再会と齟齬
大悟はリヤカーを引いて瓦礫集積場に来ていた。部屋に帰って山吹アイと顔を合わせれば謎のペースに巻き込まれるだけだ。まずは何かに集中して頭をクリアにしたかった。
山吹アイを拾った場所の近くから斜面を上る。瓦礫の山は崩れ易い。ただ歩くだけでも集中を要する。リヤカーにロープをくくりつけ、積んでいたザックを背負う。
軽い身のこなしで頂上に着くと、直ぐに次の山がある。大悟はリヤカーを引っ張り上げて反対側に落とした。低重力台車はそれ単体なら軽く、ビルの5階から落としても壊れない。そのため空荷での扱いは皆こうなる。
そうして4つの小山を越えた大悟は、谷底に纏められた瓦礫の側に降り立ち、ザックをリヤカーに下ろした。
大きな破片をどかし配線の束を辿りながら掻き分けていく。鈍く光るボックスはすぐに見付かった。15cm程の立方体である。GAの刻印があるそれに繋がる無数の配線を引きちぎり、嵌め込みのフックを外して乱雑に持ち上げた。
ポケットからテスターを出して、幾つかの接点に当てていく。導通に問題はない。
なんの感情も見せずザックに放り込むと、光学部品と制御ボックスを探して瓦礫を分け始めた。
集積場に16時を知らせるサイレンが鳴り響いた。防壁門が閉まるのは18時である。それを過ぎて入るには金が必要だ。別に野宿をしても構わないのだが、夕刻からはほぼ確実に断続的な霧雨が降る。進んで夜を明かしたい者はいないだろう。
大悟は作業を切り上げ、ザックからポンチョを出して被った。ポンチョは単純な防水防寒具で、動かないか徒歩程度までが前提であり作業には向かない。だから、大悟は仕事上がりの切り換えとして習慣化している。
リヤカーを引いて瓦礫の麓を歩きながら、山吹アイの事を考える。
知らない。
見たことが無い。
どうして自分に執着するのか分からない。
ポケットに突っ込んだままの戸籍謄本を取り出して内容を確認する。山吹アイの生まれは2591/4/1となっていた。
「あの見た目で23かよ。エイプリルフールの誕生日は同情するところだが……1周して真実でした、てな心理効果を狙ったとしか思えねえ。ダウトだな」
用紙をポケットに捩じ込み、さて、どうアプローチをするかとシミュレートしてみた。
直球で離婚を申し出る。
お断りです(笑顔)。
別居を申し出る。
お断りです(笑顔)。
出て行けと突き放す。
お断りです(笑顔)。
(笑顔)。
大悟は左手で両目を覆い、天を仰いだ。なぜだ。想像ですら全く上手く行かない。最後などは自分が何かを言うより早く笑顔を放ってきた。
「週半ばだが。年長者を頼ってみるか」
大悟の家は、門から東に徒歩1時間の場所にある、8階建て賃貸マンションの4階だ。3LDKという独り身には贅沢な物件だが、治安とインフラを求め引っ越しを決めた当時はここしか無かっただけである。
1930時。
道路から見上げると、部屋は灯りが点いていた。いま帰ったら、あのテンションで新婚ごっこを始められるのか。いや、書類上は紛れもない新婚なのだが。
大悟はリヤカーを畳んで占有倉庫に仕舞い、そのまま敷地を出た。
15分ばかり、来た道を戻って脇道に逸れる。さらに5分。着いたのは「BAR/トール・ジェン」と書いた看板を掲げるバーだった。
そっとドアを開けて、控えめに流れるジャズに迎えられながら店内に入る。
「よう」
無人の店内に大悟の声が通り、カウンターの中で読書をしていた初老のマスターが顔を上げた。青い目がふわっと綻ぶ。
「いらっしゃい。週末じゃないのに珍しいな」
この店のマスター、トールが本を閉じて嬉しそうに応えた。
ポンチョを入口そばのコートスタンドに掛けた大悟は、マスターが居た場所の正面から2つ開けたカウンター席に座る。すぐに水のグラスが置かれた。
「ちょっと厄介な事があってさ。まだ家に帰る気になれないんだ。シングルモルトのウシュクベをダブル。チェイサーは麦茶で」
「おう。待ってな」
トールは良く磨かれたグラスとタンブラー、メジャーカップを用意すると、バックバーを見る事なく細長い透明の瓶を取り、計量してグラスに注ぐ。次に、タンブラーに氷を2つ、冷蔵庫から麦茶のボトルを出して注ぐ。
それらをトレイに乗せて大悟の前まで運び、素早くも洗練された所作で置いた。
「いつも思うんだがどうやって置いてんだ? 音がしねえ」
