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■6つのセリフの御題―「もうなくさないでね」 [プレ/シリアス]

 ――大切なものをなくしてしまった――


 雨が降る。

「今夜の野宿はきついな」

 主たる少年が、木陰から空を見上げる。「一番近い村であと二十キロ、か」

「四時間くらいですか」

 と私は計算した。

 いや、

「雨の影響を考えると……五時間はかかるかもしれん」

 と少年は言う。私はうなずいた。

 もう一人、旅の連れの女を見ると、靴を替えていた。いつものヒールの高いものから、雨の日に履くゴム靴に。

 彼女はこのゴム靴を嫌う。とんとんと爪先で比較的硬い部分の地面を叩き、

「だから雨ってやなのよね……」

「我慢なさい、セレン」

「はいはい。雨がなければ自然は循環しない、でしょ、カミル先生」

 べーっと舌を出すセレンがとても小憎たらしかった。どこかにいる生意気な生徒のようだ。

「まったく。あっちこっちで学校の臨時教師の賃仕事やってるからって、こうも説教臭くならなくてもいいと思うのよね」

 ぶつぶつと言う彼女に何か言う前に、

「……カミルは天然だと思うぞ」

 と少年に言われてしまって、ぐうの音も出なくなってしまう。

 その通り。自分は幼い頃から口うるさかったと自覚がある。

 ……そういう生活をしていたのだから、仕方がない。

 雨がぱらつき始めた空を見上げる。曇り空。果てなく世界を覆う灰色。

 ふと、心の中の灰色が反応する。


 ――大切なものは、どこへ――?


「……何を考えているんだ、私は……」

 思わずつぶやくと、ん、と少年とセレンが振り向いた。

「どうかしたか?」

「いえ、何でもありません」

 慌てて否定した。本当に、どうしたんだ自分は。

「………」

 少年は真顔になった。すたすたと歩み寄ってくると、すっと手を伸ばしてくる――額まで。

 反射的に避けると、

「大人しくしろ」

 厳しく言われ、動けなくなった。

 少年は再度手を伸ばし、額に触れた。彼の手はいつでも冷たい。その手が、何かを感じ取る。

 少年は苦虫を噛み潰したような顔をして、

「どうして黙っていた?」

「は、いえ……」

 今から移動なのですから、と弱々しい言い訳をしてみると、

「それどころじゃないだろう。こんな高熱で――セレン、寝床の用意だ」

「え、ほんとですか? やだもーカミルったら。ちゃんと言ってよね――今用意します」

「大丈夫です!」

 思わず大声を上げた。

「……気にしないで下さい。私は、大丈夫ですから」

 繰り返し言うと、少年は困った顔をした。

「お前が熱を出すとはよほどだろう。雨の中ではあるが幸い木陰だ。五時間の強行軍に賭けるより、休んだらどうだ」

「寝ている場合ではないんです、私は、仕事が」

「……仕事? 私の護衛じゃないのか? 護衛が先に倒れてどうするんだ?」

「ですから仕事です。食料を買出しに行かなくてはならないし、赤ん坊たちの世話も私の仕事だ、弟も妹もちっとも言うことを聞かないんですから、彼らの仕置きもしなきゃならない、それから料理をして夕食の準備をして、それから」

 次から次へと言葉が流れ出てくる。そうだ自分は寝込んでいる場合ではない。寝込んだら家族が機能しなくなってしまうのだ。

「呑気に眠っている場合じゃない! ああ雨か、洗濯物を取り込まなくては。シンディに任せておいたのでは洗濯物がしわくちゃになる! 夕食の準備はジョゼットに手伝ってもらうとして」

「カミル、何か変よー?」

 聞こえる、女の声が。

 ――この声は誰の声だったか? 家族には、いない声だ。

 しっ、と誰かに『静かに』の合図を送っている者がいる。

「……カミル?」

 誰だそれは?

「カミル。お前はカミルという男ではないのか?」

 違う。俺はそんな名前じゃない。俺は、

 ぱきっと指を鳴らす音がする。

 急にふ……っと意識が遠のいた。

『答えて』

 遠くから、いや近くから、いや周り全体から、性別不明の声が響いてくる。

『熱にうかされているお前から過去を聞き出すつもりはないんだ。だから、答えて。何が望みだ?』

 望み……?

 なぜそんなことを訊くんだ? 心は警戒したつもりでも、ゆったりゆったりと体がどこかに浮かんで心地よさを訴え、自然と警戒心が解けていく。

 何も、混乱することはない。

『何が欲しい? 何をして欲しい? 何でもいい、望みは?』

 ――……


 たいせつなものをなくしてしまった


『大切なものとはなんだ?……分かるかな』

 優しい声だった。

 答えようという気になった。

 けれど……

 こめかみに頭痛が走った。自分の望みとは何だ?

 いや、自分の望みとはいつだって――

 家族とともにあること――

 雨がざあざあと降る中に。

 見える。たくさんの家族たち。自分の家は宿で、孤児もたくさんいて、だから弟妹がたくさんいて、最年長の自分が世話をして。

 ――おにいちゃん。

 翻るスカート。

 名を呼ばれた瞬間に。


 思い出した。自分は『カミル』だということを。


 ああ、

 ああそうか、

 自分の望み。ひとつしかない。

 ――家族とともにあること――


 困ったように、笑う気配で空気が揺れた。

『今は、私たちが家族だろう? カミル』

 私はゆっくりとうなずいた。


 遠のいた意識の中で、スカートを翻す彼女は優しく微笑む。

 ――そう、あなたにはもう新しい家族がいる。

 その通り、私にはもう新しい家族がいる。繰り返すように、言った。

 彼女は、にっこりと笑った。


「もうなくさないでね」


 それは不思議なほど鮮明に聞こえた声。

 瞼を上げた。

 白昼夢は消え去った。

 雨上がりの、虹がかかった。


「おはよう」

 と少年の声がする。

 ん……と目をまたたくと、陽射しが見えた。

「雨は……上がったのですか」

「とうの昔にな」

「もう日付変わってるのよーカミルー」

 セレンの言葉に、信じられず目を見張る。

 顔をのぞきこんでくる二人。微笑んで、なぜか二人で片方ずつ、私の手を握った。

 主たる少年。

 パートナーたる娘。

 ――今は、私たちが家族だろう?

 もうなくさないでね。

 握った手。私はくすくすと笑う。

「二人して、体温が低いのですから」

「あー、文句言うのっ」

「二人でお前にくっついてぬくぬくするのが趣味ということにしておこう」

 私が傍にいるのか。

 二人が傍にいてくれるのか。

 結局は同じこと。

「私は二人の手を間違えませんよ」

 まだだるい体。目を閉じながら、私は言った。

「こんな冷たい手は、他にはいないでしょうから」

 明るい笑い声が聞こえた。

 こんな笑い声に包まれて、今。

 自分は生きている。


 家族とともに、今も。ずっと――



 ―FIN―

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