ、と思って真っ先に浮かんだのがここだった。しかし、まさか天姫がいるとは思ってもいなかった。
「今日も暇潰しに?」
鞄からノートパソコンを取り出しつつ訊ねる。
「違いまーす。今日はちゃんと仕事の話をしに来ました!」
「仕事? なんの?」
「それを今から話すところだったんですよ。けど黒川さんがおもむろに銃を取りだしてきたので話が弾んじゃって」
そう言って舌を出した天姫は前屈みの姿勢から、きちんと椅子に座り直し、黒川もデスクに広げていた銃弾や銃を丁寧にケースに入れてしまった。僕もパソコンの画面を何秒か見つめて考える。ちらりと二人の殺し屋の姿に目をやった。仕事の話となれば否応なく会話に巻き込まれることになるだろう。大人しく画面を閉じ、僕は天姫の隣に座った。
どんな仕事だなんて聞かずとも分かる。
時乃が来てから一週間が経っていた。そして未だ彼女の依頼は達成されていない。ただの少女を殺すなど簡単なことだ。魚を捌く方が難しいくらいである。殺し自体は難しくないが、しかし条件や境遇が他とは一線引いて然るべきものだ。
「それで、今回の仕事ってのはどういうのですか?」
何も知らない天姫は、ご馳走を待つ子猫のように意気込んで問いかけた。
「今回の目標は聞いて驚くよー」
「も、もしかしてもしかして! 念願のむきむきマッチョなお兄さん!?」
「ぶっぶー! 正解は日村アリアちゃん! 天姫ちゃんの大好きなアインシュタインのメンバーだよ」
「……え?」
期待に満ちた笑顔が固まり、間抜けな言葉が孤を描いた口元からこぼれ落ちる。彼女の心の欠片がちっぽけな一文字になって地面を転がっていくようだった。
「どういう、ことですか?」
「まあまずは依頼の詳しい内容を説明するね」
にこりと笑い、黒川はアイドル達の内実を包み隠さず話した。本来なら誰それを殺せ、という一言だけで済むはずだった。なのに黒川はアインシュタインがどういう闇を抱えているのか、その全てを軽々と語る。それも一ファンである天姫へと、愉快そうに身振り手振りを交えつつだった。アイドルに抱く夢や憧れを現実という刃物でずたずたに切り裂いていく様子に、僕は少し目を背けた。
「いやあ、別に? 別に天姫ちゃんに嫌がらせをするわけじゃないんだけど! なんか依頼主の希望が“銃殺”なんだよねえ。生憎銃メインの殺し屋は天姫ちゃんくらいしかいなくてさぁ。本当にねえ申し訳ないけど、この依頼を引き受けてくれると嬉しいなあ!」
絶対に嘘だ。心の中で断言する。黒川白介という男はつくづく根っこが細胞レベルで腐敗している人間だと思った。沼川時乃の方がまだ澄んだ心を持っている。
銃殺を専門としていなくても、銃器を扱える殺し屋は天姫以外にもいる。相手は高々顔が広いだけの地方アイドル。殺し屋でもなければ元兵士でもない。ナイフだってリンゴの皮剥きか、キュウリの千切りにしか使ったことはないだろうし、モデルガンだって触ったこともないような人種だろう。わざわざ銃殺のスペシャリストを用意せずとも、拳銃を扱ったことのある適当な殺し屋を手配すればそれで十分なはずだ。
「黒川さん、ほんとに畜生っすね」
「誉めても何も出ないよ?」
まあ、と僕は独りごちる。ここで黒川が天姫にこの依頼を回すだろうとは完璧にではないにしろ予想できていた。何せ彼は人の不幸を主食にするような人間だ。僕も大分黒川白介という男を理解し始めているということなのだろうか。決して誇らしいことではなかった。
「どう? 引き受けてくれる? 天姫ちゃん」
黒川の高い声が目を丸くしたままの天姫を急かす。