「それが俺の仕事なんだよ。で?」
片付けをしながらトールは笑った。
何があった? とは言わない。
大悟が。ぶっきらぼうながらも優しい青年が、いつもと違う曜日に来た。しかも注文の前に無駄話をした。
こんなのは2重で珍しく、何か相談したい事があるのだと悟ったのだ。
その直感は当たり、大悟が口を開いた。
「身に覚えの無い婚姻届が受理されてやがった。知ったのは今日。俺は10日前から妻帯者だったらしい」
「マジか。密入国者が日本国籍を得るためにやると聞いた事はある。相手は何人だ?」
「軍人だ」
それを聞いてトールは思った。ふざけているのかお前は。真剣に聞こうとした俺がバカみたいじゃないか。
「………………なあ、大悟」
「本当なんだよ。噂の白いDA、その搭乗者が俺の家に居座ってる。合法的に追い出すには離婚しか無いんだが、酷くマイペースな奴で正直勝ち目がない。賢いバカってのは、どうやって説得したらいいんだ?」
大悟の真剣な眼差しをうけて、トールは頷いた。
「会ってみないと何とも言えんな。いっそ――」
カラン、とドアベルが鳴った。
いっそ連れて来いと言うつもりだったトールだが、すぐに言葉を切って入口を見る。
レインコートを腕に掛けた、ピンストライプスーツの紳士然とした、壮年男性が入ってきた。
「いらっしゃい。おや、初めて見る顔だね。コートはそこのスタンドな。好きな席に座ってくれ」
「うむ。ありがとう」
その渋い声を聞いて、大悟がピクリと反応した。だが、それきりだ。シングルモルトウイスキーをじっくり味わい、麦茶を飲む。
トールは内心で知り合いか、と思った。この青年が他人に興味を示すところは見たことがない。反応が一瞬だったのは、旧知でありながら今は無関係を装いたいのか。
そう読んだトールは水のグラスを用意しつつ、大悟から少し離れた席の前で迎える事にした。だが紳士は。
「マスター。彼と同じものを」
そう言って目で大悟の隣を示した。
「はいよ。ちょいとお待ちを」
敢えて。
笑顔で1つ開けた席のカウンターにグラスを置いたマスターの。トールの目を見て佐々木は頷き、そこのスツールに腰掛けた。
俺はそっとしといてやりたいからお前さん次第だ。待ち合わせならそのまま席を寄せてくれ。
佐々木は、そう込めて置かれた水のグラスを取って一口飲み、トールの気遣いに従う意思を示した。
佐々木の前に酒と麦茶を置いたトールは、瓶を拭いてバックバーに戻し、洗い物など全て済ませると、奥のスツールに腰掛けて有線放送のボリュームを少しだけ上げた。
沈黙の空間を、柔らかなジャズがせせらぎの様に満たす。
そのまま、ゆったりと20分が過ぎた。
「いい店を知っているではないか」
佐々木が正面を向いたまま口を開いた。大悟が応じる。
「酒は毛嫌いしていたはずだろ」
互いに目も合わせず、まるで昨日ぶりのように言葉を交わす。声量を抑えた会話は、流れるジャズの邪魔をしない。
「飲酒という娯楽は、節度を意識させると短時間で高い効果を得られるのだよ。それを誤解する者は居るがね、見ての通りだ」
「ちっ、それならそうと言っとけよ面倒くせえ」
大悟の乱暴な言葉に、佐々木の頬が僅かに緩む。が、すぐに引き締めて言葉を紡ぐ。
「組織には線引きが必要なのだよ。全て話す様な馴れ合いは部下を危険に晒す」
「…………」
その意味するところは。
大悟が黙り込んでグラスを傾けた。
佐々木はグラスを置いて続ける。
「かつて、そこを曲げた結果、取り返しのつかない事が起きた。いや、あれは分かっていた事だ」
大悟もグラスを置いた。
麦茶を一口飲んで、ジロリと佐々木を睨む。
「くそっ、最初っから話の流れも着地点も決めてやがったな? やめてくれ。俺はあんたが嫌いなんだ」
「知っている。私も君が嫌いだ。分かり合う必要も無い。だが、だからこそ言わねばならない言葉もある」
訪れる沈黙。
10秒が過ぎ、佐々木がグラスを持って眺める。そこに映る大悟を見て、また、一瞬だけ頬を緩めた。
「生きていてくれた事に感謝する。ありがとう、宮代少尉」
大悟は。
何も言わずにグラスを傾けた。
大悟が初めて山吹アイを見たとき、幼い容姿なのに軍属であることを驚かなかったのは、自身が16才の冬に、DAを扱えるという1点のみでスカウトされた過去を持つからだ。所属も同じ10機歩であり、身分証明書の年齢は勝手に加算されていた。
