25章 世界が静止する日
この学園以外の全てに、永劫の停止を。
この学園に、停滞の呪いを。
強烈な閃光が視界を晦まし――そして、彼女の杖先に収束する。
……しばらくの静寂を経て……生徒たちの中から、声が聞こえた。
「え……?」
伝播するように次々と、その異様さに気づいていく。
携帯電話の――体育館に掲げられた時計の――彼らの腕に巻かれた腕時計の――時が進まず、沈黙を続けている。
それと――不快感を覚えるほどの静寂。ざわめいている体育館は賑やかだが……外からの環境音が一切遮断されていた。
車の行き交う音も、カラスの鳴き声も、飛行機の往く音も――何もかもが消える。
異変を察した生徒が体育館の扉を開け、外に出て外界の様子を目撃した。
その口から漏れる声は……まるで、戦場で化物に出会ったかのよう。
この学園外全域は、時間も生気も何もかもが剥奪されていた。
ありとあらゆる生き物が、そよめいていた木々が、空を揺蕩うはずの雲が、活動することなく静止し続ける。空を飛ぶ鳥さえもが虚空で静止し、地に落ちてその身を横たえていた。
「この世界にはもう、我々以外の存在はいないも同然――」
魔法の力で、委員長は舞台袖から灰色の物体を引き寄せる。
それはかつて人と呼ばれていた物体、俺たちに教師と呼ばれていた存在だ。彼らは灰色に染まって静止して、火球の間を縫うようにして空へと漂い続けていた。
「この世界に大人なんかいらない。僕たちは大人になれないこの世界で永遠の時を過ごすんだ」
ようやく――事態を察した信仰者たちが歓喜の声を上げる。涙を流してこの日を享受する者、委員長と同じ満面の笑みで拍手を重ねる者、ただその場に平伏し神の如き力を崇める者――。
だがそれと同時に、事態こそ察していないがとにかくヤバい女がヤバいことをしながらヤバい発言をしていると悟った連中が罵声を浴びせ始める。尤も漂う火球に臆したのか、信者の数より圧倒的に少数で声はかき消されかけていたが――。
「今日を受け入れられないみんなもいるよね、突然時を止められても困る人だっているよね。でも大丈夫! 僕がちゃんと幸せにしてあげるから! 望むものならなんでも与えてあげる、悩みごとがあるならなんでも聞いてあげる! ……心配しないで! 今この時は永遠に続くんだ、永遠に語り合おう! 全員が幸福になるまで語らい続けよう! 大丈夫だよ! 何も心配いらない!」
賞賛と拍手と罵倒と絶叫と号泣と笑顔と絶望と混乱が入り混じる――。
ただ一つ理解できることは……この世界は、終わったのだ。
魔力を行使できない者は、もうこの敷地内から出ることすら叶わない。
これは永遠に続く学園の牢獄。脱出不可能なのは物理的な意味だけではなく、時が止まった世界は他次元の影響すら受けなくなる。
もう、祖国からの応援に縋ることはできないのだ。次元転移どころか通信を行うことすら叶わない。
「……っ!?」
その時、ポケットの中で携帯電話が震えた。画面上にはアイの名前が表示されていて、俺とハルにグループ通話を申請しているようだった。時が停止したこの学園内では、携帯の電波さえも使用可能な状態のまま固定されているようだ。
『クロくん! ハルちゃん!』
切迫した声に、鋭い足音と荒い息。彼女はどこかへ向かって駆けている。
『始まったんだね、予想より早く! この世界の終わりが!』
「ああ……!」
『世界を再び動かす方法はあるの!?』
「……正攻法じゃ無理だ! 俺たちは時間干渉の魔法を使えないし、その仕組みさえ知らない! 可能性があるとしたら、委員長から魔法を解除する方法を聞き出すことだけだ!」
『分かった! ……なら張本人の委員長を拘束して話を聞くしかないね! 反撃に打って出よう!』
「でも俺たちは杖を持っていないんだ、魔法が使えない!」
『……杖さえあれば反撃に転じられるんだよね!?』
「あ、あぁ」
しかし一口に杖と言っても、魔法を行使するためには特殊な杖を用いなければならない。
詳しい構造は分かっていないのだが、魔法界にしか存在しない成分を含有した鉱石を、魔法界にしか存在しない材質の杖に埋め込み、厳しい品質テストと耐久テストをクリアして、ようやく杖として認められる。
当然、こちらの世界では入手することのできないものだ。もし簡単に手に入るものなら、俺たちだってとっくの昔に入手している。
『それなら大丈夫、あたし、魔法使いの杖を持ってるから!』
「え……あッ、そうだ! なんだアレは、どうしてアイが杖を持っているんだ……!?」
『数週間前、委員長が両親に戦いを挑んでいたでしょ? 委員長は両親を倒したあと杖を回収して、誰にも奪われないように地下の祭壇に安置しようとしていたの』
それは……憶えている。宝石を纏った杖が祭壇の上に置かれ、まるで神への供物のようだった。
