1章 流星群が降る夜に
注:シーズン0は物語開始から半年後を描いた短編です。起承転結のまとまった一本の完結作となっております。
事前知識無しでお読みいただけますので、話の雰囲気が合うか合わないかを確かめるための試し読みとしてご使用ください。飛ばして本編(シーズン1)から読んでも支障はありません。
瞳を閉じれば思い出す。猖獗極めし戦場を。
俺たちの故郷である『魔法界』は今も戦渦の緋色に染められて、戦乱の世はいつになっても終焉の予兆を見せない。
世界はいつだって残忍で、冷酷で、酷烈だ。
それが世界の全てだと思っていた。そんな世界に生まれ落ちて、兵士として敵兵を殺すことでしか誰にも認められない存在となって、連日戦場に繰り出て一つしかない命を削る。世界とはかくも無常なもので、逃れるすべはないのだと。
そんな日々に光が灯ったのは、15歳になったある日のことだった。
これは、魔法のない世界――日本に転移して帰れなくなってしまった『俺たち』の話だ。
【日本への転移から8ヵ月後】
「クロ、起きて! もうすぐ出発する時間!」
何らかの事件が発生したのかと勘違いしてしまうほど全力で揺さぶられ、深い夢に落ちていた俺の意識が覚醒していく。
渋々と瞳を開けば、一人の少女が俺の顔を覗き込むようにして見下ろしてきていた。
垂れ下がっていた彼女の髪を振り払いながら起き上がると、何の変哲もない自宅の様子が視界に入る。ソファーの上で寛いでいるうちに、いつしか眠りに落ちていたのだろう。
「もうそんな時間か……」
俺の名前は高坂 黒。15歳。『魔法のないこの世界』では高校生として生きている。
かつて魔法界にいた頃は、祖国の勝利に貢献するため数多の戦場を駆け巡り、敵国の兵士を打ち滅ぼしてきた。物心ついた頃から円環の如く続いていく騒乱の日々は、戦争が終結するまで延々と続いていくと思っていた。
でもある日、トラブルが発生し――俺はこの魔法のない世界へ来ることになってしまった。
……実力伯仲の宿敵と共に。
「これから流星群を見に行くっていうのに、何そのモチベーションの薄さ! もっと熱意を見せてほしいわ、諸人挙りて空を見上げる一大イベントなんだから!」
これからのお出かけに心を躍らせていると思われるこの女性は若葉 春。俺と同じく15歳。俺と共に魔法界から日本へ来ることになった、ある意味同士とも呼べる人だ。
悔しいことに見た目だけなら傾国と呼べるほど可愛らしく、高級シルクよりもよっぽどサラついた黒髪を欠損したのかと見間違うほどくびれた腰まで伸ばし、もう化粧をする必要がほとんどないくらい肌質の良い顔は非常にというより異常に整っている。
しかし幼少期からロクな情操教育を受けずに兵士として生きていたせいで物を知らず、歯に布着せぬ言い草で表現するならアホだ。その上、戦争をしなくていい日本で存分に浮かれてテンションが高いのだからもう手が付けられない。
「分かった、分かったからもう揺するな。お前のおかげでちゃんと起きてるから」
「ちゃんと起きた? ホントに? もっと起きて!」
「なんで必要以上に起こそうとするんだよ」
かつて感情の無い鉄仮面のような表情で戦場に赴いていたハルは、まるで普通の女の子のように表情を緩めていた。毎日が死と隣り合わせだった彼女は日本に順応して、到底王族とは思えないような少女に毎日すくすくと育っている。
かつて魔法界では敵同士だった俺たちは、この世界に来る途中で魔法を行使するための杖を失い、帰還の目途が立つまで普通の人間として日々を生きている。
最初は敵と同居するなんてと思っていたが、時を重ねて心は移ろいゆくもので。
敵はいつしか友となり、家族となり、愛を想う。
……それでも、魔法界に帰還すれば再び殺し合わなくてはならない。これは、『その時』が来るまでの恋物語だ。
まず最初に語るのは、俺たちがこの世界に来てから丁度7ヵ月が経過した頃の話。
