19. 深い信頼
エレット王国でハリエットが原因不明の現象によりえらい目に遭っている頃、リヴェラとギルバートは古代錬金術についての特別展に足を運んでいた。
王太子とその婚約者という立場上、変装してのお忍び訪問という形になってしまったわけだが、それは仕方のないことである。一般市民に紛れた護衛がぞろぞろ付いてきていることも、そういうものだと割り切ってしまえば特に気にせず楽しめるあたり、リヴェラもギルバートも結構図太い。
それはともかく、特別展は普通に面白かった。残念ながらハリエットから頼まれていたような目新しい情報は手に入らなかったが、行き詰まりを解消するための糸口はリヴェラが送った手紙の一文によりすでに解決済みとなっている。が、それはまだリヴェラも知らないことであった。
一通り展示を見て回ったあと、二人は博物館に隣接しているカフェに立ち寄って休憩することにする。思いのほか夢中になってしまっていたのか足が棒のようだ。
「私はかなり楽しめたけど、あなたにとっては退屈だったんじゃない?」
「いや、興味深かった。特に錬金術が最盛期だった時代の展示が面白かったな。生まれる時代を間違えたかもしれん」
感想を言い合っているところへ頼んでいた紅茶とケーキが運ばれてきた。リヴェラは手持ちのバッグの中から何気ない仕草で薬を取り出す。それを見たギルバートが目を細めた。
「……相変わらず準備がいいな」
「あなたにも私にも必要なものでしょ。いる?」
「ああ、もらう。ありがとう」
いつだって鎮痛剤を持ち歩いているリヴェラと、頭痛持ちであるギルバート。周囲にいる護衛たちもそのことは知らされているため、おかしな薬を王太子に飲ませたなどと怪しまれることはない。
だから、リヴェラが取り出したその薬が、今日に限っては鎮痛剤ではないことに気づいているのはギルバートだけであった。
「これを飲んでおいて損はないからな」
「念には念を。いただきます」
護衛たちのおかげで誰もリヴェラたちには近づけないが、リヴェラたちのもとへ運ばれてくる料理に誰かが細工することはできなくもない。
だからこそ必要になってくるのが解毒剤である。リヴェラが持ち歩いている解毒剤は主に二種類。あらかじめ飲んでおくものと、服毒してしまった場合の応急処置として飲むものだ。今回ギルバートに渡したのは前者であり、リヴェラも同じものを服用している。
「余計な心配をしないでお茶を楽しめるようになるといいんだけどね」
「相手が相手だから、しばらくは仕方がないな。最悪を想定するのは当然のことだと思うぞ。なにせ今日は……」
街に足を踏み入れた瞬間から今に至るまでずっと、ブレンダンとソフィアがあとをつけてきているのだから。
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リヴェラが取り出した解毒剤を遠目に確認して、ブレンダンは思わず口笛を吹いていた。
「やるなあ、リヴェラ嬢。ソフィアがやりそうなことは想定済みってわけだね」
「感心している場合ですか。ギルバート王子を消せなかった上に密偵だったカレンまで失って……ああもう、お父様になんて報告すればいいのよ」
楽しげな兄とは対照的にソフィアは悩ましげに頭を抱えた。クーデルカ王国を混乱に陥れるという任務を与えられて派遣されてきたというのに、まさかの伏兵がいたせいで失敗続きなのである。
しかし、ソフィアとしてはリヴェラを邪魔だと思っているわけではなかった。確かに壁として立ち塞がられたわけだが、殺すのは惜しいと思えるほどの人材なのだ。そんな人物に出会えたのは生まれて初めてのことで、ソフィアとしては自分の感情にわりと戸惑っていたりもする。
「ソフィア、クーデルカ滞在は明日で終わりだ。今回は諦めて一旦エレット王国に戻ろう」
「時間切れなのは認めますけど、諦めるわけにはいきません。クーデルカを手に入れることはお父様の悲願です」
「いやー、あの人は切り替えが早いからなあ。クーデルカがダメならもっと都合がいい別の国を狙うと思うけど?」
「うるさいです、お兄様。お父様のご命令は絶対ですよ」
「うーん、さすがは父上の親衛隊隊長だ。頑固なまでに忠実だねえ」
頑なに首を横に振るソフィアにブレンダンは苦笑した。こうなった妹は頑として自分の意思を曲げないが、父の一言があれば簡単に引き下がることもブレンダンは知っている。
とりあえず今回は大人しく帰国しよう。そして父に次の指示を仰げばいいのだ。父がクーデルカを諦めるならソフィアもあっさり諦めるだろうし。
正直、ギルバート王子暗殺もクーデルカ王国征服も、あまり現実的ではないとブレンダンは思うのだ。
「ところでお兄様、リヴェラ様を拐って妃として娶るのはいかがですか?」
「……そんなに気に入ったなら無理に義妹にするんじゃなくて、普通に友人になればいいんじゃないかな?」
リヴェラを娶ること自体はやぶさかではないが、拐った時点でギルバートが全力で自分とソフィアを殺しに来る未来しか見えない。我が身が可愛いブレンダンはリヴェラにだけは手を出すまいと心に決めた。
視線の先ではリヴェラとギルバートが顔を寄せあって何事かを話し込んでいる。さすがに会話の内容までは聞こえないが、なにやら神妙な様子なのは見て取れた。
「それにしてもリヴェラ嬢は可愛いなあ」
「拐いますか?」
「うん、その発想はもう忘れようか。というか忘れなさい」
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顔を突き合わせていたリヴェラとギルバートは、すったもんだしているエレット兄妹を見て呆れた表情を浮かべていた。