そこに存在する杖は一本。……両親二人と戦ったとするならば、計算が合わない。
『もう一本は、あたしが回収していたの。委員長の両親がやられた時に運よく目の前に落ちてきたから、何かに使えるかもしれないと思ってね。……それさえあれば……!』
「俺たちも魔法を使えるようになる!」
それが唯一にして最後のチャンスだろう。
我々化物の力を使い、委員長を制圧して拘束する。そして時間停止の禁術についての情報を吐かせて、どうにかしてこの世界を元に戻す。……それだけが、この世界をあるべき姿に戻すための方法。
世界の行く末は、俺たち二人の手に託されたのだ。
「アイ、今どこにいる!?」
『校舎裏! 駐輪場の近くだよ、そこの地面に埋めておいたの! いま掘り返してるからこっちに来て!』
駐輪場と言えば、あの忌まわしき焼却炉の付近だ。
敵の本拠地周辺に武器を隠すとは何たる胆力だと思うが、地下から溢れ出る魔力に紛れて杖の魔力が探知できないので、むしろプラスに働いたのかもしれない。
唯一の武器を手に入れるため、ハルの手を引いて走り出す。混乱と狂騒の坩堝と化した体育館を出て、校舎裏へと向かう。
体育館から聞こえる叫び声だけがこの世界の音色。生命体が停止して静まり返ったこの世界では、自分の足音さえも反響して響いている。
「アイ!」
校舎裏に着くと、丁度アイが杖を掘り出し終えたところだった。
土に塗れて薄汚れた杖には、あの戦闘で付着したと思われる焦げが無数にある。それだけではなく表面全体に傷が刻まれており、その杖が長きに亘り使用されてきたことが物言わぬとも理解できた。
きっと、遥か昔にフェンネル国が亡命した時から、継承され続けている杖なのだろう。その傷は、滅亡に追い込まれた国家の恨みが刻み込まれているようなものだ。
「クロくん、ハルちゃん! ……これだよ、委員長の両親が使っていた杖! これさえあれば、委員長を止められる……よね……?」
その杖を手渡された俺たちは、様々な角度から状態を観察した。
……こうして手に持てば、杖に込められた魔力を肌で感じることができるはずなのだが、今の俺には薄い魔精反応くらいしか感じ取ることができない。
先ほど言った通り、地下に存在する莫大な魔力に紛れて、杖如きの微細な魔力を感じることができなくなって……。
…………………………?
「……い、いや、違う……!」
時を静止させるために、地下の魔力は全て使用されてしまった。既にこの場所には莫大な魔力なんて存在しない、杖の魔力が紛れることなんてない!
「クロ、この杖……使えないわ」
ハルの言う通り、この杖には魔法を行使するための力が存在していない。
「ど、どういうこと? これは確かに……委員長の両親が使ってた杖だよ!?」
「ああ、それは間違いないだろう。素材自体は魔法界にしか存在しないモノを使ってる。でも……問題は中身だな」
「私がかつて読んだ本には、杖内部の稀少鉱石が破損すると使用不可能になるって書いてあったわ。……恐らく委員長との戦いで破損していたのね」
「直したりとかできないの!?」
「無理だな。日ごろ使ってるからって、自力で携帯を修理できるか? それと同じ話だよ」
そう、この杖は今や、ただのインテリア風情だ。見かけだけは魔法使いの杖だが、実際のところはこちらの世界に存在している無意味で無力な杖と何も変わらない。
唯一使えるとすればブラフか。この杖がさも使えるかのように振る舞って、委員長の戦意を喪失させるくらいしかないが……。
……いや、無理だろう。世界を静止させてしまうほどぶっ飛んだ奴にハッタリだけで勝負できるとは思えない。
だけど俺たちは、この使えない杖と心中するしかないのだ。どれほどまでに現実味の無い確率であったとしても、立ち向かわなければ未来は永遠に閉ざされたままになる。
「クロ、だめよ。破れかぶれで挑んだところで徒花だわ。ここは一旦大人しくしておいて、いつか委員長の杖を奪い取れるチャンスを待った方がいいと思うの」
「……………………」
「…………いや、そんなあまりにも乏しすぎる機会を待つくらいなら……ねえ、クロ……この世界で、ずっと…………」
私と一緒に、と言ったところで言葉は止まり、ハルは俯いてしまう。
……ハルの気持ちは分かっている。本心ではこの世界に残りたいと思っているのだろう。
化物扱いされていた魔法界に帰るくらいなら、この世界で永遠の時を過ごしたほうがいい。そうすれば二度と人未満の扱いをされることもないし、敵を殺すことを求められなくても済む。
彼女にとっては、きっとこの世界が理想郷なのだ。
それでも向こうの世界へ帰ることを了承してくれていたのは、俺がそれを望んだから。
……きっと彼女は、無理をしているだけなのだ。
「………………」
俺はどうしたらいい?