病気という壁によって、恋することが許されない二人のための物語だ。
それは流星群が降りしきる、とある夜のことだった――。
*
透き通った空気の向こうに、絵画を空へ掲げたような満天の星空が浮かび上がっていた。
天然のプラネタリウムを見上げて、人々は歓喜の声を上げたり、もしくは携帯を空に向けて思い出を切り取ったり、あるいはロマンティックな雰囲気に浸ったり、思い思いの余暇を楽しんでいるようだ。
……2月頭の高槍山は星空を見上げるのに絶好の場所だが、しかし、ここまで大勢の見物客が集まることは想定していなかっただろう。天体観測スポットとされる展望台には数多くの人が犇めき、休日の都心を思わせるような混雑具合となっていた。
何故こんなにも濃い人だかりができているかと言えば、それは――。
「ねー、流星群ってまだ降らないの? もうね、待ちきれなくて今にも狂う」
「よしてくれ」
一緒に流星群を見に来たハルが俺の裾を掴み、ティッシュを引き出すような強さでくいくいと引っ張ってくる。俺は暇を持て余した彼女を諫めながら、手に持った携帯電話で天文研究所の発表ニュースを再度見た。
3日前、天文研究所から突発群である『びゃっこ座流星群』の予測が発表された。日本において久々の流星群予測に国中が湧き上がり、諸人挙って天体観測に適した場所へと足を運んでいるようだ。
ことイベントに関してはミーハーな俺たちも例外ではなく、のこのこと高野山へと赴いたわけだが――案の定、絶景スポットは人でごった返していた。
「おいハル、お前はぐれるなよ。こんな人だかりで迷子になったらもう今生の別れだと思え」
「任せて! 私の泣き声ときたら耳をつんざき鳥を落とすからまた会えるわ」
「はぐれた後の対処法を気にしてるわけじゃねえの、はぐれるなって言ってんの」
元気は人一倍あれど知性はいつだって半額セールなハルが、俺の服をしっかりと掴んで『どうだ!』みたいな得意げフェイスを惜しみなく披露してくる。それくらいのことで図に乗られてもこちらとしては如何なる反応も寄越せない。
見た目だけなら何らかの賞が貰えそうなレベルの彼女だが、中身に関しては毎日頭を抱えたくなるほどの残念加減で、5歳児と比較しても物を知らなさすぎている。茶碗蒸しが食べたいと呟けば茶碗に虫を盛ってお出ししてくるような常識知らずだ。痴態を述べれば千夜一夜を過ごせるほど枚挙に暇がない。
……しかしマヌケにも理由があり、家庭の事情など諸々のせいで彼女はこの日本に来るまで、マトモな教育を受けてこなかった。故に、頭はティーンエイジャーでも心はまだ幼児のようなもの。
楽しそうなものを見つけるとママに報告する子供のように俺の名前を呼んでくるし、あまり役には立たないのに何かとお手伝いしたがるし、実質大きなお子様だ。レディではなくベビィと呼ぶべきだろう。
「はぐれてほしくないならどっか掴んでて。クロが手ぇ放すと私、今にもあらぬ方向へと消えていくわ」
「消えんな。居残れ。努々忘れるなよ、俺は迷子のお前を置いて帰るほどの豪胆さを持っている」
目を離したらホントにいなくなっていそうなハルに釘を刺しておき、携帯電話で時刻を確認する。
「天文研究所の発表によれば、大体20時くらいに観測できるって話だけどな……」
現在時刻は20時25分、予測の時間を少々オーバー気味だ。周囲の群衆も本当に流星群が来るのかを訝しんでいるように思える。
見上げた空には黒い帳が降りていて、都会よりは星豊かだが満天とは決して呼べない程度の星空しか広がっていない。このまま何も見られなければ、わざわざ高槍山まで来たのに徒労で終わってしまう。
「ねーねー、このまま何も起こらなかったらどうするの? 私はいつだって癇癪を起こすけれど?」
「危害を及ぼすな。そん時は良いメシ食って帰るぞ、何か食べたいモンでもあるか?」
「ジラフ!」
