日常の再開
F地区襲撃事件から10日が過ぎた。政府の正式発表は、AI勢力による威力偵察である。そのため、現地では妙な噂が立っていた。
現在、区役所の南に出来た更地では、復興需要を当て込んで来た業者を集めたフリーマーケットが開かれているのだが、そうした余所者の間でも噂が流れ、今もとある露店商の店先で話題となっていた。
「秘密兵器があるらしいんだよ。それを潰しに来たってぇ話だ」
「でも倒したのはDAだって話ですよ? う~~ん、これはイマイチかなぁ」
「そのDAだがな、1機は陸軍で間違い無い。だが他に白いのと黒いのがいて、その2機がそうだ、てぇ話だ。これ試してみな」
「ありがとうございます。へえ~~白黒のDA……あ、これ美味しいですね。味がぎゅっと凝縮されてて」
しゃがみこんで、昔ながらのグラム売りをしている露店商のオヤジと話しているのは、伊藤だ。
伊藤の用事は物資の調達である。噂でも情報としてありがたく頂戴するが、彼にとってはどうでもいい事だったりする。
それなりに人通りがあるにも関わらず、ドライフルーツや乾燥野菜の試供品をポリポリやりながら、人好きのする笑顔であれやこれやと聞き出す斜め後ろには困惑した顔の淺井が立っているが、お構いなしに話が弾む。
「おう、中々のもんだろ? 天下の住笛商事が廃村を買い取って成功させた農園のやつだ。100gのパックで380円だけどな」
「そんな高いのを試食に出すとか太っ腹ですね。う~~~ん。箱買いならどこまで下げられますか? というか業者向けってあります? 米袋みたいなのがあればうちの社食に卸して欲しいんですが」
「いやいやいや、そこまでの量は扱ってないぞ。たまたま持ってただけだ」
「それは残念。じゃあ、出張メンバーの分だけでいいかな? ドライフルーツミックスを6パック下さい」
「まいどっ。2280……いや、2000円でいいや」
「え? いいんですか?」
「ご縁があればまた。て事でな」
「それは……ありがとうございます。じゃあ申し訳ないので、プラス1000円で情報を売って頂けませんか? 被災者に真面目そうな若手がいたら、何人か弊社で雇えないかなと考えていまして」
伊藤は財布から1000円札を3枚出して、偽の名刺と共に店主に渡した。
情報収集のため、区役所北の炊き出しエリアに向けて移動を開始した伊藤と淺井。それぞれ小さな袋をぶら下げている。
露店商が見えなくなった所で、伊藤は隣を見た。
「不満そうだね?」
「いいえ。いえ、はい。その、伊藤少尉の――うぐっ! なんで!?」
ドスッと鈍い音と共に、伊藤の裏拳が淺井の脇腹にめり込んでいた。
「淺井君。外で呼ぶ時は省略するよう言われたよね?」
「失礼しました。それで少尉――うぐぅぅっ!」
もう1発。ちょっと強めに。
「省略するのは階級だよ。佐々木さんのこれを喰らいたくなかったら今すぐ修正しよう。それで?」
「は、はい。他の店では安く手配出来たので伊藤さんの目利きを疑っていませんが、今買ったドライフルーツ、俺は高いと思います。あそこにあった全てが高いですよ」
淺井は学生時代に部活内のトレーナーを兼任し、合宿の際は食事のメニューも作り、それに合わせて買い出しもしていた。当然、相場にも詳しい。
その事を伊藤は知っていた。だから、絶対に口を出すなと念押しして、あの露店商の所に行った。
「その感覚は正しいよ。あそこは3日後にもう1度行く。名刺を置いてきたのはそのためだしね」
「どうして……まさか、買い叩くために何か工作を? いや、いいんですか、それ?」
「いいんじゃないかな? かつて住笛商事が廃村を野外農園化したのは事実だよ。だけど別の県でプラント農園も同時に進めた結果、野外農園の方は10年後に完全撤退しているんだ。AB話法とでも言おうかな、要するに複数の物を混同して誤認させる嘘なのさ。だから遠慮なく詐欺の噂を流させて貰うとしよう。商品の様に干上がる未来が見えてからが、今日の交渉の本番だね」
「喧嘩になりませんか?」
心配そうに尋ねる淺井の歩みが少し遅れた。
淺井を動物に例えるなら象。
素直で優しく、ちょっとだけ曲がった事が嫌い。
自分のためより周りのために怒り哀しむ、そんなタイプである。
「トンズラの方が心配かな。僕としては大量入手に繋がらなければ1000円のマイナスだからね。輸送経費を考慮しても、これの価値はそんなものだよ」
伊藤は淺井に振り向きながら、袋を掲げて笑った。
「納っっっ得できません!!!」
だんっ、と買い取り査定のカウンターを叩いて叫ぶ山吹アイ。今日は白いジップパーカーに変なTシャツ、茶色のキュロットという子供っぽい格好だ。
事件の影響で、今日の午後になって再開したMC棟。
早上がりを選択した回収屋でそこそこ混んでいるのだが、見た目通りに高い声は、全員の耳に届いたくらい大きかった。
「処理費って何ですか? 解体費って何ですか? 処分費って何なんですかーー!」
「出荷出来る状態にすること、分解して資源を取り出すこと、使えない部分をゴミとして出すこと、ですね」
相手をしている内記は落ち着いたものである。
山吹アイの言い分は、初めて買い取り査定に出した者が陥る盲点なのだ。それを笑う者は居ない。ほぼ全員が経験した理不尽であり、理由を知れば納得せざるをえないのだから。