彼女の内でどういう感情が生まれているのかはわからない。怒りか、悲しみか、憎みか、あるいは。彼女はこの依頼を断るに違いない。断るだけならいい。黒川の煽りが彼女に火を付け、懐に忍ばせた拳銃を発砲でもすれば、間違いなく鼻の下を伸ばした笑顔のまま死ぬ。そうすれば僕の仕事先はなくなるが、それもまだましだ。問題は天姫の矛先が黒川のみならず、自分にも向くことだ。死ぬのだけは勘弁願いたかった。
「……まったく」
そそそと事務所の出口へ向かおうとした僕が聞いたのは、意外な声だった。黒川の問いかけに対する天姫の開口一番は呆れの言葉一つ、それだけだ。
「銃使える人はもっと雇った方がいいですよ、っていつも言ってるじゃないですかぁ。というか宵鷹さんはどうしたんですか、宵鷹さんは」
「彼最近まで今中東で傭兵やっててさ。疲れたからしばらく休ませてくれって言われてるんだ。兵士は思ったよりハードだった、って」
「そうですか。あの人も暇ですよねぇ」
「あ、でも天姫ちゃんのお願いなら宵鷹くんは喜んで引き受けてくれると思うよ。彼君のこと大好きだから」
「いえ!」えくぼを露わにして首を横に振る。「折角の大チャンスですから私がやります。宵鷹さんになんか渡しませんよ!」
聞き間違えたのかと思って問い直してみても、返ってきた答えは同じだった。
「いいのかよ」
思わず訊ねた。
「何がですか?」
「だって、お前好きなんだろ。アインシュタイン」
「好きですよ」
「好きなのに殺せるのか?」
「好きだから殺せるんですよ」
やれやれ、というように天姫は肩をすくめる。細められた瞳は僕をあざ笑うかのよ
うだった。
「なんだそれ」
「トベさんアイドルとか好きになったことあります?」
「まあ人並みには」
「じゃあ分かると思うんですけど、アイドルの部屋着とかパジャマ姿って、すごいワ
クワクしません? あ、それか水着姿とか裸!」
「する、な。確かに」
後者に関しては別にアイドルでなくとも、と思う。しかしそれと一体何の関係があるのだろうか。唐突な天姫の問いかけに疑問符を浮かべていると、彼女はまるで心を読み取ったかのようにすかさず、
「つまりですね、私たちは非日常というものにとても感動するのですよ。それがワクワクに繋がるのです。テレビやライブでしか見ない彼女たちの、アイドルの日常。煌びやかなステージ衣装! どれも素敵ですし心躍ります。けれど、いくら多様なステージ衣装を用意してあっても、ステージ衣装はステージ衣装という記号でしかないのです! しかし! パジャマ姿や部屋着姿は違います。私たちが寝巻きで買い物に行かないのと同じように、アイドルたちは仕事場に部屋着やパジャマで出かけていくことはほとんどありません。バラエティ番組なんかでそういう企画があったときぐらいです。普段滅多に拝むことのできない姿だから、貴重な姿だから! 私たちはアイドルの非日常性にとてもワクワクするんです! でも、その非日常性もテレビだとかネットだとかの存在によって徐々にではありますが価値を落としていっています。このままではいずれ私たちが、私がアイドルのパジャマ姿に無感動であってしまう日が来るかと思うと恐ろしいです。だから私は日々新しいアイドルたちの非日常性を探し続けていました」
引き金を引きっ放しにした自動拳銃の如く、天姫は一言足りとも詰まることなく言い切った。そうして最後を「どういうことか分かりますね?」と教師が生徒に質問を投げかけるようにして締めくくる。
「殺しが究極の非日常、ってことか?」
「その通りです!」
いいですか、と前置いた彼女は既に興奮を抑えきれない様子だった。
「殺しの現場に立ち会えるのって、殺された本人と殺した本人だけなんですよ! まあ周囲に人がいれば話は別ですけれどね。どれだけCDを買ってもどれだけ握手会に参加してもアイドルの死なんてそう見れるもんじゃありませんし、誰かが見たらそれでお終い。でもアイドルの死は、基本的にはどのファンもライブで見ることのできない究極の非日常ですよ。人の死ぬ瞬間は人生で一度きりですからね」
