8章 学園祭は終わらない
俺たちはしばらく星を見て楽しんでいたが、やがて見回りという己の本分を思い出し、クラスメートたちに激励の言葉をかけてからクラスを出て行った。
天象儀の世界を抜けた後も、世界は彩られたままだった。さっきまでは夜空煌めく落ち着いた彩りを、廊下に出た今は活気溢れる楽し気な色彩を。
どこにいたって何をしたって楽しい世界、こんな理想郷があるなんて。
俺たちは片っ端から出し物に興味を示して、そして一緒に楽しんでいく。時には何かを食べて、時には何かに興じて、時には何かに想いを馳せて。油断してサッカー部の出し物に寄ってしまい大層弄られている鳳輔を見かけたり、暗殺者の暗器ばりに甘味を携え歩いて行く先輩を見かけたり、まだトラブルも種火の段階なのに魔法で察して即座にすっ飛んでくる委員長を見かけたり、祭を謳歌しているクラスメートと出会って冷やかされたり、時には諍いが起こりかねない事態に発展しているところに俺たちが仲裁しに向かったり。
めくるめく学園祭は驚くほどあっという間に、そして濃密に過ぎていく。
段々日が傾いてきて、世界が夕焼け空に染まっても熱気は冷め止まない。数時間歩きっぱなしの俺たちだが体力の限界を感じることもなく、パンフレットを開いて次はどこにいこうと話し合う。
ただひたすらに今日を満喫することだけしか考えられなくて、俺たちは疲れる様子も見せず体育館へ向かい――、
――そして今、体育館は熱狂に包まれていた。
外部から来た特別ゲストが、ステージ上で体の奥底まで震えさせる重低音を放っている。その音が鼓膜を揺らす度に歓声が湧き上がり、人々は手を振り上げながらコールを交わしている。
Tシャツのド真ん中に髑髏を掲げた男が、喉が枯れるのも厭わず大声で熱唱する。歌うというよりは刻み込むと形容したほうが正しいであろうそれは、俺の隣のハルを大層盛り上がらせていた。
演者と観衆が一体となって音を奏でる、綾なす旋律が世界を満たす。この一瞬を脳に刻み付けるように、忘れがたき思い出となるよう体に溶け込ませて……学園祭最後の行事が、ゆっくりと終焉へ向かっていく。
このバンドライブが終われば時刻は十八時を迎え、学園祭は終わる。きっと同時に来校者への退校案内が流れることだろう。
俺たちの学園祭が終わる、俺たちの楽しかった時間が終わる。
だからだろうか、熱狂する人々の声はまるで現実を忘れようとしているかのよう。学園祭が終わると信じたくなくて駄々を捏ねているかの如く、あらん限りの声を発して思考を鈍らせ、今はただこの熱情に酔い痴れようとする。
それは、終わらないでくれと懇願しているようにも聞こえた。
「みんな、今日はありがとう! またいつかこの場所で、笑顔で会おう!」
そして大熱狂にも終局が打たれ、体育館内に割れんばかりの拍手が響く。
この拍手さえやめなければ永遠に祭が続くと信じているのか、いつまでもいつまでも止まることはなくて。
バンドメンバーもそれに応えていてくれたが、それでも予定されていた時間に至れば舞台から去らざるを得ない。名残惜しそうにメンバーが立ち去って、スタッフによって楽器類も片付け終わって、さっきまであんなに盛り上がっていたのに舞台上には空白しか残されていない。
その時にはもう退校のアナウンスも流し終わり、学園の来校者は去り尽くしていた。生徒たちからも少しずつ祭の雰囲気は薄らいで、祭のあと特有の寂しさだけが身を襲う。
それでも、ハードな学園祭を終えたとしても生徒たちの目には活力が残っていた。
だって祭はまだまだ続く、後夜祭が残っている。
後夜祭が始まれば、いずれダンスパーティーが始まるだろう。
「……」
横にいるハルを見て、言いかけた言葉を飲み込む。
ハルは今日まで、あらゆる男子学生にダンスを誘われ続けていた。それこそクラスでよく話す男子から、アイドル並に顔がいい男まで十人十色に。
それでも彼女は、誰からの誘いも断っていた。
楽しいことが大好きな彼女は、何故ダンスの誘いを断り続けていたのだろう?
……誰からの誘いを待っているのだろう?
