5章 ひとひらの感情
「なんでお前あんなに滑舌いいんだよ。地方局のアナウンサー選考とか余裕で通るだろ、ムカつくわ」
「ふふん! 毎日通夜みたいな顔をしてるクロと違って表情筋が発達してるからね、クロもミジメな顔してないでもうちょい朗らかになってみなさいな!」
演劇部の練習を終えた俺たちは茜色の帰路についていた。別段ミジメな顔をしているつもりはないのだが、サイレント映画で無双できるほどのバリエーション豊かな表情を持つハルにとっては仏頂面も著しいようだ。
「やってみたら意外と演劇も面白いものよねぇ。台詞喋ってる時に注目されるのがちょっと恥ずかしいけど、最後のほうは普通に気持ちよくなっちゃったわ」
「お前露出狂とかの才能あるよ、頼むからその才能を活かすなよ。……ん?」
見慣れた街路を歩いていくと、やがて慣れ親しんだ俺たちの家が見えてくる。
……その家の前に立って携帯を弄っている人物を発見し、俺の表情が怪訝なものに変化した。そいつは俺たちの姿を目視すると、にこりと胡散臭い笑みを浮かべて駆け寄ってくる。
「どうも御二方、お久しぶりでありますなあ」
中立国家の諜報員だ。同じ所属のナイリンに比べると表面上友好的なため話しやすくはあるのだが、彼女よりもよっぽど隠密任務に向いている性格の為か、どうにも胡散臭く感じてしまう。この世界に来た時からずっとお世話になっているので、そんな失礼なことを言うのはどうかとも思うが。
「諜報員さん、どうしたんですか家の前に張り込んで」
「お届け物でありますよ。中立国家副総統殿より直々であります」
副総統? と俺は首を捻る。役職で言えば上から二番目、相当なお偉い様だ。当然話したこともないし顔を見たことすら無い。
「いやぁアレですよ。この前、うちのナイリンを連れて神成島に行ったではないですか」
「ああ、その節は随分とお世話になった。彼女のおかげで難を逃れた場面もあったからな」
「ええ、それは重々分かっているのですけどね……」
そこで諜報員は悩まし気な渋面を浮かべ、数瞬だけ言葉を選んでいた。
「その……シロガラ国・メース国・中立国家の三ヵ国会議にて、怪我を治しに島へ行ったのに怪我をして帰ってくるのはどうなんだ、という声がありまして。主にメース国の女王様が提起していた問題なのですが」
「……それはメース国の王族として深謝するわ。あの人、優位を取るためならなんだってするから」
ハルが珍しく真面目な表情で謝罪し、王女から直々に頭を下げられた諜報員が大いに慌てていた。ハルとて実の母親の厄介さを一身に受けてきた立場なのだ、その面倒臭さは重々分かっているのだろう。
「で! 色々と話し合った結果、まあ、なんといいますか、運用兵器への毀損という名目で糾弾されたと言いますか、その、メース国への補償に近い形にはなるのですが、中立国家が派遣した護衛の不手際という結論になっちゃいまして、どうにかしろと言われましてね」
「……………………」
もう一度ハルが申し訳なさそうな顔をして頭を下げた。さすがの俺とて中立国家側が可哀想になったので揃って頭を下げる。
「ま、色々あってコレをお二人に提供することになったのですよ」
そう言いながら諜報員が取り出したのは、洒落っ気の全くないバングル2個だった。市販品のように繊細な意匠が彫られていることもなく、素材をそのまま活用しましたとでも言わんばかりの武骨な外見だ。
「これは?」
「一言で言いますと、魔力発生機能抑止装置ですな。コレを付けていると他者から魔力が検知されなくなるのです。隣に魔法使いがいたとしても同類だとバレないわけですな」
「……つまり、コレを付けていれば無人界の人間として行動できるから、敵に襲われる危険性がなくなるということか?」
「左様であります。ただ装着中は魔法を一切行使できず無防備になりますので、お気を付けください」
パッと見はオシャレ感のない日常使いアイテムだが、その性能はとんでもないものらしい。隠密行動にはもってこいのアイテムだ。
ちなみに一般的に普及している技術ではない。つまり中立国家側が秘密裏に研究しているものということになるのだが――。
「……あの、これってもしかして、俺たちに渡すこと自体が相当ヤバいブツなのでは」
