■6つのセリフの御題―「重いなあ」 [プレ/?]
どこにでも流行はある。
しかも同じような流行が。
「この石を持ち上げられたら、あなたは勇者に違いない!」
……こんな馬鹿げた催しは、結構大陸中にあるもので。
しかも結構、人気があるもので。
「どこから持ってきたんだこの石……」
というような謎の石が、広場の中央にあるわけで。
「勇者の称号を手にしたあなたには一億ラープ!」
なぜに勇者に大金を与えなくてはならないのか、意味不明なわけで。
でもまあ――
手を出してみるのも面白いわけで。
ラッセルの町の広場で、集団に混ざっていたセレンを見つけたシグリィは、何気なく立ち寄ってみた。そしてその先にあったのが、「勇者になるための石」コーナーだ。
「この石を見事持ち上げた勇者に一億ラープ!」
痩せ細った男がそんなことを言い、町人が次々と挑戦しては、次々と失敗していった。
セレンは観衆の中で、しきりに首をひねっていた。
「魔術かけてる様子もないのよね。なんであんな小さな石を、誰にも持ち上げられないのかしら」
そんな彼女のつぶやきが聞こえるほど隣に来たシグリィは、つんつんと彼女の肩をつついた。
「わっ!」
セレンは飛び上がりそうなほど驚いた。それほど夢中だったらしい。
「シグリィ様ぁ。驚かさないで下さい」
「なら驚かないで気づかせる方法を教えてほしかった。……まあ何をやっているところかは分かったが……」
シグリィは石と、傍らの痩せ細った男を見比べて、目を細めた。
「ふうん……」
「シグリィ様、カラクリ分かります?」
「ん? カラクリ?」
聞かれたことの意味が分からない、というような返事をしてしまったら、セレンは不満そうにぷうっと膨れた。
「だからぁ、あんな小さな石が誰にも持ち上げられないカラクリですよお!」
「小さな石」
つい口に出してつぶやいた。
たしかに、町人たちがかわるがわる持ち上げようとしているのは石だ。ぱっと見十キロほどありそうな石。決して誰にも持ち上げられないような重さではない。
しかしシグリィは、
「……小さな石、か……」
おかしく思って、唇の端を上げた。
「シグリィ様?」
「お前は挑戦したのか? セレン」
「してませんよ。私のこの靴で出来ると思いますぅ?」
ヒールの高い靴を見せて、セレンは唇をひん曲げる。
しかし、シグリィは微笑んだ。
「そうか、挑戦してないのか」
「は?」
「私は挑戦してこようかな」
そう言って、とことこと挑戦者の列に並ぶ。
順番はほどなくしてやってきて、
「次は!……ん、君かい?」
痩せた男に不審そうに見られてしまった。子供だからだろう。シグリィ、当年とって十五歳。
何しろ今まで、力自慢の筋肉質男ばかり挑戦していたのだから、線の細いシグリィは異質すぎるに違いない。
とは言え。
「勇者だって子供の時期はある」
「それはそうですねえ」
「ちなみに――」
シグリィは観衆の方を指差し、
「あそこにいる長い黒髪の、杖を持った女性。彼女は私の連れだから」
途端に痩せた男の目に何かが走った。
「そうですかそうですか。ではあなたもぜひ挑戦なさって下さい。あなたは見れば見るほど勇者らしい、上がりそうな予感が私はしています!」
「それはありがとう」
そしてシグリィは石に手をかけた。
両手で持ち上げるような形を取る。
石は――
力を入れた瞬間、ふっと重みが消えた。
このままでは簡単に持ち上がる。傍らでは痩せた男がわくわくとその瞬間を待っているようだ。
しかしシグリィは、
石を地面に置いたまま、力だけこめるようなしぐさをして、
「重いなあ」
と言った。
「重くて持ちあがらない。私も勇者じゃないらしい」
「え、そ」
そんなはずは――
痩せた男の心の声が聞こえるようだった。
