20. かつての想いと同じもの
特別展の日以降、エレット王国がおかしな動きを見せることは特になく、リヴェラとギルバートの婚約の話も周知の事実としてかなり浸透してきていた。
「リヴェラ様、王太子殿下との馴れ初めを教えてくださいませんか?」
「あ、それは是非お聞きたいですわ!」
「確かに興味がありますわね。どのように殿下のお心を射止められたのかしら」
こちらスチュアート伯爵邸。フレデリカに誘われてスチュアート家主催の夜会に妹と一緒に顔を出してみたリヴェラは、途端に親しくもないご令嬢たちに囲まれてしまい盛大に顔を引きつらせていた。仮にこれが「あなたなんか殿下に不釣り合いよ」とか「身の程を知りなさい」とかならばまだ対応しやすかっただろう。
しかし実際には、目をキラキラさせたご令嬢たちが好奇心全開でリヴェラを取り囲んでいる。どうしてこうなった。リヴェラは頭を抱えたくなったが、表面上は笑顔を浮かべて困ったように首を傾げた。……我ながら実に薄っぺらい笑みである。
「正直、馴れ初めらしい馴れ初めもなければ、見初められる心当たりもないのです。いずれこの婚約はクーデルカ王国の七不思議のひとつになるかもしれませんわ」
そんな白々しいリヴェラの答えも、ご令嬢たちにかかれば脳内でいいように変換されてしまうらしく。
「まあ、リヴェラ様ったら。照れていらっしゃるのね」
「いえ違」
「今までどのご令嬢との婚約を打診されても首を縦に振らなかったというあの王太子殿下が、リヴェラ様との婚約は前向きに検討されたと聞きましたわよ」
「え、それどこからの情報で」
「それは初耳ですわ! そのお話をもっと詳しく聞かせてくださいませ!」
このように、誰もリヴェラの言い分など聞きやしないのである。ちなみにリリスはとっくの昔にどこぞへと避難しており、相変わらず妹ながらその世渡り上手ぶりが羨ましい。
盛り上がるご令嬢たちがきゃあきゃあと話に花を咲かせるなか、リヴェラはそろりとその輪から抜け出した。抜け出したら、そこには苦笑いを浮かべたフレデリカがグラスを二つ手にして立っていた。
「お疲れ様です、リヴェラ様。良かったらお飲み物でも」
「お気遣いありがとうございます。いただきますね」
そういえば、主催者である伯爵一家にはまだきちんと挨拶をしていなかった。広間を見渡してスチュアート夫妻を探してみれば、他の面々との挨拶回りで忙しそうだ。声をかけるのはもう少しあとにしよう。
フレデリカに渡されたグラスを傾けながら、リヴェラはようやく一息ついた。やはり持つべきものは友である。
「本日はお招きいただきありがとうございます、フレデリカ様」
「とんでもない。こちらこそ先日は素敵なカフェに案内してくださってありがとうございます。おかげで楽しいひと時を過ごせました」
なおフレデリカの言う素敵なカフェとは、ギルバートと一緒に立ち寄った博物館に隣接している例のカフェのことだ。以前からの約束を果たすためにフレデリカとどこでお茶をしようか悩んでいたリヴェラだが、リリス曰くあそこはなかなかの人気店だったようで、それならばとフレデリカを連れて行った次第である。喜んでもらえたならリヴェラとしても嬉しい。
「そういえば先ほどのお話ですけど、本当に王太子殿下に見初められる心当たりはないのですか?」
「ええ。……確かに殿下に強く憧れていた時期もありましたが、その熱もとっくに冷めておりますし、婚約前の接点などほとんどありませんでしたから。いろいろな憶測が飛び交っているようですが、年齢的にも家柄的にも私が第一候補だっただけのことかと」
だから別に、望み望まれ婚約したわけではないのだと。意外な告白にフレデリカは驚いた。……もしかして、リヴェラは気づいていないのだろうか。
客観的に見て、ギルバートがリヴェラのことをとても大切に想っていることは、誰の目から見ても明らかだというのに。
決してベタベタしているわけではない。どちらかというと適度な距離感を保っている。そのため側妃の座を狙うご令嬢たちがギルバートに取り入ろうと近づくことがよくあった。
だが今は、そのご令嬢たちがリヴェラとギルバートの馴れ初めを聞きたいと目を輝かせながら集まってくる。不可解にも思える心境の変化だが、付け入る隙がないと思えるほど理想的な関係を築いている二人だ。戦うだけ無駄だと悟ったのも頷ける。
「……驚きました。てっきり昔から殿下と親交があったものとばかり」