「ッたりめぇでありますよォ! うちの機密の中核でありますからな! これのおかげでどれほど諜報が捗ったか! どうせ後でシロガラ国とメース国が解析して技術を奪うのでありましょう、ホントむかつく!」
諜報員がぷりぷりと怒っているが妥当な激怒だ。こんな技術をホイホイと奪われれば国家間のバランスが壊れてしまう。
……これほどまでの技術を提供せざるを得ないほど、俺たち化物の戦略的価値が高いということの裏付けでもある。祖国にとって俺たちは、まだまだ利用価値の高い兵器風情でしかないのだ。
「じゃ、確かに渡しましたからね! お二人、それ付けといてくださいよ。うっかり外して魔法使いに襲われたりしたら、我々次こそメース国のババ……女王様に首刎ねられちゃいますから!」
要件を済ませた諜報員は怒りのままに袋から取り出した焼き芋を食べ、手を振ってさっさとどこかへ行ってしまう。見かける度に何か間食を摘まんでいるような気がするのだが、諜報の仕事はそんなにストレスが溜まるものなのだろうか。
残された俺たちは顔を見合わせた後、仕方なしにバングルを手首に装着する。
これ付けたまま風呂とかに入っていいのかな、なんて日常的な疑問を呈しながら、俺たちは帰宅した。
「うーん……」
湯気立ち込める風呂の中、密閉式の食料保存袋に入れた携帯電話を睨みながら、俺は唸り声をあげていた。
風呂の中でドラマを見る趣味はあれど、今日の画面にはクール&ハードボイルドなアクションもラブ&ポップな恋物語も展開されていない。ただただ真っ白なメモ帳アプリが開かれているばかりだ。
何文字か打ち込んで、行き詰って文字を消して、また文字を書いて、消して。……そんな無為な作業は、もう20分近くも続いていた。
すると脱衣所と浴室を隔てる扉がか細く開く。決して人が侵入できない小さな隙間に、ユニバースを凝縮したようなハルの目が見切れていた。
「砂抜き中失礼するわ!」
「アサリ扱いすんな」
風呂に浸かっているだけであんまりな言い草を受けた俺は、浴槽の中でハルのほうに向きなおる。角度的に俺のよろしくない部分が見えないのは僥倖だった。
「なに、覗き? そういうのはもう少し心が大らかな人相手にやるべきだと思う」
「違くて、これ面白かったからクロもやってみて! オクトパス診断!」
「多分お前見間違えてるよ」
いきなりサイコな診断を薦めてきたバカを軽くいなし、携帯を突き付けてくる彼女の手を押しとどめた。
「あとクロがいつまでもおふろ入ってるから、茹だってないかなって」
「え、なに、心配して来てくれたの。いいとこあるじゃん、白きダイヤモンドと呼ばれる俺の感涙でも見るか?」
「茹だってたらカルパッチョにして食べよっかなって」
「オクトパスじゃねえっつってんだろ」
恐らく俺が長風呂をしたので暇になってしまったのだろう。だからといって風呂場にまで突撃してくるのは思春期として終わっているので自重してもらいたいところではあるが。
「で、なんで長風呂してるの。面白い動画でも見てるの。そういうのを一人で楽しんでたら理不尽に泣くわよ、私の号泣は衝撃波を伴う」
「ちげって。これだよ、これ」
俺が携帯電話の画面を見せつけると、ハルがバカみたいな疑問の声を上げた。さぞや面白いものでも見ているのかと期待したのだろうが、生憎と表示されている画面には真っ白のメモ帳が表示されているだけだ。
「あら、メモ帳に興奮する変態が一人……」
「名誉を棄損するな。綴流から言われてるだろ、一つは台本のアイデア出せって。それ考えてたの。お前出したのか?」
「もう少し漢字にルビ振った方が読みやすいって言っといたわ」
「そういうアイデアじゃなくて」
と偉そうに言っている俺だが、今のところ進捗は皆無だ。
第一、演劇の台本をマトモに読んだことなんてない身分で、それっぽいアイデアが出せるわけがない。俺にできることと言えばせいぜいエピソードトークをネタにして書き連ねることくらいだ。
「ふーん、クロはどんなの書くつもりなの?」
「この前の神成島のネタでも書こうかなって。みんなで花火大会の会場作りとかしただろ? 設営なんてそうそう携われるものでもないから、何かネタになるかもなって思ってさ」
「ズルい、私もそれにする!」
「パクるな、訴えるぞ」