やがて一生懸命頑張った――風に見せかけた――後、シグリィはぱっと石から手を放し、
「無理だった。期待に添えられなくてすまない」
痩せた男が呆気に取られている。男が次の手を打ってくる前に、シグリィは言った。
「私の連れはもう一人いるんだ。彼なら持ち上げられるかもしれない。後で彼にも挑戦してもらっていいかな」
ほっとしたように、痩せた男は揉み手をした。
「もちろん、挑戦者は無限に募集しておりますとも」
「ありがたい」
シグリィはさっさとその場から引っ込んだ。
そして観衆の中にいたセレンの元へ行くと、
「セレン、アミュレットを通してカミルを呼べ。私が呼んでいるとな」
「え? いいんですか?」
「いいから」
セレンは首にかけている首飾り――アミュレットにはまっている石、サファイアをぐっと握って念じる。
「――通じました。今宿に戻るところだったそうです」
「買い物の帰りか」
「そこまで聞いてませんけど……シグリィ様。この大切なアミュレットをこういう風に使うの、やめません?」
「ほんのたまにのことだろう。私が作ったものだから、私がいる限り壊れないしな」
不満そうなセレンに、シグリィはすまし顔でそう言ってやった。
小一時間ほどして、カミルはやってきた。腰の剣以外手ぶらだった。
「お急ぎじゃないとおっしゃるから、荷物を宿に置いてから来たんですが――」
「よく来た」
シグリィはそれだけ言うと、「ん」と勇者になれる石を指差した。
もう夕方で、観衆は散り散りになり始めていた。自分の日常を思い出したのだろう。
あまりに誰も持ち上げられないから、だんだん熱も冷めて、やがて日常という大切なものの方が強く思い起こされる。
しかし痩せた男はまだ、ほこほことした顔でいた。ちらほら残っている観客にまんべんなく視線をやっているようでいて、ちらちらとシグリィたちを見ている。何か言いたげなのだ。
「勇者の石ですか? 噂なら商店街で散々聞きましたが」
カミルはうさんくさそうに、地面に置かれている小さな石を見つめる。そして「ん……?」と眉をひそめた後、
「シグリィ様、あれは――」
「とりあえずカミル、あれを持ち上げてこい」
カミルの言葉を遮って、シグリィは命じた。
はあ、とカミルは気の抜けた声を出した。
「持ち上げるのですか?」
「そう」
「……ただ、持ち上げるだけ?」
「そう」
にこにことシグリィは機嫌よく応答する。カミルは首をかしげかしげ、痩せた男のところへ行った。挑戦者の列はもうないのである。
「ああ、あなたが彼のお連れさんで!」
大仰な痩せ男は、嬉しそうに「お待ちしておりました」とカミルの手を握る。
カミルは嫌そうな顔をした。それには気づいていないかのように、痩せ男は石を示す。
「ささ、あの方がすすめる方ならきっとあなたこそ勇者。ぜひぜひ」
「………」
カミルは無言で石に手をかけた。シグリィのやったように、両手で持ち上げるような体勢。
そして石は、
ひょい
持ち上がった。
あまりにも呆気なかった。
「軽いですよ」
カミルは片手一本に持ち上げて、しらっとした目で痩せ男を見る。
おおおお! と痩せ男が大げさに拍手をした。まばらな観衆からも、つられたように遅れて拍手がぱらぱらとこぼれてくる。
青年はちっとも嬉しくなさそうに、
「シグリィ様」
と主を呼んだ。「この先どうするおつもりですか」
「おお、シグリィ君とおっしゃるのかな。彼とお連れさんもぜひ、こちらへ! 商品を贈呈しなくてはならない」
「カミル、すっごーい!」
セレンがパチパチと激しく拍手をしながら、興奮顔で走ってくる。「ちょっと見直したわよ!」
「お前なら持ち上げられると思った」
シグリィも笑顔でやってくる。
カミルはとうとう、じろりと主を見た。
