幼馴染-アルタの場合-
私には幼馴染がいる
私の話を始めるにはまずこの話をしなくてはならない。
いや、もっと語ることもあるだろう。
産まれは田舎の子爵家の長女だとか、弟がいるだとか、今でさえラブラブな両親がいるだとか。
けれど私の周りで何が一番話題に上り、誰もが話を聞きたがることは何かというと決まって幼馴染のことばかりだ。
もう一度言おう。私には幼馴染がいる。
同い年の男の子。いや男の子というにはいささか歳をとりすぎている。自分自身、女の子というには悲しいかな、いささか歳をとりすぎている。
彼を説明するとしたら、まず侯爵家三兄弟の次男であること。
さらには騎士団の7つある小隊の小隊長という地位も人の興味を引くひとつだろう。
そしてそれらの背景を知らずとも一瞬で目を引くと言うのなら蜂蜜色の艶やかな、騎士としては長めの金髪を無造作に後ろになでつけ、同じ色のまつげに縁取られた瞳は翡翠のような鮮やかな色をしている。すっと通った鼻筋、形のよい薄い唇、笑えばその場にいる婦人達の心をいとも簡単に攫っていく美男子だということだ。まるで物語に出てくる王子を具現化したような容姿をしている。
彼のファンは王宮内にとどまらず、真偽の程はわからないが私の同僚調べによるところ国外にまで及ぶらしい。
なぜそのような人物がたかだか子爵家の娘であり、凡庸な私の幼馴染なのかといえば元伯爵家の娘だった私の母親と侯爵夫人が少女だった頃、大の親友だったことから始まる。
大恋愛の末、ど田舎の子爵家に嫁いだ母の元に侯爵夫人が息子を連れて遊びに来た5歳の夏からかれこれ20年ほどの付き合いである。
16歳で騎士に入隊した彼の後に私は18歳の時に魔道具を研究している教授を訪ね、そのまま王宮勤めとなった。一応言っておくが断じて彼を追って来たわけではない。
幼い頃から父が趣味で集めていた魔術や魔道具に関する大量の本を読み漁り、理解出来ることが増えていくと小さな女の子が興味を示すであろう一通りのものよりずっとずっと魔術や魔道具への関心が高まっていった。
本来なら婚約者探しをしなければいけない10代半ばを過ぎ、それでもおしゃれや流行、恋愛や結婚にまったく興味を示さなかった自分に父が紹介してくれた教授への弟子入りの為、王宮を訪れたのだ。本来長子の自分が果たさなければいけない跡継ぎ問題にはあいにく弟がいた為家族はとても寛容だった。
もともと何度か王都へ行った時に教授とは会ってはいたのでそのまま助手として王宮に居ついたのが事のてん末だ。
そこからまた今の今まで腐れ縁は腐っても腐り落ちないほど縁が続いている。
「アルタ、昼だぞ」
唐突に頭に重みを感じ、振り向けば幼馴染ことエリオット・マーテスが袋を人の頭に乗せ見下ろしていた。
「おはようエリー」
本日初の顔合わせだというのに、挨拶もせず憮然と人を見下ろしてくるエリオットにこれ見よがしににこりと微笑むと不快そうに眉を寄せた。
「エリーって呼ぶな。おはよう」
何度も何度も訂正された呼び名を、それでも結局直らないとわかっているであろうに律儀に訂正した後、素直に挨拶をするエリオットに内心満足しながら彼の手に持った袋へと視線を移す。
「今日は何?」
そう聞くのは毎日の日課だ。
