6章 和村小夜子
それから数十分後、アルドフッドの野太い大声量によって招かれた俺たちは、診療所に隣接している別の建物へと向かって移動した。
真っ白な診療所の隣には、どこか温かみを感じる茶色の建物がある。最初はアルドフッドの自宅かなと思ったのだが、足を一歩踏み入れた瞬間、その場所が何の役割を持っているかすぐに理解できた。
壁に掛かった拙いクレヨン画、下駄箱にはミニチュア模型のような小さい靴、壁の低い位置に残っている落書きの跡、そして部屋の一つ一つには平仮名で『おひるねのへや』や『といれ』などと書かれている。
この雰囲気は恐らく、保育園、幼稚園、もしくは児童養護施設に準ずるものだ。
診療所だけでもアルドフッドには似合わないと思ったのだが、どうやら更に似つかわしくない活動に精を出しているらしい。本当にかつて化物と呼ばれた男の余生なのだろうか。
俺たちが足を踏み入れたのは『しょくじのへや』だ。扉を開けると、誕生日パーティーを思わせる長いテーブルに、8~9人ほどの子供が着席していた。
年齢は大体、幼稚園児から中学生くらいまでだ。今にも食事に飛びつきそうなほど元気な子もいれば、あまり覇気を感じさせない子もいる。
「おう! おめぇら、メシだぞ! お客様とはいえ遠慮すんな、胃袋破裂するまで食えよな! なぁ! ま、座れや! おう!」
長テーブルのお誕生日席に座るアルドフッドが声をかけてくる。その近くにはアイが着席しており、左右に座る子供たちにメチャクチャ絡まれていた。恐らく身長が低いせいで子供だと思われているのだろう。
俺たちが席に着くと、中学生くらいの女の子が料理を運んできて、俺たちの前に並べていく。
あのアルドフッドが作った料理なのだから山賊が好みそうなものが出てきそうだと思っていたのだが、意外と一汁三菜に則った料理だった。とはいえ量が1日の摂取カロリーを賄えそうなほどなのだが。
「おうワム! おめぇは食わねえのか、なぁ! まだ厨房に余ってんだぁ、おめぇが食べなきゃそこのクロスエッジとやらが全部食うことになるぞ! おう!」
「え、名指し?」
俺がぶったまげていると、ワムと呼ばれた中学生くらいの子は苦笑いに近い愛想笑いをしながら首を横に振った。
「……わむはおなか減ってませんので、お気になさらず」
「そうか! そら仕方ねぇな、胃袋に宜しく伝えといてくれ! じゃあいただきますだな! おう! ハルモニアの姉ちゃん! 音頭を頼む!」
「25度! いただきます!」
音頭を温度と勘違いしてしまったハルが、木のスプーンをマイクに見立てて室温を告げた。俺は思わず水を零してしまったのだが子供たちはハルの挨拶を気に留めていないようで、「いただきます!」と両手を合わせてから食べ始めていた。
俺たちも一歩遅れて食事を始めたのだが、これがまた意外なほどに美味しい。味付けは大胆かつドラマティックな出来栄えなのだが、その男メシ感が食欲をそそる。
集合的無意識な感覚だが、父親が作る料理ってこんなイメージだよな……と思う。尤も、ウチの父親が厨房に立つ姿など想像もできないし立ったこともないだろうが。
「………………」
大胆な食事に舌鼓を打っていると、隣から生暖かい視線を感じた。
見てみれば、先ほど配膳してくれた中学生くらいの女の子が、割と近い距離で俺の横顔を見つめている。買ったばかりのゲーム機を眺めるような興味関心と好奇心が混ざり合った瞳に射貫かれて、なんだか妙にむず痒い。
その女の子はなんというか、不思議な風体だった。
日本では珍しい金色の髪、運動部よりも色濃くて日本人離れした褐色の肌、幼さを残す――という表現が不適当なほど子供っぽい顔、しかし裏腹に中学生を超えて高校生レベルの身長と体の成長。総合的に見れば中学生っぽく感じるのだが、部分部分を見れば小学生や高校生らしさが混じり込む、なんだかチグハグな発育の少女だ。
お返しとばかりに視線を向けてみると、金色の瞳とかち合う。