「あれ1体の評価額知ってますか!? 30億ですよ!? 2対じゃなくて! 1体で! それが2つですよ!? ダブルですよ!? な・の・に! なんっっっで! 買い取り査定が 1 8 万 ぽ っ ち なんですか! 2等兵の初任給より安いじゃないですか!」
猛り狂う山吹アイだが、既に会っている内記は、彼女がクレーマー気質でない事を知っている。そして頭の回転も早く聞く耳もあり、おそらく1度の説明で完全に理解する。
内記は、優しく諭す様に説明する事にした。
「動かない、使えない以上、あれはゴミなんです。ゴミは資源に変えないと価値が乗らないんです。その作業が我々の仕事なのだと理解して下さい」
それを聞いて、山吹アイが頷く。内記はホッとして続けた。
「それであの2体ですが、処分費込みの買い取りなら18トンの鉄に換算するのが妥当なので凡そ90万。全体から取り出せる稀少資源が凡そ60万」
ショックだったのだろう。山吹アイの目が見開かれた。だが最初にあれはゴミだと言われた事を思い出したのか、首を左右にプルプルと振って、内記を見る。
可愛い。
内記は頬が緩むのを自覚しつつ、事務的にと意識して続けた。
「大きくて運べないから現地で解体選別するしかないですし、期間も必要です。技術者を1人派遣要請した場合の技術料と日給の相場が3.8万、それが2人10日で76万。宿泊費が区の施設を利用しても最低20万。器材のリースが20万。車両のリースが16万。これだけで132万です」
山吹アイの口が、あんぐりと開かれた。目も真ん丸である。なんだコレは。おもしろい。
内記は「んんっ」と咳払いをしてから、一気に畳み掛けた。
「完全出来高の買い取りにした場合、運が悪いと稀少資源の破損により10万単位で査定が下がる可能性があるのでお薦めしません。せめて頭部の資源だけでも御自身で解体収集して持ってくるなら40万くらいになるはずですが、失敗して破損するとやはり査定が下がります。差し引き18万は安く感じるかもしれませんが、これでもかなり良心的な数字なんです」
最後まで聞いて、山吹アイは目に見えて脱力した。へろへろである。カウンター越しなのが残念だ。側に行って椅子を用意して抱き締めてやりたい。自分が愛でるために。
「そ、そんな……」
ようやくそれだけ言った山吹アイに、内記は若干前のめりになって、
「そもそもですね。評価額通りにガッポリ稼げるなら、DA乗りは回収屋に転向していると思いません?」
首を傾げた。
それが、説得力として効果を発揮した様だ。
「はうっ! それ、は。確かに」
山吹アイは大きく頷いた。
「納っっっ得できるか!!!」
だんっ、と区民課受付のカウンターを叩いて、大悟が吼えた。
参加していたボランティア活動も一区切りとなり、MC棟に合わせて仕事を再開するかと準備をしていた今朝、どさくさに紛れて居座ったまま私物を増やしつつある山吹アイが「いってらっしゃい、大悟さん。うふふ、これが言えるなんて夢みたいなのです」と不穏な事を口走り、そういえばいつの間にか名字ではなく名前で呼んでいたなと気付いた。
何を隠しているのかと問い詰めて迫ったら、くねっと動いて「やぁん、こんな時間からですかぁ?」などと上目使いにおぞましい台詞を吐く。
おかしい。いや、それは最初からだ。
何をしたのか。何でもしそうだ。
どうして俺は気を緩めていた。結婚と言わなくなったからだ。
まさか!?
もじもじする山吹アイを無視して家を飛び出し、大悟は区役所に向かった。
そして先程。発行手続きを済ませて入手した紙の戸籍謄本控えには。
アイという配偶者が生えていた。
入籍日は襲撃事件の当日。ありえない。
すぐに身に覚えが無いことを伝え、課長職の女性が相談窓口で対応してくれたのだが――正当な手続きで受理された以上、裁判で不当性を証明しなければ元に戻せないと言われたのだ。
「俺は何も書いていない! こいつが筆跡を真似た可能性だってあるだろう!」
そう言って山吹アイの――今は宮代だが――名前を指した。
「届け出は紙でしたので、人間とAIの両方で筆跡の確認をし、完全一致で宮代様のものと判断したようです」
完全一致? 大悟の右眉が大きく上がった。
「ちょっと待て。待ってくれ。そんな事あり得るのか? 機械じゃあるまいし、多少はブレるだろう」
「ええ。そのブレを私たちはゆらぎの個癖と呼んでいます。模倣はこのAI審査を突破できません。そして宮代様の個癖が通過の決め手となっていました」
だから、変更はきかない。
女性職員はそういう意味で告げ、大悟は正確に理解した。なにせ法に則ったお役所仕事だ。抗議ひとつでコロコロ変わる様では、そのほうが問題である。
「じゃあ、法的にこいつと離れるには離婚の一手しか無いって訳か」
その言葉を予想していたのだろう。女性職員は首を小さく横に振って、
「縁あって一緒になられたのですから性急な結論は同意致しかねますが。そうなります」
諭す様な言葉を投げ掛けてきた。その想いが伝わらぬはずはない。
「ちっ、掌握したよ。ったくあのガキ、面倒なことを。職員さん、騒いで悪かったな」
自分は悪く無いのに何故か居たたまれない空気になり、大悟は女性職員から顔を背けて席を立った。