Chapter3:ヤクザの正しい仕留め方③
ピースラバー。
直訳すれば平和を愛する者とでも言えようか。花を愛で、鳥を愛し、風に歌う博愛の人。穏やかな海や、陽光を浴びて輝く草原が相応しい、可憐な乙女のような人。
しかし黒川の言葉通りなら、およそ名前にそぐわない豪快な殺しで火の海血の海を築き上げる殺し屋だろう。花を枯らし、鳥を狩り、嵐を起こす残虐の人。波高の荒れる海や、焼け野原が相応しいような、暴力の権化のような人。彼に会ったことのない僕の頭の中では、相反する二つの想像がせめぎ合いを繰り広げていた。
今まで関わってきた殺し屋の多くと違って、経歴がしっかりとしている。元アメリカ海軍伍長。特殊部隊にも選抜された有能な兵士であり、正式な訓練を受けた殺しのプロだ。果たして彼が軍隊でどれほどの地獄を越えてきたのか、それは僕の知るところではない。しかし並々ならぬ人材なのはいちいち誰かに尋ねずとも分かった。
要塞屋もまた、天姫が言っていた「類は友を呼ぶ」というやつなのだろうか。
横島が店を訊ねてきてから三日が経っていた。
いつものように自転車でラッキーマートにやってきた僕は、珍しく駐輪場に自分以外の乗り物が停めてあるのを見つけた。黒塗りの高級そうなオープンカーだ。小さな日差しをぎらぎら跳ね返し、前には銀色のエンブレムが輝く。車高は低く、薄っぺらい板のような、いかにも速そうなフォルムをしていた。
一体誰のだろうか、と疑問を抱きながら店に入る。冷蔵ケースの稼働音が真っ先に聞こえてくる店内は、思わず称賛したくなるほどに客がいない。天井に吊されたスピーカからは音割れしたアインシュタインの曲が虚しく流れていた。
沼川時乃の一件は、交通事故として片付けられた。ローカル番組で毎日取り上げられるような大ニュースになったが、今も変わらずアインシュタインはアインシュタインとして活動を精力的に続けているし、日村アリアはマイクを握って悩殺の笑顔を振りまいている。これもまた横島という男の仕業だった。
今日はコンビニの方のシフトは入っていない。朝から夜まで緑川一人がコンビニの雑務を担当することになる。とは言っても一日に数人来るか来ないかの客であるから、やることと言えばいかに暇を潰すかと考えることだけだ。
いつもと変わらず床掃除に耽るモップ使いの緑川に軽く声をかけ、僕はコンビニの事務所を通って地下に向かう。
店の中には客がいなかった。つまり、あのオープンカーの持ち主はコンビニではなく殺し屋屋の方に用があったということだ。客か殺し屋か。どちらにせよ真冬にオープンカーを乗り回しているくらいであるから、まともな人間でないのは簡単に予想がついた。
「おはようございまーす」
スチールドアを開けて事務所に入る。時計は一時を示していたが、一日中どの時間帯でも挨拶は「おはようございます」だと言う黒川の言葉通りにする。
事務所のデスクには黒川と、もう一人見たことのない人間が腰掛けている。
「ハローございマス。拙者の名前はピースラバーと言いマス。三二歳イヤーズオールドデス」
陽気に手を上げてこちらに振り向いたのは、まるで削りだしてきたばかりの石のように角張った体つきをした男だ。座っていてすら天井に頭が届きそうな巨体で、要所要所が体内に何かを仕込んでいるのではないかと思わせるくらいに膨らんでいる。それが鍛え上げられた筋肉だと気がつくのに数秒を要した。二の腕がこちらの太もも並だ。部屋の備品が僕にはいつもよりも小さく見え、大石のような尻に敷かれたパイプ椅子がギシギシと悲痛な声を漏らしているのが聞こえた。
口調や見た目から日本人でないことはすぐにわかる。アフリカ系の人間なのか、艶のある黒い肌に、笑みを作る白い歯が映えていた。
「卜部っす。よろしく」
差し出された手を握り返す。思った以上に暖かい手だが、恐ろしく硬い。そして握られた手が搾り取られてしまうような力強い握手だ。痛い、と顔をしかめて見せると男は白い歯を出してはにかみ、その手をパッと開いた。
一目でこの男が要塞屋ピースラバーだとわかった。
ぴちぴちの黒いシャツに、都市型迷彩色の長ズボン。足には頑丈そうな黒いミリタリーブーツを履いている。いかにも軍人然とした恰好もそうだが、何より滲み出る雰囲気が堅気のそれではない。丸刈りの綺麗な頭に収まった目がぎらぎらと好戦的に輝いている。