毎日昼頃になるとエリオットは王宮内の私の職場へとやってくる。周りには所狭しと机が並べられ、これまた所狭しと本棚が壁をぎっしり覆っている。さらにいえばどの机にも本や紙が高々と積んであるいかにも研究室のような部屋だ。
今はお昼時の為ちらほら同僚達も席を立っているが職人気質の研究肌が集まるこの部屋には時間も忘れひたすら机に向かっている人も数人いる。
私も今の今までその中の一人であったが。
「今日はカツサンドだ」
そう言って軽く包みを掲げるエリオットに毎度毎度頭が下がる。気づけば研究に没頭して時間を忘れ食事すら忘れてしまう私を見かねたエリオットがいつからかお昼時になると食料を持って訪れるようになったのだ。
いつものように中庭に出ると定位置のベンチへと2人並んで座りさっそく包みをあけた。いただきますと手を合わせると肉厚なカツサンドにガブリとかぶりつく。口いっぱいに広がる上質な肉の味とおいしいソース、サクサクの衣に思わず頬が上がった。
「んー!!おいしい!すっごくおいしい!さくさくー」
もぐもぐと咀嚼しながら絶賛すると隣で同じような包みを開けていたエリオットが満足気に頷いた。
「そうだろう。そうだろう。なんせ今日は自信作だ。そのサクサクの衣にはコツがいるんだ」
自分もがぶりと一口食べ、やはり美味い、天才だな、などと自画自賛している。
そうなのだ。毎度お昼に持ってくるこの食料、なんとエリオットの手作りなのだ。
初めはマーテス家の料理人によるものだったはずなのだがいつのまにかエリオットが料理作りにはまったらしく、今ではすっかりプロ並みにまで腕を上げている。果たして侯爵家の次男に必要なスキルなのか甚だ疑問だがこうして毎日あやかっている以上文句は言えない。というより文句の付け所などない。
もぐもぐとカツサンドを堪能していると思い出したかのようにエリオットが不機嫌そうにこちらを見た。
「そうだ。この前お前騎士団の塔まで来たらしいな」
「え?うん。必要な書類を届けにと、この前戦地で見つけたって言ってた魔道具を取りに」
「なぜ俺に声をかけないんだ」
形のいい眉を吊り上げて拗ねたようにこちらを睨んでくるエリオットの顔を繁々と眺める。
何を言ってるんだこの男。
「用がなかったもの」
「騎士団の塔は男だらけで危険だと何回も言っているだろう。次は門で俺を呼んでから入れ」
そう言ってふいっと顔を背けたエリオットにまたかと呆れた。
何年も王宮勤めをしており、仕事上何度も騎士団とやりとりをしている私に今更どんな危険があるというのだ。
時折彼は5歳の頃と変わらぬ物言いをする。
出会った当初もちやほやされて育って来たからかとても高慢ちきな、よく言えばとても貴族の子供らしい子供だった。
1人木登りをしてた私は、たまたまその木の根でめそめそしていた子供を見つけた。何事かと上から声をかけるとその子はなんとも奇妙な声をあげ、腰を抜かし、その大きな目を見開いてぽかんと口を開けた状態で私を見上げた。
その時のことは決して忘れないだろう。絵本から出てきた天使が迷子になっているのかと思うくらいその顔は麗しく、その目いっぱいに涙を溜めて子犬のように震えていたのを覚えている。
ただし声をかけたのが人間の同い年ぐらいの子供だと分かるとこちらへ向けてきゃんきゃんと吠えた。
"こ、こここのさる!!ぼ、ぼくをおどろかすなんて、ぼくをだれだとおもってるんだ!!"