「ああ、ピラフか」
周囲の方々も本日の空振りムードを察し始めて、にわかに騒がしくなっている。2月の山は想像を絶するほど底冷えし、防寒具をいくら着込んでも芯を凍えさせるのだ。このまま何も見られないなら一刻も早く暖房器具にありつきたいと思うのは当然の気持ちと言えよう。
そんな時、誰かが「流れ星」と小さく声を上げた。不意を突かれたような声色が耳に入り、思わず空に視線を寄越す。
月と星が思う存分に浮かび上がる夜空に、切り込みを入れたような白線が一筋伸びていた。
それはともすると見落としてしまうほど、星に紛れてとても見えにくい。しかし確かに流星が空に残滓を残した証だ。
人々がその痕跡に気づいた瞬間、星の線が幾重にも空に刻まれていく。まるで白雨の降り始めのようにぽつぽつと、星の軌跡が冬空を彩っていた。
「わあっ……」
日頃は知性の出来栄えを疑ってしまうほど戯けたハルも、この光景には心を動かされたものがあるらしく、まるで普通の乙女みたいな歓声を静かに零している。そして冬なのにどこか小春めいた微笑みを湛えながら、俺の顔を見つめて「今の見た!?」と言葉なく問いかけていた。
見たよ、と小さく言葉を返し、俺は再び空を見遣る。寒月に纏わりつくように流星は降り、深海のように沈んだ夜空にテールランプのような轍を残して、やがて音もなく静かに消えていく。
流星群と聞いて人々が思い浮かべるような、空一面に流星が降るようなものではない。ただ星月夜に幾つかの線が描き込まれていくだけ。
しかしそれでも、幾夜の内に僅かしか見られない現象だ。明日の夜も明後日の夜も起こり得ない、今日だからこそ見ることができる奇跡のような一夜。
……きっと、この日本を去って再び戦火に身を投じたとしても、忘れないだろう。
「…………ん?」
その時、視界の隅に見知った顔を目撃した――気がした。
デジャヴにも近い仄かな違和感は、もしかしたら単なる思い過ごしだったかもしれない。こんな人混みの中では、例え知り合いがいたとしても巡り合うことすら困難なのだから。
それでも確信に近い予感を胸に湛えながら、既視感を頼りに視線を巡らせると……少しだけ離れた位置にクラスメートを見つけた。
名前は流川 瞬、同じ学校に通うクラスメートだ。場の流れで話すことはしばしばあるが、昼食を共にしたり放課後遊んだりするほどではない――という、ギリギリ友達と呼べる間柄ではない距離感の男。
流星群を目撃した群衆は、何らかの仕来りに縛られているのかと疑いたくなるくらいに揃って携帯電話を空に向けているのだが、流川は携帯を取り出すことすらしていない。それどころか目を閉じて、せっかくの流星を視界にすら入れていなかった。
ただ彼は、敬虔なる者が神に祈るかのように手を組んでいるだけで……。
「ねえクロ、もう終わり? リスの屁くらいしみったれた量しか降らなかったけど」
俺が流川に気を取られている間も空を見ていたハルが、空を指さしながら不満げな声を上げている。見上げれば空は閑静を取り戻し、田舎町ならどこにでもあるような星空が浮かぶばかり。
「そんないっぺんに降るもんじゃないの。目ん玉破裂するくらいよーく空を見とけ、その内ジョボジョボ降りだすから」
「天体観測って意外と耐久戦なのねぇ。釣りみたい」
ガキの如く落ち着きがないハルは、こういうまんじりともせずに時の経過を待つ侘び寂びに我慢ならない。彼女は目が眩むくらいドピンクな携帯電話を操作したかと思えば、ブルーライトの欠片すら感じさせない明るさフルパワーの画面を見せつけてくる。
「もっとこう、こんな! こんな感じに嫌味なくらい降り注ぐかと思ってたわ。それこそ星が食傷気味になるほどに」
ハルが見せてきたのは、空一面を覆い尽くすかのような流星群のイメージ画像だった。見て呉れだけは大変にご立派で美しいのだが、これほどまでに星が空を埋め尽くすなんて恐竜でも絶滅させる時くらいしかありえないだろう。