「そんなに意外ですか?」
「ええ。これが相応しい表現かはわかりませんが……殿下とリヴェラ様の間には、すでに夫婦のような安定感があるので」
ベタベタしないのも、適度な距離感も、すべては相手を信頼しているからなのだとフレデリカは感じていた。そしてそんな信頼関係は、短期間で培えるものではないことも知っている。
痛いところを突かれたリヴェラが苦笑を浮かべた。参った。見ている人は見ているものだ。
「過大評価と言いたいところですが、そのように見ていただけているのは婚約者として素直に嬉しいですね」
「でもそう思っているのは私だけではありませんよ。現に殿下への側妃打診の数はかなり減ってきているはずです」
正妃はリヴェラでいいとして、ギルバートの寵愛を受けることができれば側妃でも十分だ。そう考える貴族たちがしばらくは自分の娘やら孫娘やらを推してきていたようだが。
リヴェラ以外にはまったく見向きもしないギルバートと、ギルバートの側妃の話を聞いたところで小揺るぎもしないリヴェラ。二人の間に付け入る隙などないことは、すでに火を見るよりも明らかだった。
「殿下は間違いなくリヴェラ様のことを大事に想っておられますよ。リヴェラ様もそうではありませんか?」
まるで諭すかのようなフレデリカの優しい声音に、リヴェラは咄嗟に答えることができなかった。いつもならば「そうですね」とか当たり障りなく答えてこの話題を終わらせるというのに、今はどうしてかいい加減に答えたくはなかったのだ。
ギルバートに大事にされている。それはフレデリカに言われるまでもなく実感していることだった。まるで過去の塩対応の埋め合わせをするかのように、彼は様々な局面でリヴェラを助けてくれている。もう十分すぎるほどに。
「……そうですね。私にとって殿下は、この世で最も信頼している唯一無二の存在です」
答えながら、自分の言葉に微かな違和感を覚えた。信頼。そうだ、自分は彼を信頼している。それはもう絶対的とも言えるほどの信頼を寄せている。
それなのに、おかしな違和感が付きまとっていた。信頼。……信頼? 適切な言葉のはずなのに、どうしてだろう、それだけでは物足りないような気がする。
「リヴェラ様?」
不思議そうに声をかけてくるフレデリカの手前、それ以上深くは考えることができなかった。けれど一度感じてしまった違和感はなかなか拭い去ることができず、妹を探し出して一緒にスチュアート夫妻に挨拶したあとは、社交もそこそこにルアンリ邸へと帰ることにする。上の空で参加していても失礼なだけだろう。
「えっ、お姉様もう帰っちゃうの?」
「ええ、ごめんね。でもリリスはまだ楽しんでいて大丈夫よ。すぐに代わりの馬車を手配するからね」
するとたまたま近くにいたフレデリカの弟であるコンラッドが「妹さんは我が家が責任を持ってお送りしますよ」と名乗り出てくれた。リリスも同い年である彼とは親交があるらしくその提案に乗ったため、それならばとリヴェラはスチュアート家の厚意に甘えることにする。
そうして一足先に帰宅したリヴェラを出迎えたのは、小包を手にしたカレンであった。
「おかえりなさいませ、お嬢様。あの、エレット王国からお嬢様宛てに荷物が届いておりますが……」
どこか顔色が悪いカレンだが、恐らくそれは自身が裏切った国からリヴェラのもとへ荷物が届いたという事実に危機感を抱いているからだろう。現状ではルアンリ家がカレンを保護している形なのだ。引き渡すよう要求されてもおかしくはない。
しかし差出人を確認したリヴェラはホッと息を吐き出した。確かにこれがソフィアからの手紙とかであれば只事では済まなかったかもしれないが、幸い送り主はソフィアではなくハリエットであった。
「大丈夫よ、カレン。あなたに関係する代物じゃないわ」
「そ、そうでしたか。良かった……」
あからさまに肩を撫で下ろしたその様子から、彼女が普段どれだけ気を張って生活しているかが窺えた。不自由を強いてしまっているのは申し訳ないが、カレンを守るためにももう少し辛抱してもらう必要がある。夜会のドレスを脱いで寝衣に着替えながらリヴェラはカレンに問いかけた。
「カレンはエレット王国に戻りたい? 家族はみんなエレット王国にいるんでしょう?」
突然の問いかけにカレンは目をぱちくりさせたが、すぐにふるふると首を横に振った。