互いの目線が交差した瞬間、彼女は不器用そうな苦笑いを浮かべて数歩だけ後ずさりした。
「……どうかした? ……ですか?」
年下だが初対面ということもありタメ口で行くべきか敬語で行くべきか迷った挙句、ちょっとよく分からない台詞回しで尋ねてしまう。今まで子供と接する機会など一切無かったので、どう接するべきか心底よく分からない。
「……あ、いや、すみません。ちょっとにおいがしたもので……」
「え、俺臭い? 心を折るには十分な一言……」
「いえ、臭いとかそういうのではなくて……なんか、アルドフッドさんとおなじにおいだなぁ、って……」
え、アルドフッドと同じ匂い……? と少し自信を喪失してしまう。別にアルドフッドから異臭を感じたことはないのだが、明らかに30歳以上年上の男性と体臭が近いというのは、中々にクるものがある。
「……煤と鉄のにおいです。もしかしてアルドフッドさんとおなじで、炭鉱ではたらいていたんですか? おしごとなかまですか……?」
「炭鉱……」
一瞬意図を捉えかねたが、すぐに気づく。
煤と鉄、きっとそれは戦場で染みついた交戦の臭いだ。
消そうとしても消しきれないその臭いを、アルドフッドは炭鉱夫として従事していたからと説明したのだろう。実は魔法使いとして戦場に君臨してました、なんて言えるはずもないのだから仕方がない。
「あー、そんな感じ。よく気付いたな、いい鼻だ」
「そうですか……」
言いたいことだけ言って、その少女はさっさと俺の傍から離れ、部屋の隅っこへ行ってしまった。そして何度も読み返されたせいでくたびれた本を読み、自分の世界へと耽ってしまう。
なんだか、とても不思議な少女だった。
他の子供たちは和気藹々とお昼ご飯を食べているのに、その子だけは並べられたご飯に目もくれず、自分だけしか世界に居ないかのように殻に籠っている。目の輝きもどこか鈍く、魔法界の少年兵を彷彿とさせるような雰囲気だ。
まるで、そう……この世界に来たばかりの、ハルみたいな感じで。
「ねえアルドフッド、ここには随分子供がいるのねぇ。産んだの?」
どう考えてもアルドフッドが産むはずがないのだが、子供の作り方を知らなさそうなハルは純粋な気持ちで微妙な質問をしている。
「ここはいわゆる児童養護施設だ、親がいなかったり親と暮らせないガキどもを引き取って世話してんだな! おう! 都会で傷を負った子供に、島の伸び伸びとした環境でゆったりと療養をしてもらいましょう~みたいなコンセプトだな!」
「成程、つまり少年兵の養成所という訳か」
合点がいったかのようにナイリンが頷いているが、恐らく彼女は致命的に何かを勘違いしているのではないかと思う。確かに戦争国で親を失った子供はパンと杖を渡されて少年兵にスカウトされるのだが。
しかし道理で、先ほどワムと呼ばれていた少女の目が濁っているはずだ。恐らく引き取られて間もないのだろう、施設の主であるアルドフッドにも警戒心を解いていない。
そういうことなら部外者である俺たちと接するのは精神衛生上良くないのではないか、とアルドフッドに問いかけてみたが、外部の人に慣れる訓練をしないと一生ここを卒業できないからな、と返される。
まあ確かに――観光客を除けば、閉鎖的な島の中で部外者と知り合う機会は稀なのだろう。世間という大海に繰り出るにはこれもまた貴重な訓練なのか。
「ああそうだ、おめぇらさ! この流れで話しとかなきゃならんことがあるんだけどよ! 治療費についてなんだけどな!」
「え、治療費……」
完全に失念していた概念を口にされて、思わずハルみたいにマヌケな表情をしてしまう。
確かにダウナの手紙には話を通しておくと書いていたが、無償で診察が受けられるような記述は一切なかった。のんびりとした島の診療所と言えども、診察の無料化をしているわけがない。
「おいハル、色仕掛けで値切り交渉をしてくれ。端数くらいはまけてくれるかもしれん」