涙目でそう叫んだエリオットには迫力も何もなかった。偉そうに口を開いた割にはどうやら迷子らしくまためそめそと泣き始めるエリオットに木登りを提案したところ、一人で木の下で泣いてるのは心細かったのか文句を言いながら一生懸命登ってくる天使の顔した子犬。
あまりに不慣れな様子に貸そうとした手がうっかり顔に当たってしまいエリオットを木から突き落としてしまったのが初めての出会いである。
本当にあの時は擦り傷程度ですんでよかった。
その後、私に怯える傷だらけの子供を連れて家に帰るとその子供が母の知り合いの息子だとわかり、それからというもの領地にいる間世話係を命じられた。
エリオットと2歳下の弟を率いて色々な所を案内した。
初めのうちは泣きながら嫌がっていたエリオットだったが他にやることもなく諦めたのか大人しく後ろをとぼとぼ付いてくるようになったのだ。
そして気づけば連行される囚人のように力のなかった足取りが自分からすすんで近づいてくるようになりエリオットが王都に帰るときにはぐずるほど私に懐いた。
その時に、当時野猿に似た女の私よりよほど女の子に見えるエリオットのあだ名をエリーと名付けたのだ。
それ以来というもの変な独占欲が湧いたのか、時々駄々をこねるようになった。
例えば私が弟の人参だけをこっそり食べてあげた時とか、例えば熱を出したエリオットを放って町の子供達と遊びに行った時とか、例えば王都に出てきて最初に尋ねたのが教授のところだった時とかいやにねちねちと責めてきては不貞腐れるのだ。
いまだその癖が治っていないとはまったく困った25歳児である。
「はいはい、ごめんなさいね。次はなるべく声をかけるわ」
「絶対だぞ」
「これ、ご馳走さま。今日も美味しかったわ」
まったく顔がよくなければ本当にただの鬱陶しい男である。この男は心の広い幼馴染と自分の顔に感謝した方がいい。
「もう行くのか!?まだ20分しか経ってないぞ!」
「今日中に提出しなくちゃいけない報告書があるのよ。じゃあエリーも午後の仕事頑張ってね」
そう言ってひらひらと手を振ればとても不服そうに言葉を飲み込み、早足で近づいて来て研究室まで送ってくれた。
あのような困った男でも貴族としての教育も、騎士としての教育もしっかり受けている。レディファーストは身についているし私以外の婦人には始終にこやかに対応しているところをみるとわがままを言うのは身内だけのようだ。むしろ極上の顔を持っている上に紳士、騎士団小隊長、侯爵家の次男と揃って王宮内では婚約者にしたいランキング1位らしい。
実際この男と結婚したら絶対に鬱陶しいぞと声を大にして言ってやりたいが乙女の夢を壊してはいけないと日々自制している。
よいせっと声を上げて椅子へ座るとどうやらいつのまにか戻ってきていた隣の同僚コーデリアがにやにやとしながら声をかけてきた。
「今日もキラキラ騎士様の愛妻弁当?」
「そうよ」
「あーあいーなーアルタは!あーんなイケメンが献身的に尽くしてくれちゃってさー。さっさと結婚すればいいのに」
そういってだらーんと机に寝そべるコーデリアを横目で睨め付ける。
「だからそういうのじゃないって言ってるでしょ?エリオットは幼馴染よ」
「前から思ってたんだけどさー、それ本気で言ってる?」
「本気と書いてマジよ」
突っ伏したまま顔だけこちらに向けたコーデリアがなんとも言えない顔をした。
「いや無理あるでしょ、エリオット様のあの態度じゃ。最初あんたを目の敵にしてたお嬢さん達だって引き下がるほどエリオット様でれでれじゃないの」
「ただの幼少期の頃のすり込みよ、あれは」
「えーそーかなー?そうは見えないけど」
「はい!この話!おしまい!今日中に提出する書類あるからあんたも仕事しなさいよ」
そう言って無理やり話を終わらせるとコーデリアがいまだ何か言いたそうに視線をよこしたが諦めたのか一つため息を落とすと机に向かった。
「ま、あんた達の問題だからあたしがとやかく言うことじゃないでしょうけど、7年も側で見てきたあたしからしたらもどかしいって話よ。あんたもあの話聞いたんでしょ?後悔しないようにしなさいよ。あ、室長ー」
そう言って室長を追いかけていった彼女の後ろ姿に思わず唇を尖らせる。本当に心配をしてくれているというのはわかるのだが自分自身でもはっきりしない感情を持て余しているこちらからするとそっとしておいて欲しい。
エリオットの刷り込みだが好意だがよくわからない執着を感じていないわけではないがその関係にはっきりとした名前をつけるには日々思う所がありすぎる。エリオットからもハッキリと何かを言われたわけでもないのに出せる答えを自身は持ち合わせていなかった。
「…くそヘタレ野郎」
誰にも聞かせられない口汚いことをつぶやくと大人しく仕事を始めた。それはエリオットに対してか、はたまた自分に対してかアルタ自身にもわからなかった。