爛々と目を輝かせた天姫は、ただのファンではない。アインシュタインの少女たちが溜まらなく愛おしく、ただのファン以上に彼女たちへの愛で満ち溢れている。歪むくらいに激烈なその愛情へ、根っからの殺し屋気質、サイコな部分が加わったらどうなるのか。天姫が日村アリアの殺害を断る、というのはとんでもない思い違いだった。自分の大好きなアイドルを自分の手で殺す、というのは彼女にしかできない彼女の特権。黒川から渡される依頼書はどんな握手会の引換券よりも上等で、価値のある代物なのだ。
「よかった。天姫ちゃんならそう言ってくれると思った」
黒川は微笑んだ。彼が天姫の答えを予想していたのかどうかわからないが、すんなりと彼女が仕事を受け入れたことを意外に思っている様子は全くなかった。
「いやあ、まさかトキノンがアリアたんのことそんな風に思ってるとは思いませんでしたぁ。仲良しだと思ってたのになあ」
天姫はデスクに顔をくっつけ、残念そうに呟いた。
「仲良いいの? その二人」
「と、私は思ってたんですよ。デュエット曲は必ずトキノンとアリアたんですし。何かとツーショットの写真多いですし。グループのナンバーワンとナンバーツーってことでよきライバル関係だなあって思ってたのになー。トキノン、良家のお嬢様で淑や
かな少女っていうのが売りだったんですよー?」
「へ、へえ」
黒川は引き気味に相づちを打つ。僕も同様だった。あの粗暴な態度と、人を見下した言動に淑女を見いだせというのは無理難題もいいところである。あの少女がどういう気持ちで日村アリアとデュエットし、一緒の写真に写ったのかを想像すると恐ろしいものがあった。きっと笑顔で隣にいながら、時乃の胸には黒く濁った何かが破裂せんばかりに膨らんでいたのだろう。自分の心を巧妙に隠す仮面を、彼女は被っていた。あるいはそれがアイドルという人種が生きていくための絶対条件なのかも知れない。
「ところで依頼は前払いだったんですか? それとも後払い?」
天姫は思い出したように確認する。
「後払いだよ。殺し屋は信用できないんだってさ」
「そりゃそうっすよ」
突っ込むと、黒川はわざとらしくため息を吐いた。
「もうトベミネくんってばわかってないなあ。お金を払ってくれれば僕はきちんとターゲットを殺させるっていうのに。腹が減っては戦が出来ぬ。金がなければ殺しは出来ぬ。昔みたいな完全前払い制に戻そうかなって思ってたけど。やっぱりこういうお客さんがいると、一般に広めていくためには後払い制がなきゃだめなのかなって考えちゃうよね」
「端から殺し屋を信用しきってる一般人って怖くないッスか?」
「全然。どんな層からも信用されるだけの実力は持ってるつもりだからね」
自信満々に黒川は胸を張る。こういう図太さがなければ、殺し屋のようなずれた世界で生きていく資格はないのだろう。
「でもアリアたんがターゲットってことは、今回ベッドはお預けかぁ」
「いいんじゃない? 女の子相手でも。アイドルならなおさらじゃない?」
「うーん。そうは言ってもなあ……」
天姫は渋い顔をする。殺しとは別の意味で日村アリアを相手取ることに満更でもないようでもあった。
「ま、銃殺ってことを守ってくれれば何でも良いから。しくよろ!」
「はーい」
軽快な返事からは、この会話が一人のアイドルを殺すためのものとは到底思えない。
笑顔振りまくアイドルが、血肉を散らして死ぬ様を見るのは少々気が引ける。だが同時にどんなもんかと期待している自分がいることに、僕は少々悔しさを覚えた。
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