「投げキッスという遠距離技なら無限に放てるけど」
「見損なうなよ! 俺ぁガキ共から金取ろうだなんてシャバい男じゃねえぞ! 経営難だから金はいつでも欲しいけどなぁ! それよか手伝いが欲しいんだよ! なぁ!」
アルドフッドは丸太のような腕を大仰に振り、部屋の隅っこにいるワムという少女を指さした。本を開きつつもこちらに視線を向けていた彼女は、指を差されるや否や本で顔を隠してしまう。
「アイツはこの施設に来て間もないんだけどよぉ、どーにも大人が苦手みてぇでさ! お前らまだ毛も生えてないウブだろ? ちょっと子供同士で打ち解けて、気分転換させてやってくれねぇか? おう!」
さすがに第二次性徴はクリア済みなので毛ならタンポポ1本分くらいあるが、アルドフッドに比べれば圧倒的に若造であることは疑いようも無いだろう。正直なところ、大人の男が苦手というよりはアルドフッドの図体が規格外にデカすぎてビビられているだけじゃないかとも思う。
「まあ、それくらいなら全然構わないですけど……」
「そうか! やってくれるか! おめぇ! いーいヤツだなぁ! おらっ、俺の分も食えっ!」
柱サボテンみたいになるほど天高くご飯をよそわれ、しまいには肩をバンバンと叩かれる。
しかし、治療費代わりと言われれば断る道理など無いのだが、一つだけ困ったことがある。それは子供という存在が未知数すぎる点だ。
「おいハル」
隣にいるハルに耳を貸すようにジェスチャーをする。ハルは椅子を寄せて頭をこちら側に向けてきた。
「なに、耳でも舐めたいの?」
「杞憂だバカ。……お前さ、メース国で子供と接したことある?」
さすがに魔法界とは関係のない子供たちが大勢いる中でメース国などと大っぴらに言うことはできないので、ハルの耳にだけ聞こえるようにこっそりと問いかける。
「……お察しの通り、全くないわ。当然の如く化物扱いだったものね。大人と絡んだ機会すらあんまりないの」
「そりゃそうだよなぁ……」
子供が何を好むのか、何を楽しいと思うのか、皆目見当もつかない。自身の幼少期を顧みても、ロクなもんじゃないとしか言いようがないので全く参考にならない。
というかそもそも、あの少女の年齢が何歳なのかすらよく分からないのだ。小学生くらいならパッションとこまっしゃくれた言い回しでどうにかできるかもしれないが、ある程度知性の付いた中学生くらいになるともうよく分からない存在としか思えなくて――。
「……ばけもの?」
「うおっ」
いつの間に接近していたのだろう。少女は俺たちの真後ろに立ち、日常では聞きなれない単語に小首を傾げていた。
「いま、ばけもの……って言いました?」
「ハルが俺の耳裏の臭いを化物級だと評してきやがったんだ。一緒に世論が騒ぐほどの往復ビンタをしてやろうぜ」
「…………」
適当に誤魔化してみたものの、少女はその世迷言を信じちゃいないようで、なんともいえない表情で俺たちのことを見てくる。
しかしこちらも初めまして化物ですとアナーキー過ぎる挨拶をするわけにもいかないので、表情筋を殺して何事も無かったかのようなすまし顔をする他ない。ちなみにハルからはニュウドウカジカみたいだから止めろ二度とやるなとご好評をいただいている表情だ。
「………………」
「………………」
そしてお互い、なんとも気まずい間が流れる。
子供相手にどうしたらいいかよく分からない化物上がりと、人と接することにあまり慣れて無さそうな野良ネコ系少女が対面すれば、将棋の対局中みたいな緊迫感が生まれるのも当然と言えよう。
こういう時こそハルのパッションをフル活用する時かな、とか邪なことを考えていると。
「ほーら、そんなに見つめたらお兄ちゃん困っちゃうからねー。まずはお互い仲良くなるために、ご挨拶するところからはじめよ?」
ナイリンが少女の隣にしゃがみ込んで目線の高さを合わせ、今まで一度も見たことのないスペシャルな笑顔を浮かべながら、電話中みたいに一段階高い声で語りかけ始めた。