確かめるすべはあるだろう。言葉一つで訊けるだろう。
けれども言葉が上手く出てこないのは、なぜだろうか。
まるで、告白に臆してしまう鳳輔のようだ。
「――」
そうして逡巡している内に、やがて体育館内が賑やかになってきた。校内にいた生徒たちが続々と集まってきて、口々に今日の学園祭について語り合っている。
学園祭の終了後は、体育館で校長による閉会の挨拶がある。この後予定されている後夜祭は参加自由な形式なので、このタイミングで一度締めるのだろう。
早く校長が現れて後夜祭が始まらないかな――と思い、誰もが舞台上を見上げている。
俺たちも例外ではなくて、ハルと共に誰もいない舞台上を眺めていた。
「ねえクロ。後夜祭、もちろん出るわよね」
「当たり前だろ。最後の一日なんだから思い残すことなく楽しみたい」
「ダンスパーティー……誰かと出るの?」
「……俺のスケジュールには踊り狂うなんて書いてないな。今のところ」
「……そうね、私の予定もそんな感じ。今のところ」
どこかぎこちない距離感を保ちながら、決してお互いの方を見ようとせず言葉を交わす。
どちらが先に一歩を踏み出すか、押し付け合っているかのようだ。
そんなやり取りが続き、それでも牽制し合ったまま時が流れ――突如、電気が消える。
正確には全ての電気が消えたわけではない。体育館の天井照明は消え失せたが、舞台上を照らすスポットライトだけは煌々と照らされていた。
ただ校長が話すだけなのに、なぜ稀代の大物でも現れるかのような演出を……?と誰もが首を傾げる。
そして舞台袖から何者かが出てきた時も、それ以降も、きっと傾げ続けていた。
現れたのは――。
「委員長……!?」
東松山咲希が……まるでまだ学園祭が続いているかのように、満面の笑顔を浮かべながら舞台上に現れていた。
魔法使いだということを隠す様子もなく杖を握り、彼女の周囲に蠢く火球を纏わせていた。それは己が魔法使いであることを周知させようとしているかのように。
何故そんなリスキーな真似を? 魔法使いの存在が露呈すれば国家単位で激震が走るというのに?
決まっている。
この国が機能しなくなるのが、今日だからだ。
「……ハル!」
「分かってる!」
戦場では一瞬の呆然も許されない。俺たちは同時に踏み出し、生徒の間を縫うようにして舞台上へと接近していく――。
「みんな、今日はお疲れ様! 楽しかったかい? 楽しかっただろうね! ……でも今日で終わりなんて寂しいよね! 今日という日が永遠に終わらなければいいってみんな思うよね!」
マイクも無しに体育館に響き渡る声――大聖堂でも用いられていた拡声の魔法で、委員長の言葉が誰しもの耳と脳に届けられる。
けれども、誰も理解できない、目の前で行われていることがなんなのか分かるはずもない。できることと言えば精々、彼女の周囲を惑星のように旋回し続ける火球が、どんなトリックで作られたものなのかを推測することだけ。
誰もが呆気に取られた空白時間に、俺たちは迷うことなく最短距離で委員長との距離を詰めていく。禁術を使わせるわけにはいかない、杖さえ奪えば無力化できる。
やるしかない、無謀でも何でもいいからあの杖をブン取らなきゃならない!
しかし――舞台へと続く階段に足をかけようとしたところで、何かに激突した。数歩後ずさってから再び突進するも、見えない何かによって行く手を阻まれる。
不可視の障壁が、舞台上を包み込んでいた。
「安心して、みんな! 今日が宿願たる佳日だよ、学園祭は永遠に終わらない! この学園で一緒に楽しもう! いつまでも! どこまでも! 永遠に!」
「今日が宿願の日だと……!?」
バカな、委員長の計画は卒業式の日に決行されるはず――!
そう思って振り返れば、誰もが驚愕を失えない様子が見える。どの生徒も一様に委員長を見上げ、今自分が置かれている状況を理解できないままでいた。
――大聖堂で委員長の教えに付き従っていた敬虔な共謀者たちも、例外ではなく――。
「僕は学園祭実行委員の委員長として、これまで学園祭の行く末を見守ってきた。三度体験した学園祭はどれも見事なものだったよ、終わるのが惜しいくらいに。……今日が終われば! 僕は学園祭実行委員会から卒業する! 三年間務めた役職を捨て、ただの一般生徒になるだろう! でも! 今日が終わらなければその瞬間は来やしない!」
「……まさか……」
彼女の言う卒業の時は卒業式じゃなくて……学園祭実行委員会を卒業する、その瞬間……?
いや、でも、確かに――委員長は地下で言っていた。
『最高の時は終わらせない。僕たちの幸福を永遠にしよう』
彼女にとっての最高の日。それは――。
『とにかく生徒、来校者の安全第一! 今日が一年間で一番楽しい日なんだから、誰かが怪我して泣くような未来は絶対ダメだよ』
――それは、今日。
彼女の理想郷は、永遠に終わらない学園祭。
祭の終わりを拒絶し、永遠の祭を続ける世界。
卒業式なんていう寂しさと悲しさが漂う空間ではなく……誰にとっても楽しい一日こそが、彼女の描いた未来の構図。
「やめろ……やめろ委員長ッ!」
俺の制止も届かず――彼女は杖を振るい――世界を揺らす。
一次元も二次元も三次元も、そして四次元にさえも干渉する、禁断の力。
「今日が! 今日こそが! 世界が静止する日!」
杖から漆黒の光束が広がっていく、俺たちをすり抜けて世界を包んでいく――。
「さあ! みんなで幸せになろう!!!!!」