「いいえ。いいえ、お嬢様。確かに家族のことを懐かしく思い出したりもしますが、密偵となった時点で私は鬼籍に入っておりますので、どちらにせよ二度と会うことはなかったでしょう」
リヴェラは思わず絶句した。鬼籍ということは、カレンはすでに死んだことになっているのだ。いくら秘密裏の任務とはいえ、そこまでする必要などあったのだろうか。
「それは……ソフィア王女の命令で?」
「はい。そして私もそれを了承しました。なので家族への未練はすでに断ち切っております。それに密偵となってからはずっと任務一筋でしたし……本当に、全然生きた心地がしない毎日でした」
密偵としてクーデルカ王宮で過ごした日々を思い出す。情報収集しながらも、王宮メイドとしての仕事は充実していたし、友人だってちゃんといた。でも、やっぱりカレンはエレット王国から派遣されている密偵で、その立場だけは絶対にバレてはいけないもので。
苦しかった。誰にも言えない大きな秘密を抱えて、ソフィアに報告するに足る情報をギリギリのところでなんとか集めて。失敗したら殺されることは分かっていたから、生き残るためにも毎日必死だった。
「信じていただけるかは分かりませんが、私にとって今は間違いなく平和で穏やかな時間なのです」
もちろん不安が一切ないと言えば嘘になるし、特に今は始末されないよう細心の注意を払う必要もある。でも、あの式典の日にリヴェラが手を差し伸べてくれなければ、カレンはとっくに死んでいた。それだけは確かだ。
「そう……それならいいけれど」
胸中複雑ではあるけれど、この件に関してリヴェラがとやかく言う筋合いなどなかった。少ない選択肢の中から選ばざるを得なかった道だろうが、それでもカレンが自分で選んだ道であることに変わりはない。彼女がそれを後悔していないと言うのなら、これ以上余計なことを言うべきではないだろう。
「では、おやすみなさいませ、お嬢様」
「ええ、おやすみなさい。また明日ね」
カレンが部屋を去った後、リヴェラはハリエットから送られてきた小包を開けてみることにした。以前に送った甘栗のお返しだろうかとか呑気に考えていたら、思いもよらないものが出てきて一瞬思考が止まった。
「――――」
見違えるようにキラキラと輝いているが、それは間違いなくハリエットに預けていた錬金術製の懐中時計であった。時計の針は動いていないが、少なくともそれ以外は壊れている部分などないように見える。
ということは、本当にハリエットはこの壊れていた懐中時計を直してみせたのだ。でもなぜ針が動いていないのだろう。そう思っていたら、同封されていた手紙にその答えが書かれていた。
『直すことは直した。あとは時間を調整して針を動かすだけだ。だけど、もしもその時計が本当に回帰と関係があるのなら、動き始めた途端なにが起きるか分からない。こっちの覚悟はできているから、あとはお前にやって欲しい。それと時計を動かす時は、例の言葉を忘れないように。上手くいくことを願っている』
つまり、最後の調整は言い出しっぺのリヴェラがしろということだった。見たところ竜頭を回して時間を合わせてから、竜頭を押してロックするだけの簡単な調整だ。そのくらいならできるので、やるのは別に構わない。
でもギルバートに事情を説明して付き添ってもらうことにしよう。何が起きようとも彼だけは道連れにしてやる気満々である。
そこまで考えて、リヴェラは夜会の時に抱いた違和感をまた思い出してしまった。どういうわけか、ギルバートのことを考えると途端にいろいろと落ち着かなくなる自分がいる。
リヴェラはこの感情を知っていた。遠い昔、今と同じこの気持ちをギルバートに対して抱いていたのだから。
「…………」
だからこそ、認めるわけにはいかなかった。
ぼすりとベッドに突っ伏して、リヴェラはきつく枕を握りしめる。
あの頃の熱に浮かされたような恋心とは少し違う、もっと穏やかで強くて確かな気持ち。そう簡単には揺るがない強い信頼は、その想いから派生していることに、本当はずっと前から気がついてはいたけれど。
「こんなのあまりにも滑稽よ」
勝手に恋して勝手にフラれて。そして紆余曲折を経て信頼と絆を築き上げて、挙句の果てにまた同じ人に恋をした? ありえない。こんなの絶対に認めるわけにはいかない。
その後もずっと悶々と考え込んでいたリヴェラは、結局一睡もできずに朝を迎えた。そして目の下に濃いクマができた状態を家族からも使用人たちからも大層心配されるハメになるのだが、それはまた別の話である。