「残念だったな、思いもよらない現実に面食らうがいい。でもいつ現れるか分からない流星を待つのもそれはそれで趣深いだろ、ほら、なんか焦らされてるみたいで」
「そんなのクロみたいなM気質じゃないと楽しめないわ!」
あんまり往来で人の性癖を開陳してほしくないのだが、どうやら精神年齢が幼児に近いハルはご不満のようだ。それならと思い流川のほうに親指を向ける。
「じゃあ流川に絡みに行くか? あいつもニュースに踊らされてまんまと流星群を見に来た同志だぞ」
「お、いたのね。油断してやがるわ、小粋な絡みでビックリさせてみましょうか」
鬱蒼とした人混みの中を軽快なステップで駆け、ハルが流川に接近していく。彼女一人の相手をさせると流川の消費カロリーがえげつないことになりそうなので、俺も追随して後を追った。
「ばあ!」
稚児を相手にするかのような掛け声と共に、ハルが流川の前に飛び出した。突如としてバカが目の前に現れて流川は完膚なきまでに驚き、シャバでは中々見られない驚愕顔を惜しげもなく見せている。
「おう、流川。お前も流星群を見に来てたのか」
ハルに場を任せると状況説明とかを一切しないので、続けて俺も現状を交えながら挨拶をする。安穏とした俺の姿を見てようやく流川は状況が理解できたらしく、苦笑交じりの笑顔を浮かべた。
「なんだ、クロとハルちゃんかぁ。何事かと思ったよ、新手の痴漢かと勘違いした」
「当たらずとも遠からずと言ったところね」
何故かハルが誇らしげに胸を張っているが、痴漢扱いされてここまで意気揚々とできるその心の源泉を知りたいところだ。
「流星群を見に来たんでしょ? 流川くんも星好きだったのね! 大義である、褒めて遣わす」
「何を褒められてるのか分からないけどありがとね」
そういえば9月の学園祭の時、流川はクラスの出し物であるプラネタリウムを先導して作っていた……と聞いたことがある。俺たちは学園祭実行委員会に所属していたのでその現場を目撃したわけではないのだが、それが本当ならばわざわざクソ寒い中に星を見に来るのも納得できると言えよう。
しかし、それにしては――と、違和感が生じるのもまた事実だ。
「でも流川、あんまり流星群見てなかったよな。めちゃくちゃ目ぇ瞑ってたし」
「え、見てたの……?」
俺に目撃されていたことを知って、流川はトイレの個室から出てきたところを見られた小学生のように気まずい表情を浮かべている。
「まあほら、アレだよ。流れ星が消える前に3回願いを唱えると叶うっていう子供染みた迷信。よく言うでしょ? 恥ずかしながら実践してたわけ」
「初耳だな。そんな風習があるのか」
「なにそれ、めちゃくちゃメリットだらけのお得情報じゃないの」
迷信という部分を聞き逃したであろうハルが何か得心がいったように頷き、小さな宇宙でも入っているんじゃないかと疑わしくなるほどキラキラした目を星空の天蓋へと向けた。
「それがホントならヤリ得よ。はちゃめちゃな願いをここぞとばかりに要求して、一代じゃ豪遊しきれないほどの財を築いでやるわ。まずは日本の国富でも根こそぎいただこうかしら」
「死罪級の希い方をするな」
過ぎた願いを天に捧げるハルの隣で、俺と流川も空を見上げた。
空には相変わらず、小雨のように疎らな流星が降るばかり。出現してから消えるまでの速度はあまりにも早く、出現中に3回唱えるなんてよっぽど口が回る達弁でもない限り無理だろう。
そのまましばらく、早口チャレンジに精を出すハルの声を聞きながら、俺たちは流星を眺めていた。銀河の海を流れていく星に満足したのか、人だかりは少しずつ閑散としていき、展望台は2月の夜を思い出したかのように寒々しくなっていった。
「そういえば、流川くんは星に何をお願いしたの? 参考までにお聞かせ願いたいわ」