第10機甲歩兵大隊、第1武装中隊、第1小隊。
約10年前までの大悟の所属であり、スカウトされて4年をそこで過ごした。当時の第1武装中隊長は佐々木大尉。大悟にとって佐々木は、かつての直属の上官であり、師でもあった。
グラスを揺らして少なくなったウイスキーを見つめていた大悟は、当時を思い出していた。
政府は、世界各地に拠点を構築していたAI集団が、日本とアメリカの連携分断を画策し日本側の拠点構築地に八丈島を選定した、という情報を得た。
即座に重力高速船による住民の避難を計画し、関東にある3つの浮島のうち交代待機していた第3機歩大隊が護衛と航路警戒に、10機歩から第1武装中隊が島の警戒任務に駆り出された。
大悟が知っていたのは、八丈島に大量のロケットが向かっていた事。そして。
佐々木は直近1週間で1度だけ漁船が立ち寄った記録があることを重視し、執拗に残存者の確認を訴えていた。それが、指揮系統の何処かで黙殺された。撤収命令が下ったのだ。
だが、大悟達はギリギリまで諦めなかった。
結果、僚機が。
大悟とコンビを組んでいた当時18才の野村知宏准尉が、取り残された人を発見した。
連絡を受けた3機歩大隊長は、AI群の襲撃を受けて交戦中であり正常な判断が下せない事を理由に、全てを佐々木に投げた。
その暗号通信を傍受していた大悟は直感した。
既に危険な時間帯だった。見捨てての撤退も、救助が間に合わなくても、10機歩1中の責任になる。ならば。
DAは重力制御による簡易シールドを展開できる。そこに賭けた。
野村准尉に「俺が行く。お前は一部始終を映像に残せ。この責任は3機歩に背負わせろ」そう告げ、佐々木の制止も無視して島に急行した。
ギリギリ退避が間に合いそうなタイミングで保護出来たのは、20代とおぼしき女性だった。肩にかかる黒髪と精巧な人形の様な美しさが印象的だった。
万が一ロケットが直撃すればシールドを破られるかもしれない。今すぐ飛び立たねば。そう思ったときだった。
[どういう事でしょうね。ロックオンされていますよ]
相棒のDA、マリアからの報告は、ミサイルによる攻撃という事実。
DAは他人をコックピットに入れない。大悟は名も知らぬ民間人を覆うようにDAを操作し、コックピットから飛び出して民間人の女性を抱えると、自分とDAで彼女を挟むようにして目を閉じた。
大悟の記憶はそこまでである。目覚めたら瓦礫集積場だった。どうして自分が助かったのか知らない。マリアが話してくれないのだ。10年が過ぎた今でも。
「……その宮代少尉は死んだよ。たった1人の民間人すら守れず、共にな」
呟く様に言って残りを飲み干すと、トールを見てグラスを軽く掲げた。
トールは既に準備を済ませていたのか、すぐに同じ物を持ってきて空のグラスと交換した。ほぼ同じタイミングで空になった佐々木の分もである。
トールがカウンターを離れ、佐々木が口を開いた。
「君は除籍となっているが伝えておこう。彼女は五体満足で生きている」
「なに!?」
大悟が驚いて佐々木を見た。
ここで、気遣いによる逆ヒューマンエラーとも言うべき事が起きた。
佐々木は大悟が引き摺っているであろう任務の顛末を確実に伝えるため、ほんの少し、声を張ってゆっくりめに話した。それが、トールの耳にも届いてしまった。
トールは自分が聞いてはならないとの配慮から、さりげなく有線放送のボリュームを絶妙な大きさに調節した。
「名は山吹アイ。君と同じマンションでの出入りが確認された。彼女は一時的だがこの地に居る。これ以上は言えんがね。偶然会える可能性はあるだろう」
佐々木は声の張りを元に戻し最初の方がジャズに掻き消されてしまった。
だがトールの気遣いに気付き、途中から再び声を張ったため、有線放送のボリュームが下がる事はなかった。
大悟は出だしこそ聞き逃したものの、彼女は一時的だがこの地に居る、から先は完璧に聞き取れた。自分は任務を完遂出来ていた。他人に興味を持つ方ではないし、会うつもりなど毛頭ない。無事でいてくれたのなら、それでいい。聞き逃しを確認するのはトールに悪い気がする。肝心な所は聞けたのだし大した事ではないだろう、と放置した。
こうして、意思の疎通に少しだけ、齟齬が生じていた。




