最終話 彼と彼女のはじまり
思わぬ腕っ節の強さを見せたヴァルエルスの一撃により、ジナシーはあえなく昏倒。騎士達により、即座に捕らえられた。
しかし、この騒ぎでは祝賀会どころでは無いだろうと、賑わい始めていた場はたちまちお開きとなる。
そんな、人がまばらになりつつある広間で、リトゥスはラルゴと向き合っていた。顔をしかめたヴァルエルスが隣にいるのは、ご愛敬だ。
「悪かった!」
「もういいのに」
「いや、よくない。……俺は、今回の事で、自分の目がいかに曇っていたか、どれだけ狭い世界で生きていたかを痛感した。……広い世界を知るべきだと、里を出て暮らす機会も貰っていたのに、俺は活かすどころか得た知識も感性も、全て無駄にしていた。そして、本当に……取り返しの付かないことをしでかした」
初めから女だと知っていれば、ラルゴの態度は頑なにならなかったかもしれない。だけど、そうすれば二人は剣を交えることも無く、今よりもっとよそよそしい関係で終わった可能性もある。
「ラルゴ、謝らないで。僕はもう本当に、大丈夫」
分かってもらえた。それでいい。
ラルゴの事が分かった。それだけでいい。
もう、二人とも大丈夫だと、リトゥスは笑いかける。
「……俺は、里に戻ることにした。この脆弱な心を、鍛え直してもらうと思っている。心身共に鍛錬し、お前のような誠実な友を、二度と失わないように」
「うん……、ありがとう」
友という響きに、くすぐったくなった。
認められたことに、なんだか誇らしげな気分になる。
喜ぶリトゥスに、ラルゴは少しだけ声の調子を落とした。
「……お前は……まだ戻ってくる気は、ないのだろう?」
「うん」
「そうか。……だが、気が向いたら、いつでも――」
「しつこい。戻らねぇっていってんだろ」
それまで黙って二人のやり取りを見守っていたヴァルエルスが、とうとう焦れた様子で口を挟んだ。
向かい合う二人の間に割り込んでくる。
「これは、極めて私的な話だ。雇い主のお前が、決めることでは無いだろう」
個人的なことにまで口を挟むなと、ラルゴが呆れた眼差しを向けると、ヴァルエルスは気にもとめずリトゥスの肩を引き寄せると、そのまま頬に唇を寄せた。
「……は?」
「へ」
ラルゴとリトゥスの口から、間抜けな声が漏れる。
「勇敢な姫は、悪い悪い魔法使いに捕まったので、帰れません。はい、お邪魔虫さようなら!」
言うやいなや、そのままリトゥスを抱き上げると、ラルゴの前からさっさと走り出す。
「お、おい! 待て、お前達そういう……!? 俺は、お前の家族に、なんて説明すれば……!」
悲鳴じみた声が聞こえるが、振り返ることすら許さず、リトゥスを抱えたままのヴァルエルスはガラス扉から、庭へ飛び出した。
満天の星に、月が浮かぶ、澄んだ夜の庭。
人気が無くなったところで、ようやくヴァルエルスはリトゥスを地に下ろした。
「あー、ホントしつこい奴だった」
「…………」
リトゥスは先ほど頬に触れた柔らかい感触を思い出し、顔を真っ赤にする。
「おい、リトゥス?」
「は、はいっ!?」
「そういう事だから……覚悟しとけよ」
「どういう事ですか!? か、覚悟って……!」
「顔真っ赤で、何言ってんだ。――わかってるんだろ?」
至近距離で見つめられ、リトゥスは二の句が継げない。
バクバクうるさい心臓の音が、ヴァルエルスに聞こえやしないかと心配になる。
「用心棒は、今日で終いだ。お前には、別の……それも、とびきり大事な用がある」
「だ、大事な用、ですか?」
「ああ。引き受けてくれるか? むしろ、引き受けてもらえないと困る」
「ぼ、僕で出来ることなら……」
「お前しか、出来ないんだよ」