その変貌ぶりに俺とハルはこの上なく狼狽したが、今までの素っ気ないナイリンを知らない少女は違和感を持つことなく受け入れたようで、少しだけ緊張したような表情を浮かべながらこちらに向き直る。
「和村、美代子です。13さいです。……わむとよんでください」
「ん、あ、おう、高坂黒です」
「秋晴れも徐々に寒風に巻かれ、木枯らしの吹き荒ぶ季節となってきたわね。若葉春よ、よろしく」
このバカがどうして時候の挨拶を口頭で述べたのかは分からないが、和村美代子という少女は少しばかり気恥ずかしそうに手で口元を隠した。少々恥ずかしがり屋のきらいがあるのかもしれない。
「ちゃんと挨拶できてえらいねー」
「んううぅ……」
アイばりのピカイチな笑顔を浮かべながら、ナイリンがワムの頭を優しく撫でている。直接的なスキンシップに慣れていないのか、ワムは少し照れたような顔をしながら謎の鳴き声を口の隙間から漏らしていた。
「……ナイリン、あの、頭でも打ったか? したたかに」
さすがに言及しないわけにはいかないので、ナイリンに正気かどうかを聞いてしまう。俺の隣でハルも首が斬り落とされたんじゃないかってくらい深く首肯し、友人が突然ゲロを吐いた時のように気まずそうな表情を浮かべていた。
態度の違いを指摘されたナイリンは、恥ずかしそうに頬を仄かな朱に染め、明後日の方向を向いてしまう。
「……年下の身内が幾人かおりましたので」
「へえ、兄妹がいたのか」
でも確かに、ナイリンにはそこはかとなく長女の雰囲気が漂っている。少なくとも末っ子らしき感じは全くしない。
「ところで、頭でも打ったと言えばなのですが……ワムちゃんの頭部に並々ならぬ裂傷が刻まれております。一体どのような管理をしていればこのような瘢痕が付くというのでしょうか」
ナイリンがアルドフッドに厳しい目線を向けつつ問いかける。問いかけるというよりは、詰問すると言ったほうが正しいかもしれない。
「それなぁ、俺のせいじゃなくて元からの傷だぜ! ワムはな、崖の下に倒れてたんだ! 岩肌に頭をぶつけたみたいで結構な大惨事だったなぁ!」
「あらあら、それはそれは……」
ハルがオバチャンみたいなことを言いながら、ワムの頭部を覗き込む。そして肉厚ねぇとステーキに向けるような感想を述べていた。
俺も傷跡を見せてもらったのだが、確かに記憶の一つでも失っちゃいそうなくらい酷い傷跡が残っている。一見すると病院にブチ込んだほうがいい程だが、縫った痕跡もあるし、魔法による処置の跡も見受けられるので、あと数週間もすれば綺麗になるだろう。
「崖の下で倒れてた……か」
こういった児童養護施設に来る子供は、大体が親に捨てられたか死別したかで家庭を失ったという印象だ。
しかしワムのケースはそれとは異なる。崖から転落しただけなら、わざわざ施設に入る必要性もない。治療の後に親元へ戻ればいいだけの話だ。
それが実現していないということは、親の所在が不明なのか。
それとも、親がワムを殺そうとして崖から突き落とし、それが露呈して刑務所にブチ込まれたか。
もしくは心中を試みて、ワムだけが生き延びたのか……。
とにかく、どのような経緯で親と離れ離れになったにせよ、彼女の心中は穏やかではないはずだ。家庭も学校も友達付き合いも、全てを失ってここに来たのだろうから。
「……まあ、なんだ、仲良くしような」
ナイリンに倣って、ワムの頭を優しく撫でる。あんまり友好的な顔つきではないと評されるが、それでも出来るだけ彼女の警戒心を解いてあげられるように微笑みながら。
「私ともね!」
横からハルが寄ってきて、ワムの頭を撫でる俺の手に己の手を重ねてきた。空気を読んで近づいてきたアイもその上に手を置き、お得意のあどけない笑顔を向ける。
「……ん」
ワムは少しだけ照れたように、小さく頷いた。