願いを捧げるのにも飽き始めてきたハルが、月灯りを髪に反射させながら振り返ってそう尋ねる。不意に問いかけられた流川は一瞬驚き、寒気で赤くなった鼻の頭を爪先で掻きながらあらぬ方向に視線を向けた。
「あー、まー……ちょっと体調を崩した友達がいてね、元気になりますようにって」
「そんな、わざわざ願ってもらわなくても私は何らかの法に抵触するくらい元気だというのに……」
「おいハル、慮りをインターセプトするな。粛々としてろ」
他人のエピソードトークにまでお得意の我田引水を発動するハルの肩を小突き、仰向けの手のひらを流川に向けて続きをどうぞと促す。
「母親の友達の娘さんがこの近くに住んでるんだけど、子供の時から体が弱いんだ。あんまり学校にも行けてなくてね。……いくら医療に頼ってもダメだったから、もう、星に願うくらいしかないんだよ」
そう呟く流川の顔には、憂いと達観を綯い交ぜにしたような表情が浮かんでいる。迷信に頼っても無駄だと分かってはいるが、もはや藁をも掴む思いなのだろう。
なんだかちょっぴりしんみりとした俺の隣で、ハルは「泣ける話ねぇ」とのんびり呟いている。もう少し言葉と表情の整合性を持たせてほしいところだ。
「あ、そうだ。……ここで会ったのも何かの縁だし、今度その子に会ってあげてくれないかな? あんまり家から出られない子だからね、人と関わる機会を増やしてあげたいんだ」
「それは構わないけど……」
正直なことを言うと、俺は元々内向的で内弁慶気質なので知らない人と関わるのはあまり得意ではない。しかしこちらとしても悪くない機会だ。
人と関わる機会を増やさなければならないのはハルも同じ。半年前までは世の中のことを何一つ知らなかった軟禁少女――もとい、箱入り娘だったのだ。一人前の人間になるステップとして、知らない人と積極的に関わる機会は設けなければならない。
……勿論、魔法使いという正体が露呈しないように最大限の対策を講じる必要はあるが。
「それじゃあ、今度の休日にでも――」
「明日がいいわ! 明日にしましょう!!」
今まで言うことを聞いて大人しくしていたハルが、我慢できなくなったと言わんばかりに意見を述べ始めた。喉にメガホンでも備え付けられているような大声を発し、選手宣誓でも唱え始めそうなくらい真っ直ぐに手を上げながら、すぐに会いたいと子供のようにせがんでいる。
「止せ、お前はもう少しおしゃまとかおませとか言われるような立ち振る舞いを心掛けたほうがいい。明日って半端なく平日だぞ、学校帰りに高槍山付近まで来るとかわんぱく過ぎるだろ」
「……いや、むしろ時期的に丁度いいかもしれない」
ハルの無法な要求を諫めている俺の後ろで、流川は好都合とばかりに頷いた。え、マジ? と振り向いた俺の目に飛び込んできたのは、冗談めかした色合いが微塵も混じり込んでいない流川の表情だった。
「すごく申し訳ないんだけど、もしクロたちの時間が空けられるなら、明日来てもらえないかな……? 距離はそこまで遠くないよ、高槍山口駅に病院があるから」
「え、急だな……」
しかし隣のハルは既にその気になってしまったらしく、好都合ね!とでも言いたげな顔で俺を見上げている。瞳の中の壁紙を銀河色にしたような輝く目で見つめられて、思わず一発くらい戯れのような目潰しをしてやりたくなるが、どうにか堪えながら流川に向かって頷いた。
「……それなら一本だけ電話かけていいか? ちょっと日頃から世話になっている人がいてな、学校帰りにここまで来るなら事情を説明しなきゃならん」
流川の了承を得た俺は、少しだけ離れた場所に移動して、ある人へと電話をかける。数コールの末に眠たげな声が返ってきたので、明日知り合いの家に行くことを話していった。
なんだか納得しかねたような声色だったが最終的にはOKが出たので、電話を切ろうとした刹那。
『……でも努々忘れないでほしいのですが、あくまで我々は正体を隠した身分。あまり迂闊なことはなさらないようお願い申し上げたいであります』