頬を、両手で挟まれて、熱っぽい目が向けられる。
「――オレと、恋をするっていう、大事な用事だ」
「……え」
「返事は?」
囁くような問いかけに、リトゥスはこくりと頷いた。
そして、近付く距離の中、ぎゅっと目を閉じる。
「オレと、運命的な恋をしようぜ、可愛い人」
はい、という言葉は吐息に呑まれる。
――月明かりに照らされた二人の影は、静かに重なった。
◆◆◆
王都一の占い師ヴァルエルス、彼の店は《夕暮れ通り》の細い道の奥にある。
武神祭から数日を経た今日は、なぜだかとても、賑やかだった。
「だから! なんで、リトゥスが出ていかにゃならねーんだよ! オレがいいって言ってるんだから、このまま一緒に住んでればいいだろうが!」
「このクソエルス!! リトゥスは嫁入り前の娘だぞ! テメェみてーなスケコマシ野郎と一緒においておく事が、よろしくないって言ってんだよ!」
「……時々、親父みてーな事いうよな、ガイルって」
ヴァルエルスは顔をしかめながら、二人の間に立っておろおろしているリトゥスの手を引く。
「言っとくがな、リトゥスとオレは恋人同士なんだよ。一緒に住んでたって、おかしくないだろう。なぁ?」
肩を抱かれて囁かれ、リトゥスは真っ赤になり口ごもる。
反対に、ヴァルエルスはとても上機嫌になった。
「かぁーわいい」
「人の話を聞きやがれ、クソエルス! リトゥスの事情は分ったけどな、それならなおさら親御さんにご挨拶が必須だろうが! ……リトゥス、嫌なら嫌だってはっきり言え。なんなら、殴れ。でないと、この馬鹿は際限なく調子に乗るぞ」
事情を全て話した後のガイルは、まるで兄か父のように自分とヴァルエルスを心配してくれる……そう考えると、リトゥスはある言葉が自然と口をついて出た、
「……ガイルさんって、なんだか兄上みたいですね」
思わず出た、本心からの言葉。途端、ガイルは虚を突かれたように、ぽかんと口を開け固まった。
「うん。兄貴は優しいし、面倒見が良いんだ」
「顔は悪党面だけどな」
ルードが、リトゥスの言葉に同意して何度も頷く。ヴァルエルスも茶々を入れつつ、否定しない。
三人から笑顔で見つめられたガイルは、顔を真っ赤にした。
「う、うるせぇ! そんなんじゃねぇよ! ただな、このスケコマシ野郎の普段の行いが行いだから、心配なだけだ! ……なぁ、リトゥス。住む場所なら、良いところを知ってるから、やっぱりここを出ろ」
照れ隠しに叫んで、それからまた真顔になったガイル。すかさず、ヴァルエルスが噛み付く。
「あぁ!? どうせ、テメェの女がやってる宿屋だろ? 金が掛かるだろうが!」
「嫁入り前の娘を、不健全野郎と四六時中一緒に置いておくより、遙かにマシだろうが!」
「好きな女に触りたいって思う事の、どこか不健全だ! 限りなく健全な証拠だろうが! つーか、まだ何もしてねぇのに、ふざけた事ばっかり言ってんじゃねぇぞ、豚野郎!」
あまりよろしくない事を、思い切り叫ぶと、ヴァルエウルスはぎゅっとリトゥスを抱きしめた。
「おぉ~、ヴァルエルス大胆」
ますます真っ赤になるリトゥスの耳に、ルードののほほんとした声が聞こえる。
次いで、ガイルの声も。
「思ってても普通、そこまでベタベタしないんだよ! あと、威張るな! まずリトゥスを離してから啖呵切りやがれ、エロエルス!!」
「うるせぇ! これ以上、オレの恋路を邪魔するなら、あぶり焼きにすんぞ、クソ豚ぁっ!」
言い合いを続けていたヴァルエルスだったが、ふと真顔になると、リトゥスを見下ろす。
「なぁ、リトゥス……出て行くなんて言わないよな?」
「……え?」
縋るような眼差しを向けられて、リトゥスの心臓がはねた。
