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季節も冬に差し掛かろうとしているこの日も2人は中庭で昼食をとっていた。
最近は2人とも忙しく、しばらく時間を合わせる事ができなかったのでその日は一週間ぶりに2人でエリオットが持参した海老とアボカドのバケットサンドを頬張っていた。今日はスープまでついている。
「んーおいしすぎる。このタルタルソース」
「それは我が家の特製ソースだ。俺もレシピを教わったから次から作れる」
ここ数日、一緒に食事を取れなくても必ず昼までにこちらへ昼食を届けてくれるエリオットに、ほぼ泊まり込みで職場に詰めていたアルタは涙が出そうなほど救われていた。
「スープが沁みるわ」
「ぐっ…次はもっと美味いスープを俺が作ろう!」
どうやらエリオットも忙しくなかなか料理に時間を取れず最近は実家から届けてもらっているようだ。
やたらと悔しそうにバケットを噛みちぎっているエリオットを横目に料理人に対抗するんじゃないわよと何度目かわからないツッコミを心の中に収めた。
保温魔法もかかっていないのに温かいままのスープの容器を持ちながらしげしげと覗き込む。
「いやー最近の技術は凄いのね。保温魔法かかってないのに何時間もあったかいままなんて。もう魔法要らずじゃないの」
この世界には魔力を持つものが多くいるが年々その数を減らしている。昔は何もないところから火や水を出すことも出来たらしいが今は力の差があれど、その物のもとからある力を維持するか、五感や身体を強化をすることが出来る程度だ。
「今は魔力がまったくない平民も貴族も増えてきているからな。誰でも手軽に使えるものを開発する企業やそれに出資する貴族がどんどん増えている」
もぐもぐと咀嚼しながらなんてことないように言っているがここ数年で世の中は大きく変わっていているのを王宮で働く身としては痛いぐらい肌で感じていた。
この国では数百年、数十年前から魔法で解決していた時代は徐々に去り、土地の魔力が弱まると同時に人間や魔物の力も弱まっていた。
魔法が使えないのであれば技術を磨くしかない。
国の機関では以前から魔力を使わない技術の研究が行われていたが、防衛にかける国の予算が増えると共に最近では民間企業も盛んに技術開発を進め、これを機に貴族からの出資を集めている。この容器ももとは戦地で戦う騎士達の為に開発されたものがこうして最近庶民向けにまで発展したものだ。
「この前、魔力がいらない空飛ぶ鉄の塊を開発してるっていう会社があったわ。どういうことなのかしら」
「それ俺も聞いたな。何やら燃料を燃やして飛ぶらしい。浮くだけじゃなくて飛ばすって凄いよな。そこだけは魔力使ったらダメなのか?そういう魔道具開発した方が早くないか?」
「今のこの国の魔力じゃ、それだけのもん飛ばす魔力を貯めるのに5年ぐらいかかるわよ。実用的じゃないわね。魔法の国って言われてる隣国なら出来るのかしら」
「あーあそこは交流ないもんな。どんな国なんだろうな」
久しぶりにとれた昼休憩を特に頭を使わずにあーだこーだと話しながらアルタは具を食べたスープの容器に直接口をつけ、ずずずっとそのまま飲み干す。淑女としてあるまじき行儀の悪さだがあいにくここにはそれを咎めるものはいない。
「ねぇエリー」
「エリオットだ。なんだ」
「あんた私に言いたいことないの?」
ゴトンッ
エリオットの手からすでに飲み終え、蓋をした容器が石畳へと落ち、コロコロと転がっていった。
青い、どこまでも青い寒空の下チュンチュンとどこかで鳥が鳴いている。大分、葉が落ちた木々のどこかにいるのだろう。
転がっていく容器を2人は真顔のまま目で追いながら次の言葉を考えた。
「…ど、」
真面目な顔で転がりゆく容器を睨みながらエリオットは意を決して口を開く。
「どれのことだ…!」
どこかで鳥が羽ばたいた音がしたが2人の耳には届かなかった。
アルタはすっとベンチから立ち上がるとビクッと体を揺らしたエリオットに向き直る。そして近くにあったバケットサンドを包んでいた包み紙をぐしゃぐしゃと丸めて固く固く押し固めると至近距離でエリオットへ投げつけた。
「どれってなによ。どれだけ心当たりがあるわけ?」
ぽこっと頭に当たった紙に怯んでるうちにアルタに顔の距離が30センチもない近くまで詰め寄られたエリオットは、距離の近さに赤くなっていいのか青くなっていいのかオロオロしながら必死に言い訳を考えた。
「ちがう!別にやましいことはない!…いや、やましくないよな…?やましいことってなんだ…?これはやましいのか…!?いたっ!!」
言い訳をする気があるのかないのか1人で自問自答し始めたエリオットの額にごつんと頭突きをするとぱっと離れた。衝撃に目を白黒させるエリオットを仁王立ちで見下ろす。
「討伐隊のことに決まってるでしょーが!!