「なにやってんだ、あいつらは」
「きっと兄妹仲がいいのよ。面倒臭いし放っときましょ」
またそんな適当な結論を……と思わなくもないが、わりと興味がないのはギルバートとて同じである。そのため深入りはせずに、ソフィアたちの監視には気づかないフリを貫くことにした。
自分たちの行動がなにげにエレット王国からの侵略を防いだことなど露知らず、二人は毒入りのケーキを咀嚼しながら呑気に特別展を振り返る。
「錬金術製の懐中時計もあったが、どこぞの所長に預けたものよりも簡素な造りだったな」
「まあ十分複雑な造りではあったけど。さすがにあれと比べたらねえ」
件の大錬金術師ルツィオーネに関する展示もあり、リリスが壊したあの懐中時計がいかに傑作だったのかが身にしみた。とにかくハリエットには頑張ってもらうしかないが、申し訳ないので情報の代わりになにか美味しいものでも送るべきだろうか、とリヴェラは真剣に考える。なにがいいだろう。クーデルカ名物の甘栗とかでいいか。
「でも壊れて止まっていたあの懐中時計がまた動き出したとしたら、その反動で世界がまた変に揺らぐとかはないのかしらね」
「……ない、とは言いきれないな。おかしなことにならないといいが」
壊れただけで時間を巻き戻してしまうほどの力を秘めた、錬金術製の懐中時計。止まっていたそれが正常に動き始める時、これまでの歪みを正そうと、誤作動ならぬ正作動が起きないとも限らなかった。
これはあくまで推測だが、もしも正作動によって一番初めの、つまりリリスが懐中時計を壊したあの場面まで時間が巻き戻ってしまうとしたら。
そこまで考えて、ギルバートは首を横に振った。そんなことになったら最悪だ。あれはリリスとの婚約発表直後の世界なのだ。確かにあれが歪む直前の正常な歴史ではあるが、そこまで戻るくらいならいっそ生まれ直した方が百倍マシだと言える。
「愉快に百面相しているところ悪いけれど、そろそろいい時間だし帰りましょうか。あ、所長への感謝の甘栗はこっちで手配して送っておくわ」
「……もちろん感謝はするつもりだが、どうしてそれが甘栗になった?」
相変わらず突拍子もないことを言うリヴェラだが、恐らくクーデルカの隠れた名物が甘栗だからそう結論したのだろう。そしてギルバートによるその分析は、当たっていた。
だが、あれは一般市民の間で人気があるだけで、普通の貴族は甘栗が名物になっているとは知らないと思われる。なのでそれを知っているリヴェラはつくづく市井に造詣が深いと言わざるを得なかった。
「……お前はきっといい王妃になるな」
「なに急に。王妃どころかまだ王太子妃にもなっていないわよ」
「いずれなるだろう。お前が隣にいれば安心だ。これからもよろしく頼む」
「そんなに改まって言われると照れるわね。でも信頼してくれてありがとう」
信頼。リヴェラから向けられた揺るぎないそれに、ギルバートは笑おうとして失敗した。
彼女の言うこと自体は間違っていない。始まりは最悪に近いものだったけれど、今の自分たちの間には確かな絆と信頼がある。自惚れではなく、それは本当のこと。
「だから、寂しいとか物足りないとかは思うのは、きっと俺のわがままなんだろうな」
「え?」
「いや、なんでもない。じゃあ帰ろうか。ルアンリ邸まで送るよ」
手を差し伸べれば手を重ねてくれる。たったそれだけのことで、ギルバートの胸はじんわりと重たくなった。切ないほどの愛おしさ。
こういう時、自分は本当にリヴェラのことが好きなのだと思い知って、いつも泣きたいような気持ちになる。リリスに恋をしていた頃とは全然違うその重み。その重みはいつしかギルバートの誇りとなり、前へと進んでいくための力となっていた。
「……リヴェラ?」
「……んー……?」
馬車に乗り込んでから程なく、疲れが一気に出たのかリヴェラが船を漕ぎ始めた。名前を呼べば返事をするが、意識はほとんどなさそうだ。不安定にぐらぐらと頭を揺らすリヴェラが危なっかしくて、向かい合って座っていたギルバートはどうすべきかとオロオロする。
悩んだ結果、恐る恐るリヴェラの隣へと移動して、ほとんど意識のない彼女の頭を自分の肩へと凭れかけさせた。
「着いたら起こすから、少し眠るといい」
聞こえているのかいないのか、返事はなかった。代わりにふにゃりとリヴェラの表情が緩む。今にもよだれを垂らしそうなほど安心しきった寝顔だ。
恐らく、彼女がここまで気の緩んだ表情を見せるのは自分に対してだけだろうとギルバートは思う。度重なる回帰の影響と、かつて何度か軍人生活を経験しているせいもあって、寝る時でさえ一筋の緊張感を維持したままリヴェラは眠る。そのため眠りは浅いほうで、少しの物音や気配を感じただけで反射的に覚醒して身構えてしまうらしい。
けれど、そばにギルバートしかいない時は、心置きなくすべてを委ねて眠ることができるようだった。緩みきった表情。ちょっとつついたくらいでは目覚めないだろう安定した眠り。
『信頼してくれてありがとう』
リヴェラの言葉が脳裏をよぎる。それを聞いた時は寂しいとか物足りないとか思ってしまったけれど。
考えてみれば、それはギルバートのセリフでもあった。本当に、こんなにも深く信頼してくれてありがとう。過去に何度も傷つけてしまったのに、それでもなお自分の隣にいてくれてありがとう。
馬車に揺られながら、ギルバートはルアンリ邸に着くまでずっと、眠るリヴェラに肩を貸し続けたのだった。