このまま世界の停止を受け入れたならば、この世界の人口の9割以上が停止という名の死を迎える。それは歴史上で見ても最大級の虐殺と言えるだろう。
そして魔法界でも、化物の決闘という停戦のチャンスを失った両国は、再び泥臭い戦争を始めるはずだ。
そうなれば大勢の死者が出る、そして向こうの世界に住む子供たちが俺たちと同じように荒れた幼少期を過ごすことになるだろう。
受け入れてしまえば、無人界も魔法界も途方もないダメージを受ける。しかしその代わり、俺たち化物二人は普通の人間としての日々を生きることができるのだ。
今まで過ごしてきた地獄の対価として、それは釣り合っていると言えるのだろうか……?
(俺は………………)
――そんなことを思った瞬間、焼却炉から軋んだ音が響き、封印されし扉が開く。
伏魔殿へと続く地下から姿を現したのは、鳳輔だった。
「……お前ら早いな、まだ時も止まったばかりだってのに」
その手には……魔法使いの杖が握られている。
偽物なんかではない、魔力を纏った本物の杖だ。
「鳳輔! ……お前、どうして地下に……!」
「……学園祭終了直前、委員長の傘下にいる者全員に、必ず体育館へ来るよう連絡が入ってな。わざわざそんなことを言い出すってことは、遂にやり出すんじゃねぇかと踏んだんだ。……だから杖の無いはずのお前たちの為に、こいつを取りに行ったんだよ」
「どうして俺たちが杖を持っていないと分かった……?」
「昨日ここに侵入する時に、お前たちは杖を隠し持っている素振りを見せなかったからな。敵地に赴くのに武器を持たないのはバカか武器の無いヤツだけだろ。……ま、アイが杖を隠し持っていたとは知らなかったがな」
鳳輔は杖を回し、その柄を俺たちに向けてくる。
「クロ、ハルちゃん。知っての通り俺は――俺とアイは、お前たちの選んだ選択を受け入れると決めている。……だからお前たちの選ぶ未来を聞かせてくれ。このまま純粋無垢で楽しい永遠を望むのか、それとも委員長の計画をどうにか打ち崩して大人になるのか。……お前たちはどっちを選ぶ?」
――この世界が静止している限り、魔法界との繋がりは断絶される。俺たちは気ままな学園生活を永遠に謳歌することができるだろう。
でも――俺には祖国に帰らなくてはならない理由がある。
『大人が生きる理由や意味なんざそんなんでいいんだよ。それが大人の望む世界の在り方ってヤツなんだよ』
……大人が生きる理由を聞いて、ようやく俺は自分の本心を知った。
一国の王として、俺は大人にならなくてはいけない。そして――子供たちが幸せに生きられる国を作らなければならない。
俺はハルを幸せにしてやりたいと願った。……そして魔法界に、ハルと同じように恵まれない環境で生きる子供たちがいるならば、そいつらも幸せにしてやりたい。
俺がハルと過ごして得た結論は、それだ。
心に傷を負った奴らを、笑わせてやりたい。
その為に、戦争に塗れたあの世界を、この世界のような安寧の地にしなくてはならないのだ。
「………………俺の答えは決まってる」
しかし――とハルの顔を見た。彼女は神妙な面持ちで何かを考え込んでいる。
この世界に眠っていた莫大な魔力は、時を静止させるのに費やされた。例え時の流れを正しくあるべき姿に戻せても、消費した魔力は戻らない。
中立国家を扇動して三国間の戦争状態を作り出すのは、もう選べない選択肢だ。
だとしたら彼女は何を選ぶ? 唯一の希望を失って選ぶ選択はどんなもの――?
「……私には……世界がどうあるべきかなんて分かんない」
達観したかのように彼女は首を振って、そして俺の顔を見上げた。
「でも……クロと同じ道を歩んでいくつもり。もしクロが世界を元に戻したいって言うのなら、私も戦う」
「……いいのか。俺が決めても」
「いいよ。……クロが私の手を取って、外の世界に連れ出してくれたんだもん」
この世界に来たばかりの日を……少しも笑うことができなかったあの日を思い出して、そしてそんな世界から俺に連れ出された時を回想して……。
彼女は静かに――笑うというよりは、微笑むように――。
「最後まで私の手を引いて」
「……ああ」
鳳輔から杖を受け取り、手中に収める。
杖を手にして、戦場で化物と呼ばれていた日々を想起する。俺の中に巣食う化物の魔力が逆巻き、この杖に流れ込んでいく――。
「行くぞハル。この世界を取り戻しに」