いつ言うのかと思って待ってたら2ヶ月も経っちゃったじゃない!」
「え…いや、それをどこで」
「王宮中で話題になってるわよ。いくら私が職場にこもっていてもそれぐらいの噂耳に入ってくるわ。このあほ!」
「あほって…」
「それにねぇ、私が寝ずに何研究してると思ってるのよ。騎士団が持って帰ってくる魔道具の研究してんのよ。そこらへんの!一般職員より!詳しいにきまってるでしょう!」
ぽかんと見上げてくるエリオットに少しずつ頭が冷静になってくると1人で声を荒げたことと、彼との温度差にじわじわと恥ずかしさとやりきれないようななんとも言えない気持ちが湧いてくる。
「もう、エリーなんかしらん!!」
そう捨て台詞を吐くと少しだけ目に張った水の膜に気づかれないように全速力でエリオットをおいて走った。
討伐隊
王宮から馬車で3日の場所に始まりの森と言われる場所がある。隣国と国境に位置するこの森は大陸一広く、今では唯一魔物が生存する森である。
魔物がいるといっても今まで町に降りて来るのは年に数える程度だったのが、数年前から徐々にその数が増え、この2年、類を見ないほど魔物が活性化しているのだ。
そしてこの森の防衛の要となっているのがエリオットの実家であるマーテス家が納める領土である。
侯爵家と言われる位の中でも特殊な位置にいるマーテス家は何人もの歴史に名の残る優秀な騎士を排出し、私兵団は実戦の多さから集団戦であればおそらく王宮の騎士団より優秀だろうとされている。
今は元騎士団団長であったエリオットの父であるマーテス侯爵が指揮をとり防衛してきたが、ここ2年でそれも領地の兵だけでは補いきれない数の魔物が姿を表すようになった。
その為、王宮からも討伐隊として騎士団の1/3の人数を派遣しているのだ。
現在は副団長であり、エリオットの兄でもあるオルガラン・マーテスが討伐隊の隊長を務め、2年近く王宮を離れていたが先日オルガランが負傷をし、戦線を離脱することとなった。そして、そこに名があがったのがその弟であり領主の息子であるエリオット・マーテスである。
「こんだけ王宮内の話題掻っ攫っといてなんで私だけ知らないと思ってんのよ。あんのぽんこつ男!」
自分の机に拳を打ちつけると息を整えながら大人しく椅子に座る。
「なぁにぃ?騎士様と喧嘩でもしたのー?」
隣で書類をめくりながらこちらに目線もよこさずに問いかけるコーデリアに「…べつにぃ」と答えながら机につっぷした。別に喧嘩なんかしてない。アルタが一方的にエリオットに怒鳴っただけだ。喧嘩にもなっていない。
最近ずっとぐるぐると頭を占めていたことを一方的にぶつけてしまった。
アルタはエリオットの幼馴染としてエリオットにそれなりに近く、親しい人間として自負していた。自信があった。男女のそれとは関係なくともお互い好意があり、尊敬しあい、友人として対等に関係を築いていると思っていた。
そう思っていたのに命に関わるような大事なことを言ってもらえなかった悲しさと情けなさがアルタを惨めにした。
それはまるで子供が拗ねているようなものだと自覚をしていたがあの気の抜けた顔を見たらつい怒りが湧いてきてしまったのだ。
「…なさけない」
こんなんではエリオットのことを25歳児なんて言えやしない。
隣でコーデリアが肩をすくめたのを視界の端で捉えながらアルタはしばらく机と額を合わせていた。