統治都市グランディア編⑨
街の見回りを始めてから、しばらく経った。
しかし、これといった進展はなかった。
蝙蝠のような異形たちが現れることもなく、住民の失踪についても新しい情報は得られていない。
「何も変わらないな」
俺は歩きながら呟いた。
「そうだな。こちらも警戒を続けているが、今のところ目立った動きはない」
アルベルトが答えた。
「石碑の方はどうだった?」
アンジェリカが尋ねる。
「それがな……」
アルベルトは少し考えてから話し始めた。
「古い記録や、祖父の代から伝わる話を調べてみた。すると、あの石碑について一つだけ気になる噂が見つかった」
「噂?」
「昔、あの場所で何かを封印したという話だ」
「何かって?」
「そこまではわからない。何を封印したのか、誰が封印したのかも記録には残っていない。ただ、そういう話が伝わっていたというだけだ」
「ふうん……」
俺は適当に返事をした。
封印か。
また面倒な話が出てきたものだ。
「その封印に関わった者についても、何か残っていないのか?」
アンジェリカが尋ねる。
「一部の古い言い伝えには、光を操る者が関わっていたという話もある。ただ、それも確かなものではない」
アルベルトはそう答えた。
「光を操る者……」
ユイナが小さく呟いた。
俺はユイナを見る。
何か思うところがあるのだろうか。
「ユイナ?」
「ううん。何でもないよ」
そう言って、ユイナは石碑のある広場の方を見た。
どうやら、まだ気になっているらしい。
「少し散歩でもするか」
「今からか?」
「広場に忘れ物をした」
「お兄ちゃん」
ユイナが言う。
「アルベルトも来るか?」
「そうだな。私も同行しよう」
こうして俺たちは、再び石碑のある広場へ向かうことになった。
すでに日は沈み、街には夜の静けさが広がっていた。
広場に到着すると、石碑は以前と変わらない姿でそこに立っていた。
周囲を確認し、石碑の表面や台座、地面まで詳しく調べてみる。
しかし、特に変わったところは見つからない。
「何もないな」
俺は石碑を眺めながら言った。
「そうだな」
アルベルトも言う。
しかし、ユイナは石碑から目を離さなかった。
「どうした?」
「何か……前と違う気がするの」
「違う?」
「うまく言えないんだけど……前よりも、何かが強くなっているような……」
ユイナは自分の胸元に手を当てた。
「私も感じる。以前ここに来た時とは明らかに違う」
アンジェリカも石碑を見つめている。
俺には、特に何も感じられない。
「気のせいじゃないのか?」
「わからない。でも、何か違うような気がする」
ユイナはそう言って、石碑を見上げた。
その時だった。
石碑の上空に、黒い影がいくつか現れた。
それらはゆっくりと降りてくると、石碑の真上で動きを止めた。
俺はすぐに気付いた。
「……あれは」
「え?」
「上だ。石碑の上を見ろ」
俺が指差すと、ユイナたちも上を見上げた。
しかし、すぐには見つけられないようだった。
「何も見えないが……」
アンジェリカが目を凝らす。
「もっとしっかり見てみろ」
そう言うと、ユイナが何かに気付いた。
「あっ……!」
「まさか、あの時の……?」
アンジェリカも気付いたようだ。
「闇の影……」
ユイナが呟く。
確かに、以前俺たちが取り逃がしたものと同じだった。
黒い影はしばらく石碑の上空に留まっていたが、やがて一斉に石碑へと降りていった。
そして、そのまま石碑の表面へ吸い込まれるように消えていった。
「何だ?」
俺がそう呟いた直後だった。
石碑の周囲から、いくつもの黒い影が飛び出した。
それらは四方八方へと分かれ、街の外周に向かって飛んでいく。
まるで、街全体を取り囲む何かに向かっているかのようだった。
「これは……!」
アルベルトが声を上げた。
しかし、それだけでは終わらなかった。
再び、石碑の上空に闇の影が現れた。
先ほどと同じように石碑の上で動きを止める。
そして、また石碑へと吸い込まれていった。
その直後、黒い影が四方へ飛び散る。
同じことが繰り返される。
最初はある程度の間隔があったが、次第にその間隔は短くなっていった。
「何が起きているんだ……」
アルベルトが石碑を見つめる。
石碑の周囲から、何かが膨らんでくるような感覚があった。
目には見えない。
しかし、確実に何かが大きくなっている。
「お兄ちゃん……!」
ユイナが声を上げた。