「いい加減にして下さい、シグリィ様」
あはは、とシグリィは笑った。
「見た感じすぐには悪事を起こしそうになかったものだからな。ターゲットをセレンに絞らせたおかげで」
「それにしたって……」
「え、私がなんですか?」
渋い顔のカミルと、きょとんとした顔のセレン。
「という訳なんだが……分かるかな、お前たち」
シグリィはいたずらっこの笑みを崩さずに、痩せ男を見やる。いや、痩せ男と、カミルの手の内にある石――を。
少年の言葉に。
ようやく何かを悟って、痩せ男が引きつった。
「ば、馬鹿な」
「そう、馬鹿だ」
うん、とひとつうなずいて、「セレンを囮にしただけで、簡単に引っかかってくれてありがとう。――貴様ら外道に礼などもったいない言葉だがな!」
カミルの手の上から、石がぴょんっと飛び上がる。逃げようとする。
しゃっ
金属音がして、いつの間にか抜かれたカミルの剣に、石は一刀両断された。
きええええ、と奇妙な悲鳴を上げて、石が塵となり消えていく。
「お、お前らは……!」
痩せ男の手が膨れあがった。獣の手。殴れば岩をも砕きそうな腕と、長く鋭い爪。さらには背中から、ばさっとこうもりの翼が現れる。片翼だけ。
「《人型》」
にこ、と笑ってシグリィは追い討ちをかけた。
「勝てると思うか?」
《人型》は走り出した。観衆がいたはずの――場所へ。人質にしてやる、そういう意気込みだったのだろうが。
しかし公園には――
もう人っ子一人おらず――
「な、なぜだ……!」
霧が立ち込める。足下から上がってくるその霧に、《人型》はなみなみならぬ恐怖を感じる。
呑み込まれた瞬間から自分が消え去っていくようで。
「や、やめてくれ!」
「うまそうな人間を吟味するために、色んな人間が集まるように仕向けた手は、まあ褒めてやらんでもないが」
少年の声が、遠く遠く聞こえた。
「この手でどれだけの人間を喰ってきたのやら。ああ、お前らを見ていると哀しくて仕方がないよ。いくつの魂がお前の中に封じられているのか――」
霧はどんどんと上がってくる。《人型》を呑みこみながら、胸の上まで。
ひい、ひい、と《人型》は霧の中を泳ぐ。しかし動いている感覚が全くない。全てを奪われていく。
「助けてくれえ!」
叫んだとき、
……冷え切った少年の声が、ぽつりとつぶやいた。
「皮肉だな。お前たちを前にして人間たちが一番言うだろう言葉……お前たちは《人型》となって初めて口にするようになる」
霧は、《人型》を頭まで呑み込んだ。
しゅうしゅうと、立ち昇った煙は霧にまぎれて消えていった。
「……うっそお……」
一番信じられなさそうな顔をしていたのはセレンだ。「あれ、“迷い子”だったんですか?」
「今見て分かったろう?」
霧を全て消した後、シグリィたちは残っていた観衆が全員まだ熟睡中であることを確かめた。
彼らが目を覚ましたとき、ショウは消えてなくなっているように見えることだろう。
「極上の朱雀であるお前が欲しかったから、私の言葉にのったのさ。――カミル、悪かったな」
「別に構いませんが……」
「全然構いませんな顔をしていないが」
宿に戻るか。身を翻すシグリィに、カミルがついていく。
「待って下さいよう!」
遅れてセレンがスカートを翻す。「あの、まだ疑問が~」
「何だ?」
歩みを止めずにシグリィは促した。
「あの石は?」
「“迷い子”の体の一部だよ。思うままに操れる体の一部」
見ただろう、と少年は言う。
「片翼しかなかった“迷い子”」
セレンが口をつぐんだ。全ての疑問は晴れたらしい。
「さて、今日の夕食は何かな」
シグリィが背伸びをすると、
「宿の厨房から見えたのは、たしか鳥の姿似でしたが……」
ここにきて、セレンがひいっと悲鳴を上げた。
―FIN―