人様のネタでさえも我田に引水してくるハルにちょっとだけ風呂のお湯をかける。
「ハルも俺と同じでイチから考えるのは厳しいだろうし、何かエピソードをネタにしたらどうだ。こっちの世界に来てから色々あっただろ」
「分かった、足の指折られた時の話をネタにする!」
「え、よりにもよって?」
よく考えてみれば、こちらの世界に来てからハルは酷い目に遭ってばかりな気もする。精神を操られたり腹を裂かれたり足の指を骨折させられたり、なんだかちょっとだけ可哀そうになるほどだ。
総合的に考えると、一度死んだ俺の方が酷い目に遭っている気もするが。
「お前も今日中にアイデア送っとけよ、今ごろ綴流も頑張ってるだろうからな」
「はぁ~い」
「じゃあ俺、そろそろ上がるから」
「どうぞ!」
「どうぞ!じゃねえよ去れ。見るな、俺のあられもない裸体を見るな」
風呂を上がろうとしているのに、いつまでもニコニコと笑顔を浮かべながら留まり続けるハルに今度は洗面器一杯分のお湯をかけるふりをした。
しかし奴は怯まなかった。どんだけ俺を辱めたいのだ。
師走の夜半は、足音さえ反響するほど張り詰めている。零した息は白く煙らないが、今も駆動する暖気の発生源を断てば、きっとこの部屋も外界と同じような気温へと沈んでいくだろう。
耳を澄ませば――遥か彼方から聞こえてくる小さな物音。壁を一つ挟んだ先に彼はいる。
僅かな咳音、控えめに椅子が軋む。たったそれだけの生活音が、私が一人ではないことを明示してくれているのだ。
「……」
私は――ハルモニアは、ベッドに横たわりながら携帯電話の画面を見つめていた。電灯を逆光として光を浴びた携帯は黒く染まり、有機ELの画面だけが存在感を主張するように輝いている。
見つめれば見つめる程、瞳の奥がじんわりとした痛みを覚えていく。何度も瞬きをして、そのたびに少しだけ瞳の表面が湿潤になって。そうして世界は少しずつ海のようなモザイクへと変わっていた。
私に与えられた責務は、台本の為の発想を一つ用意すること。しかしクロに倣って開いたメモ帳アプリは空蝉如く真っ新で、一文字目を書き綴ることすら困難だ。
彼が言うように、自分の過去から着想を得ようとしていたが、書き記すに値するような過去などありはしない。
魔法界にいた頃は化物として運用され、人並みの生活を送ることすら叶わなかった。私は戦争を激化させる為だけの人間細工、意識を埋め込まれただけの兵器でしかなく――このメモ帳にしたためるとすれば、あまりにも無慈悲な文が連なるばかりだろう。
さりとて――この世界に来てからの出来事も、魔法に満ち溢れたことばかり。時を止める魔法も、人間を魔法使いに帰る魔法も、全てが全て幻想童話。演劇の台本としては不適合だろう。
唯一、自分に経験があるとすれば、学園祭実行委員会をやり遂げたことくらいか。
しかしクロが書こうとしていた、花火大会の設営と内容が近い。……類似した案を出すのは流石に意味がないと、愚図な私でも理解できている。
「…………」
私には何があるのだろう。
この世界に来てから手に入れたもの。……大切だと思っているもの。
例えばそれは、クロと初めて本心を語り合った繁華街の出来事。賑々しき学園祭を謳歌した束の間。燦然たる光を浴びながら踊った瞬間。大海に抱かれたような水族館の一幕。天界に咲き誇る炎の花。寄り添いながら夢に落ちた島の夜。
もしも仮に――この身で演じるとするならば、私はどの情景を望む?
乃至……もしも仮に、誰かに語るとするならば、私はどの言葉を選ぶ?
一番大切な瞬間は、どの刻だっただろう。
「…………………………」
半ば無意識的に、私の右手が動いていた。数瞬前までは新雪のような純白を見せていたメモ帳に、あの日の心情が書き込まれていく。
もしも、たった一つだけ――私の人生を誰かに語るならば。
きっとあの日のことを語るだろう。
生まれながらに淀んでいた闇の世界。
人生の行く末など見ることすら叶わず、霧中を手探りで往くしかなかった無為なる人生。
そんな世界に千紫万紅の光が差したのは、あの夏の日のこと。
この世界に来たばかりの頃。
まだ世界の美しさを知らなかった、始まりの一日。
そして、ひとひらの感情を知った、大切な一日だ。