俺が振り向くよりも早く、ユイナは石碑に向かって走り出していた。
「ユイナ!」
「止めなきゃ……!」
ユイナは両腕で石碑を抱え込む。
何をしようとしているのか、俺にもわからない。
ただ、ユイナは何かを感じ取っているようだった。
その瞬間。
石碑の周囲に、何かが姿を現した。
それは光の囲いだった。
石碑全体を包み込むように存在していたらしい。
しかし、その光の囲いには無数の亀裂が走っていた。
「なっ……!」
アルベルトが目を見開く。
次の瞬間、光の囲いが大きく砕け散った。
凄まじい衝撃が広場を襲う。
「きゃああっ!」
ユイナの身体が吹き飛ばされた。
砕け散った光の破片は、空中で形を失っていく。
それらは普通の光へと変わり、まるで吸い寄せられるようにユイナの身体へと流れ込んでいった。
「ユイナ!!」
俺は思わず叫んだ。
「ユイナ!」
アンジェリカも駆け出す。
リナも驚いた表情でユイナの方を見た。
ユイナはそのまま地面に叩きつけられた。
「くっ……!」
俺は膝の痛みを気にする余裕もなく、ユイナの方へ向かおうとした。
しかし、その時だった。
石碑から、ただならぬ闇が立ち上った。
それは柱のように上空へと伸びていく。
闇の柱はしばらく広場を覆い尽くしていたが、やがてその中から何かが姿を現した。
長い腕。
指先には鋭い爪。
腕から脇腹にかけては、蝙蝠のような翼膜が広がっている。
人間のように二本足で立つその姿は、異形そのものだった。
顔には小さな目が二つ。
暗闇の中で、その目だけが赤く光っていた。
「……夜蝠?」
アルベルトが呟いた。
「やふく? 知っているのか?」
俺はアルベルトに尋ねた。
「ああ……昔、祖父から聞いたことがある。夜蝠という異形の話をな」
「話?」
「夜になると現れ、人を闇に取り込むという……。まさか、実在していたとは」
アルベルトは信じられないといった様子で、その異形を見上げていた。
すると夜蝠は、ゆっくりと腕を持ち上げた。
その背後から、何かが次々と現れる。
人間ほどの大きさをした、蝙蝠のような異形だった。
それらは一斉に空へ飛び立つと、街のあちこちへ散っていった。
「まずい!」
アルベルトが叫んだ。
次の瞬間、街の方から悲鳴が聞こえてきた。
「きゃあああっ!」
「何だ、あれは!」
「逃げろ!!」
蝙蝠のような異形が住民に襲いかかっている。
捕まった住民の身体は黒い影に包まれ、やがて人の形を失っていく。
そして、そのまま闇の影へと変わった。
闇の影となったものは、空中に浮かび上がり、夜蝠の方へと吸い寄せられていく。
「人間を……取り込んでいるのか」
アルベルトが呟いた。
「アルベルト!」
アンジェリカが声を上げた。
「これが、以前話していた異形だ」
「ということは、あいつが親玉か……!」
アルベルトは夜蝠を睨みつけた。
街は一気に大混乱となった。
兵士たちが住民を守るために動き始める。
「住民を広場から遠ざけろ!」
アルベルトが兵士たちに指示を出した。
「リナ、住民を守るぞ!」
「はい!」
アンジェリカは杖を構え、飛んでくる異形に向けて魔法を放った。
リナも水裂を構える。
圧縮した水の弾が、蝙蝠のような異形を撃ち落とした。
「くっ、数が多い!」
アンジェリカが叫ぶ。
俺も仕方なく、近くにいた異形を相手にすることにした。
まったく、次から次へと面倒なことばかり起きる。
アルベルトも剣を抜き、兵士たちとともに戦い始めた。
しかし、夜蝠自身も動き始めていた。
長い腕を伸ばし、逃げ遅れた住民を捕まえる。
捕まった人間は、たちまち闇の影へと変わっていく。
そして夜蝠は、それを自分の身体へと取り込んでいった。
その様子を見て、俺は眉をひそめた。
あいつは、ただ眷属を使って人間を襲わせているわけではない。
自分自身でも、人間を取り込んでいる。
一体、何が目的なんだ。
その時だった。
「ユイナ!」
アンジェリカの声が響いた。
俺はそちらを振り向いた。
ユイナは、吹き飛ばされた場所から動いていなかった。
地面に座り込んだまま、自分の両手をじっと見つめている。
「ユイナ! どうした!」
アンジェリカが声をかける。
しかし、ユイナは返事をしなかった。
ただ、自分の両掌を見つめている。
そして、ゆっくりと呟いた。
「……何? これ?」
その体には、先ほどまでとは違う何かが宿っているようだった。