通話相手は俺に向かって明確に釘を刺し、軽快な音と共に通話を打ち切った。俺は数秒間だけ携帯の画面を見つめて――踵を返し、ハルと流川の元へ戻っていく。
少しだけ、心の中に後ろ暗い色を湛えながら……。
翌日。流川の言う通り、氷川総合病院は高槍山口から車で6分ほどの近距離に聳えていた。
非常に年季の入った歴史的な外見とは裏腹に、建物内の設備は近代的かつ機能的で、マップのレビューが軒並み高評価なのも頷けるような医療施設だ。
流川と共に面会の手続きを終えた俺とハルは、どこか無機質に思えるほど真っ白な廊下を進んでいく。景色として過ぎ去っていく扉の横にはネームプレートがはめ込まれ、特別室や重症室、多床室やデイルームなどの部屋名が書き込まれている。
やがて個室のエリアに差し掛かるとネームプレートは人名へと変わり、『星宮朱莉』という名前を見つけるなり流川が足を止めた。
「ここだね。話は事前にしてあるから、まあ、あんまり気負わずに適当に寛いでよ」
なんて流川は言ってのけているが、それでも知らない相手はちょっぴり緊張してしまうのが俺のサガだ。ちなみに隣にいるハルは、予防接種のために病院に連れてこられたことに気づいていないバカ犬みたいな顔で周りを見回していた。
扉を開けた先にあったのは、とても落ち着いた病室だった。施設の性質上清潔さを表現する必要があるのか、病室内は白を基調として統一感のある内装となっている。その中で、風に揺れるカーテンとそよぐコスモスの造花。備え付けられた薄型のテレビと木目がはっきりと見えるベッドサイドテーブル。
しかし、この病室に佇む少女には、きっと何も見えていない。
「朱莉、来たよ。昨日話したクロとハルも一緒にね」
流川が声をかけると、ベッドに横たわっていた少女が体を起こし、声の方向へと視線を向ける。しかしその顔の向きは流川から少しだけズレていた。
ベッド脇まで来た俺は、どこか胡乱な雰囲気を漂わせる少女に礼儀として手を上げて挨拶する。
「既に流川から聞いてると思うけど、俺は高坂黒。流川のクラスメートだよ。あと隣にいる変なのが若葉春」
「初めまして、変です!」
あまりにも粗雑な挨拶をかましながらハルが少女に近寄り、小さな手を握って上下にシェイクしている。友好的な意を示しているつもりだろうが、突然の触れ合いに少女は少しだけビックリしているようだった。
「あ……初めまして。……星宮 朱莉、です」
星宮と名乗った少女は、両の目を閉じたまま――少しだけ俺たちとはズレた方向に頭を下げる。何の気を遣ってか、ハルが頭を下げた先にさりげなく移動していた。
とても青白く、不健康そうな肌。筋肉の欠片もないくらい細々とした四肢。ただベッドに座っているだけなのにどこか不安定に揺れる体。入院しているのだから当たり前だが、見た目からしてどう見ても病人だった。
……星宮の事情は、事前に流川から聞いている。
親同士が幼少期の友達だったことが理由で、物心つく前から知り合っていたらしい。年齢は14歳、生まれた時から病弱で、そして……新生児の頃から両目が無い。
だから彼女は瞼を閉じ続け、音を頼りに周囲を察知する他ないようだ。時折瞼が震えた拍子に見える白い物体は、きっと義眼なのだろう。……もし義眼を嵌めていなければ、そこにはどこまでも続くような空洞が広がっているのだろうから。
彼女の瞳を奪ったのは、『新生児眼球摘出事件』という悍ましい事件。
今の俺たちはまだ知らないが――それは魔法使いによる極めて利己的な凶行だ。
俺たちはこの出会いを契機に、事件の真相を知ることになる。
そしてこれをきっかけとして、小さな恋の物語が、結ばれる。
ここまでお読みいただきありがとうございます。よろしければ星1つでも評価を頂けますと励みになります。よろしくお願いします。