「や。トベミネくん、おはよう」黒川は紙に入れていた櫛をデスクに置き、手を男の肩へかけた。「紹介しよう。彼が要塞屋だ」
「思ったより気さくな人っすね」
「そりゃあ誰だって好きなことをやる前はテンションが上がるでしょー」
ああ。やっぱり友遠方より来たるか、と僕は納得した。
「あなたが、トベミネさん? 違う? 同じ?」
間違った読みで要塞屋はそう訊いてくる。黒川はわざとそう教えたに違いない。
「同じ人っす。トベミネは間違い。うらべ、って読みます」
「オー。あなたのネームはうらべ。トベミネ、は、違う人パーソン」
物わかりの言い殺し屋に安堵する。うらべの「ら」にアクセントが点いていたのは気になったが、見逃してやることにした。
「ノーノーピースノー」
「ホワッ?」
すかさず黒川の言葉が入る。目を瞑り、人差し指を振って舌を鳴らした。
「トベミネは彼のあだ名。ニックネーム。うらべとトベミネ、同じ人パーソン」
「オーイェア。ニックネームは友達フレンドリーのしるし。拙者、トベミネと名前するヨ」
「……勝手にしろ」
黒川はどうしてもトベミネという呼び名を広めたいらしい。何のこだわりがあるかは知らないが、いくら反論したところで黒川は聞く耳を持たない。立て板に水、黒川に反論だ。
「オーイェア。トベミネ、拙者のことはピースと名前して。友達フレンドリー」
「……オーイェア」
生返事で頷いておいた。
僕が椅子に腰掛けようとするのを手で制し、黒川は言う。
「もうこのまま仕事に行ってもらうから。荷物だけ置いていっていいよ」
「本当に俺もついていくんすか?」
「勿論だよ。彼はうちで仕事するの初めてなの。先輩がいないと右も左もわからないでしょ?」
「確かにそうっすけど……」
僕が呼ばれたのは勿論いつも通り現場まで同行するためだが、今回はいつもと勝手が違う。
相手にするのは一人ではなく多数。それも一般人ではなく、ヤクザだ。当然武器鈍器の類は文房具よりも持っている連中である。銃撃の嵐の中へ身を置いたことのない僕からすれば、今回の仕事は最低最悪以外に表現のしようがない。それならば裸でサバンナに置き去りにされた方がまだマシなくらいだ。
「流石に事務所の中まではついて行かなくてもいいっすよね?」
「えっ、そこが重要じゃないか。仕事の本番中に分からなくなったら困るから、トベミネくんについていってもらうんだもの。何事でもね、先輩がいるだけで随分と安心するんだよ。先達はあらまほしきことなり。かの有名な兼好法師もそう言ってるよ」
微かな希望を込めて訊ねてみたが、案の定の答えであった。この男は僕がヤクザの事務所でもみくちゃにされるのを楽しみしているのだ。
絶望そのものの深い息を吐きながら、隣に座る巨体に一瞥くれる。
一騎当千、殺人趣味の殺し屋は、その逞しすぎる身体には全く似つかわしくない、子どものように輝いた表情を浮かべていた。目が部屋中の光を集めて爛々としている。
「拙者はただ殺せばいい? 細かい作戦オーダーない?」
「そう。ピースは事務所で大暴れすればいいよ。警部が近隣住民に騒音の忠告をしているらしいし。どんだけ暴れても銃ぶっ放しても問題なし! RPGもオーケー!」
「オーイェア! RPGも! サイコーだネ! ヤクザマフィアのサラダバーだヨ!」
ピースは握り拳を掲げて立ち上がっていた。頭が天井に届きそうだ。
今から何をしに行くのかを忘れさせるほどの上機嫌で、ピースは身支度を始める。旅行鞄のように大きい黒のトランクを二つ両手に持ち、軽々とした足取りで事務所を出て行く。彼が歩く度にガチャガチャと重い音がしたが、その中に何が入っているのかは考えないでも察することが出来た。
「黒川さんのリボルバーとてもナイスヨ」
扉の前でふと思い出したようにピースは振り返った。
「ありがとサンキュー」
「実戦バトルで使ったことない?」
「ないなあ。いつかロシアンルーレットしたいなとは思ってるんだけど」
「オーイェア。ロシアンルーレット、拙者も大好きな遊びダ」
にかっと白い歯を見せるピース。僕は一目散に帰りたくなった。