そのまま、だめ押しのように迫られる。
「豚野郎の甘言にそそのかされて……ここから出て行くなんて、言わないだろ?」
「は、はい……!」
思わず頷けば、ヴァルエルスは子供のように無邪気に笑い、ぎゅーぎゅーと抱きしめてくる。
「おら、聞いただろ。リトゥスだって、出て行かないって」
「ふざけんな馬鹿! 今のは、明らかに言わせたんだろ! ……ったく、どんだけ余裕がないんだよ」
「本気だからな」
呆れたガイルに向かって、ヴァルエルスは先ほどまでの口喧嘩とは打って変わって、真剣な声音で言った。
「…………」
ガイルは難しい顔で黙り込むと、隣の弟分と視線を合わせ……――大きく頷き合った。
そして再び、リトゥスと……背中にひっついたままのヴァルエルスを見て、笑う。
「ヴァルエルスが、迷惑ばっかりかけて悪いな、リトゥス」
「ヴァルエルス、迷惑! ヴァルエルス、迷惑!」
「うるせぇ! まだ、そんなに迷惑かけてねぇだろうが! ……かけてないよな?」
子供のように唇を尖らせるヴァルエルスに、リトゥスは頷く。
「どちらかというと、僕の方が迷惑をかけている気がします」
「んな事ねーよ」
「そうですか? ……ヴァルさんは、優しいです」
「……お前は可愛いな」
ちょっとだけ頬を染めて呟くヴァルエルス。リトゥスは、その不意打ちに照れるが、ガイルとルードは違った。
「……やべぇ、鳥肌立った」
「兄貴、おれは胸焼けした。際限無く砂糖を吐きそう、おえ……」
「耐えろ」
「うるせぇぞお前ら! ニヤニヤしながら、失礼な事ほざいてんじゃねぇ! 用が済んだら帰れよ!」
はいはいと肩をすくめる、二人組。
彼らは最後に振り返ると、リトゥスに言った。
「手の掛かる奴だが、よろしく頼む、リトゥス」
「よろしく、リトゥス」
リトゥスは、満面の笑みで頷く。
ガイルとルードも、同じくらい嬉しそうな笑顔を返してくれた。
「リトゥスに愛想尽かされるような事すんじゃねぇぞ、ヴァルエルス」
「しっかりやれよ! ヴァルエルス!」
「やかましい!」
ヴァルエルスには軽口を叩き、怖い怖いと肩をすくめて笑った二人は、笑顔のまま店を出て行った。
「それじゃあ、またなお二人さん」
「お邪魔様~」
「ほんとに邪魔しに来ただけだな」
皮肉で見送ったヴァルエルスは、二人きりになると途端にそわそわとし始め、リトゥスから離れる。
そして……――。
「あ、あー……茶でもいれてくる」
「僕がやりますよ」
「そ、そうか……じゃあ、二人でやろう」
時々こうして、一つのことを二人でやりたがるのだ。
こういう時のヴァルエルスは、ちょっとだけ遠慮がちで、リトゥスが「はい」と頷くと、瞳を輝かせる。
「なんかいいな、こういうの」
「え?」
「……オレの、憧れだったんだ。――なんつーの? 共同作業……的な?」
「…………」
「おい! ここで顔を赤くして黙るなよ! ……オレも恥ずかしくなるだろ」
「す、すみません……!」
そんな他愛ないやり取りでも、彼は笑う。だから、リトゥスも笑みを浮かべた。些細な幸せを、心の底から喜びながら……。
――王都一の占い師、ヴァルエルス。最近の彼には、一つの噂が付きまとう。
なんでも、どこぞの女に、すっかり骨抜きにされたと。だから夜遊びもとんとご無沙汰なのだとか。
けれども、からかわれると、彼は何時ものように自信に満ちた笑みで、こう答えるそうだ。
『なにせ、運命の恋に出会っちまったからな――は? 恋を引き寄せる秘訣? そりゃあ、お前……自分だけの《宝石》を見つける事だ』
――彼の《宝石》は、今もヴァルエルスの隣で、頬を赤くしたり笑ったりと様々に色を変え、きらきらと輝いている。




