30年11月◯日
秋も深まり人肌が寂しい季節。
抱きしめていたはずの妻の身体が腕の中にないことに気がついて目覚めた。
壁の時計五時半を指している。
一緒に寝るようになってからは、妻の柔肌を傷つける可能性のある腕時計など装飾品は身につけていない。
トイレにでもいったのだろうと待っていたが、それにしても遅い。
すっかりと妻ロスした両腕が虚空をつかめずに手持ちぶたさで寂しい。
ふと暗闇にスマホのあかりが灯っていることに気がついた。
こんな朝早くから誰に電話しているのだろう?
と思ったが、何かメモを書いている様子。
私を起こさないように部屋の電気をつけなかったのだと気がついた。
しばらくすると、スマホのあかりが消え、妻が近づいてくる。
ゆっくりと目を閉じ寝たふりを続けた。
布団をめくり、私の腕をゆっくりと持ち上げるとその間に体を潜り込ませてきた。
背中越しに抱きしめる形になる。
驚かせないようにゆっくりと抱きしめる腕に力を入れながら、なるべく小さな声になるように調節して耳元で囁く。
「おはよう。何をしていたのが気になるんだ。よかったらでいいから、教えてもらってもいいかな?」
一瞬、びくんと身体をふるわせた後、ゆっくりと身体の向きを変えた。
「起こしてしまいましたか? ごめんなさい、あなた」
腕を伸ばして私の首の後ろで手を組むと、そのまま力を入れた。
反動で妻の体が接近してくると、二人の顔が密着する。
「基礎体温をつけていましたわ。お姉さまに教えもらいましたの」
言い終わると同時に恥ずかしいのか、そのまま私の胸に顔を埋めた。
「私、ご承知の通り強欲で欲張りですわ。今でも十分に幸せだし、皆さんに良くしてもらっているのはわかっているわ。でも──」
抱きしめてくる腕に力が入るのを感じる。
心からの願いなのだろう。
何とかして叶えてあげたい。
「欲しいのです……」
交際開始以来、妻が自らの望みを言うことはほとんどなかった。
わがまま放題に育てられて来たはずなのに、無理を言うのはほとんどなかった。
「二人の子どもが──あなたの子どもが欲しいのですわ」
その妻が二人の──私との子供を欲しがっている。
その切実な願いが伝わって来て心が痛くなる。
それと同時に解決しなければいけない問題の多さに頭が痛くなる。
ゆっくりでいい。
慌てなくていい。
二人のペースでいい。
確実に歩みを進めていけばその先にはきっと。
その為には──恥ずかしいからこそ、この場ではっきりと言うべきだ。
「香澄、大事なことなんだ。驚かずに聞いて欲しい。このまま話しても大丈夫かい?」
「はい──大事なことならお聞きしますわ」
「恥ずかしいと思うけど、今度一緒にお風呂に入ろう」
「ダメです! いくらあなたといえども恥ずかしいですわ」
「そう、恥ずかしい。だけど、本当の夫婦の間には恥ずかしいことや隠しごとがあってはいけないんだよ」
「そうはいっても、恥ずかしいですわ」
「そうだね。恥ずかしいことだ──だから、急ぐつもりはない。その気になるまで待つよ。いつか素敵な香澄の全てを見せてくれる時が来るのを待ってるからね」
背中に回された腕にさらに力が加わるのを感じた。
同時に胸に当てられた妻の顔がさらにぐりぐりと押し付けられるのを感じる。
「ずるいですわ。本当にずるい──今でも恥ずかしいのですよ」
「ああ、私だって恥ずかしいんだよ」
優しく妻の背中を撫でる。
「嘘ですわ。男性は隙あら女性の裸を見ようとするのですわ」
「手厳しいな。ゲン爺の教えを乗り越えてみせるよ。ロリコン疑惑も乗り越えたんだ。信用してくれるよね?」
右腕を少し動かして頭を撫でる。
まとめた髪を乱さないように気をつけながら。
ゆっくりとゆっくりと。
「少し、待っててくださいまし。いつかはお見せしますわ。でも、今は無理ですの。心臓が──破裂しそうにドキドキしてますわ」
妻が頭を撫でていた私の手を掴むと自分の胸に押し当てた。
「ほら、わかるでしょう? ドキドキが止まりませんわ。今でさえもうこんなのです。もしあなたに裸を見られたら──死んでしまうかもしれませんわ……」
柔らかな胸の暖かさと鼓動の高鳴りが手を伝わってくる。
ドキドキ、ドキドキ。
同じ速さで私の鼓動も脈打っていることを妻は知らない。
いや、知らなくていい。
顔も真っ赤になっているだろう。
私の顔が──
とにかく伝えなければいけない。
胸が痛いくなるほど妻を愛していると。
残念ながら今さら脱出不可能だと。
「私も胸が苦しくて死にそうだよ。大好きだよ。愛してる。死ぬまで離さないよ」
「あら、私、わがままだと言いましたよね。一度手に入れたものを手放す気はないのですわ。あなたこそ、逃げようとしても無駄ですのよ、おあいにくさま。あなたは死ぬまで私のものよ」
「ああ、死ぬまで君のものだよ。願わくば来世も一緒になりたい」
「あら? 次はストーカーになるつもりかしら。でも、嫌じゃないですわよ」
「お眼鏡にかなって光栄です」
「では予約は受け付けたわ。キャンセル不可ですのよ」
「もとよりキャンセルする気はないよ」
「それでは誓いの、く、口づけをしてちょうだい。ほっぺたとかじゃないわよ」
一度落ち着きかけた鼓動が再び高まったのが右手を通して感じられる。
「ああ。大月雅は来世も大月香澄を妻とすることをここに誓います」
「私、大月香澄は大月雅を夫とすることをここに誓います」
布団の中で見上げてくる妻に優しく抱きしめながら口づけする。
ずいぶん長い時間口づけしていた。
だんだんと妻の鼻息が荒くなってくる。
微笑ましいことに口づけの最中は無意識で呼吸を止める癖があるようだ。
結婚式の最中に気がついたが、いまだに治っていない。
気を使ってほっぺたに代用していたツケが回った来たようだ。
今日からは遠慮せず唇を奪うことにする。
「はわわ。死ぬかと思いましたわ」
「子どもが生まれると──子どもたちの前でも口づけしてもいいかい?」
「教育に悪いですわ」
「本当に? 夫婦仲がいいのを見せるのはいいことではなくて?」
「ええ、教育に悪いわ。み、見えないところですればいいのですわ」
「そうだね。それでも回数は減ると思うんだ。だから──」
もう一度、妻の唇を奪う。
「はわわ。もう、いきなりなんてひどいですわ」
「子どもが生まれる前は遠慮しないことにするよ。今からだよ」
「そんな、ずるいですわ──」
「ずるい? 嫌がるなら無理強いはしないつもりだよ」
「ですから、ずるいのです!」
妻に引き寄せられると唇を奪われた。
胸の奥が熱くなる。
そのまま妻が震える声で続けた。
「あなたばかりずるいのですわ。私にも選択権があってしかるべきですの」
さらに続けて口づけされた。
呼吸が続かないので複数回にわけるというシンプルな答え。
「子どもが生まれる前に甘えたいのは私も……ですわ。ええ、甘えたいの、あなたに──」
言い終わると自分の言った言葉に耐えきれなくなったのか、再び胸に顔を埋めてしまう。
抱きしめ返すと少しずつ、呼吸が落ち着き、身体から力が抜けていく。
「離しませんわ……」
ぐりぐりと頬を押し付け、存在確認をする。
そんな可愛い妻を抱きしめたまま一緒に眠りについた。




